54 ガラスの欠片(かけら)

「――だめだな。自分のことになると」

 ひとりごとのように黒川くろかわはこぼした。麗人れいとは黒川をちらっとしか見なかったが、こぼれ落ちる言葉を無言のまま拾い集めていた。


「このザマだ。他人のことなら偉そうにどうとでも言えるのに、自分のことになると判断が鈍る。ぼんやりしたり、間違えたり、無駄足を踏むようなことを繰り返す」


 おれが助けたかったのは、ルイじゃねえ、ガキだった頃のおれ自身だ。――黒川は、それを認めた。ほんの少し何かが違っていたら、ルイではなく自分がああなっていただろうと。


 自分はどこかで……「真実を知ること」から逃げていたのだろう。それが、対応が遅れた本当の原因だろうなと、黒川は総括していた。


「壊れちまったガラス細工は、捨てるしかねえな」


 いい加減雨水を吸って何倍も重くなった吸殻を、黒川は携帯灰皿に押し込んで、息をついた。


 もっと早く、冷静な判断ができていれば、壊れなくてもすんだかもしれないのに……今さらどうにもできないことだとわかっていても、胸中をぐるぐると回る思いが、苦みを増す。そんな自分さえ、らしくないと自嘲しながら、黒川はベンチから立ち上がれずにいた。


 ガラスの欠片かけらはこんなにも、もろく、美しく、とがったものだっただろうか。


 麗人は、自分の革靴のつま先に目を落とし、次いで顎を上げて、空の上に視線を転じた。雨がどこからやって来るのか、見定めようとでもするかのように。


     〇


 ……木坂きさか麗人は、幼い頃に両親と一家心中を経験し、生き残ったという過去を持つ。父親の運転する車に乗り、崖からガードレールを突っ切って落下したのだ。即死だったのは父親だけで、母親と麗人はケガを負いながらも生き残った。しかし、母の体は癒えても心は癒えず、麗人が中学に入って間もなく、回復できずに亡くなった。最期は眠るような、穏やかな顔をしていたという。息子を残し、夫のもとへ旅立ったのだ。


 家庭を失っていることは黒川と同じだが、経緯いきさつはまったく違う。現在、保護者であるはずの祖父を受け入れることができなくなってしまった事情もある。


 自分が両親から愛されなかったとは思わない。むしろ、自分を道連れにすることに両親は葛藤したのではないか。それは、両親が多少なりとも、息子を思ってくれた証だろうと、麗人は解釈している。両親の決断が正しかったのか間違っていたのかは、わからないが。


 今まで麗人は幾度も、自分と両親のことを考えた。もしも、もしも両親が、自分を連れて行かなかったら、どうなっていたか。自分が生き残らずに、「最期まで同行」していたら。――どの道が、一番幸せだっただろうかと。自分で予想した答えは、その都度変わった。だから、本当はどうなるのが一番いいことだったのかは、麗人にはわからない。ただはっきりしているのは、明洋めいよう高校に進学していなかったら、黒川には出会っていなかったということだ。


 黒川の気持ちがわかるとは、安直に言うつもりはなかった。それでも麗人は、自分が黒川に一番近い地点にいることはわかっているつもりだった。黒川が、ほかの誰にも決して聞かせない話をこぼしていることも。


     〇


「――その、ガラス細工が綺麗だったって思い出まで、捨てなくていいんじゃない?」

 後ろで結った髪を指先でぴんと跳ね上げ、いつもと変わらない口調で、麗人は普通に言った。

 跳ねさせた髪から、飛沫が上がって、きらめく。


「自分自身に関わること、何もかも冷静になんて、さばけるヤツいないと思うよ。そーゆーモンでしょ、誰だって。ある意味、血の通った人間の証、みたいなモンだと思うよ」


 ……黒川は、半分だけ麗人を見やった。雨水をたっぷりと吸い込んだタキシードを着崩した男は、いつもと変わらない微笑のまま、重みを増して額にまとわりつく前髪を、うざそうにかき上げた。黒川は再び、視線を外した。


「…………そうか」


「ねぇ、はるかちゃん、頼みがあるんだけど」

 黒川は返事しなかったが、拒否を見せなかったので、麗人は続けた。お互い、顔を見ようともしないままの姿勢だった。


「もし、さ。オレが自分のことで判断誤って、トンデモナイ方向に暴走始めたら、オレのこと、止めてくんない?」


 黒川は麗人をながめ、その視線を膝に落とし、ふん、と口を歪めた。


「おう、わかった。ご面相が変わるくらいぶん殴って止めてやるぜ」

「あ、顔はやめて。アタシ、エンターテイナーなんだから」

「頼みごとしておきながら、注文つけんのかよ」

 けっ、と黒川がつぶやき、麗人が小さく笑い声を上げた。半グレの男たちとの乱闘を経て、すでに十分影響を受けたご面相で。

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