空中浮遊都市埼玉~逆境編~

海月 信天翁

空中浮遊都市埼玉~逆境編~

 埼玉県が空を飛んだ。

 前世が鳥だったことを思い出したことが原因だったらしい。

 自由になった埼玉は独立国家となり、空中浮遊都市SAITAMAになった。


 埼玉には、かつて県庁だった建物がある。

 県ではなくなったので県庁ではない。

 今は元県庁と呼ばれている。

 改築と改修を繰り返しながら、何人かの物好きが住んでいる。


「埼玉の高度が落ちてます」

 情報端末を握りしめた神栖かみすが言った。

「え? それってヤバい話ですか?」

 片耳イヤホンを外さぬまま君津きみつが小首を傾げる。

「放っておくと落ちます」

「あ、それはちょっとマズいですね」

「いやいや! 危機的状況じゃないですか!」

 片眼鏡をかけた安中あんなかが会話に割って入った。

 この場に居る三人とも元県庁の住人だ。


 埼玉に問題が起こると、とりあえず元県庁にご意見として寄せられる。

 県庁とは、そういうものだったからだ。

 元県庁に住む者は、義務やノルマがあるわけではないが、寄せられた問題の解決を担当している。

 住まわせてもらっているのだから、それぐらいするかなという精神である。


 安全維持を担当する神栖は、手元の端末で現状からの高度を計算し、告げた。

「このままだと三日ほどで落ちます」

「わ。まぁまぁマズいですね。

 で、でも埼玉って過去にも落ちそうになったことありましたよね?」

 君津の疑問に、情報収集を担当する安中は過去の記録を片眼鏡に投影した。

「そうですね! 昔、梅雨時に雨が降り過ぎて重みで落ちそうになってます!」

「へー。どうやって解決してました?」

「こっそり雨水を琵琶湖に棄てようとして反対されて、最終的にバミューダ海域に流して……

 国連にそういうこと勝手にしちゃダメだよって勧告受けてます!」

「あ、怒られが発生してますか……」

 外部交渉を担当する君津としては、過去に勧告を受けた事例は頭が痛い。

 大抵の条件は呑ませる自信はあるが、またかと思われているときの視線は心を刺すからだ。

「ん? そもそも何で埼玉が落ちそうなんですか?」

「わかりません。雨水は溜まってないですし、制御装置にも不調はありません」

「埼玉の気まぐれかもしれないってことかもですね!」

 安中の思い付きの発言に、しかし君津はゾッとする響きがあった。

 埼玉と交渉して言うことを呑ませることは出来ないからだ。

 テーブルにつけるには、埼玉は大きすぎる。


「い、いっそ埼玉が降りるのはダメなんですか?」

 片耳にだけ挿したイヤホンを弄りながら、君津は他二人の顔色を窺う。

 神栖は素早く制御装置について検証をかけ、首を振る。

「降ろすとなりますと……海抜ゼロを維持するのは不可能です。海は波があって揺れるので。

 海水を押し割って、海底に着地するなら可能です」

「そのモーセ的な着地は過去に実践した記録があります!

 埼玉分の海面が上昇するからやめろって国連に警告されてますね!」

「ま、海割ったら怒られますよね。

 んー。海上を移動できればと思ったんですけど。四国みたいに」

「四国は飛べない代わりに泳げますから」

 日本沿岸を自由に移動する四国を上空から眺めたことを思い出し、神栖は懐かしさに目を細めた。

「埼玉自身が泳げるか、ワンチャン賭けるって手もありますよ!

 泳いだ記録はないですけど!」

 安中は雑に提案する。

 情報収集担当の情報網に無いということは、埼玉が本当に泳いだことは無いのは明らかだ。

「か、賭けてみて、埼玉が泳げなかった場合は?」

「沈みます」

 一瞬、海中沈殿都市という単語が君津の頭を過ぎった。

「ちなみに沈んだ場合、埼玉の住人は死にます」

「き、却下で」

 過ぎった考えは打ち消された。


「あ。海じゃなく地面に降りることはできないですかね?」

「何処に? 埼玉はそこそこの大きさと人口があります。

 安全に降りられて、かつ、迷惑がかからない土地は無いかと」

 神栖の反論はにべもなかったが、正当でもあった。

 人が居住する近くに降りて万が一の事故があってはいけないし、人が住まない場所は埼玉民の身体や生活が危険な地域の可能性が高い。

「う。元々埼玉があった場所はどうです?」

「埼玉県があったところですよ。周辺に住宅が多過ぎます。

 元の場所にピッタリ着地するのは難しいでしょう」

「ん? 難しいということは不可能ではないのでは?」

 君津は神栖の言葉尻を逃さなかった。交渉術の癖が出ていることは否めない。

 渉外担当の探るような言葉に、しかし安全を維持する担当はきっぱりと首を横に振った。

「駄目です。どうしても着地するときにズレが生じます」

「で、どのくらいですか?

 まー、条件によっては周辺地域の皆さんに交渉の余地も……」

「およそですが、五ミリメートルほど」

「微差じゃないですかー!」

 安中は思い切り笑い飛ばした。


「えー。元の場所に戻るのが一番無難そうですね。

 一応しばらく埼玉周辺に近づかないように日本に連絡して……」

 立ち上がりかけた君津を、神栖が肩を掴んで座らせる。

「え、何ですか?」

「駄目です。まだ問題があります」

 その口調は重かった。なるべくなら言いたくなかったことを隠せない程に。

「埼玉は飛び立つ前より……少し太っています」

「え? どういうことです?」

「大きくなってるということです」

「まさかー! そんなことあります?!

 ……ありますね!!」

 安中は片眼鏡を通じて空中浮遊都市全域に飛ばしている探査機を調査に向かわせ、即座に測量を終えた。

「そ、それはどの程度ですか?

 も、もし誤差で済むならやはり交渉次第で」

「およそ、三キロメートルほど」

「誤差じゃすまないですねー!」

 安中は膝を打って笑った。


「ま、まさか埼玉が大きくなっているなんて……」

「空飛んだ都市なんて、どうせ端からちょっとずつ削れていくんだろうなってのが定説でしたからね!」

「定説通りの物理法則に従っているなら、そもそも埼玉は空中浮遊都市にならないでしょう。

 埼玉は自由です」

 神栖は情報端末から目を離さないまま、しかしどこか誇らしげに呟く。

「ヤバいですね! 自由過ぎます埼玉!

 というか、高度落ちてる原因それじゃないですか?」

「違います。埼玉が太ってきたのはもっと以前からですので、今回の件には関係は――……」

 二人が話している横で、君津は頭を抱えていた。

「えー。ってことは埼玉県があったところに着地するのは無理ですよね。

 じゃ、やっぱり海割ってでも何処かの海底に着くしかないですかね。

 ん? ということは、何処の海域かに決めて、その国との交渉に……」


 その時、大地がぐらりと揺れた。

 埼玉が空中浮遊都市だからではない。

 今まで埼玉民も感じたことが無いような新しい浮遊感。


「え? 一体何が?」

 このような時、渉外担当は報告を待つことしかできない。

 それぞれ探査する装置を操っていた二人は即座に事態を把握した。

 信じられるかどうかは別問題だったが。

 神栖は情報端末を見えるようにかざした。

「埼玉が――ひっくり返った」

 安中はカーテンを開けて窓の外を見せた。

「天地が逆になってますよ! ヤバ! すご!」

 君津が外を見ると、確かに青空だった天は、海原が広がっている。

「は? なんでですか?

 え? 何で落ちないんです?」

「重力が逆転していないのは制御装置があるからです。

 あとは埼玉自体にも重力は残っているようです」

「あ、他の住人に被害は?」

「今調査してます!」

 窓から探査機をバラ撒きながら安中が答えた。

 探査機は一度埼玉の大地に向かって落ち、翼を広げて飛び立っていく。


「ひっくり返った瞬間に放り投げられていたものが、重力が狂って天井にぶつかったりしたみたいです!」

「ぐ、具体的には?」

 安中が雑多に集めてくる情報を、神栖が読み上げていく。

「ピザ回し練習中だった生地が五十三枚」

「何処かでピザ大会でもやってたみたいです!」

「トーストが八枚」

「その内、七枚がバター塗った方が天井に落ちたそうですよ! 掃除大変そうですね!」

「以上です」

「人的被害はゼロです!」

 安中の満面の笑みを添えた報告に、場にホッとした空気が広がる。

 しかし君津はすぐに元々の問題を思い出す。

「あ、でも、このままだと海底に着陸するという最後の手段が使えなくなったということですよね……?」

 ひっくり返ったまま埼玉が地面に降り立つならば、間に挟まれることになる住人も建物もすり潰されるしかない。

 青ざめる君津に、二人は首を横に振る。

「いいえ。埼玉の高度が落ちる現象は止まりました」

「埼玉はこうやってひっくり返るために、高度を落としてたってことですかね!

 わけわかんないですけど!」

 安中は笑った。豪快に。

「とんでもない現象でしたが……住人に被害を与えないとは、さすが埼玉ですね」

 神栖も笑った。誇らしげに。

 君津はただただ肩を落とした。力無く。

 人間の限界を感じたからかもしれない。


 元県庁には様々な問題が持ち込まれ、住人は義務もノルマもないが、その解決を担当している。

 だが必ず解決できるとは限らない。

 この日から埼玉は逆転空中浮遊都市と呼ばれるようになった。

 そしてこの現象にぼちぼち住人が慣れてきた三日目、元の向きに戻った。


 埼玉は今日も自由に空中を浮遊している。

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