雑貨店を後にした僕たちは公園の手前にあるコンビニに寄った。

 初夏のような陽気で首筋にうっすらと汗をかいた僕はせっかくの花見ならビールでもと思い立ち、冷蔵庫のガラス扉の前に立った。

 するとすぐに横からペットボトルのお茶と猫の手がヌッと突き出てくる。


「飲み物はこれでいいかにゃ」


 頷きかけた僕の脳裏にふと新婚の頃からずっと続いている忸怩たる思いが浮き上がった。


 僕たちはお互いに一目惚れで、出会って半年でゴールインというスピード婚だった。

 だから彼女のことについて一緒に暮らすまで知らなかったこともたくさんあった。


 たとえば僕と違って朝食は洋食派、麺類は蕎麦よりもうどんが好きなところ。

 たとえば僕と違って洋画よりもどちらかというと邦画やアニメが好きなところ。

 またほとんどシャワーで済ませる僕と違ってお風呂は半身浴で長風呂なところ。


 本当は嫌だった。

 朝は白いご飯に納豆と味噌汁が良かった。

 ミッションインポッシブルを一緒に映画館で楽しみたかった。

 健康のためにと温いお湯に三十分浸かることを強要する彼女に辟易した。


 けれど僕はその一切を我慢して彼女に合わせていた。

 

 それは生活習慣や価値観の違いが夫婦が不仲になる最大の理由だと知っていたから。


 付き合った時間が短いほど、離婚率はそれに反比例するように高くなる聞いたことがある。

 僕はそんな統計通りに自分たちの結婚を失敗に終わらせたくなかった。

 だから僕は出来るだけ自分の価値観を胸に押し留めて彼女に従順になろうとした。


 夜更かしを止めて、休日も朝はできるだけ早く起きるようにした。 

 家事は分担して、ほとんど経験がなかった料理も練習してそれなりのものが作れるようになった。

 彼女も仕事をしているし、それは当然のことだったけれど、いつの頃からだろう。

 いつも彼女の言いなりになっている自分に僕はそこはかとない苛立ちと不安を感じるようになっていた。


 僕は……、本当の僕はこんなじゃなかった。

 もっと自由で気儘で、心の底からいろいろなことを楽しめる人間だったはず。

 本来の僕はどこに行ってしまったんだろう。

 隠した場所がどこだったか忘れてしまっただけだろうか。

 オセロで黒が白に変わるように裏返っただけなのだろうか。

 それとももう水溜りが蒸発してしまうように跡形もなく消え去ってしまったのだろうか。


 僕はほとんど無意識のうちにガラス扉を開けていた。

 そして缶ビールを二本取り出して彼女に差し向ける。


「ねえ、キミも飲まない」


 彼女は立てた耳をプルプルと震わせてかぶりを振ったけれど、僕がショッピングバスケットにそれを入れても文句は言わなかった。

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