蛇を殺してはならない
秋村 和霞
東京都西部に伝わる蛇の物語と千ヶ丘ニュータウンの噂話について
東京都西部に千ヶ丘と呼ばれる区画がある。京王線××駅からバスで十分ほどのそのエリアは今では閑静な住宅街が広がっており、千ヶ丘ニュータウンといえば多摩ニュータウンに次ぐベッドタウンとして名前ぐらいは聞いた事があるだろう。
今でこそ交通の便も良く関東圏の人間ならば高級住宅街をイメージする千ヶ丘だが、以前は草木の育たない荒れ果てた地帯であったという話をご存じだろうか。
当時の千ヶ丘は蛇ヶ岡(注1)と呼ばれていた。蛇ヶ岡はいわゆる禿山であったと伝えられており、今の色とりどりの住宅が並ぶ千ヶ丘とは随分と様子が違っていた事だろう。かの俳人、宇園三鉢(注2)が蛇ヶ岳を詠んだ句からは当時の様子を伺い知ることが出来るため、ここで紹介しておく。
春光を照り返したる蛇ヶ岡
これは春の日差しが蛇ヶ岡に反射して眩しく見える様子を詠んだ句だが、草花が芽吹く春先においても、日の光を反射するほどの不毛の地であった事が分かるだろう。
しかし、この蛇ヶ岡はかつては緑に溢れていたとも云われている。
これは蛇ヶ岡に近い村西神社に伝わる物語である。
昔々、蛇ヶ岡には祝儀を挙げたばかりの若い夫婦が住んでいた。
ある日、この夫婦が山菜を採っていると、どこからともなく蛇が現れ女の腕に噛み付いた。
男は咄嗟にその蛇を殺そうとしたが、女が夫を宥める。
「彼らの理を犯したのは我々の方なのだから」
女は蛇を逃がしてやった。
翌日、女は全身から血を流し息絶えた(注3)。
妻を亡くした男は怒り狂い、無念を晴らそうと蛇ヶ岡に火を放った。
炎は三日三晩燃え続き、ついに蛇ヶ岡のあらゆる草木を焼き尽くした。
男は勝手な山焼きを行った罪で死罪となった。
その後、蛇ヶ岡は不毛の地となった。
以上が村西神社に伝わる物語である(注4)。
この話は現代ではほとんど知られていないが、不思議な事に現在の千ヶ丘ではこの話との関連を想起させる噂話が実しやかに囁かれている。
曰く、夜になると(注5)どこからともなく蛇が室内に現れるのだという。
その蛇を取り殺すと、どこからともなく女のすすり泣く声が聞こえるそうだ(注6)。
千ヶ丘ニュータウンに住む家庭のほとんどは東京に移住してきた地方出身者という事を考えると、村西神社の物語を知っているとは考えにくい。もしかすると、開発工事に反対していた地元住人が完成した住宅街への嫌がらせとして流した噂話なのかもしれない(注7)。
しかし、千ヶ丘自体が不毛の地であり、一種の忌地のように扱われていた(注8)。地元住人がそこまでの思い入れがあったとも考えられない。
千ヶ丘で囁かれている噂話とは、本当に住民が体験した話しが元となっている可能性は十分にあるのではないだろうか(注9)(注10)。
―――
注1 蛇ヶ岡の名前は住居者に悪印象だとして、高度成長期の開発時に都の方針で改名された。
注2 戦前の俳人。晩年を蛇ヶ岡からほど近い村西市内町で過ごす。
注3 症状から見て蛇はヤマカガシであったと思われる。ヤマカガシは致死性の毒を有しているが、死亡事故はほとんど報告されていない。
注4 関連は不明だが村西神社には白蛇が祀られている。
注5 蛇の種類については語られていないが、ヤマカガシは昼行性である。
注6 蛇を殺すと祟りを受け、家主が病気になったり息絶えたりといったバリエーションも存在する.
注7 近隣の多摩ニュータウンには開発工事をタヌキが化けて妨害したという都市伝説があり、これは地元住人が流したものとされている。
注8 開発の候補地となった理由は、住民の立ち退きが不要であった事と土地の値段が安かった事が挙げられる。
注9 開発工事後に保健所に届けが出された千ヶ丘における蛇の被害は三件であり、その全ては無毒のアオダイショウによるものである。
注10 脳内出血や肝不全などヤマカガシに噛まれた際の症状で亡くなる事例が、千ヶ丘だけで年間に十数件報告されている。約百戸建ての住宅地内での事例としては異常な件数である。
蛇を殺してはならない 秋村 和霞 @nodoka_akimura
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