まちかどい ~街角医~
@sasamochiyoshiji
第1話
ぎゅうっ…という柔らかな感触と共に、神州由佳(かみす ゆか)は、自分を抱き止めた女性と見つめ合った。
お互いの顔が近づく。
眼前の女性の瞳に吸い込まれるような感覚。
そのまま2人の唇が、重なる―
「…わあっっったああぁあ!」
―ことは無く、女性の奇妙な叫び声と共に由佳たちは街路に倒れこみ、女性は由佳の下敷きになってしまった。
「痛ったたたあ…」
二人は目を回しつつも、体を起こす。
「ごごご、ごめんなさ…」
由佳が慌てて口を開きかけた、その時。
鐘の音が響いた。
倒れこんだ由佳たちの眼前。この街の象徴として有名な「時計台」が、朝を告げる鐘を鳴らしている。
鐘の音が響く中、由佳は女性に馬乗りになったまま、女性も上半身を起こしつつそのまま、自分たちのすぐ真横にたたずむ「時計台」をみつめ、そこから視線をゆっくりと時計台から互いの顔に向け、見つめ合った。
鐘の音が終わった。
「ケガ!」
「え」
「ケガ、ない!?」
「あ…、だ、大丈夫です」
「服とか、濡れちゃってない?」
「は、はい」
「よかったあ!」
由佳と女性は、ゆっくりと立ち上がった。
雪深いこの街では、春でもまだそこかしこに積雪の塊が残り、水たまりもできている。そんな路面に、由佳の下敷きになるよう倒れたため、女性の衣服やバッグ、さらに髪までが、べちゃべちゃに濡れてしまっていた。
「ああ、ご、ごめんなさい!大丈夫でしたか!?」
「なんも、なんも!あたしも無事。ケガしなくてよかった」
女性は近くに落ちた自分のバッグを拾って、肩に掛けた。
「あわわ、こんなになっちゃって…。どどどうしよう」
由佳は慌ててハンカチを取り出し、女性の腕や顔を拭く。
「そうだ!近くのガソリンスタンドならボディ全体をウォッシュできるかも…」
「えぇ…あたしは車かな?」
あたふたと不思議な事を言う由佳に女性はツッコミを入れつつも、にっこりと笑った。
「おいで」
「あ…」
女性は由佳の手を取ると、『時計台』の敷地を囲む、背の低い塀に座るよう促した。
「髪、乱れちゃったから」
取り出したヘアブラシで、由佳の黒髪のショートボブを整える。
「……」
由佳はほんのしばらくの間、身を任せた。
「よしっ、いい感じ」
「あ…ありがとうございます」
「ううん!それはそうと…」
由佳の謝礼に女性は笑顔を向けながらも、両膝に手をついて立ち、身長150㎝の由佳の顔を少し下から見上げ。
「お嬢ちゃん、ひとり?おうちのかたは?」
小首を傾げてあやすように問いかけながら、両手を取ってきた。
「なっ」
「朝早いけど、学校に行くところかな?」
由佳はぴょん、と塀から立ち上がると、必死に抗議した。
「わわ、私は成人です!」
「えっ」
「今も、出勤途中だったんですよ!」
「ええ!?じゃあ、どうして…」
女性は由佳の背後の木を指さし。
「木に登っていたの?」
と聞いた。
「うぐ…」
由佳は、時計台の前に林立する街路樹のひとつに、よじ登ろうとしていた。
そしてバランスを崩して落ちかけたところを女性に受け止められた、という顛末だった。
「そ、それは…」
「うん?」
由佳は、自分が登ろうとしていた木の枝を指さした。
「あのプラタナスの木に、お花が咲いてたんです」
「うんうん」
「咲いてる場所が高くて、でも何とか近くで、写真を撮りたいなって思って…」
「そうだったの。でもそれ、端末で拡大とかして撮れば…?」
「あ…」
2人の間に、奇妙な空気。
「ふっふーん!私のお仕事を聞いたら、ちょっとだけびっくりするかもしれませんよ!?」
「あれ、お花の話は?」
頬を膨らませて胸を張る由佳に、女性がまたもツッコミを入れた時。
「あー!」
由佳は女性の背後を見て叫ぶ。
バス停から、バスが発車しかけるところだ。
「乗ります、乗りますー!」
大急ぎでバスに向かって走る由佳の後姿を、女性は見送った。
「痛ったた…」
実際には由佳を受け止めた拍子にヒールが折れ、脚にも擦り傷ができてしまっていた。その痛みに顔をしかめながらも、由佳がどうにか乗り込めて走り出したバスを見ながら、女性は微笑んだ。
「あはは。不思議な子…じゃなくて、不思議なかた」
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由佳はバスを降りると、ため息をついた。
「あの方のお名前、聞き忘れちゃった…」
迷惑をかけたとは思いつつも、幸い向こうにもケガはなかったようだし、どうしようもないと気持ちを切り替える。
しばらく歩いて病院に入ると、いつも通り、だんだんと心が冷え切ってくるのを感じる。
すれちがう人たちに形ばかりのあいさつをすると、ロッカールームで手早く着替えた。
ショート・タイプの女性用ドクターコートを羽織り、手に取った自分の名札を、ふと見つめる。
≪S市 市立八島区市民病院 総合診療科≫
< 医師 神州由佳>
「いつまで居ようかなあ。この職場に…ていうか、この街に」
由佳は、ため息をついて呟いた。
いつも通りの、午前の診療を始めたが。
ある患者は。
「最近はどうですか、角田(かくた)さん」
「…何度も言ってますが、僕は角田(つのだ)ですよ」
また、他の患者に対しては。
「うーん…。ちょっとわからないですね。他の科を受診してみてください」
「えっ、どこの科に行けば良いですか?」
「それはご自分の体調を考えて、良いと思うところを受診してください」
「えぇ…!?」
次の患者は、母親に付き添われた、先天的な身体的障がいを持つ少女だった。
「狸小路さん、最近はいかがですか」
患者である娘が、笑顔で答える。
「そこそこ、調子いいです」
母親も笑みを浮かべて話す。
「お陰様でこの子…麗央(れお)ったら、創作ダンスサークルの活動にすっかりはまっちゃって」
「先生、ひだまり森林公園の『花咲祭り』しってるでしょ?今年の『花巫女舞』ね、私たちのチーム『セルフィッシュ』がやるんだよ。私はダンサーじゃないけど、振り付けは私が考えたの」
「お母さん、娘さんの今後の処方ですが…」
「巫女のなり手がなかなか見つからなくって、困ってるの」
しかし由佳は、母親に話し続けた。
「…ちょっと、先生!」
ついに母親が怒り出した。
「さっきから!聞いてれば!なんで娘本人じゃなく、あたしに話し続けるのっ!ムキー!!」
「!…ご、ご意見は、事務の受付係にまでおっしゃってくださいっ!」
腕を振り回して怒りを表明する母親に、そう言うのがやっとだった。
待合室に戻ってきた患者の母娘に、知り合いの患者たちが声をかける。
「…狸小路さん、言ったみたいだね。あの神州先生、ほんと評判悪いよ」
「若いのに、明らかにやる気ないよね。何考えてるのかわかんないというか…」
「容姿のことを言うのは失礼だけど、子どもみたいで見るからに頼りないし」
「いやいや、私も大人げなかったよ。けどねえ…」
壁に掲げられている「病院の理念」が、止め鋲が1つ抜け落ちて、垂直に傾く。
『病院理念 ~地域に寄り添い 市民の想いに応える~』と銘打たれた額縁が、弾みで揺れていた。
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病院職員も、昼休憩の時間となった。
由佳は、この時間が苦手だった。
病院スタッフの食堂は、複数人での使用を想定した大きなテーブルしかなく、一人で食事するとどうしても目立ってしまう。
また、古いこの病院には院長や医局長はともかく、いち勤務医の個室は無い。
そのため、片手で持てるものを適当に食べながら、なんとなく各所をうろつくのが常だった。
今日は、どこに行ったらよいだろうか。
ロッカールームは女性スタッフのおしゃべりの場となっているので、選択肢には入っていない。
テラスに行ってみた。
ここなら時間をつぶせるかな…と思った矢先。
「お前、『ひだまり』の娘さん先生、もう見た?」
「え、誰?」
若い男性コメディカルたちの、騒がしい話し声が聞こえてきた。
「さっき会えてねえの?惜しいことしたな」
「『ひだまり』って、『ひだまり森林公園ハートクリニック』の事?」
「そうそう!うちの病院の近くの、家族でやってるクリニック、あるだろ」
「確か院長の高天先生と息子さんと、…そういえば娘さんもドクターで、関東の病院に勤めてるんだっけ」
「それがさ。その娘さんが最近この街に戻ってきて、これからは実家の『ひだまり』に勤務するらしいんだよ。んで、さっき、うちらの部署に挨拶に来られたんだけどさ。…いやぁビビったわ」
「何が?」
「すっ…げぇ可愛いんだよ!」
「へえ…」
「いやホント誇張なしで、俳優とかアイドルのレベルなんよ!」
「そうなん?」
「あーあ…あんな人がうちの病院にも居てくれりゃ、もっと仕事もやる気になるんだけどな!」
「はは、おいおい」
「この後の医師会定例会にも出席されるって言ってたから、お目にかかれるかもよ!」
「ほー…そうなんだ」
騒がしくて、長くいられそうにない。
由佳は、ため息をついてその場を後にした。
講堂に、入院患者やスタッフの何人かが入っていくのが見えた。
この部屋は市民向けの公開講座などでも用いられており、今日は入り口前に『ランチョンお説法 第10回 ~織円寺:星置和尚~ どなたでもお気軽にお入りください』と示されている。
由佳も、なんとは無しに入ってみた。
お説法は、まだ始まっていないようだ。
「おう、神州先生。お疲れ」
後ろの方の座席に、由佳の同僚である、整形外科の扶桑貴教(ふそう たかのり)医師が座っていた。
「あ、扶桑先生。お疲れ様、です…」
貴教は笑顔で自分の隣の椅子を引き、隣に座るようごく自然に促した。
由佳は隣に座りながら、その大きな手に目を引き寄せられ、その感覚を打ち消すように尋ねた。
「扶桑先生は、仏教とかお詳しいんですか?」
「いいや、全然」
貴教は笑って、首を横に振る。
「聴いている人たちの中に担当患者がいてね。こっそり、様子を見に来た」
「どの方ですか」
「あの車椅子の女の子だよ」
貴教が示す先。聴講席の前側に、看護師に付き添われた車椅子の少女がいた。高校生くらいだろうか。後ろの席からその顔は見えないが、うつむいて微動だにしない。
なにより、その少女は。
ここから見えるだけでも、右肘から先が。そして恐らく、両脚が欠損していた。
「あの子…」
「ああ。負傷の経過が経過なだけに、色んな意味で心配な子でね」
「経過?」
「ん。というのも…」
貴教が口を開きかけた時。
「いやあ、すみません!遅れました!」
剃頭の男性が入ってきた。
「お寺の近くで開催するお祭りの準備をしていたら時間を忘れてしまっていて、ごめんなさい。…あ、初めましての方もいらっしゃるか。ひだまり森林公園の近くにある『織円寺』の住職をしております、星置沙慈(ほしおき さじ)と申します」
星置和尚は頭を剃ってはいるものの、いかにもお坊さんが着ていそうな僧衣ではなく、セミフォーマルなジャケットにスリムパンツというごく一般的な身なりだった。壮年期前半くらいとは思うが身体も引き締まっており、一見するとカジュアルスタイルなビジネスパーソンにすら見えた。
「春ですねえ。ウチの近くのひだまり森林公園も、暖かい日差しがたくさんのひだまりをつくって、きらきら輝いてるんですよ。ま、輝き具合は私のアタマには負けますけどね!」
…もしここが漫画の世界だったなら、きっと室内全員の頭上に大きな「汗」のマークが浮かんでいるだろう。
何人かがお情けで発した、乾いた笑い声が響いた。
「…わ、笑ってくださった方、アリガトウゴザイマス…。え、えーと、コホン!では!気を取り直して…。今日は、この言葉についてお話しましょう」
星置和尚は、ホワイトボードに『自灯明(じとうみょう)』という漢字を書きながら、続ける。
「これは、お釈迦さまが亡くなられる少し前に、弟子たちに説いた言葉だと伝えられています」
由佳は、ふと講堂の窓に目をやった。窓の外にハルニレの木々が見える。
「その意味するところは、漢字の通り自分の明かりを灯して生きていく事。他の誰か、とか何か…ではなく『自分自身を拠り所として生きなさい』という意味だと。そのように伝えられているんですね」
春の陽射しを受ける木々の葉が明るい緑色になるには、もう少しかかりそうだ。
「でも、この話をするとしょっちゅう聞かれました。『だから、その自分を拠り所にする、ってどういう意味なんですか?』ってね。無理もない疑問です。そこで、私のかみ砕いた解釈を、お伝えしましょう」
和尚は笑みを消し、姿勢を正した。やおら、その場が改まった雰囲気になる。
「皆さんは当然、色々なご病気やケガを抱え、ここにいらっしゃると思います。これからの話はもしかしたら、悲しさや怒りの気持ちを持たせてしまうかもしれません。それを覚悟でお伝えします。…前置きが長くて、ごめんなさいね」
由佳は、自分がいつのまにか横髪をいじっていることに気づいた。
「『自灯明』とは。『辛さを抱えていても。思い通りの人生でなくても。今ここから、周りに幸せを与える強さと、それによってあなた自身が幸せになる力は、確かに貴方の内に有る。そのことに気づきなさい』。そういう意味だと考えています」
星置和尚は、笑顔になった。
「時に怒ったって泣いたって、怖がったって良いんです。必要なら思いっきり助けを求めましょう。でも同時に、誰の内にも有る強さと力を忘れないでほしい。私は『自灯明』という言葉を、そのように解釈しています」
和尚が案じたような激しく反応する人はおらず、軽くうなずく人も、深くうなずき続ける人も、逆に首をかしげる人もいた。
貴教の担当患者だという車椅子の少女も、顔をかすかに上げたがすぐに伏せた。その表情は、もちろん由佳と貴教からは見えなかった。
「もちろん私自身も精進して、自分の内に有る灯を輝かせるようにします。…あと、アタマも!」
「いや和尚、もういいっつーの!」
誰かのツッコミを契機に、講堂内が笑いに包まれた。
「ツッコミ、助かりました!ありがとうございます!」
星置和尚も、ペコペコしながら笑っている。
「…この後の医師会定例会だけど」
貴教が、自分の腕時計を見つつ由佳に小声で話してきた。
「俺、院長に細々(こまごま)した報告があるから先に行くよ。年度始めは、雑事が増えるよな」
「あ、はい…」
彼は笑いながら、そっと席を立って退室していった。
貴教に少し遅れて入った、医師会定例会の会場である会議室は、いつもと違い妙に浮き浮きした雰囲気だった。
「…おお!神州先生、お待ちしていたよ」
「お待たせして、すみません」
自分を待っていた?まだ開始時間ギリギリというわけではないはずだけど…。
その表現にふと引っかかるものを感じながらも由佳は病院長に応え、席に着こうとして気づいた。
室内の一角に、人だかりができている。
「今日は新たな参加者がいらっしゃるんだ。なんと、かの『ひだまり森林公園ハートクリニック』高天院長の、ご令嬢だよ」
見慣れた会議参加者のメンバーが取り巻いている中から、声が聞こえた。
「みなさま、すみません!いま来られた方に、ご挨拶させてください」
先ほどコメディカルたちが話していたのはこの先生か、と考えて由佳は気づいた。
この快活な声。つい最近、どこかで聞いたような。
名刺交換をしている面々が、避けた。
「申し遅れました!はじめまして、高天と申しま…」
「えっ」
「あ!」
姿が見えた、高天院長のご令嬢は。
今朝の女性だった。
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「おや、二人は知り合いかね?」
「いいえ。ただ、今朝早くに久しぶりの故郷を見て回っていましたら、たまたまお見かけしたのです。こちらにお勤めの方だったとは、驚きました」
院長に答えながら、今朝の女性は由佳に名刺を差し出す。
「初めまして…ではないかな?でも、改めて。『ひだまり』の高天玲奈(たかま れいな)と申します。専門は循環器内科。父や兄が、いつもお世話になっております」
「は、はい…。神州と申します。よろしくお願いします…」
名刺交換しながら、玲奈の笑顔に、由佳は先ほどのコメディカルたちの話を思い出した。
今朝の慌てた状況では、相貌をきちんと見てなどいなかったけれど。
なるほど、たしかに同性の由佳から見ても、彼女の容姿を例えるなら。
『女優が医療ドラマのロケーションのため、女医に扮してウチの病院に来ているのだ』と説明されても、信じてしまうだろう。
勝気さと可愛らしさを兼ね備えた、大きな二重の眼。形良い、顔の輪郭。流れるような、明るい亜麻色のセミロング。
女性陣の呆れた目をものともせず男医たちが色めき立つのも、無理はないと素直に思ってしまう。
由佳はふと、貴教に気付いた。
彼だけは他の男どもと違い、静かに苦笑していた。
ふいに彼は由佳の視線に気づき目を合わせると、眉を上げ、挙手して言った。
「院長。たけなわですが、そろそろ会議を始めましょうか」
軽いながらもその場をリードするような強い声の調子が、由佳の耳に残った。
「で、では、S市医師会八島区支部の定例会を始めよう。と言っても、今日の議題はひとつだけなんだが…」
病院長である日ノ本一(ひのもと はじめ)が、いつも通り頼りなげに言いながら傍のホワイドボードを示す。
“『S市 まちづくりのための 医師によるフィールドワーク』担当者の選定”
ホワイトボードには、そう書かれていた。
「神州先生。この街にはもう慣れたかね?」
「えっ」
院長が、いきなり名指しで問いかけてきた。
「は、はぁ。まあ少しは…」
「では、このS市のキャッチフレーズはご存じかな?」
「い、いえ…それは存じません」
さっきから、なぜ自分にばかり話しかけてくるのだろう。
日ノ本院長はやおら立ち上がると、左腕を腰の後ろに回して胸を張り、右腕を横に伸ばして彼方をみつめ、声を張り上げた。
「…“市民よ、大志を抱け。街空高く枝を伸ばす、ハルニレたちのように”!」
院長が発したのは、かつてこの大地を踏んだ偉人の名言を基にした、S市のキャッチフレーズ。そして院長がとっているのは、市内に建立されているその偉人の像の、有名なポーズだ。
「院長。その意味するところは…?」
「あ、別に意味は無いのだが」
「無いんかい!!」
全員がズッコケた。
「し、しかしな!あながち無関係でもないのだ。議題に戻ろう」
院長は咳払いして席に着くと、弁明した。
「昨今『まちづくり』という言葉が良く使われているが、それはインフラ整備やハコモノ建築だけではない。市民がこの街でどんな風に生きていきたいか?市民自身が…それもオール市民が考え、この街のこれからを作っていこう、と。…ここS市で、そのような動きがあるんだよ」
「ええっと。その事が、この医師会定例会と何の関係があるんですか?」
産婦人科の豊葦原未和(とよあしはら みわ)医師が恰幅の良い指を立て、当然の疑問を口にする。
「…市議会から、私たち市の医師会に要請が来ている。市民代表として市の医師に、自由な発想をもってまちづくり活動の中心的な役割を担って欲しい…のだそうだ」
会議室が、訝りの声でざわついた。
「我々に、何をしろってんですかい?」
呼吸器科の山門純邦(やまど すみくに)医師が腕を組み、ふてぶてしく問いかけた。
「…自由な采配で市民と活動、交流をしてもらい、市民の意識や街の課題を調査。その上で、市のまちづくり条例案の提出…という形で、政策提言をしてもらいたい…のだそうだ」
会議室のざわつきに、訝りに加えて反発の色が混じりだした。
「ええ!?それってえ、ウチらドクターの仕事なんですかあ?」
眼科の瑞穂詩十音(みずほ しとね)医師が、口を尖らせる。
「言いたいことはわかる!しかし、市いわく『市民のリーダーたるにふさわしい職種』ということで、医師会所属の医師から担当者を選出するよう言われてるんだ!正直、私もどうしたら良いかわからん。だが市からの要請である以上、誰かはやらなきゃいけない」
「この仕事のゴールは、今おっしゃった『条例案の作成と提出』ですか?」
貴教が尋ねる。
「そ、そうだ。我々を含む市民の想いや意見を条例案としてまとめ、市議会に政策提言する。つまりはこれが、やる事なのだ」
「良いっすね!俺の同期も、研修医時代に地方の町で似たような事をやってましたよ。そいつは、他のスタッフと一緒に商店街に屋台を出して地域住民と交流したり、地域医療に関した講和をやったとか言ってたなあ」
小児科の秋津修平(あきつ しゅうへい)医師が、無邪気な声を上げる。
「そういった事例も多いな。だがこの件は、そういった医療と地域を繋げるという趣旨とも、また違う。もちろん医療職の視点からとはいえ、この街の全体的な将来像を描いた条例案を、調査から作成、提出まですべてやらなくてはならん」
「…まあまあ良いっすね。ゴールが遠すぎやな」
「そういう意味で、ハッキリ言ってこのプロジェクトは『医療活動』ではない。だからこそ医療法人ではなく、ここ市立病院に白羽の矢が建てられた…ということだ」
「…ギリギリ、良いっすね…。荒唐無稽すぎだわ…」
「順調にグレードが下がってきちまったな…」
しぼんでいく修平に、貴教が声をかける。
「ふむう。でも何にせよ、かくなる上はこの場で、この前代未聞なるプロジェクトの担当者を決めてしまわなくてはならない…。院長、そうおっしゃるのですね?」
心療内科の中津国 琢(なかつくに たく)医師が、眼鏡をクイッと掛けなおしながら、妙に芝居がかった表現で話をまとめる。
「そ、そういうことだ。…どなたか、立候補してくださる先生はおられるか」
室内が静まり返った。
由佳も、われ関せずとばかりに自分の髪をいじっていた。
いや、本当は由佳は気づいていたが、気づかないふりをしていた。
「誰も、いらっしゃらないか。実はなあ、お声がけさせていただきたい先生がいる」
…院長の視線が、先ほどから自分にしか向けられていないことに。
「…神州先生。先生は柔和の雰囲気をお持ちだ。地域に入っていくのに、ピッタリの方だと思うのだが、どうかな?」
すかさず、何人かがうんうんと肯く。
「お、お断りします!」
即答で断る由佳に対し、しかし院長はすまなそうな顔をしながらも、声を低めて言った。
「神州先生。ウチの病院、近年は行政からの眼も厳しくてなぁ…」
「えっ」
「健康診断のバイトが足りなくて、ウチからドクターを寄越してほしいところが沢山あるんだそうだ…」
「うぐぅっ…!」
周囲の多くは視線を逸らすか、考えているふりをしているだけだ。
もう、自分が受けないとどうしようもない。
「わ…わかりましたよ、私がやらせていただきます」
「や、やってくれるか…すまない」
院長が、今度は本当にすまなさそうな声で言った。
由佳を見ていた貴教が、何かを言いかけた、その時。
「あの…。私」
全員の視線が。
「神州先生のお手伝いしましょうか」
軽く手を上げている玲奈に、集中した。
自分を見てニッコリ笑う玲奈に、由佳は困惑するしかなかった。
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業務時間後。院内資料室で、由佳と玲奈は文献や過去の事例を調査していた。
「あ、あの。今朝は本当に、ありがとうございました」
「んー?ああ、ケガ無くて良かったよ」
「何か、お詫びしなきゃっ…て思って」
「なんも、なんも!」
その言葉がこの地方の「気にしないで」を意味すると気づくのに、由佳はわずかながら時間を要してしまった。
「んー…、過去の類似の事例を見ると、やっぱり最初のToDoは、街の人の声を実際に拾う事ね」
「アンケート実施とか?」
「それもいいけど、まずは直接、声を拾ってみましょ。健康相談会とかやってみてさ!見て見て、この事例の聞き取り調査項目とか、参考になるんじゃないかな?」
そこからの玲奈の行動は早かった。
実家である「ひだまりクリニック」父親から日ノ本院長に掛け合ってもらい、数日後、市立八島病院で市民向けの健康講話を開催できることになった。
講話に乗じて、参加者にアンケート調査を実施しようという算段だった。
健康講話とその後のアンケート実施は、滞りもなく終えることができた。
「…お陰様で、それなりに集まりましたね。高天先生、いろいろ動いていただいて、本当にすみません」
回収したアンケート用紙を取りまとめながら声をかける由佳に、玲奈は会場の片づけをしながら笑顔で答える。
「なんも、なんも!お役に立てて良かった」
「でも『ひだまり』でのお仕事も、お忙しい中なのに」
「大丈夫ですよ。あたしのところ、ご承知の通り典型的な家族経営のクリニックですから。それに、その…ほかにも事情があって、時間の融通は利くんです」
用紙を取りまとめていた由佳の手が、ふいに止まった。
「とはいえ、サンプル数はまだまだ全然足りないなあ。どうしましょうか。…?神州先生?」
「…ふふ。高天先生、大人気ですね」
「え?」
歩み寄った玲奈に、由佳はいくつかの回答用紙を渡した。
少なくないアンケート回答者が、質問項目と全く関係ないことを書き連ねていた。
要約すると。「高天先生目当てで参加した」「高天先生を見られてよかった」「もう一人の方じゃなく、高天先生に講話をしていただきたかった」…という類の感想が書かれていたのだった。
「…はぁ。まあどこでも、こういう人はいますよね」
「前にいらっしゃったところでも、人気だったんですね」
「あ、いや、そういう意味じゃ…」
二人は少し、沈黙した。
「…変なこと言って、ごめんなさい」
「い、いえ…」
後片付けは、終わった。
「アンケート調査については今後、増刷して思いつくところに郵送しようと思います。それでなんとか必要数は集まるかなって。だから、ご協力はここまでで結構です。本当にありがとうございました」
「でも…」
「これ以上のご迷惑は、かけられませんから。さあ、撤収しましょう」
由佳は玲奈と室外に出ると、深々と頭を下げた。
「それじゃあ私、これからデータをまとめるので。お疲れ様でした」
「あ…」
由佳は、行ってしまった。
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翌週の、休日の昼下がり。由佳は職場近くの軽食店にいた。
「なんでお休みの日にまで、こんなモノ読んでるんだろう…」
由佳は、自宅で読もうと思っていた論文や取り組み事例などの書類を職場に忘れてしまい、午前中に取りに行った後、この店で食事をとっているという経過だった。
「なんで、私ばかりこんな目に会うんだろう…」
文献をめくりながら、ひとり呟く。
「…あー、話聞いてもらってちょっと落ち着いた!」
店内にいる別の客たちの話し声が、耳に入ってきた。
「いつでも吐き出しなよ。やっぱ辛い時に何でも話せる関係って、大事だからさ」
由佳の手が、止まった。
「大変そうですね?」
店主が、話しかけてきた。
「あ…」
「お仕事ですか?」
「ええ、まあ…。ご、ごちそうさまでした!お会計、お願いします」
「え…」
由佳は急いで広げていた書類などを片付けると、慌てた様子で会計を済ませた。
「残しちゃって、ごめんなさい!」
軽く頭を下げ、由佳は店を出て行ってしまった。
「…いま出て行った人、たまに見るよねえ。うるさかったかな?」
話していたお客が、店主に尋ねる。
「よく来て下さるんだけどね。話しかけないほうが良かったかな…」
店主は、半分以上手つかずの料理と飲み物を見つめた。
店を出た由佳は、速足で歩きながら俯いて呟いた。
「もう、あの店は行けないな…」
いつの間にか、ひだまり森林公園のあたりに来てしまった。
今日は、いつも以上に人でにぎわっており、組み立て中のやぐらも見える。
何とはなしに準備中の会場に近寄ってみた、その時。
「あー、神州先生!」
「え」
玲奈がいた。
「準備してるの、見に来てくれたの?」
会場設営を手伝っていたらしい。
「あら、玲奈ちゃん、その方は…」
そこへ、壮年の男女がやってきた。
「あ、和尚様」
「おや、あなたはこの前の説話で、後ろの席にいらっしゃった…」
「は、はい」
「その節は聞いていただいてありがとうございます。あ、こちらは私の妻です」
由佳と和尚夫妻は、互いにあいさつを交わした。
「和尚様の夫婦、ご近所で子どもの時からの付き合いなんだ」
「そうだったんですか…」
和尚夫人が、気を利かせてくれたのか、提案してきた。
「玲奈ちゃん。今日の準備はもう終わるから、二人で会場を見て回ってみたら?屋台では、試食できるところもあるから」
「あっ、でも、悪いですから…」
ぐぅ……と、由佳の言葉をかき消すようにお腹が鳴ってしまった。
さっきのお店では、結局ろくに食べていない。
真っ赤になってお腹を押さえる由佳に、3人は優しく微笑んだ。
「この前、お詫びしなきゃって、言ってくれたじゃない?」
顔を上げた由佳の手を、玲奈は取って歩き出した。
「行こ!」
「味噌ラーメンって、食べるの初めてなんです」
「お、そうだったのね」
由佳は、麺をすすった。
「んっ…!」
「お味はどう?」
玲奈はニコニコと問いかける。
「おいしいです。関西で有名なイチゴーゴーの豚まんをスープにして、麵を入れたみたいで!」
「そ、それ褒めてる?」
玲奈は苦笑した。
そこかしこにやぐらや露店が建てられてにぎわっている公園を、二人は歩いた。
「『花咲祭り』の準備中なの」
「花咲祭り…」
由佳は、この祭りの名前を誰かから聞いたことがあった。誰だったっけ。思い出せない。
「うん。今年も街の花がたくさん咲きますようにって、お祈りするお祭りなんだ。あたしも子どものころは、毎年欠かさず楽しんでたなあ」
公園の中心部に位置する大広場には、大掛かりな舞台のような設備が設けられていた。
「あれは…」
「あ、『花巫女舞』の舞台だね」
「花巫女舞?」
玲奈は、にっこりと笑う。
「クイズです!ここS市の『街の花と木』って、なーんだ?」
「ええっと、ライラック?」
「ひとつ正解!ライラックは『街の木』なの。『花』は何でしょう?」
「…ホオズキとか?花言葉が『偽り』だから」
「ブブーっ!てか『偽りだから』って、なんじゃ!?」
「ま、まさかオトギリソウ…」
「なんでそんな不吉な方向に持っていくん!?」
玲奈のツッコミが冴える。
「んもう。正解はね、スズランよ」
「そうなんですか!」
「このお祭りは街の花がたくさん咲くことをお祈りする行事って、話したでしょ?その目玉がこの『花巫女舞』なんだ。特定の選ばれた人が、街の花と木であるスズランとライラック、それぞれの『お花の巫女』に扮して、祈願の舞を踊るっていう伝統行事なの」
「へえ…」
「あれ?てか、この行事って例年、市民病院の患者さんや家族会の方々、あとスタッフさんもかかわってるはずだけど」
「そ、そうだったんですか…」
「……」
玲奈は口をつぐんだ。自分の勤務先の行事を知らなかったのか、と言いたいのは由佳にも分かったが、二人はしばらく無言で歩いた。
「そ…そう言えばさ、調査アンケートはどう?」
「ああ…。とりあえず、5,000部ほど作って、患者さんやそのご家族に郵送しました。あと、同僚たちにも担当患者さんへ配布をお願いしています」
「そ、それだけ?…集まる?それだけで」
「大丈夫…だと思います」
「…そっか」
二人は、また無言のまま歩みを進める。
「そ、そうだ!この調査プロジェクトの名前、どうするつもり?」
玲奈が、ふいに明るい声を出した。
「え、普通に『調査プロジェクト』で良くないですか?」
「もうちょっと味のある名前にしなよ!」
「それじゃあ…行政からの依頼内容から考えて『まちづくり医』って、どうですか?」
「あー、惜しい!方向性はいいと思う。ただ語呂がちょっと…。もう少し、ひとひねり無いかなあ?」
「なるほど。…なら、方向性はそのままに」
「うん!」
「『ドサンコ☆ラブ&女医』!略して『ドサジョイ』!」
「いや、ぜんっぜん方向性変わりすぎだっ!ローカル芸人かいな!」
「わかりましたよ!真面目に考えます」
「うむ!」
「うーん、それじゃあ…」
由佳は腕組をしてしばらく考えると、真っ直ぐに玲奈を見据えて言った。
「…S市の象徴って、やっぱり時計台ですよね」
「うんうん」
「この街をテーマにした歌に、『限りなく高い空』『星くず』っていうフレーズが出てきますよね」
「わぁ…。知ってるんだね、その歌」
由佳は不意に玲奈に背を向けると、空を見上げた。
「時の流れの中での、空と星くず。すなわち『天球』。その中でまちづくり活動にいそしむとしたら、それは例えるなら『戦乙女』じゃないでしょうか」
「…へぁ?」
あまりに唐突な方向性に、玲奈の返答も変な声になった。
「決めました。プロジェクト名は…」
由佳は真っ直ぐな、しかし穏やかな目で玲奈を見据えた。
「『天穹の巫女 ヴェルトール・メイデン』…!」
「あっはははは!アニメのタイトルかっつーの!!」
玲奈のツッコミが、春の夕空に響き渡った。
「そ、そんなに可笑しいですか…?」
由佳は、心底不思議そうな目で玲奈を見つめた。
「もうホント、神州先生って天然で…可愛すぎ!」
「え…」
「てか、今こうやって話してたら先生、職場とは全然違う印象っていうか…」
「そ、そうでしょうか…」
頬を膨らませながら憮然とする由佳に、玲奈はひとしきり笑え終えると背中を向けた。
「あたしね。地元のこの街、大好きなんだ。あったかくてね。…だから神州先生にも、プロジェクトを通してこの街の事好きになってくれたら嬉しいな」
玲奈は、微笑んで由佳に振り向いた。
「だから、あたしにできることがあったら声かけてね」
もうそんなに冷たくはない風が、吹き抜けた。
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1週間後。
由佳は、手元に返却されてきたアンケートの部数に、愕然としていた。
「こ…これだけ?」
サンプル数としては全く足りない数しか、集まっていない…。
郵送の返却はできる限りお願いしたし、同僚にも収集を頼んだ。
それで、この結果なのか。
由佳は、うなだれた。
自分はそこまで、人望がなかったのか。
「…どうしたら、サンプルを集められるだろう」
「ううん、違う。どうしたら、街の人達の事がもっとわかるだろう?」
由佳は顔を上げ、玲奈に連絡を取った。
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由佳は玲奈と合流し、ひだまり森林公園にて和尚夫妻に頭を下げていた。
今日は、花咲祭り当日。公演は、多くの人でごった返していた。
「よぉし、合点だ!この調査用紙、全部消化してやろう!」
和尚は、胸を叩いた。
「お、お願いします。ありがとうございます」
玲奈と和尚は調査用紙を分け、それぞれに持った。
「それじゃ、手分けしてそれぞれの知り合いに、片っ端から回答をお願いしていくね!」
「すみません…!」
頭を下げる由佳の肩に玲奈は手を置いて、顔を由佳に寄せてささやいた。
「頼ってくれて、ありがと」
由佳は何か言おうとしたが、声が詰まってしまった―
玲奈と和尚が行ってから、和尚夫人は由佳に尋ねた。
「こういった調査は、回答数は多ければ多いほど良いのよね?」
「は、はい」
夫人は、腕を組んだ。
「それじゃあ、あの人にも声をかけてみようかな」
「あの人?」
「このお祭り一番の目玉である『花巫女舞』を統括してる、狸小路さんという方よ」
**********************************************************************
由佳と和尚夫人は、舞を踊る「花巫女」の控えテントに入った。
「あ、あれ…神州先生?」
由佳は、自分の担当患者とその母親に会うなり、頭を下げた。
「麗央さん、狸小路さん…。先生、いつも失礼な態度をとってしまっていて、ごめんなさい」
狸小路氏も、笑って頭を下げた。
「いえいえ、私こそ怒ってしまってごめんなさい」
「神州先生にも私が考えた『花巫女舞』、見てほしかったんだけどな」
麗央が、寂しく笑った。
「?」
狸小路氏が、説明する。
「それがね、巫女役の予定だったうちのサークルの子が、どちらも体調不良になってしまったのよ。ご存じの通り、チャレンジドの子はそういうことも珍しくは無くて…。二人とも、重篤なものではないようなんだけどね」
「残念だけど、仕方ないよね」
麗央がうつむく。
「今日は中止にするしかないけど、別の機会で踊ってもらおうね」
狸小路氏は、かがんで娘の麗央の肩に手を置き、なぐさめた。
「うん…」
狸小路氏は顔を上げ、由佳と和尚夫人に聞いた。
「えっと、それで…私にお願いしたいことがあるとか?」
由佳の代わりに和尚夫人が答える。
「はい。…ただ、その前に。麗央ちゃん、その子たちでなくても、他の人が今日、舞を踊るのでも良い?」
「え?う、うん」
「今日の花巫女舞で自分が考えた振り付けを見てもらうのが、楽しみだったから…。でも、それが…?」狸小路氏が、尋ねる。
「振り付けは難しい?あと、踊り手は子どもでないとダメかしら?」
「振り付けの動きは、それほど難しいものではないかな。あと、子どもでなくてもまあ、ある程度の若い女性であれば。でも、いきなり誰かにお願いするのも…」
「これは奇遇!神州先生も狸小路さん達も、お互い、いきなりお願いしたいことがあるということですね」
和尚夫人はわざとらしく笑って、由佳を見た。
狸小路親子も、由佳を見た。
「…え?」
自分に視線が集中した由佳は、三人の顔を順番に見た。
「お邪魔します。この控えのテントに来るようにって事だけれど…てっ、神州先生!?」
「み、見ないでください、高天先生!」
玲奈の目に入ったのは、『スズランの巫女』に扮した由佳だった。
白い千早と緋色の袴をまとい、スズランの花をあしらった髪飾りを着けている。
「実は、かくかくしかじかで…」
由佳は、身振り手振りを交えて説明した。
「か…」
「え?」
「かわいい…」
「ええ!?わたし、そろそろ三十路が見えてきてるんですケド!?」
「ううん、可愛いよ。ちょっとだけキツいけど!キツかわいい!」
「キツかわいい!?」
由佳をからかう玲奈に、狸小路親子は意地悪っぽく笑った。
「高天先生。花巫女は、ふたり必要なんですよ?」
「…え?」
かくして白い千早と淡紫色の袴とに身を包み、ライラックの花の髪飾りを着けさせられ、『ライラックの巫女』に扮した玲奈は、由佳と向かい合い。
「キッツい!可愛い!」
お互いに、ゲラゲラと笑い合った。
「さあ、ここまで来たらやるしかない。1時間弱で、舞の振り付けを覚えてもらうよ」
「は、はい」
由佳と玲奈は、狸小路親子から振り付けの指導を受け、あっという間に『花巫女舞』の時間がやってきた。
「ぶっつけ本番だよ…大丈夫かな」
「あとは、あの二人の相性の良さに賭けるしかないね」
不安がる声やはやし立てる声を受けつつも、由佳と玲奈は手を繋いで舞台へ上がった。
二人は背中合わせに立ち、両手を重ねて目を閉じる。
曲が奏でられ、『花巫女舞』が始まった。
由佳と玲奈は向き直り、互いの肩を抱く。
玲奈は右手で由佳の左手を取り、なめらかな動きでターンした。
何度かのターンの中で、互いの視線が交差する。
「わぁ」
「可愛い!」
聴衆の歓声が、しかし、なぜか遠くなっていく。
二人は向かい合って身体を寄せると、一方の肩を抱き合い、もう一方の手を重ねて伸ばし、その方向に歩みを進めた。いわゆる『プロムナード・ポジション』に近い動きだ。
少し強めの風が吹き、桜の花びらが二人の周りを舞った。
周囲の声は、いつしか消えていた。
由佳は右手を、玲奈は左手を、互いに取り、玲奈が掲げた手の下で、由佳はクルクルとステップを踏みながら回る。
玲奈自身もその場で回ることで、由佳は玲奈を周回する形となる。
舞も、もう終わる。
星の周回運動みたいだ、と由佳は思った。
太陽と地球。あるいは地球と月。
眼前になびく玲奈の亜麻色の長髪。
『花巫女舞』の動きは、これですべて終了だ。
高天先生は太陽で、自分は…やはり良いところ月だろうか、と考えたその瞬間。
「あっ…!」
玲奈が小さく叫ぶと同時に、ふいにバランスを崩した。
「危ない!」
観客が叫び、どよめく。
――
自分でも、どうやったのだろうか。
気が付くと由佳は膝まづく姿勢で、倒れこんだ玲奈を抱えていた。
曲が終わっている。
花巫女舞は、やり遂げた。
腕の中の玲奈が顔を上げ、眼前で玲奈の瞳を覗く形となった。
―
次の瞬間、すさまじい音に取り囲まれた。
「あっ…」
周りを見渡す。四方八方からの悲鳴のような歓声と、万雷の拍手。
二人は慌てて身体を離し、立ち上がった。
「すっごーい!」
「最高だったあ!」
「いいもん、見せてもらったぞ!」
由佳と玲奈は舞台に並んで立ち、頭を下げて挨拶した。
「あ、ありがとうございました!」
狸小路氏が、舞台に上がってくる。
「こちらこそありがとう!お疲れ様ぁ!」
「ごめんなさい、あたしミスっちゃいました!」
玲奈が、笑いながら謝る。
「なんも、なんも!無茶振りしちゃって、ごめんなさい。すごく良かったよぉ。みんな、改めて二人に拍手を!」
浴びせられる賞賛の拍手に、二人は再び頭を下げた。
緊張が解けて視界が霞がかる中で礼をしながら、由佳はやっと胸中で、高揚した今の気分を打ち消すほど確信めいた違和感を、言語化できた。
―先ほど、眼前で覗いた高天先生の眼。
―真っ直ぐで、澄んでいて。でも。
―なぜ、あんなに。何を、そんなに。
―怯えて、縋ってきたのだろう?
「…せんせ、神州先生!」
「あっ」
「みんなにお願いすること、あるでしょ!?」
玲奈が、笑いながら肩を叩いてくる。
由佳は、観衆に呼び掛けた。
「実は、みなさんにご協力いただきたいことが…」
そこから先は順調だった。想定以上の数のサンプルを集めることができた。
元の服に着替えなおし、回収できたサンプルをまとめなおす二人の元へ、和尚夫婦がやってきた。
「くそう!君たちの晴れ姿、見損ねた!」
地団太を踏んで悔しがる和尚に、夫人があきれた目を向けつつ、二人に声をかけた。
「神州先生は、玲奈ちゃんの前からのお知り合い?」
「え?いいえ、つい最近出会ったばかりですが…」
「そうだったの!あんまり二人の息が合っていたものだから、驚いちゃった」
「そ、そうですか…?」
和尚が声をかける。
「難しそうなプロジェクトだけど、二人でならうまくいくかもしれないね」
二人は、顔を見合わせた。
*****************************************************
すっかり夜になり、にぎわうお祭り会場から少し離れた小高い丘の上に、二人は座っていた。
「た、高天先生」
「んー?」
「…プロジェクト、一緒にお願いしたいです」
玲奈はニッコリ笑いながら、手を由佳に差し出す。
由佳もその手を取り、二人は握手を交わした。
「二人でさ、この街の色んな街角に入り込んでいこうよ」
「改めて、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
花火が上がる夜空の下の帰路を、二人は歩いた。
「あっ!」
ふいに由佳が、声を上げた。
「?」
「…『まちかどい』」
「え?」
「プロジェクト名。さっきの高天先生の言葉で、思いつきました。まちづくりのために、街角に入り込んでいく医師。『街角医』。ちょっと安直だけど…どうですか?」
玲奈は笑って強くうなずくと、グッドサインを作った。
「オッケー!『まちかどい』、頑張っていこうね!」
「はい!」
二人は顔を見合わせて笑った。
もう、それほど冷え込まない季節になっている北国の夜空は、晴れ渡っていた。
「…まてよ、やっぱり『天穹の巫女 ヴェルトール・メイデン』も捨てがたいな」
「ダメぇー!」
つづく
おやくそく
本作はフィクションの娯楽作品です。よって、以下の点にご留意ください。
①作品舞台のモデルとなった実在の街があるという一点を除き、この物語は全て創作です。
②本作は読者や現実の社会に対して、いかなる主張、啓発を意図するものではありません。
③本作で示されるすべての事柄について、情報の正確性を保証しません。
④本作は、読者に医療的助言や専門的支援を提供するものではありません。
まちかどい ~街角医~ @sasamochiyoshiji
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