脱出

 フラウィウスは落ちたワイヤレスイヤホンを拾い、バルサンの煙幕が晴れるのを待った。彼はこれが配信されていることを理解しており、見えるところで殺せという指示を律儀に守っていた。

 霧が晴れた時、既に対象は視界から消えていたが、数ある監視カメラの映像が彼女の位置を教えてくれる。

 フラウィウスはイヤホンから聞こえたとおりにモールを進むだけでよかった。

 大塚沙鳥の位置は

 あんな大怪我を負ったのにまっすぐ出口へと向かわず上へと向かうその精神性は素晴らしい、とフラウィウスは思った。鉄板で拳をガードしながら棒で反撃するその闘争心。彼女にオレ並みの筋力があれば、あるいは毒などの手段を持っていたら、倒れていたのはオレだったかもしれないな、とひとりごち、ゆっくりと階段を昇る。


 逃げない精神性は素晴らしいが、四階は悪手だ。

 二階、三階にいれば逃げ道は上下の二つがある。しかし四階は最上階なので降るしかない。

 いくら広いショッピングモールとはいえ、選択肢が半分になるのは悪手以外の何物でもなかった。

 所詮は女子高生クソガキ。オレの敵ではない。


**


 大塚沙鳥は猛烈な痛みと戦いながら、いくつかの店舗を回る。


**


 ――――最初に違和感に気が付いたのは黒服だった。

「......Heyおい. Heyおい! Flaviusフラウィウス!」

 しかし指示を出していた黒服以外は、彼が叫んでいる理由がわからなかった。


**


Flaviusフラウィウス! go straightまっすぐだ!」

 指示に従い、一歩ずつ対象へと近づいていく。

 焦る必要はない。既に彼女は大きなダメージを受けているのだから。

 四階のフロアを一見しても対象の姿を見つけることはできない。店の奥かトイレに隠れているのだろうか。


 そう思いながら歩いていると、突然フラウィウスが全く想像していなかった指示が飛んできた。


Look down下を見てみろ, idiotばーか!」

「――――?」

 突然のスラング、意味不明な指示に戸惑いながらもフラウィウスは吹き抜けから下の階を見た。


 


**


「やっほ~!」

 大塚沙鳥は腹の痛みを我慢して、四階にいるフラウィウスに笑顔で手を振った。

 そして、握っていた右手を開く。

 そこにあったものは、

「忘れものだよ」


 沙鳥が電気屋を回ったのは、目の前にあったからでも一脚を手に入れるためでもない。


 ワイヤレスイヤホン――――ショッピングモール中に声が届く、高性能なワイヤレスインカムを手に入れるためであった。


「あんたが黒服と連絡を取り合うことはわかっていた。そうしないと私の位置がわからないからね。この馬鹿広いショッピングモールで、お互いの位置がわからない鬼ごっこなんて塩試合、まさか見せられるはずがない。じゃあどうやって連絡を取り合う? 電話? トランシーバー?  まさか。ワイヤレスの小型通信機器しかあり得ない」

 沙鳥は近くの監視カメラに向かって話しかける。

「私が勝つためには、私の位置を誤認させることが必須。一脚で彼の耳を攻撃したのもバルサンを炊いたのも、逃げるためでも倒すためでもない。ただ、ためだったんだ」

 彼女が行ったのは単純なすり替えである。

 予めイヤホンを転がしておき、彼のイヤホンを落とした後、バルサンを炊く。そのまま彼が落としたイヤホンをこっそり拾い、逃げ出す。

 こうすることにより、フラウィウスの指示系統は完全に沙鳥が握ったことになる。

like thisこんな感じで

 沙鳥が端末に声を吹き込むと、フラウィウスがびくりと反応をする。彼の耳にメッセージが届いている。

「ワイヤレスインカムは声がくぐもって聞こえるからね。ぼそぼそと喋れば男声女声の区別はつきにくい。これが私の用意した位置を誤認させるトリックです」


 言い切った後、沙鳥はフラウィウスに向かって中指を立てて、インカム越しに言い放った。

Start over from小学校から f*ckin' elementary やり直したらー?school!」


 ――それを言われて黙っているフィジカルモンスターではなかった。

 フラウィウスはビキビキと青筋を立て、吹き抜けの柵を掴む。

 そしてそのまま、沙鳥目掛けて

 彼は四階から飛び降りても無事な確信があった。着地し、そのままの勢いで大塚沙鳥を殴り殺す。

 彼女は確かに頭がいいかもしれない。しかし対面さえすればただの女子高生だ。一撃で死ぬだろう。

 しかし一撃では殺さない。何度も殴る。ギリギリ死なない程度に何度も殴る。彼女の顔が変形して、四肢が無くなって、体が変色して、それで――――――


 フラウィウスは四階から飛び降りてから、やけに思考時間が長く感じた。大塚沙鳥をどう殺すかについて詳細まで考える時間があった。おかしい。四階から飛び降りるだなんて一瞬なはずなのに。


 ――――走馬灯。


 フラウィウスがそれを認識した瞬間、


「ショッピングモール、本当に何でも買えるよなあ」

 大塚沙鳥は、吹き抜けの二階部分に、透明で強靭な糸――テグスを張り巡らせていた。

「あんたが私目掛けて飛んでくることはわかっていた。だったらそこに罠を置いておけばいい。いくらあんたでも、空中で引っかかって頭から落ちれば、無事では済まないでしょう。ま、もう聞こえてないと思うけど」


 フラウィウスの頭の部分は赤い水たまりができていた。

 血。


「ていうことで運営さん。これでどうかな、全員が納得する形の決着。天才女子高生の勝利!」


 その弾けるような笑顔とピースサインを見て、CASINO SUPERの代表は、頷くしかなかった。


**


 彼女の配信は視聴者に多大なインパクトを残した。

 勝利を称ええるもの、ドン引くもの、そして、興味を持つもの。

「大塚沙鳥さん、ですか。面白い人だなあ」


 彼女が敗北し、ギャンブルの世界から消えるのは、もう少し先の話である。


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