スマホは忘れない

芽春

記憶、記録

「心因性の記憶喪失……か」


 俺は病院のベットで、先程医者から言われた内容を反芻はんすうしていた。確かに入院前の記憶を思いだそうとしても、本来数年前であるはずの大学の入学式からその前の事しか思い出せない。

 そして、そんな俺の手には一つのスマートフォンが握られている。

たぶん、俺の持ち物だったのだろうそれを起動してみた。

ブブッ。と、バイブ音を鳴らし、スマホは画面を表示した。

起動してみて初めて見えたが、スマホの液晶には細かいヒビが幾つも入っている。俺は物を雑に扱う人間だったのだろうか……

 暇を潰そうと動画アプリのアイコンをタップする。

数秒でログインかアカウント作成を選ぶように促す画面がうつった。


「パスワード……」


……思い出せない。

設定アプリにパスワードが保存されていないか確認してみよう。


「……? 」


どういう訳か、パスワードは保存されていなかった。

他の、Web小説サイトのパスワードなどは保存されているのに、

肝心の動画アプリのパスワードだけ存在していない。


「アカウントは持ってたはずなのに……」


記憶を失う前の俺はわざわざ動画アプリ用のパスワードだけを削除したということか? 不可解な行動だ……


「俺は……」


俺は何故記憶を失ったのだろうか。思い出せない……何も。


「あっ。そうだ」


そういえば、俺はスマホのカメラを良く使っていた。

大学に入ってからも変わっていないなら、記憶が存在しない期間の写真や動画が残っているかもしれない。それを見れば何か思い出すきっかけになるのでは?

そう考えた俺は写真アプリを立ち上げる。

……考え通り、俺が思い出せない2020年春〜2023年夏までの記録が残っていた。


「一番古いところから辿ってみるか……」


一番最初に目に付いたのは知らない青年とのツーショット写真。

スーツを着ているし、大学の入学式で仲良くなった人なのかな?


「うーん……」


その次は大量の猫の写真と動画。

猫カフェに遊びに行った時の記録のようで、少し癒された。


「……今の所記憶を失うような様子が無いな」


記録に残っているのは平和そのものな大学生活を送っている俺の姿ばかりで、

ここから何が起きれば記憶を失うような体験をするのか見当がつかない。

……そう思った時だった。


「はいどーも皆さんこんばんはー! ガチ怖チャンネルの■■でーす! 」

「……なんだこれ」


その動画内の俺はまるで動画投稿者のように声高く挨拶していた。

動画の内容は地元で噂の心霊スポットを巡るというもので、編集はされていないが、ありきたりなホラー動画という風に見える。


「……」


動画アプリで検索をかけてみるが、動画内の俺が名乗っていたチャンネルは発見出来なかった。でも投稿もしないのにわざわざこんな動画を撮る訳無いしなぁ。


「はいどーもガチ怖チャンネルです。いやーこのチャンネルも登録者そろそろ登録者一万人という事でね。特別企画を考えてるのでお楽しみに」


それからもポツポツと動画は撮られていて、チャンネルの運営はなかなか順調だったようだ。


「……これが最後なのか」


いつの間にかスマホに残されている最後の動画に辿りついていた。

これ以降の、今が九月だから……八月には何も記録が残されていない。


俺はその7月31日の最後の動画を再生した。


「はいどーもガチ怖チャンネルです。登録者も一万人突破したという事でね、今日は特別企画です。今私は関東で最もヤバいと言われてる■■山の廃ホテルに来ています。今日はね、ここで最近話題の降霊術を試してみようという企画です。

はたして本当に幽霊は現れるんでしょうか?」


……あれ、なんだろう。

頭の奥がうっすらと痛む、何か今までにない既視感が……


「えーっと呪文も唱え終わったので、後はどこか適当な部屋に隠れてロウソクを灯せば幽霊が現れるはずなのですが……」


そ、そうだ! 思い出したぞ! 俺はこの記念動画を撮って、それで……?


俺がロウソクを灯した場面で動画の記録は終わっていた。

もう少しで何があったかわかるはずなのに……


「……え?」


なぜか、先程までは無かったはずの動画ファイルが一つ追加されている。

サムネイルは真っ黒で動画の内容は推測出来ないが、記念動画の直後に撮られたもののようだ。


「……」


震える指で動画ファイルを再生する。


「ハアッ……ハアッ……! 」


動画の中の俺は息を切らして山を駆けていた。

必死に動く俺の足が暗闇にまぎれている。


「クソッ! なんだよあれ……! 」


俺は何かから逃げていた。


「あっ! 」


俺は歓喜の声を挙げる。動いていた画面が一瞬だけ止まり、画面には

愛車である軽自動車の明かりがうつった。

少しの間が空いて、車のドアの開閉音がし、スマホは録画されたまま伏せられ、

音声だけが響くようになる。


「あれ? おい嘘だろ? かかってくれよ……! 」


ガチャガチャ音と俺の声が車の中に響いていた。すると。


「コンコン」


窓をノックする音が突如として響く。

動画の俺と現実の俺が同時に息を飲んだ。

しばらく無音が続き、やがて得体のしれない息遣いが聞こえてきた。

間違いなく、車の傍に何かがいる。


「……あっ」


動画の俺が間の抜けた声を挙げて、動画は終了した。


「……」


嫌な汗が全身から滲んでいる……。

そう、俺はあの時、あの時アレを見て気を失って……


「コンコン」


聞き覚えのあるノック音が窓から聞こえた。

スマホに目をやるが、何も再生されていない。


「コンコン」


もう一度ノック音が響く。

……この病室は四階なのだ。

ノック音なんて聞こえていいはずが無い。

い、嫌だ……あんな恐ろしいもの思い出さ無ければよかった……

もう見たくない……どうしよう、どうしよう。


「そ、そうだ……こんな記録……」


俺は動画ファイルをタップし、削除ボタンに手を伸ばした。

…………動画は消えた。これでもう俺がアレを見た証拠は無い。

後は、俺の記憶さえ無くなってしまえば……。

アレを見るまいと、俺は布団を頭から被り、

やがて気絶するように眠りに落ちて……



「心因性の記憶喪失……か」


 俺は病院のベットで、先程医者から言われた内容を反芻はんすうしていた。確かに入院前の記憶を思いだそうとしても、本来数年前であるはずの大学の入学式からその前の事しか思い出せない。

 そして、そんな俺の手には一つのスマートフォンが握られている。

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