遍路を巡る

岩口遼

ひたすらに歩く


雨が降りそぼる辻をひたひたと、七人が縦に一列となり歩く。

これまでに幾カ所もの断崖を進み、山険を巡り、四国中の霊場を踏破した。

遍路へんろと呼ばれるこの道に終わりはない、ぐるぐるとこの四国を回り続ける。

……ただ一つ解放されることを願って。


四国中の霊験ある地を八十八カ所巡り、一周する参拝旅のことを「お遍路」という。

白衣に菅笠を着用して巡る人々は「お遍路さん」と呼ばれ、古来から四県では見慣れた存在である。


気付けばこの行列に加わっていた。

雨の中、赤いネルシャツの中年男性が目の前を歩いていることに気付いたのだ。

ふと、着いて行かねばならない、そう思った。

複数で歩くお遍路など聞いたことがないが、そう思ったのだ。


この人達は何か普通と違う、そう気付いたのは服装だった。

七人が縦列になって歩いているため、ちらりと先の人達が見えることがある。

皆お遍路風ではなく、ばらばらの恰好をしていた。


かく言う私もレディース用の防水ジャケットに蛍光色のスニーカーを履いているので、あまり人のことは言えない。

ただ、女らしくない服装のおかげでとても歩きやすい。

元々スカートは履かないタイプで良かった、と思った。


私は先頭から数えて六番目。

そして、前を行く五番目の人はネルシャツにジーンズといった格好だ。

失礼かもしれないが、少し古臭いな、と思った。


その前、つまり先頭から四番目の女性は変わった装いだった。

彼女は背中に木で編んだ籠を背負っていた、以前山で暮らしている祖父の家で同じような物を見たことがある。

資料館にありそうな古びた道具を使っている人がいるとは思わなかった。

着ている服も継ぎ接ぎだらけで、何だか可哀想になる。


更に前、三番目の男性はもっと変だ。

時代劇に出てくるような擦れた袴に、無紋の羽織を羽織っている。

そして頭は総髪で、しっかりと頭頂で束ねてある。

そこは丁髷ちょんまげではないのか、と初めて見た時はがっかりした。


前から二番目は貧相な老人であった。

四番目の人より更に襤褸ぼろで、薄い汚い雑巾のような着衣が見えた。

身体付きも貧弱で、しっかりとご飯を食べていないように感じる。

もしかしたら物乞いなのかもしれない。


そして、先頭は僧侶。

黒衣に裸足、という苦行のような恰好だが、それよりも変なことがある。

——喋るのだ。


「強い雨が降りゆうが、諸々大丈夫か」

「山は足がまっこと痛む」

「腹が減ったのう、だれぞ持ち合わせあらんや」


岩の様な厳しい横顔を見せながら、時に励まし、たまに笑う。

後ろの我々はそれに答えず、背を丸めて進むだけ。

喋ろうにも口が動かない、ただじっと足を動かすことしかできないのだ。

そういった意味でこの僧は異常であった。


先頭に立つと話せるのかと思ったが、確か前任は違った。

豪華な着物を着た小さな女の子だった。

ちょぼちょぼと進むその足は行列をゆっくりなものとしており、全然前に進まなかったのを覚えている。


そしていつだったか、行列が止まった時があった。

休憩なんてあるのかと怪訝な目で前を見ると、女の子がスーツ姿の男性を見上げていた。

彼女が嬉しそうに男性に触ると、みるみるうちに二人の身体が燃え上がった。

青い炎に包まれるその子は、顔をくしゃくしゃにゆがめてのたうち回る。

先ほどまでの笑顔はどこへ行ったのか、地獄の責め苦を受けたような壮絶さであった。


炎が二人を焼き切ると、私は一歩前に進んだ。

誰から教わった訳でもない、そうしなければならないと思った。

やがて行列が再び進み始めると、後ろに先ほど燃えきったはずのスーツ姿がいることに気付いた。


ああ、そういうことなのか。

自分の肩越しに男性をちらりと一瞥し、理解した。

先頭に行けば開放されるのだ。

それまで歩み続けなければならない。

その解放が何であれ、今の状態よりはましだと思った。


そして、同じく一歩進んで先頭になった黒衣の僧侶が話し始める。

「もうちくと辛抱すればええ、わしが何とかするき」

何のことだろうか、さっぱり分からなかった。

彼が新しい人を見つける、その時まで。


ざああと降る雨に雷鳴が混じる。

行列は足を止めている、見つけたのだ。

透明なビニール傘を差している若者に、僧侶が何かを話しかけている。

雷で何も聞こえないが、異常なことだけは分かった。

我々だけでなく新参者に話しているのだ。


行列がどよめいている。

ふと足がむず痒くなった、こんなことは一度もない。

下を見るとつま先から徐々に消え始めていた。


キラキラとした光を放ちながら、脚が無くなる。

徐々に天に還っているのだ。

これは今までとは違う、苦痛が一切なくほのかに暖かい。

あの僧侶のおかげだろう。ふと前を見ると、同じく消えゆく同行者達がいた。


傘を差す若者と目が合った。

彼が何かを叫ぶ、だがそれより早く私は消えてしまった。



————————



「雨の日の辻は歩いちゃいかん、七人しちにんミサキが出るき」


よくおじいちゃんが言っていた。

晴れた日の午後、入道雲を見ながら縁側でスイカを食べていた。

夏休みによく高知へ帰ってきて、自然の中で遊んだのを覚えている。

母がいない自分を暖かく迎えてくれる田舎だった。


やがて祖父母も鬼籍に入り、たまに墓参りに行くくらいしか高知には訪れない。

ここには良い思い出も悪い思い出もたくさんある。

一族を弔う菩提寺の住職が面白い話をしてくれた。


「七人ミサキは恐ろしい悪霊なんです。必ず七人で行動し、新たな人を捕まえて仲間にすると一番古株が成仏できる、いや一説には地獄へ落ちると言われています。ただ当寺院の開祖が、襲われる人そして何より七人ミサキが可哀想だと言われたそうで、これを鎮めるために何と『自分も中に加わった』んですよ」


人好きする穏やかな顔で、頭をつるりと撫でる。


「それでどうなったんですか?」


「さあ何百年も前の話なので、どうなったんでしょうかねえ」


結論の出ない話にもやっとしたが、せっついてもどうにかなるものではない。

緑茶を頂いてお暇することにした。


寺の門を潜ると空は暗く染まっていた。

確かに予報は「一時的に雷雨」だった気がする。

コンビニで買った透明な傘に、雨が弾む音が聞こえた。


田舎の人間は車を使う、翻って自分以外だれも歩いていない。

とぼとぼと歩き交差点に差し掛かると、不意に祖父の言葉を思い出した。

雨の日になんだったかな……。


「小僧、雨の日に辻は歩いちゃいかんぜよ」


目の前に大きな僧侶が立っていた。

雷が鳴る中で、傘も差さずに自分の問いに答えてくれる。

雨で景色が霞む中、妙にくっきりと法衣が浮かび上がっていた。


「歩くとどうなるんでしたっけ」


「七人ミサキに遭うてしまうが、それも今日で終わりじゃ」


岩のような顔面が崩れる、笑っているのだ。

心底愉快そうに、あははと大きな口を開けている。


僧侶の身体が足元から消えていく。

線香花火の様にぱちぱちときらめきながら、中空へ溶けていく。

そしてその後ろに痩せた老人がいることに気付いたが、彼もまた同じであった。

何人何人も連なっていた。

皆驚きと安らぎに満ちた顔でいなくなっていく。

その姿をぼーっと見ている他なかった。


次の瞬間に、自分の身体を稲妻が貫く。


何人目かの、とろんとした表情をした女性に見覚えがあった。

散歩中にいなくなってしまった人。


思わず叫んでいた、「おかあさん!」と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遍路を巡る 岩口遼 @takagakiyoh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ