引きこもりの先輩の話。

北蘂

優しい後輩。

雲ひとつない快晴。そう言えば聞こえは良いが、八月中旬の今日においては、気温のせいであまりありがたみがない。

普通この時期は、みんな実家に帰省したりなんなりするのだろうが、私はそうもいかない。なんたって、これから私にとって特別な客が来るのだ。決して暑いから外に出たくないとかそういう訳ではない。マジで。


と、誰に向けているでもない言い訳を一人で並べていると、一つ足音が近づいてくる。

足音がした方に目をやると、半袖の白いTシャツに黒いハーフパンツ、肩に保冷バッグをかけた背の高い青年が立っていた。


「おはようございます、先輩」

「おはよー、巴くん」


そう落ち着いた声で挨拶をする彼は、私の一個下の後輩にあたる水島巴くんである。

私は一人暮らしで、所謂、引きこもりというやつなのだが、そんな私にも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている優しい後輩だ。

まぁ世話とは言っても、少し家の掃除をしてもらい、その後は軽く世間話を聞くという大したものではないのだが。


「じゃあ、取り敢えず掃除だけしちゃいますね」

「ありがと」


巴くんは言うと、丁寧に雑巾で水拭きを初めてくれた。巴くんは身長が高いので、上の方までしっかり掃除してくれるからありがたい。こういう真面目で几帳面なところは出会った頃から変わっていないように思える。


そこでふと、巴くんとの出会いを思い出す。


巴くんと出会ったのは、私が高校二年生の学期終わりの大掃除の時間。

身長の低い私が、窓の上の方の掃除をどうやったものかと考えていたときに、丁度近くにいたのが巴くんだった。


『ちょっと君、手伝ってくれないかな?』

『僕、ですか?』

『そうそう!窓の上の方を拭いてくれるだけでいいからさ』

『い、良いですけど』


ちょっと困惑しながらも、丁寧にやってくれたっけなぁ。なんかそれが、面白くて、ちょっとからかってみようって思ったんだっけ。


『……終わりましたけど』

『うむ、感謝するぞ!……ということで、これを授けよう』

『なんですか、これ?……紙?』

『それは、お姉さんの連絡先だよ。気軽に連絡してくれたまえ!』


いま思えば結構ヤバい人だったんだなぁ、私。しかも、連絡が全然来なくて結局、自分から電話かけたんだったっけ。今思えば、よく嫌われなかったなぁ。


と、感傷に浸っているうちに、掃除が終わったらしく、巴くんが腰を下ろした。


「拭き掃除、懐かしいですね」


巴くんが小さく呟いた。きっと私と同じことを考えているのだろう。


好きな人と、同じことを考えている。


それだけで少し気持ちが浮わついてしまう。なんかちょっとバカっぽいな……。

少し恥ずかしがっている私とは対照的に、巴くんは遠くを優しい目で見つめている。そして、なにかを思い出したように、ゆっくり口を開いた。


「……先輩が引きこもりになってから、三年も経ったんですね」

「......そうだねぇ」


巴くんは感慨深そうに呟いた。言われてみれば、丁度夏休みくらいの時期だったなぁ、と他人事のように思い出す。

まあ今更そんなこと考えたところで、引きこもりからは抜け出せないんだけどね。

と、一人脳内で諦めの境地に達していると、巴くんは肩にかけていた保冷バッグから、缶の炭酸ジュースを二本取り出した。グレープ味のやつだ。


「先輩、これ好きでしたよね」

「おー、気が利くねぇ巴くん。ここ、結構暑くてさ」


巴くんは、プシュッと小気味良い音を立てて二本の缶を開けると、私の前に一つ置き、もう一本を置いた缶に軽くぶつけた。


「乾杯」

「かんぱーい」


相当喉が渇いていたのだろうか、巴くんは、十秒程度で全部飲み干してしまった。さすがに炭酸一気飲みはキツかったのか、目の端には少し涙が溜まっている。ただ、巴くんはあまりそれを気にしていないのか、そのまま立ち上がった。


涙が目尻に溜まった目で私を見つめたまま、徐にライターを取り出して、手元で火をつける――ただそれだけの動作で、彼がもうすぐ帰ってしまうんだな、と察して、勝手に少しもの寂しく思ってしまうのは、慣れというやつだろうか。

――彼は、どう思っているんだろうか。ふと、そう思って彼の顔を見つめてみる。


「また、来年も来ます」


私の目は、彼をしっかりと正面に捉えた。だが、そう言いながら、私のお墓の前に優しく線香を供え、手を合わせる彼の顔は、正面からだと線香の煙でよく見えなかった。

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引きこもりの先輩の話。 北蘂 @hikage_in

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