第7話 終演 ――8:01 p.m.



 ………???な……何だ?一体何が起こっている???


 ありえない。おかしすぎる。バカげている。そんな眼前の現実を否定する言葉が、立て続けにならんでしまう。それを自分自身に言い聞かせる為か、つい数秒前と同じように、思わず今眼前で起きている事をありのまま小さく口に出してしまった。


。」


 ……何を言ってるのかわからねーと思うが、俺も今言った自身の科白を理解できない。変な言い方だが、頭が徐々にイカれていくのを肌で感じる。恋愛未経験のまま死ぬとか飛行機が迫ってくるとかそんなチャチなものじゃ断じてねぇ。もっと奇天烈なモノの片鱗に、俺は今さらされてしまっているようだ。


「なっ……な、な……???」

「『何してるんだお前。』でしょ?」


 その夜色の長髪を遠心力の働くままに振り回して、くるくると片足爪先立ちでスピンを続けながら、草華は普通に会話しているかのように続ける。


「ん〜、これもさっきみたいにまた表現が難しいんだけど……、たった数秒前までさ、私、あのセンスの欠片もない花火に超ムカついてたワケ。まぁ今もなんだけど。」

「はぁ……?」


 成程、確かにその刺々しい言葉一つ一つからは、草華の怒りや無念が嫌という程感じ取れる。だがそれだけでは当然踊っていい理由にはならない。花火の閃光から目を隠すように見せかけて、情けなく潤んだ瞳を自身の腕で隠しながら、そのまま押し黙って草華の釈明を聞く。


「でさ、そんな時に、突然思い出しちゃったんだ。『気持ちよくなりたいんだろ?』ってあの貴方の下品な科白を。だから、踊って気持ちよくなりたいと思った。全部笑って、貴方の言うハッピーに変換してやろうと思った。……今私、何かおかしな事でも言ったかしら?」


 いやそうはならんやろ、と身を乗り出してツッコもうとしている自分をすんでのところ所でどうにか押し止める。一見、その科白には論理の破綻しか含まれていないようにしか聞こえない。だが草華は頭が良い。何か俺には一発で理解できない難しい事を考えているのかもしれない。頭ごなしに否定したままでは埒が明かないで、俺は今の草華の科白を一度整理してみる事に決めた。


 出力結果はこんな感じ。


 楽しみにしていた花火がつまらなかった

 →だからキレた

 →でもそれだと自分が楽しめなくなる

 →だからダンスを踊った


 ……凄いな。論理の破綻等微塵も存在しない、寧ろ論理展開の究極とも言える単純な因果関係図が頭の中に浮かび上がる。やはり草華は頭がいいらしい。


「でさ……、どうせ知らないだろうから教えてあげるけど、今私が踊ってたこれ、クイックステップって言うのよ。」


 俺が草華の真意を読み解いている間に、いつの間にか、草華は動きを止めて、じっとこちらを覗き込んでいた。改めて草華の顔を正面からまじまじと見てしまったせいか、一瞬、心が大きく揺らぐ。


「社交ダンスってさ、二人で一緒に踊るものなんだけど……。」


 その瞬間、今度は爆速で、俺は草華が言わんとしている事を理解出来た。賢い草華はそれを容易に察してくれたのだろう。不要な説明なんてつけずに、ただニッと花火よりも眩しい笑顔を浮かべて。


 カッコつけながら、ヤツは誘いやがった。


「Shall we dance?」


 ——その言葉を以て、俺達の人生の最後のハイライトが、光散々に幕を開けた。




 花火煌めく月夜の照明のもと、展望台というステージの上で、二匹の人外が踊る。


 一方は化け物。もう一方は悪魔。互いに手を取り合い足を引っ張り合い、不規則な花火の音のリズムに合わせて、呆れる程下手に、されど愉快に舞っている。


 ふと、化け物は思った。


 きっとこの街の何処かで、自分には才能があると思い込んでいる詩人気取りの奴が窓辺でこう耽っているのだろう。『人類最後の花火が、我々の文明の結晶たる街々の上で光り輝く。あれは、我々哀れな人類に捧げられた、残酷にしてかくも慈悲深い、神様からの一足早い弔花なのだ。』云々。


 違うね。あれはテメぇら猿共なんかに捧げられた物じゃない。あれは俺達二人だけ、人間でない何かに贈られた盛大な祝花なのさ。誰にも幸せを願われず、誰にも祝福されなかった俺らへの、皮肉の利いた神様からの壮大な贈り物。残念だったな、人間共。勘違いしたまま死んで行け。


 ――今、人間を除いた全ての森羅万象が、彼らを惜しみなく祝福していた。不揃いな花火達も、真ん丸のお月様も、ちっこい虫も、それから無機質な展望台でさえも。二人の喜びと興奮が彼らの目に映るもの全てを包み込んで、融かして、一体にしていた。


化け物は人生で初めて、心の底から満足していた。なぜって、とても楽しかったから。悪魔も、同様に満ち足りていた。なぜって、世界が終わるその時まで、自分の事を世界で一番大切に想ってくれる人と、一緒に過ごす事が出来ていたから。


 やがて、天まで届く炎の壁が化け物と悪魔の視界に入り込み始め、花火と黒い夜をこの世から掻き消してしまった時、少し怯えた彼女に向かって、彼は笑って言った。


 これでいい。最低で最悪な俺達には、これくらいが丁度いい。


 高尚な表現に、高邁な倫理観、そして、純粋で透明感のある青春。そのどれもが、年齢不相応に大人びてしまった俺達には過ぎたものだった。だから俺達はあえて――、


 ハッピーHappyで埋め尽くして、レストインピースR.I.Pまでいこう。


 そうすればきっと、神様は俺ら二人を仲良く地獄に落としてくれる。その時はまた今みたいに、互いの足を引っ張り合いながら、一緒に踊ろうぜ。


 ――一瞬の逡巡の後、化け物と悪魔は奇跡的にほぼ同じタイミングで、ある一つのとても大切な事を思い出した。それは恋人の証。来世でも一緒に想い人と過ごす為に神様へ見せつける、神聖で重要な儀式。


 化け物と悪魔は、この時初めてようやくキスをした。初めてのキスは、恐らくさっき食べた焼きそば由来の、少し塩っぱい味がした。



 そうして、二人は踊り続けた。目に映るもの全てが、真っ白な光に塗りつぶされてしまうまで。

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Bad dancers Zenak @zenaku

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