境界線上・色

 嘘の僕は、本当の彼女と向き合っている。放課後の屋上で。


「挨拶は、初めましてとこんばんは。どっちがいい?」

「こんばんは、そして初めまして。だと思うわよ」

「じゃあそれで」


 太陽は彼女の背後に落ちて、後ろから彼女を照らしている。

 逆光で彼女は影に包まれている。夕日が眩しくて僕はかけていた眼鏡をはずした。


「世の中、嘘だらけだ」

「嘘だらけの中で、貴方は本当でしょ?」

「変わってないだけさ」


 そう、生まれた時から何も変わっていないだけ。変わらず成長しているだけ。


「変わってないってことは、本当を貫き通して居るってことでしょ?」

「変わりたくなかったんだ」

「体ですらファッション感覚でみんな着替えてる。顔も体格も声も髪型も。全てはファッション、なりたい自分になれるこの世界で変わらないことは本当だよ」


 偽りこそが本当の世界で、本当であろうとする僕は間違いなく嘘だ。自分の本当の姿でいるのは極々少数。本当の自分が大好きな変わり者か、嘘になりたくない僕みたい変わり者。結局変わり者しかいない。


「私はどっちだと思う?」

「どっちだろうね」


 自分が見てる世界ですら嘘なら、自分以外の本当と嘘を決めることは出来ない。


「どうして左眼を隠してるかわかる?」

「ファッション?」

「世界を見ないためだよ」


 彼女は左眼を隠す髪を持ち上げた。左目があるはずの場所には左眼なんてなかった。目のように動く機械。義眼が嵌っていた。


「生まれた時、左眼が無かった。だから代わりにこの義眼が嵌め込まれた。型式が古くて、左眼にはこのデジタルな世界が見えない」


 デジタルな世界。比喩でもなんでもない。正しくデジタルでできた世界。0と1で作られた世界。肉体が必要なくなった人類の第二の世界。僕がいつも眼鏡をかけているのは、デジタルの世界を見るためだ。


「デジタルな世界で、私の左眼だけがアナログで生きていた。現実から逃げたくて左目を隠した。でも私は決めた、アナログな世界で生きるって。貴方は最初からそれを望んでいるんでしょ?」

「そうだよ」


 ほとんどの人間が生まれも育ちもポットの中。生活の全てをポットがしてくれる。人間はただデジタルな世界の中で面白おかしく生きていけばいい。

 僕はアナログな世界でずっと生活してる。

 初めから全部嘘。嘘こそが本当の世界で、本当であろうとする僕は嘘の塊だ。


「君はずっとデジタル世界で生きてきたんでしょ?」

「そう私はずっとデジタル世界にいた。だってアナログの世界は過酷で不自由が多いのは一般常識だもの」


 世界が既に滅んでいる訳では無い。デジタルで生きることに慣れた人間からすれば、アナログ世界は過酷なんだ。走れば呼吸が苦しくなる。怪我をすれば痛い。夏は暑いし、冬は寒い。常に気温は一定で、怪我をすることもない世界の方にいたいと思うのは当然だろう


「貴方はデジタルな世界で生きようとは思わなかったの?」

「僕には、デジタルの世界で生きるのが耐えられないんだよ」


 デジタルな世界で運動は必要ない。でもデジタルな世界で運動をしないとポットの中の体は太っていく。もちろん不健康と言うほどではないけど。醜い姿になっていることが多い。ポットの役目は肉体を生かすこと。生きているなら容姿はどうでもいいんだ。

 アナログな世界で運動しないと肉体の維持はできない。アナログの世界でする運動は苦しい。苦しいよりだったら簡単に容姿が変えられるデジタル世界に居続けた方が楽なんだろう。運動をする理由はアナログな世界で生きるために必要だからなんだし。アナログな世界で生きないなら運動は必要ない。 両親はデジタルの世界に住むことを選んでいる。僕は見た目の全く違う両親が同じ人間だとは思えなかった。だから生まれてからずっと一人だった。デジタルな世界で生きる勇気もなく、ポットの中で体が醜く変化していくことに耐えられなかった。



「でもアナログの世界で一人で生きるのも過酷なんだ」


 食事をするとき眼鏡の向こうには両親がいるけど、眼鏡をはずせば誰も居ない。学校に行っても眼鏡の向こうにはクラスメイトがいるのに、教室には僕一人だけ。常に孤独が僕の後ろを追いかけてくる。


「ねぇ一人じゃないなら、アナログ世界も悪くないと思わない?」

「一人じゃないなら?」

「今ここにいる私と一緒にアナログ世界で生きてよ」

「君と?」


 心臓を撫でられた気がした。鷲掴みにされたら苦しい。でも撫でられると恐怖と言葉にできない感触を味わう。感触の説明は困難だ。意識のあるまま内蔵を触られたことのある人間は数少ないのだろうから。こそばゆい感覚が一番近いのかもしれない。


「結婚も、子供を作ることも。娯楽に過ぎないんだから気楽に考えればいいのよ。好きだからなんて前時代的な考え方よ?」

「アナログ世界で誰かと生きてはみたい。でも、アナログ世界じゃ嘘が分からないじゃないか」


 デジタルは嘘だらけだから、嘘がわかりやすい。眼鏡をかけていれば、デジタル世界のすべてが表示される。でもアナログは分からない。データが出るわけじゃないから。


「どうせ嘘か本当かで悩むなら、曖昧な世界の方が生きやすいと思うけど?」

「それは、そうかもしれないけど」


 デジタルは、嘘と本当がはっきりしている。アナログは嘘と本当が曖昧。


「きっと面白いわ、曖昧な世界の方が生きている感じがして」


 生きている。デジタルな世界じゃ、生かされていると表現した方が近いのかもしれない。生かされている。生きている。とちらが人間らしいんだろうか。人間として変わらないのなら、選ぶべき選択は。


「わかったよ。曖昧な世界で一緒に生きて欲しい」

「もちろん、私から誘ったんだから。よろしく」


 今この瞬間に救われたのは、僕なのか彼女なのか分からない。互いに互いを救ったのかもしれない。デジタルで生きることを拒み、アナログ世界で一人苦しんでいた僕。デジタルで生きながら、デジタルとアナログの狭間を迷っていた彼女。


「私アナログ初心者だから色々教えてね?」

「デジタル世界とほとんど変わらないよ。肉体があること以外はね」


 曖昧なアナログ世界にこそ、真実があるのかもしれない。

 嘘も本当も、結局は移ろいゆく雲のようなもの。

 形を変えて空に浮かび、時に見えなくなってしまう月のような真実が必ずある。事実は嘘にも本当にもあるけど、真実はどちらか片方だけ。


「嘘の中から真実を探すよ」


 嘘は良く見えるんだ。本当よりも良く見える。


「貴方は得意そうね。私は本当から真実を見つけるわ」

「君の目は特別だからね」


 特別なのは機械の義眼だからじゃない。彼女には人を見る眼があるんだろうから。

 かつてを生きた人は当たり前のように、曖昧な境界線上を歩いてきた。

 時に本当を嘘のベールで包んで。嘘の中に少しの本当をスパイスで付け加えて。嘘と本当の渦巻く世界で生きた人間には、未来の人間とは違って嘘も本当も見る眼があったんだろう。

 人間は進化したのか、退化したのか。

 嘘と本当を見分ける目を未来の人間は持てるのだろうか?

 こんな世界でも、僕と彼女は前に進み続けるのだ。だってここが僕らの生きる世界だから。

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問、嘘と本当の境目は?~真実が見えますか?~ 幽美 有明 @yuubiariake

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