ずにんこ

めへ

ずにんこ

「ずにんこ」あるいは「ずりんこ」と呼ばれる粘土が、滋賀県の甲南では取れる。

子供たちはよく、手頃な大きさのずにんこを使って道路に絵を描いて遊んだものだった。

もちろん、今ではそんな遊びをする子供を見かける事は無い。




学校の帰り道、友人と別れて一人で歩いていた時の事、前方の路地からはしゃぎながら、数名の男子生徒が走り出てきて、俺のいる場所とは反対の方角に向かって去って行った。

制服を見るに同じ学校の生徒で、親しくはないがクラスメイトだった。

何となく想像はつくのだが、少し気になり彼らが出てきた先の路地を少し覗くと、壁にもたれこむようにして座る、同じ制服の男子生徒がいた。

制服や顔には泥のような汚れが目立ち、顔には殴られたような痣が見える。虚ろな目には怒りも悲しみも浮かんでいなかった。


その少年、山崎は悪い意味で少々有名である。悪い意味で、というのは別に不良少年という意味ではない。

山崎は不良少年ではない。ただ、学校でも地域でも浮いた存在だった。

彼の制服は、今のようにいじめられたりしていなくても、常に薄汚れていて悪臭を放っている。おそらく、洗濯されていないのだろう。

そして多分、風呂にも入っていない。山崎の、テキトーに自分で切ったであろう髪は常に脂が浮いており、肩にはフケが落ちている。

不潔で悪臭を放つ山崎は、女子生徒から嫌厭され、男子生徒の一部からはイジメの対象であった。


山崎の家庭事情についてもまた、誰が調べたのか知らぬがクラス中が知っている。

母子家庭であり、母親はたいてい家から一歩も出ない、何をやっているのかよく分からぬ人で、カタギらしからぬ若い男がしょっちゅう通って来ているという。


勉強できる環境に無いためだろう、山崎は成績が極端に悪く、かと言って体育が得意というわけでもない。

中学を卒業後、高校へ進学する事も叶わないだろうし、本人も既にそんな希望を持つ事すら諦めている風だった。


山崎の事を気の毒と思うが、しょせんは他人事である。俺は彼に手を差し伸べる事も、声をかける事も無く、そしてその事に罪悪感を欠片も感じる事無く日々を平穏に過ごしていた。




ある日、いつもの帰り道に山崎を見かけたのだが、彼は珍しく誰かと一緒だった。

イジメっ子に絡まれているのではなく、一人の少年と仲良さげに話している。

山崎に友達ができた、というのが驚きだった。


その少年は俺たちと同じくらいの歳に見えるが、制服を着ておらず、赤いTシャツに黄色の長ズボンという服装だった。

ひょっとしたら山崎と同じように学校でイジメに遭い、不登校になった生徒かもしれない。それで山崎と気が合うのだろうか。


山崎と少年はしゃがみ込んで、道路に何かを描いていた。少年が手にしている物は「ずにんこ」に違いない。

母さんから聞いた事がある。『母さんが子供の頃はね、ずにんこ、っていうのを使って道路に絵を描いて遊んでいたのよ』と。


随分と古風な遊びをするものだ、何を描いているのだろうと見ると、少年は円形をいくつも描いていた。そんなものを描いていて何が楽しいのか、山崎と少年は心底楽しそうに談笑しつつ、少年は描き、山崎はそれを見ていた。


やがて少年は地面にそっと指先を触れさせ、宙に上げた。それと同時に、沢山の円形も宙に舞い上がり、シャボン玉の様に漂い始める。


宙に舞う円形の一つが、呆然としていた俺の頭上に来て、覆い被さってきた。悲鳴をあげる間も無く、俺の目の前は闇一色。




ホームルームで、クラスメイトの一人が行方不明になったと報告され、生徒たちはどよめいた。これで五人目である。


「やっぱ山崎が怪しいって、行方不明になった奴らって皆、山崎の事をイジメてた奴じゃん。」


「そういや、あいつの所に通ってくるチンピラ、最近見なくなったって聞いたな。同じように消されたんじゃね?」


「いや、それは単にあいつの母ちゃんに飽きたんだろ、その男が。」


「でもさ、今回行方不明になった佐藤君て、山崎と全然関り無かったよね?」


「確かに…何か怖いな、今度は俺の番?とか考えちまう。」




学校が終わると、山崎はいつもの場所へ行った。そこにはいつものように、少年がいてずにんこで道路に絵を描いている。

山崎に気付くと、少年は笑顔で手を振った。

山崎は少年の名前を知らない。知らなくても、何とかなっていた。


「あれ?今日は円形じゃないんだね。」


少年の描く絵を見た山崎は、そう言った。今日、少年は道路いっぱいに、大きな長方形を描いている。

描き終えた少年は、人差し指をそっと描いた絵に擦り付け、宙に上げた。同時に長方形の絵も宙に舞い上がる。長方形は空飛ぶ絨毯のようにフワフワと浮いていた。


少年はその絨毯に飛び乗ると、山崎の方へ手を差し伸べた。山崎は迷わずその手を取り、一緒にその絨毯に飛び乗った。

絨毯は空高く舞い上がり、しばらく辺りをくるくる回っていたが、やがてどこかへ飛んでいき見えなくなった。




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