身の置き所がない。

 アンサンブルの途中に急にパート練習をはさまれて、テナーからは「アルトの方に行け」と追い出されるし、アルトからは「ごめん、日本語やっつけたいから御薗はまた今度で!」と追い払われるし。身の置き所がない。

 パート練習のときは、平等に屋外を使うことになっている。練習室には、島先生と俺のふたりきりだ。島先生はピアノの椅子にちょんと座って、先ほどからぽろぽろとピアノを鳴らしている。副指揮者の振る曲、日本語の曲。こっちはテナーで歌う。正指揮者の振る曲はアルトを歌う。ちょっと無理があったかなと思わないではない。無理が嫌なわけではなく、チャレンジするのは楽しみでもある。ただ、こういう微妙な居心地の悪さを、ときどき感じるのは慣れない。

 だったら歌えばいい、と思いつくのは当然の帰結だ。机に置いた楽譜、副指揮者の曲を一番下に置いて、正指揮者の曲を演奏順に並べる。上から順番にさらっていこう。一曲目、Ola GjeiloのPrelude。この順番以外に持ってきようがない曲だ。膝で音叉を鳴らして、耳に近付けてAの音を確かめて、そこからFisの音をとってハミングで確かめる。Fis dur。祭の喧噪をイメージして、一音目を歌う。ソプラノとテナーのメロディーを頭の中でたどりながら、息を流す。歌い直し、アクセント。パートがディヴィジョンして、上のパートのHi Cisを鳴らす。ピアノの音がメロディーを奏でる。

 ピアノの方を向くと、島先生が、右手と左手で鍵盤を弾いている。譜面台には、いつの間にか、俺が今開いているのと同じ譜面が置かれている。歌い直し、アクセント、徐々にクレッシェンド。ピアノの音も、一緒にクレッシェンドしていく。最初のセクションの締めくくりのフレーズを歌い始めると、島先生は、俺が歌っているアルトのトップパートを除いた音をピアノで鳴らしている。ピアノの音は歌声とは違う。アンサンブルの中で歌っているときとは違う感じだが、確かにハーモニーの中に居るという感覚を覚える。デクレッシェンドで徐々に小さくなり、指示どおりの長さで声を切ると、ピアノの残響も同時に消えた。

 島先生と目が合う。島先生が、にこりと笑う。「ごめんね。勝手に合わせちゃった」と、楽しげな声で言う。

 島先生がどういう立ち位置の人かというと、説明が難しい。曲の伴奏や、練習のアシストをしてくれる、ピアニストの先生なのだが。島先生は、それで生計を立てる人をプロと呼ぶなら、プロのピアニストではない。よその合唱団でもピアノを弾くと聞いたことはあるので、ただ趣味にしているというには、踏み込みすぎている。島先生がうちでピアノを弾き始めて、まだ十年も経っていない、はずだ。定期演奏会のパンフレットに、写真と、ごく簡単なプロフィールが掲載されるようになったのが、八年前。その年から来てもらい始めたか、その少し前から来てもらい始めたと考えるのが妥当だろう。去年の大掃除で、みんなでパンフレットを眺めていたときに見つけた、八年前の島先生のプロフィール。「ブラック企業を退社後、ピアノを再開」なんて書いてあって、みんなで顔を見合わせた。経歴すら、よく分からない。

 みんな島先生を好きだと思う。島先生の弾くピアノを好きだと思う。島先生のピアノの音はいつもやさしい。フォルテで、たとえDies iraeの伴奏をするときでも、やさしい。声に寄り添ってくれる、声を助けてくれる、そんな音をしている。

 だから、島先生は「勝手に合わせた」というが、そんな感じはしない。マラソンで、気付いたら隣で一緒に走ってくれていて、しかも時折励ましてくれる。そんな感じだ、マラソンを走ったことはないが。

「大丈夫です」と返事をすれば、島先生は「なら、よかった」と笑って、次のフレーズのはじめの和音を鳴らす。息を吸って歌い出すのと同時に、島先生が俺以外のパートの音を鳴らす。こういうところだ。自然と、俺の歌い出しに合わせてくれる。心地よくハーモニーに合わせられるように、一つ一つの音の強さを微妙に変えている。われらをなぐさめたまえ、われらのこころを、アレルヤ。甘やかに、なめらかに、切実に音をつなぐ。440HzのAの音。アルトが出すには低い、といわれる音が多いので、カウンターテナーをやっているわけだ。クレッシェンドで音を切って、次。最初のフレーズの再現部に移る前に、また息を吸う。

 Fisのロングトーン。オクターブ下のFisの音を島先生が鳴らす。倍音がふくよかになる、上に、メロディーが流れる。喜べ、喜べ。ソプラノとテノールの歌詞をピアノのメロディに合わせて思い浮かべ、歌い直し、アクセント。ディヴィジョン、Hi Cis。島先生のピアノも、FisとCisを鳴らす。更に豊かに輝く倍音に乗せて、メロディーが軽やかに動く。角笛、イングリッシュホルン、チャルメラ、笙。管楽器の音を連想する。クレッシェンドして、最後のフレーズに入る。ソプラノとテナーがAisの音を鳴らして、ようやく、本当にこの曲がdurだったと分かる。最後までクレッシェンドしきって、歌い終わる。俺が声を切るのと一緒に、ピアノの音も止んだ。島先生と目が合う。

「楽しかったね」

 穏やかに、島先生は言う。身の置き所を忘れる心地よさが、じわじわと指先から染みいってくる。自分自身の出す音がもっと大きな音楽の中にぴたりと当てはまる場所を見つけたときの得も言われぬ快感と同じ種類の心地よさ。

 練習が終わってから、テナーのパートリーダーに、そうして島先生と過ごした時間のことを話すと「なんだそれ、うらやましい」と、悔しそうに言われた。唇を曲げて、眉根を寄せて、怒っているようにも見えた。

「お前が寄せてくれなかったからじゃん」

「でも、御薗はテナー歌わんだろ。俺は福原みたいに器用じゃないから、複数パートの練習なんかよう見らん」

「パートリーダーなのに」

「俺は今でも御薗がやらなかったのを恨んでいる」

 眉根を寄せたまま目を細めて、こちらを睨むパートリーダー。その話題を続けるのはうれしくないので逃げ出したいが、逃げ場がない。何せ、ここは、こいつと俺とあと数人で借りている一軒家の、リビングなので。

 ローテーブルの上には楽譜が散らばっている。リビングの片隅には音程の狂ったアップライトピアノが置かれている。テレビはない。壁一面本棚になっていて、楽譜と、CDと、レコードが、詰め込まれている。

「なんかCDかけよ」

「おいこら、逃げるな御薗」

「どれが聞きたい、若草」

「こういうのこそ福原だよ。俺らよりさ、あいつがここに住むべきだと思わん」

「べきとかべきじゃないとか、本人に決めさせてやれよ。福原は、ほら、実家から出られないんじゃなかったか」

「しがらみ? 大変だな、ここ家賃安いのに」

「値段の問題じゃないだろ、たぶん」

 俺と若草がここに住み始めたのは、卒団する先輩の誘いだった。どうして俺たち二人だったのかは未だに分からない。でも、俺も若草も先輩の誘いを断らなかった。家賃は、今は四人で割って二万円。寝室以外は共用。リビングは、近所迷惑にならない時間なら何時でも音出し自由。共用スペースの掃除は当番制。そういうルールで、生活している。

 若草が一枚のCDを棚から引っ張り出す。バッハ。クラシック奏者には詳しくないから、作曲者の名前だけが情報として飛び込んでくる。畳に直置きされているオーディオセットの電源を入れて、CDを入れる場所の蓋を開けて、ケースから取り出したCDをセットし、再生ボタンを押す。オーディオセットの両サイドのスピーカーから、聞いたことのある曲が流れ出す。流麗なチェロのメロディー。演奏者のことをよく知らなくても、楽器のことをよく知らなくても、いいものはいいと思う。若草は、CDケースをオーディオセットの上に置いて、元の位置に戻ってくる。ローテーブルの短辺の前。俺と九十度で相対する位置。チェロの音を聞きながら、楽譜をめくる。シャープペンシルで、ボールペンで、蛍光マーカーで、おびただしい数の書き込みがしてある楽譜。最も書き込みが多いのはテナーパートの上だ。もとの音符が見えなくなっているところすらある。Northern Lights、オーロラを指しているのだと正指揮者の福原から説明があった。作曲者がそう書いてあるからそれが正解、だが、歌いながらいつも、違う情景を連想する。深い紺色の夜空にたなびくオーロラを透かしてまでも輝く北極星を見つめている。若草が楽譜をめくる。中間部、ソプラノ以外の三声部が揃って伴奏を奏で、ついで、ソプラノからアルトにメロディーが移る。徐々に掛け合いになって、クレッシェンドの最後は、下三声のクラスタ。この曲で一番心地よいハーモニー。自分の声を、体を、もっと大きな音楽の中に委ねると、音楽の側から声に、体に、響きが返ってくる。クラスタの一番上の音をハミングで鳴らす。若草が、うへえ、と変な声を出す。

「いつも思うけど、どうやって出すん」

 答えることはできない、ハミングをしているから。笑いながら、ハミングの音を上下させる。バッハのチェロのメロディに合わせて音を動かす。若草は、拗ねた幼稚園児のように、顔を背けて背中を丸めている。どうして。

 才能ではなく適性だと主張するが、適性こそが才能だと言い返されると、平行線になる。俺はどう頑張っても、若草のように、楽譜に執拗に書き込みをして、時間におさまるように練習を回して、誰の声をどれくらいのバランスで聞こえるように計算してオーダーを決めて、ひとりひとりに目を向けてケアをする、なんて芸当はできっこない。それらは才能だと俺が若草に言えば、若草だって、いいや適性だと、主張するだろう。

「適性の希少さとかはあるんじゃないかなあ」

 島先生は、曲集の最後の曲のピアノ伴奏を奏でながら、俺は、練習室の真ん中に一人で立ちながら、話している。今日も入れるパート練習がないから、島先生と二人で練習室に取り残されている。三連符の、馬車に揺られるようなリズムが心地よい。そんな感想を漏らせば、島先生が「そういうところだよね、きっと」と笑う。

「この間話しているときも思ったけど、御薗くんのイメージは面白いよ」

「それは、適性の話と関係がありますか」

「うーん、ないかもしれない。あるかもしれない。でも、イメージを持てることは大事だよ。どこへでも行けるんだから」

 ピアノを弾きながら話しているからか、島先生の言葉はどこか浮ついている。ふわふわとして意味をなしていない、くせに、言葉にくるまれて、一つの輪郭に押し込められている。身の置き所がない、感覚を徐々に思い出す。島先生は俺とは違う、俺は島先生と違う、俺も島先生も他の団員と違う、他の団員は島先生とも俺とも違う。

「いいなあ。御薗くんは、オーロラと北極星を同時に見える場所に行けるんだ、歌いながら」

「どこでしょうね、それは」

「極北だ」

「北極でなく」

「極北でしょう」

「寒い。空気が凍っている」

「空気は凍らないよ。空気中の水分が凍る」

「ダイヤモンドダスト?」

「そんなカタカナ語は知らないなあ。雪は溶けずに降り積もる?」

「降り止んで、足跡のない新雪が広がっている。白くて、眩い」

「夜なのに」

「夜にも明かりはあるので」

「そうか。オーロラに、北極星。オーロラって結局何?」

「高層圏で起こる電磁波同士の干渉」

「温かいんだろうか」

「高層圏は氷点下ですよ」

「そうなんだ。冷たいのに、明るいんだね」

「虹色にはためいて、美しい、目を逸らしたいのに逸らせないほど」

「御園君の空には、更に、北極星が光っている」

 島先生のピアノは、まだ三連符を奏でている。同じところをぐるぐると回っている。だから、島先生と話をしながら、夜空もオーロラも北極星も、いまいちきれいなイメージを結ばない。夜空は朝焼けのもやがかった褪せた青色に、オーロラは空の色を透かして見える薄い雲に、北極星は明けの明星に、すり替わっていく。目を覚ましてみる夢はやっぱり夢なのだろうか。そばの机の端に腰掛けて、三連符に合わせて体が揺れる。ピアノの一番上の音をたどってハミングを鳴らす。

「私には、スキップの音に聞こえる」

 島先生の言葉を聞いて、しばらくして、この三連符のことを言っているのだと理解する。何故か、水色のスモックを着た小さな女の子がスキップしているイメージが浮かんだ。

「そういえば、島先生、妹が居るんだって」

 スキップの話をしたところで、誰かがふとこぼした。練習後、思い思いに集まってだらだら過ごしている最中だから、唐突な話題を誰が咎めるわけでもない。ソプラノのパートリーダーが「そういえばそんなこと聞いてたね、小原」と応じる。それで、島先生に妹が居る、と言ったのが小原だと、顔をあげる前から分かる。

 小原は、なにか罰ゲームのようなノリで、島先生に住んでいる場所を聞きに行かされていた。梅雨が明けるか明けないかの、暑さが厳しくなりつつある頃だった。練習後に島先生を追いかけて出て行って、すぐに戻ってきて、女声の面子になにか騒がしくしていた様子を見た覚えがある。ただ、話の内容までは聞かなかった。首の後ろのストレッチをやめて、顔をあげる。

「スキップの話で思い出すって、どういうこと」

「えー、なんでだろ。小さい子だと思ったから?」

「島先生の妹が? いま小さいって、めちゃくちゃ年離れてんね」

「あ、それはないと思う。タクシー呼んで一緒に家に帰るって言ってた」

 自分で話していて矛盾していることに気付いているのだろう。小原は、首を傾げながら、眉根を寄せて、納得がいかないような表情をしている。歌っている最中には絶対にしないような表情だ。

「小原、ソロ決まったよな」

 ふと、そう声を掛けると、小原は眉根を寄せたまま、もっとひどく、害虫でも見つけたかのように表情を崩して、「そうですけどお」と低い声で言う。ソプラノのパートリーダーがあっはっはと笑う。その声を聞いてか、小原はもっと不服そうに、唇を尖らせまでした。

「変わってくれるの、御薗」

「なんだ、歌いたくないのか」

「そういうわけじゃないけど、低いよね、微妙に。ちょっと気持ち良くないんだなあ」

「いつもさ、歌いながら何考えてるの」

「何って、そういうことだよ。あー低いなあって思いながら歌ってる」

 噛み合ってないような感じのする会話を、ソプラノのパートリーダーは、笑いをこらえているような顔で聞いている。他の面子は、なにか、生ぬるい、冷めたこってりラーメンのスープを飲まされたような表情をしている。適性ってこういうことだよなあと考えながら「他の部分歌うときは」と尋ねてみる。

「高い、出やすい、楽しい」

 楽しい、と言いながら、諸手を挙げて万歳するので、ああ本当にそう思っているのだろうなとよく伝わってくる。出しやすい音域を歌うときはそうなるよな、というのが分かりつつも、どこか納得がいかないのか、パートリーダー陣が顔を寄せ合ってひそめた声で話し出す。

「石川、ソプラノのパー練ってどうなってんの」

「まあ人それぞれでしょ、歌うとき何考えてるかなんて」

「私もどっちかっつーと小原寄りだし、まず第一に振られたとおり歌わなきゃって思う」

「説得力がある歌になってるからいいんじゃないか」

 ベースのパートリーダーは地声から低い。その低い声でぴしゃりとまとめられると、皆、黙り込んでしまう。小原は「褒められた?」と小首を傾げながら、ソプラノのパートリーダーの後ろに回り込んで、パートリーダーの頬を人差し指でつつく。ふざけ始めている。弛緩した空気。練習の間、島先生が座っていたピアノの椅子は空いていて、その後ろに、一学年下の副指揮者が立ち止まる。副指揮者は、少し周りをうかがってから、ピアノの椅子の前に回り、ゆっくりと椅子に腰掛けた。それから、ピアノの譜面台を見て、指揮台の方を見て、俺たちの方を見る。

「何してるんだ、坂下」

 ベースのパートリーダーが、低いのに良く通る声を少し張り上げて、副指揮者に尋ねる。副指揮者は、驚いたのか少し肩を跳ねさせて、「ええと」とまごつき、口ごもる。どう言おうか迷っているのだろう、しばらく視線を宙にさまよわせてから、ふうと息を吐く。

「島先生は、何を見ながらピアノを弾いてはるんやろうと思って。確かめようと思いました」

 島先生が見ているもの。楽譜。指揮。歌い手の表情、身体の動き、息遣い。会場の空間。イメージ。

 水色のスモックを着た女の子がスキップしている。まだ半分眠っている意識の、眠っている半分側が見ている夢の中で、水色のスモックを着た女の子がスキップしているのを見ている。スモックを着た女の子は、自分より年上の女の子にスキップで近付いて、抱きついて、頭を撫でてもらっている。褒められているのだろう。優しく、温かく、だというのにどこか寂しい風景。島先生がピアノを弾きながら思い浮かべるのはこんなイメージなのだろうかと、またしても練習室に一人で取り残されたパート練習の最中に島先生に投げかけてみる。俺と島先生の手元には、Ubi Caritasの楽譜がある。さっきまで島先生と一緒に歌っていたのがひと段落して、この間の練習後の雑談を思い出した。

「答えなきゃいけないかな」

 棘がある、というわけでもなかった。声色が変わったわけでも、表情が変わったわけでもない。いつものように穏やかに、ピアノの前の椅子に腰掛けている島先生は、遠回しにはっきりと、俺が連想したイメージについて答えることを拒絶した。時々、島先生について俺たちの間で語られることを、ぴたりと思い出した。島先生は、俺たちとの間に一線を引いている。別にここの卒団生でもなく、教員であるわけでもなし、昔からの縁でずっとピアノを弾きにきている島先生なりの、合唱団との付き合いなのだろうと、みんな朧気に理解している。ただ、島先生のピアノは、当然、そんな距離を感じさせる音はしていないので、皆忘れている。ふとした拍子、例えば、打ち上げの誘いを断られたときだとか、練習終わりにいつも歌うハッピー・バースデーに関する質問をはぐらかされたときだとかに、思い出す。今もまた、そのふとした拍子だった。

 島先生は、軽くため息を吐いて、膝に下ろしていた手を鍵盤に乗せる。Ubi Caritasのメロディー、グレゴリオ聖歌の旋律が、淡々としたレガートで紡がれる。ピアノが途切れたのはきっとソプラノが歌い終えたという意味で、俺は、軽く息を吸って、ソプラノから引き継いだアルトのメロディーを歌う。またソプラノが加わり、一節目が終わり、ひと呼吸。二節目をユニゾンで歌い始め、ソプラノのメロディーに他のパートでハーモニーを重ねる。あるいは、他のパートのハーモニーの上にソプラノのメロディーが流れる。島先生は、やっぱり、絶妙にパートごとの音の大きさ、残し方を変えていて、誰かと歌っているのと遜色ないような心地さえする。

 黒パンと、山羊の乳と、葡萄酒。この曲のメロディーを、質素な食事を前にした祈りのように思う。歌う人数は増えても、食事の質素さは変わらない。フェスティバルのようだったPreludeとは異なる。この人の集まりは、日々の生活の中に組み込まれていたものだ。どこにでも神はいる、という共通認識が、素朴な信仰が、生きるための糧になっていた時代、地域、文化の中にあっただろう風景だ。厳しく切実な風景を美しいと思う。二人の女の子がいる風景を寂しいと思ったのと同じように、思う。

 そうあれかし。と、結びのフレーズを歌いながら、島先生の方を見る。島先生はやっぱり、ほんのりと笑みを浮かべながら、ピアノを弾いている。俺が最後の一音を伸ばし終えるのと同時に、島先生もピアノの鍵盤から手を離して、ほんの瞬間だけ練習室に残響が残る。島先生と目が合って、笑みを作り直される。それ以上の言葉もなく、島先生はUbi Caritasの譜面を譜面台から外す。それから、副指揮者の振る曲、夢の意味、の楽譜を譜面台の上に開いて、一曲目の冒頭、三連符を奏で出す。春を運ぶ馬車のような、芝生の上でスキップするような音色。もうきっと、島先生と二人でこうして歌うことはさせてもらえないのだろうと思った。

 下宿のライブラリの中から見つけたグレゴリオ聖歌のCDをかけながら、若草にそんな話しをする。若草は、時々相槌を打ちながら俺の話を聞いていたが、Ubi Caritasのイメージの話に及んだところで、まったく相槌がなくなった。机の上の楽譜の中から、Ubi Caritasが一番上に引きずり出され、若草の、夥しい書き込みがなされてほとんど真っ黒に塗り潰された楽譜が開かれる。俺が話し終えても、若草は相槌を打つでもなく、楽譜をじっと見ていたので、「聞いてるか」と声を掛け、背中を軽く殴る。

「痛え」

「なんだ、聞いてるじゃないか」

「聞いてるともよ。いいイメージだなと思って、どう伝えたもんかと悩んでた」

「パート練習でか。俺が混じれば解決じゃないか」

「それもそうか」

 じゃあもうずっとテナーのパート練習の方に身を寄せていれば良いと、そうなるだろうことを期待しながら提案したことを、若草はするりと引き受ける。きっと、俺の期待とは関係ない、若草なりの、テナーパートのリーダーとしての責任感の下での判断によるのだろう。やっぱりよっぽど、若草のやっていることの方が才能だと思う。

 島先生の、やさしく、軽やかなピアノの音を思い出す。三連符の心地よい揺れ。ハミングで、ピアノの音をトレースする。朗々としたグレゴリオ聖歌とは全く合わない。聞こえてくる音のちぐはぐさに気付いて笑いそうになるのをこらえて、ハミングを続ける。

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