期限

三鹿ショート

期限

 ある朝、目覚めると、自室の壁に大きな落書きが存在していた。

 血液のような赤々とした色で書かれていたものは、数字の羅列だった。

 落書きにも驚いたのだが、侵入されたということは、何かを盗まれたのではないかと心配になり、室内を調べていく。

 だが、家の中から盗まれたものは、何も無かった。

 落書きのためだけに侵入したということは、この数字に何らかの意味が存在しているのだということなのだろう。

 しばらく見つめていたところで、私は気が付いた。

 これは、日付なのではないだろうか。

 よく見れば、数字と数字の間に区切るかのような空白が存在している。

 区切った位置から、数字の羅列が日付だと考えることが自然のように思えた。

 ゆえに、その数字が示しているものは、数日後の日付らしい。

 何かが起こるということなのだろうか。

 そう考えていると、不意に落書きがその姿を消した。

 まるで、私が気付くまで待っていたかのようである。

 落書きが存在していた壁をよく調べたが、何かが書かれたような跡は存在していなかったことから、幻を見たという可能性を捨てることができない。

 疲れているのだろうと考え、私は再び眠ることにした。


***


 翌日、友人に落書きのことを話したところ、友人は驚いたような表情を見せた。

 いわく、友人もまた同じような体験をしたらしい。

 しかし、その日付は私とは異なっていた。

 友人が口にした日付は、今日のことである。

 友人は何が起きるのだろうかと、どこか浮ついたような様子だった。

 それから取留めの無い話を続けていたが、突然、耳を塞ぎたくなるような大きな音と共に、友人の言葉が途絶えた。

 何事かと周囲に目を向けようとしたところで、先ほどまで友人が立っていた場所に、巨大な鉄骨が存在していることに気が付いた。

 近くで建物を建設していることを考えると、その現場から落下してきたものと思われる。

 では、私の友人は何処に消えたというのだろうか。

 そのようなことは、考えなくとも分かる。

 友人は、鉄骨に潰されていた。

 一瞬にして潰されたために、それほど苦しむことはなかっただろう。

 周囲で叫び声があがる中、私は声を出すこともできなかった。

 友人を失ったことに対する悲しみが大きかったのか、もしくは、落書きの意味が、己の生命が失われる日付なのではないかという恐怖を抱いたからなのか。

 私はその場で立ち尽くすばかりだった。


***


 数日後に失われる生命ならば、後悔するような日々を送るわけにはいかなかった。

 真っ先に考えたことは、貯めていた金銭をどうするかということである。

 死後の世界にそれらを持って行くことは出来ないために、今のうちに使用しておかなければならないだろう。

 老後に備えて貯めていたのだが、老いる前にこの世を去ることが分かっているのならば、使っておいた方が良いに決まっている。

 加えて、私は想いを告げずにいた彼女に対して、愛の告白をすることを決めた。

 たとえ彼女が私の愛を受け入れることがなかったとしても、悲しみの日々をそれほど過ごすことなく、この世を去ることができる。

 もしも彼女が私を受け入れた場合は、この世を去るまでの短い間でも、彼女が私のことを忘れることがないほどの愛情を注ぐことを決めた。

 結論からいえば、彼女は私の愛を受け入れてくれた。

 この世を去ることが決まっていることを伝えていないことを考えると、同情などではなく、彼女にも私に対する好意が存在していたということなのだろう。

 私は時間を忘れ、彼女を愛し続けた。

 これほどまでの幸福な時間を、私はついぞ味わったことがなかった。


***


 名残惜しいが、私がこの世を去る日がやってきた。

 使い切ることができなかったために、余った金銭は彼女の自宅に置いてきた。

 最期の日は彼女と共に過ごすことを望んでいたが、隣に立っている彼女にどのような影響が与えられてしまうのかが不明だったために、私は一人で過ごすことにしていた。

 荒い呼吸を繰り返しながらそのときを待っていると、何時しか焦げ臭さを感ずるようになってきた。

 部屋を出たところ、どうやら私が住んでいる集合住宅が火事に遭っているようだった。

 逃げることが不可能なほどに、火は燃え広がっていた。

 私は自室に戻り、瞑目し、覚悟を決めた。

 出来ることならば、老いるまで彼女と共に過ごしたかったのだが、仕方の無いことである。

 想像を絶するような苦しみに襲われるだろうが、受け入れるしかない。

 考えてみれば、己の生命の終わりが分かっているということほど、良いものはない。

 終わりが分かっているのならば、其処に向かって後悔の無い人生を送ることができるようになるからだ。

 人生というものは、不確定なことが多い。

 ゆえに、生命の終わりだけでも分かっているのならば、人生の計画を立てることが容易になるのだ。

 誰があのような落書きを記したのかは不明だが、私は感謝の言葉を吐いた。


***


「あのようなことをして、本当に良かったのでしょうか。彼らは未だに悪が目覚めていない、普通の人間ではないですか」

「気にすることはない。将来、彼らが引き起こす凄惨な事件の被害者の数を思えば、芽を摘んでおくことは大事なことなのだ」

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期限 三鹿ショート @mijikashort

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