公園の桜はまさに見頃を迎えていた。

 やわらかくそよぐ風にちらりちらりと花びらを散らし、その下の芝生やベンチでたくさんの猫たちが思いおもいに寛ぐ姿がある。

 もちろん人間の姿もある。

 男性も女性もいた。

 彼らは互いに意識しながらも知らないふりを装っているように見えた。

 少なくとも雑貨店のご主人のように物理学と生物学を持ち出してこの奇妙な世界を説明して回っている人間はいないようだった。

 

 そうか。

 彼らには彼らなりの事情があるんだろう。

 別に騒ぎ立てるほどのことはない個人的な事情が。


 僕たちはそばを流れる川面を見渡せる土手に陣取ってレジャーシートを敷いた。

 そこは頭上に迫り出した枝ぶりが上手く陽光を遮り、川面からは時折爽やかな風がふわりと吹き抜けるなかなかに良いロケーションだった。

 妻も気に入った様子でゴロゴロと喉を鳴らしている。

 

 河原で数匹の仔猫たちが戯れあっていた。

 とはいえ仔猫といっても大型犬くらいの大きさがある。

 不可思議な光景だが慣れというのはたいしたもので、僕はそれを落ち着いて眺めながらプルタブに指を掛けた。

 

「本当に飲んじゃうの」

「うん」

「まだお昼だにゃ」

「いいんだよ。お花見だからね」


 炭酸が弾ける小気味の良い音がして、白い泡がわずかに姿を見せた。

 すると妻はクスクスと笑う。


「まあ、いっか。お花見だもんね」


 頷いた僕は一息に缶ビールを半分ほど飲み干し、それからやや控えめにゲップをした。


「にゃだ。止めてよ、もう」


 耳を伏せ、肉球で僕の背中を軽く叩いた妻に僕は打ち明ける。


「忘れてたよ」

「にゃにを?」


 僕はふふんと笑ってみせる。


「まあ、いっか、をだよ」


 三毛猫の彼女は変な顔つきになり、後ろ足で片耳を掻いた。


 そのとき妻が猫になってしまった理由が唐突に分かった気がした。


 いくら合わせても僕が妻と同じ人間になれる訳じゃない。

 お互いの価値観を尊重し合うことは大切だけど、全てを合わせることなんて所詮は不可能なんだ。

 今だってそうさ。

 いくら頑張ってみても僕は妻と同じ猫になんてなれない。


 どこかから雲雀の鳴き声が聞こえてきた。

 僕はビールをもうひと口飲んで空を見上げ、この世界もなかなか悪くないと軽く微笑んだ。

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その日、妻が猫になった理由 那智 風太郎 @edage1999

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