雪の庭

鍋島小骨

天星師団茶道会史

 組茶くみちゃ――くみあわせ茶道ちゃどうは陰ながら密かに伝承されてきた茶道のスタイルである。くみあわせといっても茶室で使用する道具組にすべての価値を置くといったような意味ではない。組茶で組まれるのはそのものだ。

 従来の流派はその茶席において、使う茶室を決め通れる庭の道を決め、通れない道には置き石して塞ぎ待合を用意し……といったような事を行うが、組茶くみちゃにおいてはそれらほぼすべてをぐみと呼ばれる空間要素そのものの直接組み合わせによって行う。

 囲いと呼ばれる結界された敷地の中で、茶席・茶事を催す亭主がその都度自在に間組を配置する。これは平面の積み木遊びに近い。平たく言うと『いろんな間組積み木を集めて君だけの茶席会場を作ろう!』である。毎回箱庭を壊しては新しい庭を作っているようなものだ。組茶くみちゃにおいては、場所すら一期一会である。

 組茶くみちゃの世界で茶道家が大物になっていくには腕利きの間組職人を子飼いにする必要があった。間組職人はなろうとしてなれるものではなく、生まれつき特殊な才能を持った『異邦人』だけがその力を持つ希少な人材である。

 また利休の侘茶と違い、組茶では囲い面積をどれほど大きく広くできるかが亭主の力量を表す。そのため、小間の茶席より多数の客を招き大きな座敷を使う大寄せ茶会の方が上等の茶席とされる。



 くみあわせ茶道ちゃどうについて私が知ったのは十九の夏を迎えた頃のことだった。作った覚えのない間組に迷い込んだところ書棚の前の書見机にくみあわせ茶道ちゃどうの概要を記した本が置かれていたのである。本など見かけるのは久し振りで、つい読んだ。

 そうして私は、自分が何をやらされているか概ね理解した。

 私は、その世界では鬼と呼ばれていた。異世界より引きずり込まれた異界人をここでは鬼と呼ぶのだ。異界との扉はこの世では鬼ヶ島とか鬼の棲む山と言われる所に隠されていて、時折異界人がこちらの世界に出てきてしまうと捕らえられ、その能力によってあちこちに売り飛ばされる。

 元の世界での私は魔術師の弟子で、建築魔術士になるため学んでいた。空間を創り出す力を持つ鬼は、くみあわせ茶道ちゃどう界か庭師に売られるのが常だ。

 せいという亭主に買われた私は、以来、囲いの中の二重囲いに閉じ込められて彼女の望む一(一けんと数えられることもある)四方の庭や建物などの間組を延々と創り続けることとなった。間組同士の絵が繋がるように配置を考えるのも私の役目で、全体の広さがこのくらいでこの要素を全部入れろとかこの角度でここからあれが必ず見えるようにしろとか、そうした成禾の注文を何とか実現できるよう工夫を凝らすのも全て私の仕事だ。

 うまく行けば何もなかったが、うまくいかなければ殴られた。そしてこう言われるのが常だった。


――ああ、口惜しい。令良れら、お前ごとき平凡な小娘を掴まされて。私もれんのような有能な間組職人が買えたら!


 れんは数十年前に行方不明になったという伝説的な間組職人だ。かつて八町四方の大囲いを一夜にして組み上げたと言われる天才間組職人と比較されるのは私にとってひどく辛いことだった。元の世界ですら私は、魔術師見習いとして落ちこぼれの方だったのだ。今だって一歩の間組を注文通り作るだけで長いと半日かかる。

 それで、私はなぜここに……この見たこともない間組に辿り着いてしまったんだっけ? そう、半月前急に言いつけられた『大寄せ茶会の間組』が到底間に合わず、絶対に無理ですと何度も訴えたのに耳を貸さなかった成禾が五日前になって突如激昂し、初めて刀を抜いて振り回し始めたからだ。

 これまで殴る蹴るはあった、お軸の箱や矢筈で叩かれることもあった。花鋏を振りかぶられたことも。でも、いくら何でも日本刀ほど長い本気の刃物が抜き身で出てきたことはなかったのだ。

 それで、遮二無二逃げて。

 いつの間にか二重の囲いを出てしまったのか、見たことのない間組の中を走って、走って。だって、後ろからは成禾の怒鳴り声が、何かを斬りつけ壊す音と一緒にずっと追ってくるから、怖くて、怖くて、怖くて。

 そして逃げ込んだのがこの間組だ。見たこともない間取りとしつらえの。でもそれはおかしい。

 成禾の囲いの中には、今や私が造った間組しかないはずなのだ。私を買う前に使っていた出来合いの間組を成禾はすべて廃棄した。それに今いるこの間組、板間に書棚、書見机と座布団、付書院に障子窓。床の間はなし。何だかおかしい。成禾はケチで、組茶くみちゃでのし上がることしか考えておらず組茶に関係のないものには興味がない。茶席に必要のない間組なんて持たない人だ。

 組茶の世界で囁かれる怪談が脳裏を過ぎった。創ったはずのない間組があったら、それは冥途への入口だと。没した茶人や間組職人が奥の戸から出てきて引きずり込まれる。また、見たことのない間組の中で見つけた茶道具を持ち出そうとしたら祟られるのだと。

 私は欄間を見上げた。間組職人は自作の間組のどこかに自分のしるしを残すが、私は欄間の枠に自分の元いた世界の文字でレラと名を刻んでいる。この部屋の欄間にはもちろん私の名はない。代わりに、ある意匠を見つけた。

 雪の結晶。

 ああ、と嘆声がもれた。今回、成禾に命じられたのは『雪景色の大寄せ茶会』だったからだ。

 一月程度、気象を先取りすることはできる。それは茶席では普通のことだし、私も『現在』と接続したごく近い将来の季節らしさを間組に取り込むことはできる。でも今は真夏だ。真夏に真冬の間組を創るほどの力は私にはない。

 成禾はどうしても納得しなかった。偲久漣にできたことがなぜお前には出来ないのか、同じ間組職人のくせに、と叫び散らして終いに刀が持ち出された。

 どうかしている。

 成禾は年々おかしくなってきている。身の丈に合わない茶席を催そうとし、私の能力を超えた間組を要求してくる。

 私は成禾の下でこれ以上生きていけるのだろうか。今より良い間組を作ることも、今より速く間組を作ることも出来そうにないのに。でも他に行くところはない。だって二重の囲いを出られないし間組職人は通常売られるまで亭主の元を離れられない。そして次の主を選ぶこともできないのだ。成禾はケチだから買い替えは避け、最後まで私を使い倒すだろう。

 つまり、終わりだ。私はこのまま成禾に無茶なことばかり言われ毎日怒鳴られ足蹴にされて、きっと近いうちに殺される。

 ……と、思っていた。

 でも今、二重囲いの外にいる。よく考えてみたら、私はこの間組に入るときひどく転んだ。すぐに本を見つけてどうでも良くなってしまったけれど、変な転び方だった。まるで壁に叩きつけられるような。

 壁に?

 魔術師見習い中のことをふと思い出した。建築魔術の接続を間違ったときこんな風じゃなかったか? そう、創った空間を倒した形で接続してしまった時に、扉を通ったら『床』が右手壁に設定されていてその床に落ちたことがある。

 私は後ろを振り返った。開けっ放しの襖は真横に設置されており、その向こうには私から見て左手壁側に廊下面が続いていた。

 ねじれている。

 本を読んでいる間に成禾が来なくてよかった。私は横向きの襖を閉め、次に別の壁面の襖を開けて間組の外を見る。

 こちらは今いる部屋と天地が揃っていた。やはり欄間に雪の意匠。私の創った間組ではない。

 私は、成禾の囲いののだ。理由はともあれ、どこか別の囲いに出たのに違いない。

 ……逃げられる?

 囲いから外に出るにはどうしたらいいんだっけ?

 庭だ。庭を探し、降りて飛び石を見つける。飛び石は茶室か門に繋がっているのだから、そこを辿れば囲いの外に行けるはず。

 私は立ち上がった。さっきの転倒で肩を傷めた気がするし、ここ数日碌に食事を与えられていなくてふらついたけれど、それでも。今頑張れば、逃げられるのなら。

 そうして踏み出そうとした時だった。

 次の間の死角から小柄な女が飛び出してきて衝突し、私は後ろ向きにひっくり返った。

 背中を打ったのと空腹とで一瞬意識が飛んだが、ばちんと頬に衝撃が来て目が覚める。

「立て!」

「うぇ?」

「お前、『令良れら』だろ? 立て、移動だ。追っ手が来る!」

 気づくと、正常に繋がっている方の部屋の向こうからいくつかの声と足音が近付いてくる。私の襟首を掴んだのは作務衣のようなものを着た銀髪の少女だった。

「早くしろ!」

 言われて立ち上がる。引っ張られるまま、彼女が書棚を引き倒し何もない壁に手をかざすのを見た。

 細い腕に淡青色の雷が細く絡みつくように伸びてその手の先へ放たれる。手の甲に建築魔術の紋が光る。ああ、この少女は間組職人なのだ。それもかなりの手練れ。現れた紋章は元の世界でなら並み居る建築魔術使いたちを統べる階級のもの。

 ばちん、と雷が爆ぜた瞬間、何もなかった壁に襖が現れた。彼女は迷わずその襖を開け私を引きずってその先に飛び込むと、振り返って再び魔法を放った。

 一瞬前までいた部屋が建材に分解され始める。

 向こうの戸口に駆け寄ってきた見知らぬ人々の一人が何か叫びながら部屋に駆け込んだが、建材の分解し始めた外には空も土も次の部屋もない、暗闇しか広がっていなかった。部屋の中の重力が減衰し建材と人間とが宙に浮く。

 こちらの戸口と向こうの戸口が離れていく。

 私の服を掴んだ少女は舌打ちし、手近だったのか茶釜を持ち上げて浮いた人間に投げつけた。釜の直撃を受けたその誰かは、ぐぇっという声とともに向こうの戸口に向かって漂っていき、手を伸ばしていた他の人間がそれを捕まえるのが見える。

 あ、釜の勢いであの人を助けたのか。そう理解した時には目の前にはもう暗闇しかない。空間の接続が完全に解除されたのだ。少女がぴしゃりと襖を閉めた。

 息をついた。見回すと水屋のようである。でもおかしな水屋で、明かり採りの障子窓も茶室に繋がる襖もない。と、見ているうちに少女は再び雷を放って、今通った襖も消してしまった。

「あぁ、焦った。久々に見つかっちゃった」

「あの」

「お菓子あるけど食うか?」

 戸棚の箱を取って蓋を開け、少女はその箱を差し出してきた。ひまわり、流水、花火、うちわ。夏の意匠だ。会釈して、流水をひとついただいた。口の中でじゅわりと溶けて甘い。

 お腹が空いていたし、甘いものなんて長いこと与えられていなかったから、うっかり涙ぐんでしまった。

 少女は有り難みもなさそうに干菓子のひとつを口に突っ込んで食べてしまうと、私シグレン、と言った。あ、やっぱり。欄間を見上げるとごく小さな雪の意匠。そんな気はしていた。

 伝説の間組職人れんは雪の庭を得意とする間組創りの達人と言われており、間組の署名も雪に纏わるものだとは聞いていた。

「レラだな。欄間にバカ正直に名前書く奴だろ? あと失敗作多い」

「何故それを」

「さっき接続解除の過程見たよな? 失敗作の廃棄されたやつはあの虚空間にあるからしょっちゅう見かけて気になってたんだ。あれ何で捨ててるの? 別に破綻してないよな」

「亭主の注文と全然違うので……早めにできたと思うと、いつも予定と全く違う失敗作で」

「捨てないで取っときゃいいのに。バラバラに取っといたら術式容量喰うけど一直線に繋いでおけば軽いだろ」

「えっ? でも私、自分の寝てる古い水屋の間組以外に持ってる空間なくて」

「水屋なら明かり採りに障子窓の一つくらいあんだろ。とりあえずそこに繋げばいいじゃん」

 アッ、と声が出てしまった。

 間違って創った間組は、注文と違うが私の趣味には合っていて棄てるのが勿体ないと思ったことはあった。どこかに繋いで取っておこうかとも思ったが、戸口が合わずに諦めていたのである。しかし、言われてみれば建具の寸法が合おうが合うまいが『出入り口』同士を繋ぐことはできるのだ。大きさはある程度違っても繋げる。先程の間組のように向きすら違っていても繋ぐことはできる。そうすればよかったのか。でもやっぱりやらなかっただろうと思う。万が一にも成禾に見つかったらと思うと恐ろしくて。

「まあいいか。ともかくお前の廃棄物で私は随分助かったんだ」

「え?」

「私の生産性には限度がある。速い方じゃないんだ、昔から」

「でも、一夜で八町四方の大囲いを……」

「あれは暇な時に創って大量に貯めといた間組を改造しながら大放出しただけ。イチから創るんなら、一晩じゃ一町四方も無理だね」

 私だって一町四方なんか無理ですが、と思ったが口には出さなかった。

「さっきみたいに逃げる時にはどんどん接続を外しながら次の方向に別の間組を接続して進むんだが、私の力じゃ常に間組を創り続けることができない。で、虚空間に棄てられてる誰かの失敗作を拝借することが多いんだ。その中にお前の間組がすげえ多い。分解して捨ててたか? 少しは建具が外れたりはしてるんだけどな、でもどれも原形を保ってるんだ。頑丈。それで誰の作品が気になり、欄間の署名を見つけた」

「お恥ずかしい……」

「そんなことないよ。寸法も様式も、季節すら合わないものを繋ぐのは負荷が高いから廃棄間組は短時間で砕けちゃうことが多いのに、お前の間組はいつもそれに耐える。石ですらない、木組みと紙と土の建築なのに、立派なもんだ。私がこっちに来て百五十年、あれほど強度に優れた間組を創れる奴はいなかったよ。だから」

 少女シグレンは私を見上げてニヤリと笑った。その淡青色の大きな瞳が星みたいに強く輝いている。

「――お前を探してた。この世界から逃げるためにお前が必要だ。レラ、私は今、跳躍転移陣を描いてるところなんだ」

「え? 跳躍転移陣って、別世界へ移動する古代術式ですか? でも、あれって確か城郭まるごと一つ使って組むような広大なものでは……? どこにそんな巨大な間組、いや囲いがあるんです?」

「ないよそんな囲いは。けどもし多数の囲いを内緒で繋いで一つの連続空間にしておき、大きな絵を描けたとしたら?」

「は」

 シグレンは背伸びして袋戸を開け、別の干菓子の箱を取り出している。とんでもない大箱だ。それこそ、大寄せ茶会の際に注文するような。

「各々の亭主が各々の囲いを持って、その中に間組をしてるだろ」

 塗りの菓子盆の上に干菓子が並べられていく。何か所かに固まったそれは何人かの亭主の囲いを表しているらしい。

「間組職人は普通、この囲いの中でしか組めない。と思われてるが実は、私は囲いを超えて間組を繋げられる。お前もだ」

「私? まさか」

「できてる。だから今ここにいるんだろうが。これはねぇ、できる奴とできない奴がいんの。お前結構手練れだった?」

「いえ、師匠も言葉を失うほどの落ちこぼれでしたが」

「理由なに?」

「……作業が遅いことです」

「遅くなる理由は?」

「予定と違うものを作ってしまうから」

「違うやつは結構すぐできる?」

「そうですね。気付いたらできてしまってます」

「やっぱお前、迷宮探検に雇われるような速成建築魔術屋なんだよ。危険な場所を通るのに意匠がどうとか言ってられないじゃん。とにかくすぐ通れて頑丈なやつをバンバン創れないとさ。元の世界に帰ったら『天星師団』に推薦したげるね」

「てっ……国内最高峰の魔術集団じゃないですか! 私なんか」

「いけるいける。元師団長の私が保証する」

「師団長!?」

 あの天星師団の師団長で名前がシグレン。

「ということは……」

「うん?」

「『氷竜の魔術師』アルシグレーニア・ダイス様!? 辺境の魔獣退治で行方不明になったきりという……?」

「それはちょっと悲しい思い出だからやめてくれないか……」

 虚ろな目で半笑いを見せながらシグレンは干菓子を齧った。

 こちらの世界で異世界人が現れる土地は鬼の棲む山とか鬼ヶ島とか呼ばれている。つまり位置がある程度固定されている。一方、元の世界で人が異世界へ吸い込まれる場所は固定されていない。私にしても、師匠のお使いに行った帰り道、毎日使う何でもない路地を通った際にこちらの世界へ転移してしまったくらいだ。シグレンも同じで、いつも通りの討伐出征中、急にこちらの世界に転移してしまったらしい。そして間組職人になった。

 凄いのは、『氷竜の魔術師』アルシグレーニア・ダイスは別に建築魔術士ではない点だ。私が魔術史で学んだ所によれば、彼女の本領は戦闘魔術にあったはず。その他の魔術は教養や余技としてのものだ。それでこちらの世界では最も偉大な間組職人と呼ばれるまでになったのだから凄い。それに、一度成立した間組の出入り口をつけたり消したりすることも並の職人ではできない。

「ったく、お陰で百五十年もこっちで無駄にしちゃってさ……この世界って魔力素はうっすいし、魔術が使いにくくて。それになんか暑くて湿気高いじゃんこの国!」

「あぁ……それでも『氷竜の魔術師』だから雪庭が得意だったんですね」

「そういうこと。色々試しても脱出難しくてさ。囲いの外に間組伸ばせることとか、虚空間に他の職人の廃棄間組が溜まってることとかも分かるのに時間がかかったし。……あ、説明途中だったな。囲い無視して間組を繋げられる奴がいて、それぞれの囲いっていうか敷地の地理関係を掴みさえすれば、繋がった間組全体を一つの地図として考えることができる。なら、必要な位置に魔術仕込んで巨大な跳躍転移陣を描けば中心の転移結界内のものを元の世界に送れるだろ?」

「でも間組は常に組み替えられているから難しいんじゃないですか?」

「そう。何もかも計画して、ある時間帯にすべてが同時に揃う必要がある。情報も人手も必要。だからこんなに時間が掛かったんだ」

 シグレンは片手を差し上げ、再び雷を放った。

 ばちん、と音がして現れたのは板の引き戸。そうしてその戸ががらりと開けられて。

「……『集会』の時間だよ」

 そこには戦の布陣図よろしく和紙に墨書きの跳躍転移陣の図が広げられ、周囲を明らかに同胞とみえる髪や瞳の色をした者たちが多数囲んでいた。

 振り返ると一転してふふんと笑ったシグレンが腰に手を当て、ふんぞり返って立っている。

「みんな間組職人同胞だ。同時に茶席が催される機会が近々やってくるから、全員がそれぞれの囲いの中で転移陣を発動させる。レラ、お前の亭主成禾の囲いも必要なんだ。やってやろうぜ」


 やってやろうぜ。

 私は魔術史の分厚い本のことを思い出していた。

 確か、千年前に魔獣の大襲撃を受け初めて天星師団が結成された時、時の国王と師団が初めて出陣する時の掛け声がそれだったと書かれていたはず。


――やってやろうぜ。一人の魔術は小さなものだが、この人数が団結すれば絶対に運命を切り拓くことができる!


 シグレンは本当に天星師団の上層部なのだ。そこに上り詰めるだけの資質があり、魔術師たちを率いる大魔術師。

 こちらの世界に来てから初めて、心の奥から沸騰するような気持ちが沸き起こってくる。子どもの頃、魔法が使いたくて、魔術師の弟子になりたくて、必死に練習していた頃のこと。

 自分にはできるはずと信じていた、あの頃のことを。



 その日、私はせいの注文したものにかなり近い、雪の庭の大寄せ茶会を間組で実現して見せた。茶室の間組の欄間に、私の名ではなくごく小さな雪の結晶が刻まれていることに成禾は気付かなかっただろう。

 正午の茶事にならった大寄せだった。

 明るい昼間、真夏に供される雪の庭、その白い雪に目を奪われる客たちを尻目に私は、庭の様子を見ていろという成禾の言いつけを破って自分の水屋間組に戻り、棚を外して明かり採りの小さな障子窓を開け、隣に接続させた別の間組に潜り込む。一四方のその板の間にはシグレンによって魔術が設置されている。

 この時刻、他の間組職人たちも同様に魔術を仕込んだ秘密の間組に入っているはずだ。どの茶席も正午の席入を予定している。客が入り亭主が点前座に出る、その頃合いが狙い目。その時、亭主は間組職人を探して走り回ったりはしにくいから、私たちはそこで仕込みの部屋に移動し、そこに要素設置された跳躍転移陣を順次起動させていく。

 すべての間組が魔術的に連続している必要があるから、私の水屋と接続した戸を消すことはできない。繋がったままやる。追っ手があの障子を開けないことを祈るしかない。

 掌に意識を集中させる。私は建築魔術の初歩しか学んでいない落ちこぼれだ。それでもシグレンは、私を優秀だと言ってくれた。前線で必要とされる速度と品質を兼ね備えていると言ってくれた。


――レラ、信じろ。魔法をでも私をでも、自分をでもいい。お前は建築魔術の落ちこぼれなんかじゃない。小さな枠に自分を押し込もうとするな。


 欄間を見上げる。雪の結晶と私の名が刻まれている。石に転移陣要素の魔術文字と紋を刻んで設置したこの部屋は、これまでシグレンがこつこつと創り続けていたが、仲間になってからこの五日、私も共同で幾つも創った。

 大丈夫。できる。

 シグレンの声が脳裏に蘇る。


――簡単なことだ。お前の魔力を流し出せ。そして、


 手の甲に魔術の紋が浮かび上がって回転する。

 術式風が自分の前髪を跳ね上げる。

 信じよう。できると。

 私には、きっとやれる。


――さあ、魔力でしろ!


 掌が燃える。光がほとばしる。

 シグレンが設置した石が瞬時に白銀の光を纏って燃え上がった。まさに放火だ。

 石から魔術の光が白く伸び、床上を辿り壁に向かい、壁を突き抜けていく。

 発動した。

 間組全体が震動する。茶席にも揺れが伝わっているかもしれない。

 転移陣発動と並行で仕込まれた魔術が作動し、新たな引き戸が生まれた。さあ、ここから。

 跳躍転移陣の中央まで、走らなければならない。

 生産速度の遅い他の間組職人たちのために、私はこの五日でかなりの量の間組を創り貯めた。それは彼らの囲いに密かに設置している。でも私の分は全ては間に合っていない。

 創りながら、走るしかない。

 できている分の間組は戸をつけず一直線に繋いである。畳敷きの廊下のようなものだ。

 掌と額に集中しながら走り出す。魔力を貯め、創りたいものを念じる。廊下の奥へ放つ。遠くに新たな間組が生まれ廊下が一だけ伸びたのが見える。

 これを、繰り返す。

令良れら! 早く庭を直しなさい! 雪はどこに行ったの!」

 背後から成禾の怒鳴り声がする。まだ囲いから近いのだ。私の水屋に入ったのだろう。バレるかも。怖い。私は走る。走りながら、掌と額に集中する。

 伸ばす。伸ばす。廊下を伸ばす。

「出てこい! 令良れら、この役立たず!!」

 涙が出てくる。怖い。それでも走った。

 みんな今この時、同じように走っているのだ。

 私たちみんな一緒に辿り着かなくては。

 一緒に帰らなくては。

 廊下を、伸ばして、伸ばして、そしてある時その行き止まりの壁に引き戸が現れる。私は思わず、さっきの放火の要領で魔法を放った。引き戸が吹き飛ぶ。

 その向こうにシグレンがいた。

 白銀の髪をなびかせて笑っている。

「来たな、レラ!」

 シグレンが待っていた特別誂えの部屋は三四方ほどの変形。床には墨で様々の方向が描いてある。みんなそれぞれその方向から来るはずで、私のように自力で部屋を伸ばせない者のためには既にここまで空間を繋いで扉もつけてある。

 私とシグレンは魔法ですべての扉を開いた。ぐるりと回転すると四方八方から駆けてくる仲間たちの姿が見える。中には仕えた亭主に追われている者も。

 シグレンは魔法を放つ。仲間と亭主の間の間組を狙って的確に接続を切っていく。私も同じようにした。不思議と、もう恐れはなかった。

 きっと、できる。

「走れ! 後ろを見ないで!」

 私は自然とそう叫んでいた。

「もうすぐだから、シグレンと私を信じて!」


 そうして、世界は白銀の光に満たされて。

 お互いの手を繋いでから私たちは、目を閉じた。




   *




 ずぞ、と音を立ててシグレンが薄茶をすすった。天星師団の制服を雑に脱ぎ散らかしたまま椅子に座った姿だ。正座の習慣のないこちらの世界では今、異世界茶道といえばりゅうれい式が主流となっている。

 あの集団脱走から三十年が経ち、両世界はお互い、異世界人を鬼扱いするのをやめ定期的に跳躍転移陣を開いて帰還させ合うところまで歩み寄っていた。それに一役買ったのが私たち天星師団茶道会だ。酷い目には遭ったものの茶席で供される茶と菓子は非常に美しくて美味だったし、季節や景色を愛でる文化は良いものだ。現に囚われ搾取された元間組職人の私たちが率先して相手の文化を学び取り入れる姿は外交的に一定の価値があったという。

 茶碗を置いて立ち上がったシグレンは相変わらず少女のままの姿で、ばちんと魔法の雷を光らせるとたちまち略式礼装を着込んだ。私も同じ装いである。私は今、師団長に返り咲いたシグレンの片腕として働いている。従う数名の中にはあの日一緒に逃げた者もいた。

「さあ、行こうか! 久々に向こうで茶席をぞ」

 今日から数日間はあちらの世界で会合があり、敢えて向こうに残留し組茶に寄与している間組職人たちと合同で大寄せ茶会を開くのだ。

 シグレンの雪の庭がまた見られる。今回のお菓子は何だろう? 私は期待に胸を膨らませ、跳躍転移陣を起動した。





〈了〉

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