第5話 探偵団、東へゆく Ⅴ 終の段 S氏 最後の謎を語る

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「これで、今回の話は終わりですがね」

 と、グラスの酒を飲みほして。S氏が言った。

「ちょっと待ってください。事件と関係のないことで、もうひとつ謎が残っていますよ」

「謎?」

「そうですよ、あなたの本名の謎です。どうして、周りの者があなたを『ボン』と呼び、お祖母さんが、『ウチの孫』、母親が『どら息子』と呼んで、本名はおろか、愛称まで呼ばない、その訳ですよ。何故か、その訳に、顔役さんが絡んでいるようでしたけど……」

「そうですね、やはり、お話ししないといけないことでしょうね」

 と、S氏は空のグラスに「安芸虎」という酒を足し、わたしのグラスにも酒を注ぎ足した。

「ではお話しいたしましょう。まあ、因果話になるんですが……」

 わたしが生まれたのは……、――と、S氏が語り始める――昭和二十三年、春のことです。まあ、団塊の世代ですがね。

 初孫で、男児の誕生。ウチの祖母の喜びようと言ったら……。まあ、彼女には実の子供が居りません。養女を貰ったのも、その子が四、五歳のころです。ですから、自分の家族としての赤児を腕に抱くのは、その時が初めてだったのです。

「名前は、アテがつける」

 と、宣言します。

「いや、男の子やき、ワシじゃ」

 と、亭主――いごっそうの祖父さん――が言いましたが、

「あんたがつけたら、団十郎だの、菊五郎、新乃助、ゆうて、役者の名前になるろうがね、そんながはイカンき」

 と、ハチキンの方が意見を通してしまいました。

 ところが、お寅さんは「尋常小学校」しか出ていません。しかも、家事が忙しく、まともに授業にも出ていないのです。仮名は読めても、漢字は……、という、程度の教育しか受けていないのです。

「イカン、頭の中で考えても、漢字が出てこん。そうや、ここは、顔役さんに相談しよう」

 お寅さん、流石は人を見る目があります。顔役さんは、千代の長男の名付け親になることに大喜びで、それを引き受けました。

「お寅さんの孫やき、虎より強い名前にせなイカンやろう」

 と、言って……。

 そして、渡された名前を提げて、幼馴染の太夫さんの所へ持って行きます。姓名判断、プラスご祈祷を兼ねていました。

 その太夫さんの答えが、複雑なものだったのです。

「姓と名前の相性は『大吉』じゃが、前世との絡みが、『大凶』や!」

「前世?この子の前世に何か問題がありますの?」

 と、赤児を抱いている、千代が尋ねます。

「ああ、この子の前世は、ある、武将の若様よ。名前が『竜一郎(りゅういちろう)』つまり、その子と、一字違いよね」

 その、竜一郎という若様は、子供の頃、隣国の武将の元に人質として預けられていたんです。そして、十二の歳、隣国と諍いが起こり、人質は、切腹させられます。つまり、千代の子供の前世は十二歳という若さでこの世を去った、武将の子だったのです。しかも、名前が、我が子「竜一」と一字違いの男の子でした。

 それに加えて、まだ、複雑な事情があったようです。まず、千代の前世は、その子の母親でなく、父親の武将の側室だった女性であり、実の母親が、産後亡くなった所為もあり、乳母として、お乳を飲ましていたそうです。その側室にも、同じ頃――何カ月か前に――男児が生まれておりました。名を「竜之進(りゅうのしん)」といいました。

 五歳で人質として、隣国に預けられた、竜一郎に仕えていた女が居ります。乳母、側室の妹でした。名は「小百合」。その娘が、切腹を仰せつかった、竜一郎の最後の夜に、夜伽の相手をします。女を知らずに死ぬことを不憫に思ったのでしょう。お互い、それが、初めての経験でした。小百合は翌日、竜一郎の後を追うように、自害します。

 乳母であり、小百合の姉であるお方は、仏門に入ります。

 さて、その何年か後のこと、元服した竜之進が、隣国に攻め込み、弟の仇を討ちます。仇の一族、残らず、葬りました。その破れた一族の呪いが、「竜」の文字を名前に持つ子供に祟ってしまうのです。

「それで、太夫さんが精一杯のお祓いをして、十二の年が明けるまで、つまり、竜一郎が亡くなる歳を過ぎるまで、竜の付く名を使わないこと、それで、呪いが消えるように、してくれたのです」

「でも、学校とか、公共の場は名前を呼ばれるでしょう?どうしたんですか?」

「仮名を使いました」

「仮名?そんなことが許されたんですか?」

「はい、家庭裁判所に申し出て、本名を一時的使用しない、つまり一時的な改名申請をして、受理されたのです。これには、顔役さんが相当尽力してくれたそうです」

 家庭裁判所に、命に係わることだと、強く申し出て、疑問視する係員に対し、『もし、受理しないで、この子が亡くなったら、君は責任が取れるのか?』と、まるで強迫ごしに、迫ったようである。

「それで、わたしの名前は、通称『裕一』つまり、りゅうの最初の『R』を除いた名前になりました。愛称は『ゆう君』です。学校では裕一で通りました」

 あの日、佐代子が「ユウイチ君」と呼んだのは、その、仮名の方だったのである。だから、千代は大丈夫といったのである。

 お寅さんに連れて行かれた、薫的神社脇の庵で、太夫さんの弟子の女の子から、その話を訊かされた。そして、付け加えるように、周りの人間関係も教えられたのである。

 まず、竜一郎の乳母、側室の生まれ変わりが、千代であること。兄の竜之進が小政に生まれ変わり、小百合の生まれ変わりが、菜々子であることを告げられた。他に、睦実は竜一郎の母の妹、お寅さんは、側室の乳母であったらしい。

「では、前世では、小政さんとあなたは兄弟で、千代さんと菜々子さんは姉妹、小政さんは千代さんの息子だったわけですね?凄い、強い縁で結ばれていた訳ですね」

「そうですね、こんな田舎の町で、何人もが集まった訳ですよ」

 それで、と、S氏――いや、もう、竜一さんと呼ぼう――は話を続ける。

 太夫さんのお弟子さんの言うには、十二歳というのは、当時だから、数え年である。だから、満十二歳のあの年には、もう、呪いは消えているとのことであった。だが、切れの良い、中学校入学を機に、正式に「竜一」を名乗ることになった。

 その入学式を終えた夜。千代は、涙を流して、息子の名を呼び、しっかりと抱きしめたのである。

       *

「最後の蛇足です」

 と、竜一さんが、安芸虎を飲みながら言った。

「安興寺の家族のその後ですがね。あの、乙女さんが我が家へ挨拶に来た日、坂本刑事が急に事件やと呼びだされたのは、芳次郎さんが、半死半生状態で発見され、介護をしていた陽子が行方不明になっていたからです」

 その、三日前から、陽子は姿を消したらしい。絹婆さんも芳和も、それに気づいていなかった。芳次郎は、水さえ与えられず、瀕死の状態で見つかったのである。

 すぐさま病院に運ばれ、一命は取り留めたが、人工呼吸器が取り外せない状態となった。そして、三月後には、亡くなったのである。

 陽子は、高知市内で見つかった。夜の飲み屋で、酔い潰れていたのを、警察に保護され、それが、捜索願の出ていた、安興寺陽子とわかったのである。

 酔っていた陽子は、

「あそこに居ったら、自殺せなイカンなる。アテはまだ、死にとうない……」

 と、保護をした警察官に訴えたそうである。これは、事件を担当していた、勇次からの報告であった。

 その後、芳和と陽子は離婚した。

 絹婆さんは、翌年、卒寿を迎える前に旅立った。入浴中の心筋梗塞であったらしい。死に顔は、穏やかだったとのことである。

 安興寺家は芳和と娘の尚子だけになった。

 次男の芳文の内縁の妻、京子は、怪我が癒えた後、しばらく、安興寺家に世話になっていた。働き者の彼女が、和江や陽子に代わり、家事や、田畑の管理、馬や鶏の世話までして、安興寺家を支えたのである。

 芳和は、絹の葬儀を済まして、家財一式を整理した後、娘の尚子を連れて、台湾へ渡って行った。京子と結婚し、フィリピンで芳房が作っていたバナナの株を台湾に持ち込み、バナナ園を作ることにした。

 その後、台湾と日本が国交を断絶したころ、台湾国籍を取得したとのことである。つまり、京子の養父母の籍に、京子共々、養子に入ったのである。安興寺家はこうして消滅した。

 友造、和江夫妻の娘、伸子は佐代子夫妻が養女として籍を入れ、小松伸子となり、学業優秀で、上級の教育を受け、卒業後は、佐代子の息子――俊子の弟――と結婚し、地元で教員として、働きながらも、養父母の農業を支えていたようである。

 竜一さんは、そこでまた、酒を口に運ぶ。

「もうひとつ教えてください」

 と、私は彼に迫った。

「三菱の隠し資産についてです」

「ああ、そうでした。隠し資産ですが、時価一億円と言いましたが、その内、戦前の国債や株券、それに明治の紙幣は、価値が『0』に近い物でした。それを除くと、数千万円でしょうか?その内、安興寺の蔵の隠し戸に納められていた、金塊や、国債、宝石はもう処分されていました。星神社の洞窟の石棺にも、ダミーとして、少しの宝石類があったようですが、これもほとんど、安興寺の者が使い込んで、わずかに残っていたものは、芳文さんが持ち出して、現金に換えたようです。その現金はおそらく、慎作に奪われたと思います。明見寺の石塔はカムフラージュの物で、その下には何もなかったようです」

「あなたが推測した、国虎の墓の前にあった、三つの石の下から、お宝は見つかったのですか?」

「ああ、やはり、気になりますかね?」

 と、もう一口、酒を飲む。

「では、蛇足ついでに、もう少し、お話を続けましょう」

 竜一の推測どおり、それぞれの石の下から、厳重な錫の箱、その中に桐の木箱、またその中に、鹿の革に包まれた、お宝が見つかった。つまり、三つの箱、袋が出てきたのである。

 発掘したのは、才蔵と、石川家の部下数人。夜間、秘密裏に行われた。

「それで、そのお宝は、どうなったのです?」

 と、私は思わず、話の腰を折ってしまった。

「さて、所有権は誰のものでしょうか?元は、三菱、隠したのは、安興寺、発見者は、石川忍軍、埋まっていたのは、寺の中ですからね。まあ、お寺には内緒ですから、除外して、丁度、三つの箱に三家族、山分けにしました。但し、平等ではなく、くじ引きで、箱ごと、中身を確かめず、受け取ることにしたのです」

「ははあん、それは、あなたの入知恵ですね?発見者は、あなたですから、才蔵さんは、あなたに相談したはずですよね?そこで、ルパンの生まれ変わりの、妙案が浮かんだ。小政さんだと、そんな悪知恵は……」

「ははは、そこは、永遠の謎にしときましょう」

 才蔵は、まず、石川の当主――菜々子の父親――に承諾を得る。その後、三菱の関係者、調査の依頼人、田中氏に連絡し、隠し場所を教える代わりに、山分けの話を持ち出したのである。

 田中氏は渋々、承知した。そして、くじにより、それぞれの箱を受け取ったのである。

「中身は、何だったのです?誰が一番、得をしたことになるのですか?」

 と、私は下素なことを尋ねてしまった。

「さあ、誰でしょうかね?」

 と、竜一さんは首を傾げ、箱の中身について話し始めた。

 まず、田中氏に渡った箱には、金塊が入っていた。但し、三本だけ。時価、十万円程だったらしい。

 安興寺家――芳和――に与えられた箱には、宝石類であった。ダイヤモンド、ルビー、サファイヤ、翡翠。但し、宝飾品でなく、個別の石である。時価に換算はできない、売ってみないと値がわからないものであった。ただ、十万以上は確実にするものであった。それが、芳和が台湾にて、バナナ園を始める資金になったのである。

 さて、最後の石川家にもたらされた箱には、日本の金貨、海外の金貨が、鹿の革の袋に入っていた。金貨といっても、通貨であり、その額面は、合計しても、一万円程度であった。

「では、発見者が、一番貧乏くじを引いたのですね?」

「まあ、表面上は、ですけどね」

「表面上?」

「そうです。金貨の価値は、その額面ではなかったのです。明治の金貨、特に、明治三年発行の二十円金貨、その翌年の十円金貨は、貴重品です。骨董品、コイン収集家にとって、垂涎の品物です。最近、あるテレビ番組で、十円金貨の価値を鑑定していましたが、百万円の値が付きました」

「えっ?十円が百万円?」

「そうです。二十円は、七百万は、するそうです」

 他にも、イギリス、スペインの古い金貨があり、いずれも、保存状態の良いものであった。外国の金貨だけで、時価、何百万、いや、もう一桁、上になるかもしれない。

「時価、何百万?その、昭和三十五年当時の時価ですよね?と、すると……」

「いやいや、古銭ですから、時価相場は変動しますよ。売ってみないとわかりません。額面は、一万円程度ですからね、ははは……」

       *

「話を、才蔵さんが高知を離れる日に戻しましょう」

 と、竜一さんが話題を変えた。

 乙女ネエやんが、先に帰って行き、睦実と才蔵も、一同に別れの挨拶を交わした。

 睦実が「ご不浄をお借りします」と言って、奥へ入って行く。泣き顔の化粧を直すためでもあったのだ。

 その間に、玄関先で才蔵が懐から小さな風呂敷に包まれた物を取りだした。

「千代姐さんに渡しておきます。発見者のボンにも権利がある物ですから。それと、三菱から探偵の調査料が届きましたら、基本料の半金はこちらに送りますから、受け取ってくださいね」

 そう言って、千代の手に渡されたのは、金色に光る、竜の意匠が鮮やかな、二十円金貨であった。

「これは?」

「国虎のお墓の前の、三石のひとつの下から出てきたものです。石川探偵事務所が、正式に所有者になりました。その中の一枚ですから、当然、こちらに権利のあるものです。ご遠慮なく、受け取ってください」

「うん、二十円やから、遠慮はせんけんど……。探偵料は要らんよ。ウチは安興寺から、充分もろうてるから……」

 千代は、まだ、その二十円金貨の価値がわかっていないのである。

「いや、それは、殺人事件の方の報酬です。三菱の隠し資産の調査は別物。わたし一人では、とても、発見できませんでした」

 と、言って、才蔵は長い髪を掻きまわす。

(ああ、金田一耕助や、カッコ、エイわ、しもうたな、今の亭主やのうて、才蔵さんが良かったかな?睦実さん、果報もんや)と、千代は良からぬ妄想をしていた。

「そ、そうや、才蔵さんに、訊いておきたいことがあったんや。才蔵さん、わたしに、その……、キッスした?」

 才蔵の顔が真っ赤に染まった。

「す、すみません、ほんの出来心です」

「ええっ?出来心なが?本気やなかったがか……」

「い、いえ、本気です。本当にあの時は、千代さんが愛しゅうて、無事な寝顔を見ていたら、もう、我慢できなくて、唇を……、本当に申し訳ありません」

「許してあげるワ、キッスぐらい、何度も経験してるし……。それで、どうやった?キッスの味は?」

「最高でした。わたしの初キッスです。甘くて、やわらかくて……、女神さまにキッスをした、そんな感覚でした」

「初キッス?才蔵さん、奥手すぎるワ。それに、女神さまやなんて、持ち上げすぎよ」

「いえ、千代さんはわたしにとって、女神です。ですから、諦めがつきました。神様とは、結婚できませんものね?睦実お嬢さんは、人間ですから……」

「何?わたしが人間って?」

 と、化粧を直した睦実が帰って来て、そう言った。

「な、なんちゃあやない、ムッちゃんは人間離れした、別嬪さんや、って、わたしが褒めてしもうたら、才蔵さんが、普通の人間やって、そ、そうゆうたがよ……」

 と、千代は慌ててごまかした。

 若い二人の後ろ姿を見送りながら、

「エイ、カップルやねェ。似合いの夫婦や。才蔵君は、年より老けて見えるし、睦実ちゃんは、若う見えるから、ちょうどよねェ」

 と、お寅さんがしみじみ言った。

「本当に……」

 そう、千代が呟いた時、若い二人がもう一度、別れを惜しむように振り返り、手を振った。そしてその手を、お互い握り絞め合って、梅雨明けの青空の下を遠ざかって行ったのである。

 「ワン」

 と、千代の足元で、いつの間にか、ジョンが寄り添って来ていて、若い二人を祝福するかのごとく、一声、吠えたのであった。

 千代とお寅さんはその姿が、電車通りの角を曲がるまで、ずっと、見送っていた。孫、娘を嫁に出したかのような、気持ちに浸りながら……。

       *

「それで、菜々子さんとあなたはどうなりました?今の奥様が、菜々子さんなのですか?」

 私は、最後にそう尋ねた。竜一さんは、グラスの「安芸虎」を一気に飲みほして、笑顔で答えた。

「さあ、それは……、永遠の謎…って…ことで……」

            了

                                 


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続・「はちきん」おばあさんの事件ファイル @AKIRA54

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