第59話 4ー16 エピローグ

 俺は、石動いするぎ亮三郎りょうざぶろう

 吉崎航空機製作所のパイロットをしている。


 1910年12月19日徳川とくがわ好敏よしとし大尉が代々木練兵場で日野ひの熊蔵くまぞう陸軍歩兵大尉と共に日本国内初の飛行に成功した場面に遭遇し、それから年甲斐もなく飛行機に憧れた。

 それから陸軍飛行兵として採用され、飛行術を学んだが、不運な交通事故で片足を失い、同時に事故の影響か視力が悪くなって飛行兵どころか陸軍をも追い出されることになった。


 戦闘中の受傷とは違い、傷痍軍人恩給は受けられず、わずかな退職金のみで放り出されたのだ。

 そんな時に拾ってくれたのが吉崎社長だ。


 彼は俺の足に合う義足を作ってくれ、また視力を回復してくれた。

 よくわからん「三等ぽーしょん」という飲み物を毎日飲んでいると、視力が戻ってきたのだった。


 三等というからには二等も一等もあるのだろうが、詳しくは知らん。

 但し、この三等ぽーしょんは、ラムネと同様に気軽に飲める代物だ。


 どうも俸給の一部であるようだから、遠慮しないで飲むことのできるものだ。

 こいつを飲むと一日元気でいられるのが凄い。


 しかも変な薬のような習慣性や薬害は無い。

 俺が雇われたのは、昭和12年の9月のことだった。


 そうして義足を貰ってそれを扱えるようになるまで「リハビリ」なるものを繰り返し、ようやく本来のパイロットの仕事に就けたのは昭和12年11月初めのことだった。

 同僚には、崎山安治、高野雄三、栗沢壮一の三人がいるが、彼らは俺と同様に陸軍や海軍でのパイロットの経験がある者だが、いずれも体を壊し、退役した者たちだった。


 皆が社長に拾われ、吉崎航空機製作所に雇われパイロットして働くことになった。

 とは言いながら陸軍の出身者は、複葉機の95式戦闘機までしか知らない。


 海軍さんも似たようなもので、95式艦戦を経験はしているが、単葉機の新型機96式艦戦の搭乗経験が無い者達だった。

 97式艦上攻撃機が帝国海軍では初めての単葉機だったが、あれは爆撃機なので戦闘機パイロットは乗らんし、俺の海軍出の同僚もそれが出来上がる前に海軍を辞めているから乗った者は居ないんだ。


 社長曰く、これから生産する新型単葉機のテストパイロットを頼むと言われたよ。

 新型機に乗れるのは凄く嬉しいんだけれど、俺たちで乗りこなせるのか?


 俺の場合、21歳にもなってから大正9年に所沢の陸軍航空学校に入隊、約半年で下士官の飛行兵になったが、昭和12年の今では、すでに年齢が40歳に近い。

 実は、ほかの三人も似たり寄ったりだな。


 年齢的には間違いなくロートルと呼ばれる年代だ。

 特に崎山さんとか高野さんは、白髪が目立つんで、良く五十代に間違えられる。


 まぁ、40歳も後半に入れば同じようなもんだがな。

 ウチの会社(吉崎航空機製作所)は、男についてはとにかくロートルが多い。


 徴兵に取られない年齢の者をわざわざ社員に選んだというから吉崎社長も変わった人物だよ。

 その代わりに女は若いのも大勢いるんだぜ。


 その女衆の中でも身体能力が高い者を二人連れて来て、俺と栗沢さんに教育をしてくれと頼まれた。

 教育っていうのは、娘っ子二人をパイロットにしろということらしい。


 女に務まるもんかと思っていたが、矢島愛子と井本スミの二人は、例の三級ぽーしょんをがぶ飲みしながらも、飛行学校と同じ訓練についてきたのは正直なところ魂消たまげたぜ。

 俺たちもロートルながら、三級ぽーしょんを飲んでいると若いころの体力に戻っているんだ。


 だから、必死で食らいついてくる娘っ子二人の指導もできる。

 その一方で、俺たち四人のパイロットは、新型機のテストパイロットを務めている。


 俺が言うのもおかしいが、ウチの会社で作る航空機はものすごく優秀だ。

 テスト機なんてものは、そもそも故障して当たり前、その故障個所を見つけるために危険を賭して、飛ぶのがテストフライトなんだが・・・。


 故障や不具合が一度として無いのは流石に恐れ入ったよ。

 前にも言ったが、俺たちは単葉機の経験は無い。


 だから飛ばすにはものすごく不安がいっぱいなのだが、実はうちの会社には「しみゅれーしょん」なる変わった装置がある。

 航空機のコクピットそっくりの装置で、フライトそのものを仮想で体験できる装置だ。


 流石に接地時のショックとか風の流れとかまでは体感ではわからないんだが、視覚では良く見えるんだ。

 テストフライトに出るためには、この「しみゅれーしょん」で最低240時間を体験しなければならん。


 一日6時間の訓練でも1か月以上もかかるんだぜ。

 まぁ、俺たちの場合は早く実機に乗りたいがために夜勤まで申し出て1日10時間近くの訓練をしたよ。


 お陰で1か月後には、ルー101を実際に飛ばすことができたぜ。

 久方ぶりのフライトは・・・・。


 まぁ、血沸き肉躍るって心境だな。

 凄まじい性能を持つ新型機ながら、専ら訓練場所は房総沖200海里の海上だ。


 できるだけ人に見られないようにという社長の命に従って、俺たちはウチの滑走路を飛び上がると一気に急上昇して1万mの高々度に上昇、更に陸地を遠く離れて訓練を行うわけだ。

 数回の実機訓練で四人が慣れてくると夜間訓練が主になった。


 日没後に飛び上がって、概ね4時間から5時間のフライトを行って夜の間に戻って来る。

 軽装備の場合もあるが、大体はフル装備だな。


 燃料満タン、武器弾薬(偽装弾)も積み込んで、増槽タンクと模擬爆弾までぶら下げている。

 概ね実機で100時間ほどのテストフライトが終了すると、次の新型機に移る。


 四人でやっても一月に一機種から二機種がやっとかな。

 それでも昭和13年後半には、6機種を実用化していた。


 昭和14年に入ると、更なる新型機が生まれ始めていた。

 双発の高々度迎撃機だ。


 プロペラ機ではあるんだが、1万2千mで800キロを超える速力を出せるという化け物戦闘機だ。

 ルー102という開発コードであり、何でも高々度を飛んでくる超空の爆撃機を迎撃するための要撃機らしい。


 そうしてさらには、米国のこじつけとでもいうべき宣戦布告から日米戦争が始まった昭和17年9月からは、プロペラの無い航空機までもが試作され始めていたよ。

 ジェット機というらしいが、最大速度は音速も超えるらしい。


 戦闘機タイプのジェット機の開発コードは、ルー201という。

 双発の爆撃機タイプは、「ハ―401」と「ハー402」がプロペラ機であったのだけれど、一気に高速化してハー601という開発コードが名付けられた。


 このハ―601という機体は高々度で長距離を飛翔する目的で作られた重爆撃機だ。

 巡航速度は音速よりもやや遅い亜音速だが、アフターバーナーという奴を使えば最大速度は毎時1700キロを超える速度が出せる。


 そうしてまたハ―601の機体によく似た機体で少し大きめのキー501がある。

 巡航速度は900キロ前後で大量の燃料を搭載してハー601に空中で燃料を給油できる特殊機体である。


 キー501を使って空中給油を行うと、理論的には、ハ―601で地球を周回することも可能だ。

 長時間飛行が予想されるから搭乗員はパイロット二名が必要で、昭和18年冬にはハ―601三機と、キー501三機を使い、太平洋を一回りするテストフライトを実施した。


 因みにこの際のパイロットは俺たち4人の古参パイロットに加えて、新たに補充された傷痍軍人4名と娘っ子4人の女パイロットも加わった。

 空中給油機キー501を操縦するのは娘っ子たち4人と若手の傷痍軍人パイロット2人。


 俺たちはキー501から空中給油を受けて太平洋を一回りしてきた。

 これにより、超長距離の爆撃が可能になったわけである。


 実戦で使えると確認され、陸海軍からパイロット120名が選抜され、ウチの会社で)を繰り返し、最終的には三月終りには現場に配備されたようだ。

 後で知ったことだが、アッツ島とウェーク島から発進した、キー501とハ―601の連携により、米国西岸のカリフォルニア、中西部、そうして米国東岸にまで爆撃を敢行し、米国が開発中の新型爆弾の研究所、工場等を軒並み破壊した上に、おまけのように米国全域にわたって和平を呼びかけるビラを空中散布したらしい。


 確かに16トンもの爆弾を搭載できるハ―601と空中給油機があれば、米国本土、いや世界中のどこにでも爆撃が可能なことになる。

 将来的にどうかは分からないが、現状で米国にハ―601を迎撃する手段はないらしい。


 後に分かったことではあるが、米国でも新型爆撃機が試験飛行を行っており、1944年(昭和19年)春には実戦配備も可能だったらしいが、ハ―601程の航続距離が無いために、日本を攻撃できる足場が無いので日米戦争では出番がなかったようだ。

 仮に、ソ連領などから攻撃をかけて来ても,蒼電若しくは新型の要撃機等で日本を守ることができただろうと思うぜ。


 米国が和平を申し入れて来るのにさほどの時間はかからなかった。

 つらつら考えるに、米国はウチの社長に負けたんじゃないかな。


 ただね、うちの会社って、社長が居なければできないものがいっぱいあるんだよ。

 新型機の開発には大抵社長がメインで絡んでいるし、兵器部門も同じだ。


 一旦生産ラインが構築されるとウチの会社の技術陣で何とか維持できるけれど、開発部門はほとんど機能していないに等しい。

 どちらかというと開発部門は、社長の手助けをしている部門であって、主力は社長なんだよ。


 だから社長が居なくなれば、新たな開発は非常に難しくなるんじゃないかな?

 まぁ、10年や20年は大丈夫だけれど、そのあとは・・・。


 もしかすると、ジュニアがそのころには社長から何かを受け継いでいるかもしれん。

 まぁ、そのころは俺も現役を引退しているわけだから、そんな先を心配しても始まらんか・・・。


 日米戦争終了後の大日本帝国は好景気に沸き立っている。

 欧州戦争もそろそろ終わりが見えてきているな。


 ソ連はナチスドイツに敗れてウラルまで撤退したけれど、ナチスドイツは英米等の連合軍に押されて防戦一方になっている。

 その上、大日本帝国が参戦しそうな雰囲気もあって、仮に帝国が参戦すれば一か月もかからずにナチスは降伏するだろう。


 今の帝国戦略空軍はそれだけの力がある。

 そうそう、帝国海軍の機動艦隊も8個機動艦隊になった。


 旧式の航空母艦である赤城、加賀は既に廃棄が決まっており、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴については、吉崎重工中道造船所で大改造を受け、揚陸強襲母艦として生まれ変わった。

 樺太の油田は1945年春の段階でリグ24本が稼働中であり、日産で20万バレルの原油を生産し、世界中に輸出されているな。


 大日本帝国が石油不足で困ることは今後百年ほどは無いだろうと言われているよ。

 一応世の中が平穏になったので軍部の力が少し弱体化したかもしれないが、軍事力という面で見れば世界一の超大国になったのかもしれない。


 日本を中心とするアジア経済が次第に隆盛しており、同時に東南アジア各地で植民地からの独立運動が盛んになっているな。

 それを大いに後押ししているのが、タイ王国だ。


 蘭印、仏印をはじめとして独立運動が過激になってきているために、既に白人の多くが豪州などに避難している様だ。

 タイ王国も我が帝国の後押しを受けて、四菱、仲嶋等の兵器が輸出されているから、東南アジアでは一大強国になっているんだ。


 インドの方も独立の機運が強くはなっているんだが、イギリスの締め付けが強く、まだ道のりは遠いな。

 このアジアに吹き荒れた民族自決の独立運動は南米やアフリカにも波及しつあるというのが、国際ジャーナリストの分析のようだ。


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 「蒼穹のレブナント」を最後まで読んでいただきありがとうございました。

 欧州参戦などいろいろ続きはありそうですけれど、この話は一応これで終了とさせていただきます。


 戦争の戦闘場面は近代になればなるほど陰惨になるものなので、できるだけ避けてしまいました。

 その点が物足りなかったかもしれません。


 また、別のお話でお目にかかれることを期待しています。

 皆さまお元気でお過ごしください。


  By @Sakura-shougen


< 追伸 >

 9月3日(火曜日)午後8時より、新たな投稿をいたします。

 仮題は「二つのR ~ 守護霊から「Reaction」と「Resistance」をもらった高校生」です。

 ファンタジーですが、少し毛色の変わったストーリー??かも・・・。

 よろしければご一読ください。

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仮想戦記:蒼穹のレブナント ~ 如何にして空襲を免れるか @Sakura-shougen

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