ごめんなさい、今日の練習、行けません。

 講義中にポケットの中で振動したスマートフォンを確認したら、島先生からの、通知画面におさまる端的な文面での連絡が届いていた。島先生からの連絡、という状況に胸が躍るのは否定できないが、それよりも、内容の方が気にかかる。当日になって休むだなんて、珍しい。そもそも、講義時間中に連絡を寄越すことが初めてだ。島先生は、学生である俺たちよりもその本分を重んじているようなところがある。だから、通知画面を確認するに留めて、スマートフォンはポケットに戻す。だからといって内容が頭に入ってくるわけではない。講師が前に立って、判例の解説をしているが、読書中に流し聞く音楽のように、意味が入ってこず、音だけがするすると聴覚の表面をなぞって過ぎていく。

 島先生からの連絡は正指揮者だけの特権だ。たとえ、正指揮者の振る曲で島先生が伴奏をしなくとも、この連絡係は正指揮者が担当する習わしになっている。定期演奏会が終わった後、次の運営体制に移行するのと同じタイミングで、連絡役も前の正指揮者から引き継ぐ。以前はメールアドレスの交換だったと聞くが、今はLINEのアカウントを交換することに変わっている。QRコードをカメラで読み取って、「島」という漢字一文字の名前の、どこかのピアノの鍵盤を写したプロフィール画像のアカウントが自分の友達に追加されたとき、俺は大げさでなく、涙を流した。珍しく、島先生が言葉を失って目を丸くしていたのを覚えている。一学年上の正指揮者だった先輩が「こいつはずっと島先生に憧れてたんで」と俺の心情を補足していた。島先生は、戸惑ったように首を傾げて、目を軽く閉じてうーんとうなると、右手に握ったスマートフォンの画面の上で素早く親指を動かした。指の動きが止まってすぐに、自分の手の中のスマートフォンが震え、画面を見ると、島先生から「これからよろしくね。」とメッセージがきていた。そのせいで更に泣いてしまい、いよいよ島先生が困り切って「なんだか、ごめんね」と謝られたのは、恥ずかしい思い出に分類される。

 連絡役になったからといって、LINEのアカウントを交換して、練習に関する連絡を交わす以上に、島先生個人との関わりがさして増えたわけではない。事実、これまでの島先生とのやりとりは、練習予定に関するものが大半を占めている。次来てもらったときにはどの曲を練習するとか、この曲の音取りを手伝ってほしいとか、別の場所で練習をするだとか、メンバーには練習終わりの連絡で伝えるような内容を、毎回練習にくるわけではない島先生にはLINEで伝えていた。島先生の抱える事情はほんの一部しか知らない。住んでいる場所は本当に知らないし、好きな食べ物や異性の好みの情報なんて望むべくもない。好きな音楽と嫌いな音楽は何となく知っている。俺たちと島先生とのつながりは、そこにしかない。

 だというのに、演奏会でア・カペラの曲ばかりやることにして島先生とつながる重要な手段を一つ、自分から手放してしまった己のことを、馬鹿だと思う。だが、ここで音楽のことよりも私情を優先したら、いよいよ島先生にそっぽを向かれてしまうような、確信があった。でも、やり始めてみたらやはり副指揮者の後輩のことが羨ましくなったので、少し後悔はしている。

 ぼんやりとこれまでを振り返っていると、チャイムの音が聞こえた。チャイムの音に被せて、講師が次週までの課題について話している。連絡先を知っている知人が教室内にいるのを確認して、机の上のレジュメと筆箱を手荒にトートバッグに突っ込み、そっと席を立って教室を出る。昼休みに入るチャイムだからか、廊下に出ると、チャイムと同時に荷物をまとめて出てきたと思しき人影がちらほらある。彼らと同じ方向、建物の出口へ向かって歩きながら、ポケットのスマートフォンを右手で取り出す。LINEを開いて、島先生とのトーク画面を表示させ、メッセージを打ち込む。

 分かりました、伝えておきます。

 用件だけを端的に打ち込み、送信すると、すぐに既読がついた。俺が送った言葉を島先生がその場で読んでくれている。どこにいて、何をしながら、島先生はスマートフォンを見ているのだろう。ピアノは弾いていないはずだ。ピアノを弾くとき、島先生の両手はピアノの鍵盤に捧げられている。ピアノを弾かない間の島先生がしていることの一部は、連絡役になった正指揮者が知ることができる、数少ない島先生の事情の内の一つだ。島先生は平日と日曜日の日中に、駅前ビルの中に構えている楽譜店で勤務している。今日もそこで働いているのだろうと想像しながら、トーク画面を閉じがたい。文字の羅列のやりとりを眺めながら、校舎を出て、出口の横で立ち止まってスマートフォンの画面を眺める。

 電話しても良いかな。

 島先生から思いもがけないメッセージが来たので、色々と考えるよりも先に、親指が自然と「大丈夫です。」の一言を打ち込んで送信した。すぐに、LINE電話の着信画面が表示される。緑色と赤色の丸のどちらを押すか迷う余地などなく緑色のボタンをタップして、スマートフォンを耳に当てる。「もしもし」と聞こえてくる島先生の声に、急に緊張を覚えた。「もしもし、福原です」と応じる声にその緊張は出なかったと思うが、島先生に伝わらなかったかまでは分からない。「急に、ごめんね」と続いた島先生の声はいつもどおりだったので、おそらく伝わってはいないと思う。

「謝られることも何もないと思うのですが、どうされたんですか」

「ちょっと、文章にまとめるのに苦労しそうだから、口頭で伝えさせてもらいたくって。だから、分かりにくいかもしれないんだけど」

「大丈夫です。聞いています」

「ありがとう。さっき、母が亡くなったって連絡が届いてね、その対応をしなきゃいけないんだ。それで、少なくとも今日の練習はお休みするのと、場合によってはそれ以降も、ときどきお休みさせてもらうかもしれない」

 島先生の声は、フラットだった。身内が亡くなった話をしているようには聞こえない。もしかすると、身近な人が亡くなったショックで感情が平板になっているのかもしれないが、なんとなく、そうではないような気がした。母親が亡くなったという事象に対する島先生のスタンスは、声の調子と同じなのだろうと思った。いつの間にか止めていた息をゆっくり吐いて、軽く吸い、口を開く。

「分かりました。とりあえず、今日のことについては坂下に伝えておきます。これ以降のことは、その都度ご相談できればと」

「うん、お願いします。今日だけで済めばいいけれど、そうならなかったら、また相談します」

「いつでも連絡してください。迷惑ではないので」

「ありがとう。それじゃ、また」

 相槌を打つ前に、島先生が通話を切った。LINEには通話の記録が残っている。一分六秒。このトーク画面に残る、初めての通話の記録をまなざしながら、メンバーにどう説明したものか考える。島先生の家族関係は、連絡役である正指揮者止まりの情報だ。果敢にも島先生のプライベートを探ろうと挑んだ勇士によって、妹がいるらしいという話が今年のメンバーには広がっていたが、それ以上のことは誰も知らないだろう。急用で、ぐらいに留めておくのが妥当だろうか。考えながら画面の上で親指を動かし、執行メンバーのグループトークを開く。そこに「島先生、急用で休みです。」とメッセージを送ると、数秒をおいて次々と既読がついた。驚いた表情のスタンプが何人かから送られてくる。「坂下には言ったか?」とベースのパートリーダーが尋ねてくるので「まだ、よろしく。」と投げておく。坂下も坂下で難儀なので、慣れている相手からの連絡の方が良いだろう。

 島先生が、坂下とふたりでレッスンをしようと思うと言い出したときには驚いたが、妙な納得もあった。大学入学まで、合唱に限らず音楽をしたことがないという以上のハンディキャップが坂下にあることは、俺や、ベースのパートリーダーや、その他何人かが知っていたが、島先生も知るところだったのだ。聞けば、坂下が「フェアじゃないので」と自分から話したのだという。坂下にとって何がフェアな状態で何がフェアじゃない状態なのか、全く想像はつかなかったが、坂下がそのように言うときの声のトーンや唇の動かし方はありありと想像できた。島先生は、一応報告しておくという程度の意味で、坂下との個人レッスンの話を俺に話したようだったし、実際、俺には報告を聞く以上の権限はない。少し格好つけて「よろしくお願いします」と言うぐらいしかできなかった。島先生はきまじめに頷いて、いつものように穏やかな笑みを浮かべてもいたが、抑えきれない切実さが頷きの端々からにじみ出ていた。島先生ではなく坂下の方にレッスンの様子を尋ねることで、二人で行われていることがなんなのか探ろうとしたが、探ってみたところで、立ち現れてくるのは音楽の話だった。どう演奏したいか、イメージを具体的な演奏技法に寄せて伝えるための術を手探りし、それを留めておくためのツールとして楽譜を使い、楽譜と音楽を結びつけるための反復練習をしている、というだけのことだった。坂下のレッスンを始める前に、島先生が自身の師匠にレッスンをつけられている様を見ることもあると聞いて、心底羨ましかったが、顔に出ていたのか坂下には驚かれた。

「今日の練習どうする?」と、ソプラノのパートリーダーからのメッセージが表示される。どうする、と言われてぱっと浮かぶ選択肢は二つ、坂下の曲の練習をやめて俺が振る曲だけにするか、伴奏なしで坂下の曲をやるか。どちらが妥当かと考えたところで、三つ目の選択肢が思い浮かび、親指が自然と文字列を打ち込む。

「俺がピアノ弾いて坂下の曲やって、企画ステージの練習も詰め込む。」

 すぐに既読がついて、了承や同意を示すスタンプが送られてくる。放課後の段取りを思い浮かべながら、スマートフォンをポケットにしまって、歩き出す。

 島先生と坂下の個人レッスンは、少し前に終わった。そのように、島先生からも坂下からも聞いている。島先生からは「もう大丈夫だと思うよ」といつもの穏やかな笑みとともに太鼓判を押されたが、坂下の方は、「もう大丈夫だと言われました」と同じことを言いつつ、どこか納得がいかないような、不安の残るような、すっきりしない表情をしていた。聞けば、個人レッスンが終わりになった日のやりとりが、心残りなのだという。具体的にどういうやりとりだったのか尋ねても、坂下は具体的には覚えていないのか、言いたくないだけなのか、詳細はよく分からなかった。しかし、坂下が指揮をする姿は、個人レッスンの前よりもよほどサマになっていたし、楽譜をめくる手もよどみなく、演奏について伝える言葉も的確になっていたから、個人レッスンをしまいにするタイミングとしては、これでよかったのだろう。

 普段は歌う列の中で聞いているピアノの音色が、今は自分の手元から聞こえてくる。坂下の指揮にあわせて、楽譜のとおりにピアノを弾く。島先生の音とは大分違うだろうが、求められている範囲からは逸脱していないはずだ。坂下の指揮は止まらないし、歌も続いていく。三連符と八分音符の微妙なズレが心地よく感じられるのは、普段、島先生が覚えているのと同じ感覚だろうか。伴奏は、独奏とは求められるものがやはり違う。独立しながらも、組み合わさる音を聞いて、尊重して、際立たせるような、音色や演奏が求められる。思うに、島先生はその部分に非常に長けている。指揮者や歌の意図を汲み取り、声に寄り添い、ときに叱咤したり対立したりしながら、曲全体をより洗練されたものに高めていく。いくら島先生の音に似せようと思ってもどこかで限界があるのは、心根の違いがあらわれてしまうからだ。今も、こう弾きたい、こう表現したいと勝手に動きそうになる指を、歌を聴き、指揮を見ながら、適当にならしつけている。時々失敗して音が飛び出すのを、果たして何人が気が付くか。坂下は、流石に気付くのだろう、カツンと幾分かかたい音が俺の手元からするたびに、少しびっくりしたようにこちらを見る。その度に、目だけで謝った。

 一回、曲集全体を通して、指揮者からコメント。団員から質疑応答。いつもの流れだ。出てくる質問はもうほとんど細かい。その後に、指揮者がどうしてもと思ったところだけを返す。四曲目の中間部から最後までということで、歌い出しの音をとって、歌が先行したのを聞いてから、ピアノを弾き始める。最後までつつがなく演奏して、終了。坂下が休憩を告げると、途端に練習室全体の空気が弛緩して、談笑する声が聞こえ出す。坂下はこちらに歩いてきて「お疲れ様でした」ときまじめに挨拶する。

「お疲れさん。まあ、次の練習には島先生も来るだろうから、細かい気になったとこはきちんとそこで」

「そうします。でも、福原先輩、ピアノ、上手いんですね」

「でもってなんだべ、でもって」

 譜面台に置いた楽譜をめくり、一曲目の最初のページに戻る。曲集の最初と最後にあらわれるテーマを、島先生の音色を思い出しながらでなく、思うままに弾く。心地よい音楽を聴きながらうとうとする、気付けば頬杖をついて舟を漕いでいるときの体の揺れのように、三連符を奏でる。夢か現か。不意に高い声部で鳴るメロディーは、目覚めをうながす啼鳥のようだ。だから、高く、するりと耳の穴に入り込むように、さえずらせる。歌が始まる部分の和音で指を止めると、坂下が、はあとため息を吐いた。

「なんだ、いつも聞いてるだろ」

「聞いてましたけど、島先生が弾くのやし。こんな、弾く人で音が変わるもんなんですね」

「そうだよ。ピアノは正直なんだ」

 だから、島先生のピアノの音色は嘘を吐いてはいない。俺たちの歌に寄り添い、励まし叱咤し、一緒に音楽を作ろうとしてくれている。俺たちと島先生のつながりは結局そこにしかない。一緒に音楽を作る、仲間、というほど並んだ立ち位置でもない。同士? クラスタ? 友人ではない。先生、と呼んではいても、教師と生徒のようなはっきりとした上下関係があるわけでもない。四人掛けのテーブルに一緒に座るとしたらはす向かい同士を選ぶような関係を、どう表したらいいだろう。そのまま斜め関係とでも呼べば良いだろうか。卒業すればそれで終わりになるあっけない関係だ。

「島先生、次の練習は来てくれますかね」

 坂下の声はかげっていて、不安そうに聞こえた。個人レッスンが終わりになった話をしていたときと同じで、すっきりしない後悔を抱えているように聞こえる。少なくとも今回は島先生と坂下の間で何かが起こったわけでもないのに、悪いことを自分のせいだと思い込むのは自信の裏返しだ。島先生のことに関してそう思える坂下を素直にうらやましいと思う。坂下と島先生が一緒に音楽を作っているのは、一層うらやましいと思う。せめてもの抵抗で、曲が終わるごとに感想を尋ねたりしているが、結局感想でしかない。島先生が俺の振る曲に参画してくることはない。そのくらいの距離を自分で選んでおいて、うらやましかったり、悔しかったりするのは本当に自分勝手だ。

 ピアノでF molを押さえる。立ち上がって「その位置で良いから、アンコール通すぞ」と全体に声を掛ける。坂下は慌てたように練習室の後ろを振り返って、ベースのパートリーダーの姿を見つけてそちらに駆け寄っていく。見たことはないが、犬の親子みたいだ。予備拍を置いてから、歌い出しをうながすように左手を持ち上げる。信長貴富作曲、木島始作詩、「それじゃ」。再会を願う明るい別れの歌。

 演奏会が終われば、俺たちの学年は引退だし、順当に進級しているやつは三月で大学を卒業することになる。大学院まで進めばここで歌い続けることもできるだろうが、俺にその予定はない。ロースクールは忙しいから、サークルにはとても所属できないだろう。次の演奏会が、この合唱団で歌う、この合唱団で音楽をする、最後の機会になる。指揮を振るのも生涯で最後になるかもしれない。我ながら感傷的が過ぎる選曲だ。

 誕生日を祝うろうそくの火も、帰り道に吹く口笛も、喪失に流した涙も、電線に止まるのを指さして数えた鳥も、食事の準備のためにカッティングボードに散らばったパンくずも、白紙に好き勝手に広げて語る理想郷も、俺たちと島先生はどれも共有していない。当然、俺と島先生も、どれ一つとして共有していない。俺はこの大学合唱団のメンバーで、島先生に近づきたくて指揮者になっただけの大学生で、島先生は合唱団に伴奏に来てくれているピアニストで、それ以上のものはどこにもない。

 島先生は高校の先輩でもあった。正確に何年上なのか数えてはいないが、教員がみんな入れ替わって、島先生のことを直接知っている人はいないぐらいの隔たりがある。俺も、高校生の頃に島先生を直接知っていたわけではなくて、たまたま、島先生がピアノを弾いている合唱コンクールの映像を見ただけだ。一本だけでなく、何本も何本も、そうしたビデオが残されていた。誰か島先生のファンがいたんじゃないかと邪推する。大地讃頌、遠い日の歌、3月9日。定番の曲ばかりが続く中に、するりと紛れ込んだ落葉松の、仄暗い音色に心を奪われた。島先生のピアノの音色は、高校生の頃から今と遜色なく、歌に寄り添い、歌を叱咤し、やさしく綺麗だった。だが、あの落葉松はそれだけではなく、珍しく、島先生自身の感情が出ていたのだと思う。ピアノソロが長いからだろうか。

 島先生のピアノを聞いたときに、落葉松に歌われている雨は、天気雨なのだと思った。天気雨に濡れながら一人落葉松の森を彷徨うこども。そんな情景を、繰り返し同じ映像を見ながらイメージした。この人のピアノをもっと聴きたい、あわよくば一緒に演奏したいと思った。島先生の名前をネットで検索して、合唱や声楽の伴奏者として、室内楽のメンバーとして活動しているのを見つけ、その中にあった、大学合唱団の名前を見て、これだと思った。

 望んだ大学に合格し、望んだ合唱団に入団して、島先生のピアノで歌った。初めては、モーツァルトのAve Verum corpus。静かで敬虔な音色だった。ビデオで聴いた音、歌と釣り合うように計算され、よく抑制された、よく言えば歌に寄り添って生かしてくれるようなピアノ。一緒に歌っていれば心地よかったが、それを物足りないと思いもした。島先生に近付く機会はなかなかなかったが、ピアノの音だけはたんと聞いた。思った音を聞くための近道は、指揮者になって自分が曲を決めることだと思ったので、親に隠れて指揮を勉強した。念願叶って副指揮者になって、レパートリー交歓会の曲目を決めるときに、落葉松はどうかと島先生に提案した。島先生は、一瞬、ほんの一瞬だけ、感情がごっそりと抜け落ちた、怖気を感じさせる虚ろな目をした後、いつものように穏やかに微笑んで見せた。練習のときのピアノの音色はそれまでと特に変わりなく、抑制されて、歌を生かしてくれる、優しく綺麗な音色。とはいえ、思ったとおりの演奏を導くのは難しく、やり甲斐があった。島先生は、俺が振ったとおりにピアノを弾く。俺が失敗すれば、にこりともしないで指を動かして、ころころと失敗したとおりの音が鳴った。ビデオで繰り返し聞いた音を忘れそうになるほど必死に島先生のピアノの音を聞いた。そうして、記憶の中の落葉松の演奏が、自分たちで演奏する落葉松の演奏にほとんど上書きされたときに、ビデオで聴いたのと同じ島先生のピアノの音色を聴いた。

 レパートリー交歓会のリハーサルのときだった。いつものように前奏がはじまる。その一音目が、硬質に、割れた鏡の欠片のように、日射しの中で降る雨がまぶしいように、きらめいていた。仄暗く冷たい音は、それでも、俺の指揮に、みんなの歌に、寄り添おうという意思があったので、音の違いに気付いたのは俺だけだったかもしれない。俺は、はじめのパートが終わった後のピアノソロの間奏の部分で、指揮を振るのをやめてしまった。胸の前で構えた手を小さく動かしてはいたかもしれないが、とても指揮を振るなんていえる動きではなかった。島先生のピアノの音色に耐えるために、拳を握り込みそうになる代わりにそうしていた。島先生は、一瞬、はっきりと、俺の止まった指揮に目を向けた後に、間奏を弾き始めた。ビデオで繰り返し聴いた演奏が再現されていた。画面越しでないだけに、生々しく、痛々しく聞こえた。天気雨を思わせるきらめきと、わずかなきらめきをとりまく仄暗く湿った空気が、風に揺らいで、でも大きくは動かずに、たたずんでいる。音量だけならば、指定されたのよりもひそやかなほどだったが、一音一音が抱えきれそうもないほど重かった。島先生のピアノは、歌も指揮も要らないほど、音の中に目一杯の質量を抱えていた。これが本来の島先生のピアノなのだと分かりつつも、俺の手は指揮を振るために動いて、島先生は俺の腕の動きを目でとらえて瞬時に音を戻した。びっくりするほど素早い変わり身だった。演奏は破綻しなかったから、俺の指揮も、なんとか最低限を保ってはいたのだろう。島先生は何も言わなかった。俺が指揮を振るのをやめたことにも、島先生のピアノが途中で変わったことにも言及せず、レパートリー交歓会が終わってすぐに「じゃあまた練習で」とおだやかに挨拶して、会場を去って行った。

 どれだけ小さくても耳を傾けさせられるぎゅうぎゅうに詰まった音色が、島先生の本来の音だということがよく分かった。だから、島先生が空けてくれる音のスペースに、そっと寄り添うのではなく、多少はみ出してでもずうずうしく居座るような演奏をしてみようとしたことがあった。客演の先生に振ってもらう曲の下振りを練習でするだけで、多少破綻しても、最悪止まってしまっても良いような場面だった。高田三郎作曲、水のいのち。一曲目はレガートに流れる静かな音、二曲目はユーモアたっぷりに、三曲目は猛々しく叫ぶ。四曲目。音の幅が広いピアノのアルペジオで始まる曲で、俺は、はじまりを島先生にまったく任せた。そのつもりであることを島先生に事前に知らせることはなく、四曲目の合図を待つまなざしを島先生がこちらに寄越したときに、目を伏せて、左手の指先だけで、島先生のピアノをうながした。島先生はほんのわずか、目を見開いたようだった。表情の変化は瞼の動きだけで、唇はやさしく閉じたまま、すぐに目は伏せられる。最初の一音、左手の低音が、深く響いた。指定の音量の範囲内ではあったが、声が、息が、すべて吸い込まれそうな深い音だった。深い音の余韻のまま、さざ波を思わせる細かな音符のアルペジオがかけのぼる。変化する音のスピードに振り落とされないように、構えた手に力を込めて、歌い出しを合図する。メロディーと、寄せては返す波を思わせるハミングの掛け合い。女声のメロディーは、歌詞にあるように、凪を表すようなピアノで。男声のメロディーは、猛り狂うという言葉どおりにクレッシェンドして、波が引くように収まっていく。島先生のピアノは、歌を喰らいそうな勢いで、凪ぎ、荒れ、水平線まで遠く続き、海底まで深く沈む、海の様々な表情を奏でていた。それに気圧されまいと、歌え歌えと皆を促す。島先生のピアノの音がいつもと違うのに気付いたメンバーがどれくらいいたのかは分からないが、本番の演奏よりも声が出ていたかも知れない。しかし、結局は全音符で伸ばしているだけの音でさえ、休符しか書いていない部分でさえ、島先生のピアノが曲をコントロールしている。初めのテーマの繰り返しは、一層、島先生のピアノの音が際立っていた。演奏会でこんな演奏をしたら失敗といわれるだろう。それぐらい、バランスを欠いていた。一緒に音楽をしているとは言い難かった。最後の音の余韻が消えてから、手を下ろし、息を吐いて、「中途半端だけど休憩!」と声を張り上げた。弛緩した空気の中で、島先生は、いつもの穏やかな笑みの中にほんの少しの恨めしさを映しながら、俺を一瞥して練習室を出て行った。

 あの日、島先生を追いかけはしなかった。自分でケンカを売った、そうだ、あれは間違いなくケンカを売ったのだ。島先生と対等でありたいと思ってケンカを売ったくせに、どのように扱われるかがおそろしかった。島先生が休憩時間になれば練習室を出てどこかに行くのはいつもと同じでも、いつもと違って自分からケンカを売ったのだからずうずうしく着いていけばよかったのに、一瞬向けられたまなざしに怖じ気づいた。あのときに、今日と同じように、島先生を追いかけて練習室を出て、話をしていれば、何かが違っただろうか。練習室を出て、階段を駆け下りる。風が冷たくなって久しい。日が沈むのはそこまで早くなっていないので、放課後の練習が半分終わったところでも、空は青と橙が半分ぐらいのグラデーションだ。夕焼けを描いた曲を鼻歌で歌う。夕焼けを薔薇色にたとえるのを知ったのは合唱を初めてからだ。青と橙が混じり合った微妙な色味の中に、ようやく、薔薇色の片鱗を見つけられるか見つけられないか、微妙なところだ。島先生は、夕焼け空にまったく興味がないように、建物の壁に背中をもたれかからせて、スマートフォンと財布だけ握りしめて、地面の一点を見つめながら俯いている。

「島先生」と声を掛けると、まなざしだけが俺に向けられた。なんの感情も読み取らせない、黒々として底の知れないまなざしだった。一切の関わりを拒絶しているからこその態度にも見えたが、その可能性を思い描きつつ無視して、島先生の方へ歩み寄る。俺に向けられたままのまなざしが、少し見開かれて揺らいだのに、小気味良い気分になる。俺は今もしかしたら笑っているかもしれない。島先生が、いよいよじっとしておれなくなったとでも言いたげに、億劫そうに、不本意そうに、ヒールがない靴を履いた足を持ち上げて、姿勢をなおした。建物にもたれかかることなくまっすぐに立って、俺の方に体の正面を向けている。

「もう、ご家族のことは大丈夫ですか」

「うん。たぶん。もう休むことはしなくて良いと思うよ。迷惑かけたね、福原君には特に」

「坂下じゃなくて?」

「私の代わりに弾いてくれたんでしょう」

 何をかは互いに口にしなくても分かっている。返事の代わりに島先生と目を合わせる。島先生は視線を逸らさない。こんなにまじまじと見つめられると、楽譜にでもなった気分だ。どんな言葉も、結局、書いてある音より雄弁ではない。こちらから主張するのではなく見つけてもらうしかない音の意味を、島先生はきっと見つけるのがとても上手で、あんな音を弾く。島先生が表現したいものと一致する音を楽譜から拾って、目一杯詰まった音を弾く。俺の考えているどんなことが島先生に伝わるのか、不安に思っているくせに自分から目を逸らすことはしたくなかった。島先生の考えていることが少しでも分からないかと、島先生の目をのぞき込む。向日葵の種のような焦げ茶色の虹彩の中心に、黒々とした瞳孔が開いていて、楽譜に書いてある音はすべてあの瞳孔に吸い込まれるのだろうかと思う。上瞼が、連続して何度かまなざしを遮って、島先生の方が先にそっぽを向いた。さっきまでのように、俯いて地面を見ているわけでもなく、ぼんやりと空を眺めているように見えた。話すことがなくなったのでなんとか間を持たせようと、話題を探しているようにも見えた。拒絶するわけでもなく、島先生なりの距離を探そうとしているような仕草に、島先生が、俺には家族のことを話してくれたのは、落葉松や海を島先生に弾かせようとしたからだと自惚れても良いのかもしれないと思う。

「俺は島先生みたいには弾けませんよ」

 純然たる事実だ。島先生のように、歌を叱咤して寄り添うようなピアノは弾ける気がしない。事実、何度か島先生の代わりに弾いた福原の曲の伴奏は、何度やってもひどいものだった。テンポが違っているとか音を間違えているとか、はっきりしたものがあるわけではないのにどこかぎこちなく、しっくりこない。けれども弾いているときにはそれに気付かず、俺は俺なりに楽しんで弾いていたのだから、やはり、島先生のようには弾けないと思う。かといって、島先生のもう一つの音、目一杯詰め込まれた密度の高い音の方も、弾けないと思う。俺にとってピアノはあそこまで重たいものではないし、あそこまで何かを託すに足りるものでもない。島先生ほどピアノの音で語りたいことを持ち合わせていたいのかもしれない。音楽は好きで、ピアノを好きでも、だ。

「そうか」

 島先生は笑っていた。これまでで一番、手が届きそうな距離にある笑みだと思った。

 練習室に戻った島先生は、すっかりいつもの穏やかな笑みを絶やさない様子に戻っていて、俺が振る曲の感想を尋ねたときも、ぽろんとピアノを鳴らして何か所かの和音の感じや、フレーズの連なりについて短いコメントをする限りだった。練習が終われば、さっと荷物をまとめて練習室を出て行ったし、それを誰かが追いかけることもなかった。島先生が纏う上着が薄手のカーディガンから分厚いコートに変わって、ブーツを履くようになってからも、同じだった。演奏会がほど近くなっても島先生の距離感は変わることなく、ただ一緒に音楽をしていた。坂下の曲の島先生の伴奏は、やっぱり、ピアノのための場所をそっと空けてある、歌に寄り添ってくれる音をしていた。

 ホールのスタインウェイでも島先生の音が変わることはなく、歌い手側からすればとても歌いやすいピアノだった。一ステージ、曲集一つの指揮を振り切って大きく息を吐く坂下の促しで立ち上がった島先生は、坂下の合図で一緒に礼をして、拍手の中、一度緞帳が下りる。客席とステージを隔てる幕が下りきって、すぐ、女声は下手に、男声は上手に、走って捌けていく。一応十五分の休憩だが、衣装替えもあるので、時間だけを聞いたときよりも実際の余裕は少ない。ベースのパートリーダーが、わざわざステージの中央にまでやってきてから、坂下の背中を叩きながら、上手にはけていった。よくやった、とでも声を掛けているのだろう。実際、あいつはよくやった。他の面子の動きと逆行して、さっきまで坂下が立っていたステージの中央、指揮台の前に移動する。俺だけ衣装替えがないので、板付きで幕が上がるまでここで待機する。緞帳の黒い裏地に遮られた客席の客入りは上々だった。下手側のピアノの方を見る。島先生は、はけていくメンバーの邪魔にならないようにと考えてくれたのだろう、礼をした位置に立ったまま、前を向いている。シンプルな黒一色のドレスは毎年演奏会で着ているものだった。初めて見たとき、喪服のようだと思った。

「島先生」と俺が声を掛けると、島先生はすぐにこちらを向いた。穏やかな笑みの中に一瞬、ほんの一瞬眉根が寄せられて、困惑のような、苛立ちのような色が混じるのを、うれしく思う。だが、やっぱり、島先生と俺たちがつながっているのは音楽を通じてでしかない。

「この後も、聞いてってくださいね」

「勿論。毎年、特等席をもらってるもの」

「アンコールまでですよ」

「そんなに私に聞いてほしいの」

 言葉では返事をせずに、島先生の目をまっすぐに見つめる。今日は島先生も目を逸らさない。周りにはとっくに誰も居なくて、互いに逃げ場がない。島先生は、こちらをからかうような、面白がるような、同時に得体の知れないものに怯えるような微妙な色を目の端に乗せている。その二つが両立することを俺たちは誰でも経験的に知っている。だから俺にできるのは、島先生に、音楽で示すだけだ。できることなら、感傷的が過ぎるアンコールの選曲を、誕生日を祝うろうそくの火も、帰り道に吹く口笛も、喪失に流した涙も、電線に止まるのを指さして数えた鳥も、食事の準備のためにカッティングボードに散らばったパンくずも、白紙に好き勝手に広げて語る理想郷を、いつかどこかで島先生とも共有できたら良いと思う俺の勝手で押し付けがましい願いを、島先生にも聞いていてほしいと思う。

「いつか、連弾しましょう」

 そして、改めて島先生にケンカを売る。島先生の音に俺がぶつかるケンカを売る。島先生は、目を丸くした後、ためらうように目を伏せたが、挑みかかるようなまなざしを俺に向けた。

「後悔するかもしれないよ」

「そうかもしれないですね。でも、俺は島先生と一緒にピアノを弾きたいです」

「そう、分かった」

 穏やかさとは程遠い、口を閉じて歯は見えないのに、牙を剥いているようだと思わされる笑みを残して、島先生は背を向けた。慈しむような手つきでスタインウェイのなめらかな曲線を描く側面に触れると、譜面台に置きっぱなしの楽譜を回収して、下手のステージ裏へ通じる扉の向こうへ歩いていく。足音は聞こえない。島先生が幽霊でないのはさっきまでピアノを聞いていたからよく知っている。

 島先生の特等席の場所は知っている。二階の最前列、真ん中の少し下手寄り。アンコールの後に礼をするときに島先生を探したら見つけられるだろうか。目を閉じて深呼吸。目を開けて、緞帳の裏地を見ながら、この後見ることになるだろう客席を想像する。礼をして、団員を振り向いて、一曲目の一音目を指示するのをイメージする。さあ。

 もうすぐ、最後のステージが始まる。

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島先生のピアノ ふじこ @fjikijf

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