「言葉足らず」のヒエラルキー
一田和樹
「言葉足らず」のヒエラルキー
世界は心で満ちている。形のない心に身体を与えるのは言葉だ。でも、タダというわけじゃない。世界を構成する20種類の言葉をすべて与えてもらえるものは半分もいない。残りは5種類とか、8種類とか、そんなものだ。
見かけはみんな同じ人間の姿をしているが、話せるのは与えられた言葉だけだし、認識できる世界も言葉の数によって違うらしい。同じ学校に通い、同じものを食べているのに違うものを見て、感じているというのはよくわからない。
それでも当たり前のように日常はすぎてゆき、いやおうなく「言葉足らず」のヒエラルキーの中に僕らは埋没してゆくのだ。5種類しか言葉を持たない僕は底辺と呼ばれる。見かけは似ていても、話をすればすぐにわかる。だって、話せる言葉の数が違うのだ。
「そうだね」
僕はほとんどいつもそう言う。だって、他に言葉が浮かんでこないのだ。つまらないやつだと思われてるんだろう。わかってるけど、どうしようもない。
「他のこと言えないのかよ」
10種類以上の言葉を持ってる連中にからかわれる。でも言い返せない。それを見て、やつらは笑う。だから僕は暴力をふるうしかない。言葉がないんだから、言い返せるわけないだろ。仕方がないじゃないか。でも、暴力をふるうのは社会のルールに反するから、僕は罰せられる。あと10回ルールをやぶったら、1種類言葉を奪われる。
言葉が減ることはおそろしい。おそろしいけど、怒りや悲しみを我慢できない。たまたまたくさん言葉をもらっただけなのに、なぜあんなにいやがらせをできるんだ。いや、でも20種類すべてを持っている連中は僕らをからかったりすることはない。常に距離をおいている。文字通り、僕らには近づこうとしない。それも腹が立つ。同じ人間として見てないんだろう。あいつらには僕らが見えていないのかもしれない。
「あーああー」
放課後、校門の横に立っていると、1種類の言葉しか持っていない「あ」がやってきた。僕の家の近所に住んでいる幼なじみの女の子だ。生まれた時は僕より言葉を持っていた。確か8種類だった。でも、怒りにまかせて暴れたせいで、どんどん言葉を失っていまは1種類しかない。
だからイントネーションや表情から彼女がなにを考えているのか察するしかない。いまだに感情の起伏が激しく、突然抱きついてきたり、殴りかかってきたりする。僕は彼女が好きだったんだけど、いまでは彼女も姿すらよく見えなくなってしまい、好きだったかどうかも曖昧になってきた。
言葉の数が少なくなればなるほど、輪郭が失われてゆく。存在感のない「影のうすいやつ」になるのだ。5種類の僕はかろうじて、認識してもらえるが、1種類の彼女はほとんど空気のようになっている。だからよけいに大声を出し、殴ったりして存在をアピールするのかもしれない。
「あの子なりに消えてしまう不安と戦ってるんだろう」
学校の先生はそう言った。先生は20種類の言葉を持っている。その通りかもしれないけど、20種類も言葉を持っているやつのことなんか聞きたくない。なるほど、なんて納得しない。
僕と「あ」は登下校が一緒だ。ふたりで並んで歩いていると、「あ」が僕の身体を突いたり、なでたりする。悪い気はしないけど、どうしていいかわからない。だって、きっと「あ」はもうすぐ消えてしまう。最後の言葉を失ったら、誰にも見えない形のない心に戻ってしまう。そうしたら声も聞こえないし、見ることもできなくなる。
「あ」が3種類になった時から僕はそのことばかり考えている。僕の言葉を分けてあげようかと思ったこともある。でも、「あ」は感情を抑えられないから、僕の5種類をすぐに使い切ってしまうだろう。僕も消えてしまう。形のない心だった時の記憶がないから、どうなるのかわからない。わからないからすごく怖い。そこまで考えて、いつも僕は「あー」と叫ぶ。すると、「あ」も「あー」と叫ぶ。
周りに人がいてもかまいやしない。だって、「言葉足らず」の僕らは感情をコントロールなんてできないんだ。できないことがわかってるのに、なぜ言葉を奪うんだ。最初から僕らを追い出すつもりに違いない。
僕はずっと僕に5種類の言葉を与えてくれた親を恨んでいる。なんで20種類じゃないんだ。形を与えてくれるなら、もっとちゃんとやってくれよ。こんなハンパな言葉で僕が幸福になれるわけないだろう。そう言ってやりたいけど、それを表現する言葉を僕は持たない。持たないから、不機嫌な顔で親をにらむだけだ。親はいつも申しわけなさそうに僕を見て、話しかけることはしない。
形を得てからずっとこうだ。僕ら親子は会話したことがない。そもそも「言葉足らず」なんだから会話のしようがない。何度か突然抱きしめられて頭を撫でられたことはある。それくらいしかできないのだ。なんで、お前らはもっと言葉を持ってないんだよ。なんで5種類っぽっちで僕に形を与えたんだよ。
僕らは成長しない。
親も学校に通っているし、僕も学校に通っている。永遠に言葉のヒエラルキーの底辺の学園生活を送るのだ。クラス替えが親と同じクラスになったことがある。すごく気まずいし、ほんとによくからかわれた。
学校では社会の仕組みについて教わる。教わるけど、僕らにはなんの役にも立たない。
だって、学校を出て社会に出ることなんて永遠にないんだ。社会に出られるのは15種類以上の言葉をもったやつらだけだ。僕らは言葉セレブたちが卒業してゆくのを横目で見ながら、意味のない授業を受け続ける。なんの意味があるのかわからない。そもそもなぜ僕はここにいるんだろう?
ある日、登校のために家を出ると、「あ」の親が立っていた。なにか言おうとしていたが、「言葉足らず」だから言葉にならない。でもすぐにわかった。「あ」が消えたんだ。
その日は天気のよい日だった。なにをすべきかわかっていた。革命だ。僕は家に戻ると、マッチを持ってきた。学校には行かず、街へ向かう。まだ見たことのない「社会」のある場所だ。
たくさんの人がいて、しかも全員が15種類以上の言葉持ちだ。街へ行ったら、マッチで火をつけて燃やしてやる。街中を炎上させて、一人残らず焼き尽くすんだ。考えると楽しくなってきた。
「あ」を近くに感じた。いつもように僕を突ついてきた。
邪魔するなよ。これから楽しい革命なんだ。僕は言葉持ちを燃やして、「言葉足らず」のあいまいでぼんやりした世界を作る。そこでは誰もなにも生まず、なにも失うこともない。
「あ」が耳元でささやいた。彼女が8種類の言葉を持っていた時のように意味のある表現だった。愉快で愛すべき「あ」の言葉。
「みんな死んでしまえ」
僕だけにわかる素敵な告白だ。8種類しかないんだ。エキセントリックなのは仕方がない。憎しみの言葉しか知らなかったら、憎悪の言葉で告白するしかないだろう。20種類も言葉を使える方がおかしいし、使えたって、こうやって僕に燃やされて炎上するんだ。「言葉足らず」の僕らことを大目に見てくれてもいいだろう。
「みんな死んでしまえ」
お前らに、これがどれほど深い愛の言葉なのかわかるまで燃やしてやる。
世界は心で満ちている。形のない心に身体を与えるのは言葉だ。でも、タダというわけじゃない。世界を構成する20種類の言葉をすべて与えてもらえるものは半分もいない。残りは5種類とか、8種類とか、そんなものだ。
言葉は不公平で無慈悲だ。だから僕らは革命する。叫ぶ。そして火を放って炎上する。
「言葉足らず」のヒエラルキー 一田和樹 @K_Ichida
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