55 梅雨明け

「――帰りますか」

 麗人れいとの声が、雨粒をはじいて上昇する。 


「さすがにひとっ風呂浴びねえとまずいな」

「お風呂使うなら、門限破りはごまかせないね。今回はおとなしく、真正面からお小言と罰則くらっておきますかね」

「やれやれ、メンドクセエ。明日の授業は寝倒すか。……今何時だ」

「そろそろ11時」

「9時間も飲まず食わずか。ああー……」

「今度、ちょいゼイタクなご飯行こうよ」

「ゼイタクはどうでもいい、量だ」


 ふたりの男子高校生は立ち上がった。体よりも、濡れそぼった衣服の方がずっと重かった。


 歩きかけて、黒川くろかわは思い出したように、ポケットに手を突っ込んで、煙草を引っ張り出した。

 セカンドグリフォン。紙箱にはまだ、4本ばかりの煙草が手つかずのまま残っている。黒川はわずかに唇の端を持ち上げると、煙草の紙箱を握りつぶし、手首のスナップをきかせてから、無言のまま麗人の後を追った。つぶれたセカンドグリフォンが、雨に打たれ続けるくずかごに吸い込まれるのを、見届けようともせずに。


     ◯


「そういやお前、幣原しではらサンにせまろうとしなかったな、珍しく」


 公園を出た頃、軽く笑って黒川が指摘すると、麗人は肩をすくめた。


「さすがにね。人の思い出を盗み食いすると、食あたり起こすから」

「とっくに過去だ。もう関係ねえよ」

 応じてから黒川は、麗人に引っかかって、自分が余計なことを口走ってしまったのに気づいた。まったくこの男は、油断も隙もあったものではない。小さく苦笑する。しかし麗人の方は気づいたのかどうか、目立つ反応を見せず、さらりと続けた。


「そう? …………じゃ、今度どこかでばったり会ったら、口説いてみようかな」

「おう、そうしてやれ」


 ずぶ濡れのふたりの高校生は、外灯の光を通りすぎて、寮へと足を運んだ。やや強まった雨足の下、急ぐどころかゆっくりと。疲労のせいというより、雨に打たれることを堪能するかのように。


     ○


 雨はそのまま、翌1日降り続いた。


 隣町に住む、堂前どうまえ貴仁たかひとをリーダーとする半グレ集団が、市内で昨夜起こった連続暴行傷害事件の容疑者として逮捕された、というニュースが流れた。18歳の幣原ルイが、自宅から自身で警察に連絡し、それ以前の事件に関係していることを認めて、任意同行の後に逮捕されたこと、また昨夜被害に遭った児童相談所職員の広田ひろた瑞興みずおきが別の事件に関与している疑いが強まったため、警察は容態の回復を待って事情を聞く方針であること、そしてルイの交際相手が任意の事情聴取を受けているということも。


 夜になって雨はさらに強まり、雷鳴が激しく暴れ回って、人々の安眠を妨げた。だが、夜明けとともに雨雲は、急速に逃げ去った。かわりに、遠慮とか慎しみといったものを完全に放棄した日差しが、街に残る湿り気を急速に吸い取って、凶悪な暑熱をはじけさせた。待っていたように蝉があちこちで鳴き始めた。梅雨前線は撤退し、気象庁はこの地域の梅雨明け宣言を出した。


 夏が、やってきたのだ。



 ――雨が上がる日は、かならず来る。




(了)

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ガラス細工に雨は降る 三奈木真沙緒 @mtblue

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