最近ようやく部屋の様子を見る余裕が出てきた。部屋の奥側にグランドピアノが鎮座している。グランドピアノの奥側の壁には、たくさんの写真が貼り付けられている。グランドピアノに向かって左側の壁一面の本棚には、ぎっしりと楽譜やCD、おそらくレコードも詰まっている。本棚の向かいの壁際には、大きなスピーカー付きのCDコンポがあり、その横に、鏡といくつかの譜面台が置かれている。部屋に入ってすぐのスペースに、二人掛けのソファと、小さなテーブルと、二人掛けのソファと直角の位置に一人掛けのソファが置かれている。テーブルの上には、二人分の紅茶。白に金の縁取りのティーカップは、同じ意匠のソーサーに載せられている。銀紙に包まれたチョコレート掛けの小さなビスケットが、ソーサーの端にちょこんと置かれていた。一人きりで座ったまま手をつけることができなくて、二人掛けのソファの端に腰掛けながら、一人掛けのソファに座るだろう人が戻ってくるのを待っている。

 本棚の楽譜はどういう基準で並んでいるのだろう。背表紙の色や高さはばらばらだ。距離があるから背表紙の文字は読めないが、作曲家の名前順にでもなっているのだろうか。どうにか分からないかと身を乗り出して目を細めてみるが、やはり、読めない。後で近くに行ったときに見てみれば、時間はかかっても分かるだろうか。背表紙に書かれているのがカタカナであれアルファベットであれ、頭のひと文字を識別するなら、たぶん大丈夫だ。漢字が混ざってくると自信はない。頭の中と視界が一気にごちゃつく。

 グランドピアノの奥のドアが、ゆっくりと開く。そこから、島先生が部屋に入ってくる。紫陽花柄のスカートと、灰色のカットソー。練習室で見たのと同じ服装だ。眉間に皺が寄って、左右の眉と眉が近付き、目も細くなっている上に、唇も少し尖っている。不機嫌さが前面に出た表情だった。さっきまで島先生が弾いていたピアノの音と全然違う。ムソルグスキーの展覧会の絵、プロムナード。そぞろ歩き、という日本語訳に相応しい、ゆったりとしたテンポだった。まだ少し朝靄がかかっているような、明るいのに少しけぶった音色で、淡々と進んでいく感じだった。あのドアの奥で、ピアノを弾く島先生の横に座っていた禿頭の老人に、何かを言われたんだろうか。島先生は、不機嫌な表情をそのままに、一人掛けのソファに勢いよく座って、ティーカップに手を伸ばす。右手を持ち手に、左手を持ち手と逆のカップの縁に添えて、ふうふうと息を吹きかけ、紅茶を飲む。眉間の皺が少し浅くなって、いつものやわらかさに戻ってきた島先生の目が、こちらを向く。

「お待たせ、坂下君。疲れてない」

「いえ、きれいでした」

「噛み合わないなあ。昌さんには怒られたんだけど。当たり散らすなって」

 昌さん、というのが、禿頭の老人の名前、というか、島先生による呼び名だ。彼が言葉を発したところを俺は見たことがないので、親しげな呼び方をあの老人が本当に許しているのかどうかは分からない。島先生がそう呼んでいるのを咎めているところも見たことがないから、たぶん、少なくとも島先生は許されているのだろう。それにしても、当たり散らす、とはさっきの演奏にそぐわない表現に思う。島先生は何かに怒っていたのだろうか。軽く目を閉じてまた眉根を寄せ、唇をとがらせている。練習室ではあまり見ない島先生の表情が、怒っているためだとしたら、普段俺がどれだけ醜態をさらしていても島先生は怒っていないのだと分かって、少し安心する。

「まあ、気にしても仕方ないね」

 髪にひっついたガムを無理矢理引っぺがすように島先生は言って、自分で言ったことに納得をしたように目を開けると、ソーサーの端に置かれたビスケットの包みに手を伸ばした。ピアノの鍵盤を叩いていた指先が、薄くて破れやすい銀紙を丁寧に剥がしていく。バゲットを小さくしたような形のビスケットの長さの半分程まで銀紙を剥がして、島先生は、チョコレートがかかったビスケットを口に咥える。唇でビスケットを挟んで、銀紙からビスケットを押し出しながら、全部を口に含んで、もごもごと顎を動かした。ビスケットの銀紙には、なにか模様が描いてある。直線がたくさん交わった、チェック模様だろうか。線の太い細いは色々だが、交わる角度はすべて直角だ。まっすぐな線をたどろうとすると、ぐるりと視界が回りそうになる。小さい範囲で目を動かすのは、やっぱり、苦手だ。ビスケットの銀紙を、破れるのは構わないで全部剥がして、チョコレートに直接指で触って口に放り込む。俺はこの後もピアノを弾くことはないから、これくらい構わないだろう。さくさくと口の中で音がする。ミルクチョコレートのはっきりした甘みが舌に残る。島先生はティーカップに口をつけて、とうに冷めている紅茶を一気に飲み干し、静かにソーサーの上に置く。コツンとも音がしなかった。ティーカップだけ無重力になったみたいだ。そして島先生は立ち上がり「じゃあ、やろうか」と言ってピアノの方へ向かう。俺も頷いて、楽譜を持って島先生の後を追う。楽譜の表紙には、オレンジと黄色と黒で、上下にタイルのような模様が印刷されている。上下がすぐに分かるように、赤いシールを右下に貼っている。俺の楽譜だとすぐに分かるので、案外これが、周りに評判が良い。

 さっき禿頭の老人が座っていた、島先生の右斜め前、ピアノの高い音を鳴らす鍵盤側に置かれた椅子に腰掛ける。楽譜を譜面台に置いてから、高さを調整する。座りながら、首や肩を曲げすぎることなく、楽に楽譜が見られるようになったらオーケーだ。ピンク色の付箋をつけた一曲目の一ページ目をめくり、手を構える。島先生に目で合図をして、一音目を示す動きをする。島先生のピアノが、タカタタカタと、三連符で示される音を奏で始める。3という数字で、三つの音符がまとめて示されているのが三連符だ。歌い始めるまでに、三連符が十二回あるのを数える。それから、島先生の顔を見て、歌の入りを右手で示す。島先生が、ピアノを弾きながら、メロディーを歌い始める。島先生は何でも出来る。そう言ったら、島先生には、「私は自分ができることしかできないよ」と否定されたが、そのできることの幅がとても広いと思う。こうして、伴奏を弾きながら、なんなくメロディーを口ずさんでいるのだってそうだ。島先生の歌は言葉がはっきりと聞こえてくる。そのように歌ってくれているのかもしれない。その歌詞を手がかりにしながら、歌とピアノの楽譜を、この映像を、聞こえてくる歌とピアノの音に結びつけようと、意識を集中させる。

 日本語の曲の楽譜は良い。歌詞がほとんどひらがなとカタカナで書かれているから、読むのにあまり労力を掛けなくて済む。時々出てくる漢字は、修正テープで潰して、ひらがなで書き直せば良い。外国語の曲は途端に難易度が上がる。事情を知っているパートリーダーやメンバーに協力してもらいながら、カタカナで読み仮名を振らなければいけない。どちらであっても大変なのは、音をとることだ。五線譜の上の音符と、実際の音が、すぐに結びつかない。というか、五線譜の上の音符を読むことが、非常に困難だ。だから、聞き覚えをする。パートリーダーに歌ってもらったり、ピアノを弾けるメンバーにピアノを弾いてもらったりして、繰り返し、聞いて覚える練習をする。一人で歌うのではないから、そうして覚えた音が合っているかどうかを確かめるのは簡単だ。周りと同じ音を歌っているか、もしくは、歌っている音がハーモニーの中にきちんと溶け込んでいるかを意識すれば良い。歌うだけならば、そうやって困難を乗り越えられた。

 指揮を振るとなると話は別で、曲の全体像を把握し、演奏の方向性を定めて、引っ張ることを求められる。曲の全体像を把握して、というところで、つまずいた。自分のパートだけを追うことはなんとかやれても、全パートとピアノの楽譜を把握することが、非常に、難しかった。それぞれのパートがばらばらに動いたり揃って動いたりするし、音量の変化や、ときには音楽記号すらばらばらで、どうやってこれを一つの曲の流れとして結びつけて把握しようか、困り果てた。曲を聞き覚えをすることはできるし、それを自分の好きなようにアレンジすることもできるだろうが、指揮をする、音楽を作るとなると、曲をどうとらえて、だからどう表現したいのかを伝えないといけない。そのためのツールとして、楽譜は必要だったし有用だった。ページ番号は大きく書き直した。小節番号の代わりにするために、まずは楽譜の段ごとに蛍光マーカーで色を塗った。段数ごとに変えた蛍光マーカーの色に対応するサインペンで小節線をなぞった。表奏記号は、近しい日本語の意味を大きく書き直すか、その言葉のイメージを絵で書き留めた。その他の表現も、鉛筆で記号や、絵として書き留めている。そして、練習録音を聞き返したり、島先生とふたりで練習をしたりしながら、曲と楽譜を照合して、調整していく。まずは島先生の口ずさむ歌詞を手がかりに楽譜のページをめくるだけから始めたのだ。

 曲に取り組みはじめて二ヶ月ほどが経ち、楽譜をめくることは大分自然に出来るようになった。曲と楽譜、そこに書き留めた内容がようやく結びついてきたところだ。指揮者の先輩に「かたさがとれた」と言われて安堵したのを覚えている。メンバーにも、どういう演奏をしたいのか、意図するところや指示が伝わっているような気が、最近ようやくしてきた。

 四分の四拍子が八分の六拍子に切り替わる。それまでにもうっすらと感じられていた三拍子の感覚がはっきりして、ノスタルジーの表現なのだと思う。頬がゆるむような懐かしさにわけもなく目が潤む。はやる鼓動に合わせるようにテンポは少し前向きに、リズムは生かすがメロディーのレガートは失わないように。曲想を、腕と手と指の動きで示す。島先生のピアノの音が、俺が指揮を振ったとおりに、跳ねてつながる。こう鳴ってほしいと思ったとおりの音が返ってくると、うれしくなる。

 島先生は振ったとおりに弾くから、いい練習になる、と言ったのは、二学年上の指揮者の先輩だ。先輩も、島先生のピアノ伴奏がある組曲を演奏していた。演奏会の終わった後、先輩が満足げにしていたのを覚えている。指揮と歌とピアノがうまく噛み合ったのか。とても大きなことをやり遂げたように、荒い息をしながら、アンコールの曲を振っていた。

 俺は、指揮者という立ち位置になってから、島先生の世話になってばかりのせいか、島先生のピアノを好きとか嫌いとか思えなくなっている。自分の意図と同じ音が聞こえばうれしくなり、違う音が聞こえれば悔しくなる。この曲をやり始めてからは特に、指揮者以外の立場で島先生のピアノを聞くことがほとんどなくなった。さっき聞いたのが久しぶりだ。まだ少し微睡んでいるような、けぶった音。心地よい音だった。夢見心地で歩いているような。それは、この曲にも通じる。

 曲の随所に三連符のリズムが聞こえる。四拍子の中に不意に三拍子の要素が紛れ込んでくるのが、ノスタルジー、夢見心地、目覚めながら夢見ることの表現のように思う。伴奏にだけ三連符のリズムが聞こえるときは、よりそのように思われる。ピアノが主役になってはほしくないが、意識にはきちんとのぼってほしい。違和感にはなってほしくないが、引っかかりを覚えて耳を傾けてほしい。具体的には、歌とピアノのバランスをどうするか、につきる。組曲全体のテーマが夢か現かで、テーマを表しているのが随所に現れる三連符。大筋はたぶん、それで、ずれていないと思う。細かい部分部分で見ていけばたくさんやることはあるが、歌もいる普段の練習の中で詰めていくことだ。今は、大筋のことを考えながら、曲を聞き覚えして、楽譜と結びつけていく。楽譜に示された一つ一つの音に、というよりは、楽譜という一枚の絵や、楽譜に書き込んだ自分のイメージに結びつけていく、という感覚だ。正指揮者の先輩には、独特の感覚だなと笑われた。馬鹿にしたり嘲ったりするようなニュアンスは感じられなくて、泣きそうになった。

 終曲の後奏には、一曲目の前奏と同じテーマがまたあらわれる。同じ夢を繰り返し見ているようだ。三連符の心地よいリズムに揺られながら、全五曲の夢物語が閉じられていく。歌のハーモニーも、ピアノが押さえる和音も、すっきり解決するわけではない。濁って、もどかしさをたたえたままの音で終わってしまう。名残惜しいながらも夢から覚めるときのようだと思う。胸の前で、軽く手を握りながら腕を止めるのと一緒に、島先生のピアノの音も消えた。楽譜は最後のページにきちんとたどりついている。安堵しながら長く息を吐いて、島先生の方を見ると、目が合って、笑顔を向けられた。

「もう大丈夫じゃない。ほとんど覚えてるでしょう」

「ほとんどです。ページめくりが危ういとこもあったし、まだイメージが固まってないとこもあります」

「真面目だね」

 それも、よく言われる。でも、正指揮者の先輩に笑われたときと同じだ。嘲られているような感じを覚えることはなく、褒められたのだなと分かる、こそばゆい気恥ずかしさに手がもぞもぞ動く。たまらず譜面台の上で楽譜を閉じると、島先生も楽譜を閉じた。だが、両手は再び鍵盤の上へ置かれる。奏でられるのは、ついさっき聞いた、終曲の後奏だ。

「このテーマ、良いよね。私は弾くの好きだよ」

「そうですか。もう、なんか、島先生に頼りっぱなしみたいな場所やなって」

「そういうところも出てくるよね。どうしたって。でも、それはそういうもんだからなあ」

 くすくすと小さく笑いながら、島先生は、ひとつのテーマを繰り返す。同じテンポで、同じ音量で、同じ表現で、ただただ繰り返している。三連符の、はじめの二つ分伸ばして、最後の一つをまた別に伸ばす、というリズムが繰り返される。春眠暁を覚えず、と不意に思い浮かぶ。眠りを誘うような、現から夢に少しずつ引き込まれるような、心地よいリズムだ。身体が自然と揺れるのが分かる。指揮を振らずに島先生が繰り返すテーマを聞いていると、いよいよ瞼が重たくなる。島先生はまだ笑っている。

「がんばってるね、坂下君」

 だって、人よりも頑張らないと、俺は人並みにすらできないのだ。悔しさよりも諦めや恥ずかしさが先に立つ。なぜ腐らなかったのか、分からないが、やりたいことがあったのは大きかったのかもしれない。やりたいことがここでしかできない、だったらその場所に行くためにやれることをやるしかない。必死だったから、みじめになっている暇がなかったのだろうか。

 今でも教科書を読むのは苦手だが、教科書をスキャンしてデータ化し、OCRして音声読み上げ機能を使うことで負担は大分減った。高校生の頃からしていたことだが、大学に入って読まなければいけない本が一気に増えたし、論文だって随時仕入れて読まなければいけないから、音声読み上げ機能が使えるか使えないかで、かかる負担は相当違っただろう。板書も同じで、書かれたものを写す代わりが、講師の授業を録音することだ。講師の授業を聞きながら、自分の中で浮かんできた疑問や考えを書き留めるには、スマホのメモアプリを使う。後で音声読み上げ機能で読み上げてもらえば、録音と合わせて、その授業が自分にとってどういう体験だったかを思い出すことができる。問題は、時間が足らないことか。全部の授業の予習をして、復習をしようと思えば、その分の録音を聞かなければいけないから、全く時間が足りない。だから、教科書や授業の音声を聞くときには、基本的に倍速にしている。

 さすがに音楽は倍速で聞くわけにはいかなかった。音をとるときだとかで、指定されたテンポよりも多少はやめに演奏することはあるが、それは例外だ。曲全体を聞き覚えするとき、どう演奏したら良いか、どのタイミングでどう体を使って覚えている音を出したら良いか。考えながら聞こうとすると、どうしても等速で再生しなければ、間に合わない。そのせいもあってか、結構な時間を合唱に、音楽につぎ込んでいるような気がする。他を疎かにしているつもりはないが、限界を感じつつあるのも事実だ。研究に本格的に力を入れ始める時期になったら、今と同じようには合唱に取り組めないだろう。だから今こんなにものめり込んでいるのか。

 俺の練習のために弾いてもらった島先生のピアノの音が、ずっと、耳の底で繰り返し鳴っている。

 正指揮の先輩が振るアンコールの曲の歌詞をパートリーダーと確認しているときですらそうだから、苦笑される。「付点が三連符になってるぞ」と言われ、どうしてかと考えて、夢見心地で聞いていたピアノの音が、まだ聞こえているのに気が付く。

「すみません、つい、自分の振る曲を思い浮かべてました」

「ああ。島先生との個人レッスンはまだ続いてるのか」

「いえ。こないだ終わりました。そろそろ一人で頑張れるでしょうって」

「優しいのか厳しいのか、分からん人だな」

 軽く首を傾げながら言って、パートリーダーは、今し方歌ったフレーズの頭の音符に、シャープペンシルの先端をあてる。「ここから、もう一回」という声の後に、息を吸う音。タイミングを合わせて息を吸って、合図なしに同時に歌い出す。全員とこれができれば別に指揮なんて要らないだろう。アンコールの曲は、アカペラで、日本語。別れの曲なのにとても明るい。パートリーダーは、堂々とした、どれだけ小さくても張りのある声をしている。その声と一緒に歌っていると、自分も歌がうまくなったように錯覚する。そういうことばかりが起こるのに嫌ではないし、傷ついてもいない自分を不思議に思う。できないのが当たり前のつもりでやってきたせいかもしれない。たぶん、もうサークルを辞めてしまった高校の同級生も、俺がこんなに合唱というものに、音楽というものにはまり込むなんて、思いもしなかっただろう。今も専門科目の講義で顔を合わせることがあるし、昨日演奏会の宣伝をしたらとても驚かれた。俺がまだサークルにいるとも、まさか指揮を振るなんて立場になっているとも、思ってないような反応だった。「よかったな」と、何故か少し泣きそうな表情で言われて、こちらが焦った。俺は今、とても恵まれていると思う。人生のご褒美みたいだ。島先生との個人レッスンが終わりになった日に、するりと口から出てきた言葉だ。

 島先生は、びっくりしたのか、見たことがないぐらい目を丸くして、それを恥じ入るように顔をうつむけると、「人生のご褒美」と俺の口から出てきた言葉を、慎重な響きで繰り返した。口にしながらも、どこか扱いあぐねているような、しっくりこないような、ハーモニーの中におさまらない音を鳴らしてしまっているときのような、戸惑いを感じさせる声だった。顔を上げた島先生は、確かに困っているようだった。心細くて、誰かの布団に潜り込みたそうな表情をしていた。少し目を細めて、声を出さないで唇を少し動かして、唇を閉ざして、また開いて、「君には、そうなんだね」と呟いた。俺は譜面台の前にいて、島先生はピアノの椅子に座っていて、一メートルも離れていない場所にいたはずなのに、そのときの島先生の声は、ひどく遠くから聞こえたように思えた。けれども、続けて島先生が弾いたピアノの音は、そこにあるピアノから確かに鳴っているように聞こえた。休憩を挟む前に途中になっていた、終曲の伴奏だった。島先生は、あのときにあの伴奏を弾くことで何を訴えたかったのか、分からないまま、半年近く続いた個人レッスンは終わりを告げた。かといって、練習室で会う島先生は今までどおり、穏やかな笑みを浮かべて「今日もよろしくね」とあいさつしてくれるし、島先生のピアノはよりいっそう歌に寄り添ってくれて、心地が良いものになっている。島先生は練習が終わればすぐに帰ってしまい、もう、その後に会うこともない。それくらいの距離感でなんなくやっていけるなら、それでも構わないし、なんとなく、個人レッスンをしてくれていた島先生との距離感が近すぎたような気もするのだ。確か、そうなったことを報告に行ったときの正指揮の先輩は、えらく驚いていた。驚いた後に悔しそうに「俺もしたかった」と呟いたので、先輩はよっぽど島先生のことを好きだと思う。

 練習室の前方、真ん中で、譜面台の前に立ち、指揮を振る。島先生はピアノを弾いていて、メンバーが階段状になった机と椅子の間に並んで歌っていて、こう演奏してほしいと伝えるために指揮を振る。記憶を頼りに楽譜のページをめくる。曲が終われば振り返りをして、必要な部分を返して、メンバーからの質問に答えたりもする。答えるときによすがにするのは、楽譜に書き付けたメモ代わりのイラストだ。歌だけを取り出すときには、島先生が歌い出しの音をとってくれる。歌だけが音楽を奏でている間、ふと、気になって、島先生の方を見てみた。島先生は、俺の方を見てはいなかった。譜面台に開いた楽譜を見ているわけでもなかった。少し顔を横に向けて、メンバーの方を見ているようだった。その後ろ姿が、この間、ひどく遠くから聞こえてきた声を発した島先生の様子と重なって、指揮を振る手が止まりそうになる。ぎこちなく固まりかけた左腕をなんとか、動かして、フレーズを進めてはみたが、縦がばらついて、結局ハーモニーも崩れる。一度演奏を止めて「すみません、俺が悪いです。もう一回同じところから」と声を掛ける。特に文句の声が上がることもなく、楽譜をめくる音がぱらぱらと続く。島先生を見ると、島先生もこちらを見たところらしく、視線がかち合う。感情を読み取る間もなく、いつもの穏やかな笑みが島先生の目元に口元に浮かんで、「頭の音をとれば良いかな」と問いかけてくるのに、「それで、お願いします」と返すしかできない。ごく普通のありふれたやりとり。練習を、そういう普通のやりとりだけで成り立つぐらいまでやってこられたのは、島先生との個人レッスンがあったおかげに違いない。そのことをありがたかったと思う。けれどもまだ不意に、個人レッスンが終わりになった日の島先生の、遠くから聞こえたような声が、ピアノの三連符と一緒に、浮かんでくる。

 練習が終われば島先生はすぐに帰ってしまうので、ピアノの前の黒い椅子は空っぽになる。自主練習をしているパートや個人が使うこともあるが、今日は誰もピアノの前にはいない。卒業生が寄付したというピアノの本体の表面は、傷もついて、とれない汚れもあって、きれいだとはいえない。鍵盤も、白ではあるが、真っ白とは言えないだろう。日に焼けたのか、人が弾いたことによる汚れなのか、黄色や、黄色みがかった茶色に変色している部分がある。島先生の前にもピアニストはいたのだろう。メンバー達だってピアノを弾く。島先生だけでなく、これまでピアノを弾いてきた数多の人たちが触れたことによる変色だろうと、分かっている。だが、島先生が触れたことによる変色が一番多いよう気がした。島先生は、そのように願いながらピアノを弾いているような気がした。個人レッスンをしてもらっていたのに、島先生の連絡先も、住んでいる場所や他の仕事も、何一つプライヴェートなことは知らない。元々島先生はメンバーと一線を引く人で、やはり、個人レッスンは近すぎる距離だったのだろうが、ピアノには自分の痕跡を残そうとしている島先生、という想像は、不思議としっくりきた。

 黒い椅子に、高さを調整せず腰掛ける。少し低くて、脚の収まりが悪い。譜面台を見る首の角度に難儀する。鍵盤に手を置いてみても腕の据わりが悪いので、腕を下ろして、顔を少し左に向ける。俺や、正指揮者の先輩が立つ場所、練習室の前方真ん中に固定で置かれている譜面台が見えた。それから、顔を少し右に向ける。メンバーが立つ、階段状の教室の様子が見える。もっと顔を右に向ける。今はばらばらのところにいるメンバーが、練習中には、整然と、机と机の間に列をなして、楽譜を持ったり、机に置いたりしながら、歌っている。指揮に会わせて、ピアノと一緒に、ハーモニーを作っている。その中で楽に呼吸できること、必死になって好きなことをやれること、それを認めてもらえていることは、やっぱり、俺にとってはご褒美のように思えた。島先生にはそうではない、ということしか、今の俺には分からない。

「何してるんだ、坂下」

 パートリーダーの良く通る声が自分に向けられていると分かって、思わず肩が跳ねる。咎められているわけではないと分かっているが、かといって簡単な答えも思いつかず「ええと」と中途半端な相槌が口をついて出る。練習室の右から左まで視線をやって、それから、ピアノの譜面台へ、鍵盤へ、指揮者が前に立つ譜面台の方へ、視線を動かして、最後にもう一度譜面台へ。少しくすんでいるが光を良く反射する黒い板に、なんとなく自分の姿が映っているのが分かる。譜面台に常に楽譜を立てて置きたくなるだろうなと思った。

「島先生は、何を見ながらピアノを弾いてはるんやろうと思って。確かめようと思いました」

 なんとか言葉にして伝えると、パートリーダーが「そうか」と答える。ソプラノの先輩が「何か弾いてみてよ」と楽しそうな声で言う。鍵盤を見る。聞き覚えした曲の音と鍵盤の対応が一瞬分からなくて、手近な鍵盤を一つ鳴らす。一つ、一つ、と鳴らしていって、思った音に行き当たったところで、三連符のリズムをとる。我ながらぎこちない。島先生のピアノにはほど遠い。一曲目の前奏の、一番上の音だけだから、音の量だって島先生のピアノにはほど遠いのだが、それにしても、こんなに違うなんて、笑えてくる。ためしに音を増やそうと、二本の指で鍵盤を押さえると、不協和音。ソプラノの先輩の笑い声が聞こえる。自分でも笑ってしまって、鍵盤から手を離して、立ち上がった。

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