それを何と呼ぼうか
アオイ・M・M
それを何と呼ぼうか
この世で最も密な関係は共犯関係だ。
――そんな台詞をどこかで聞いた記憶がある。
真偽は知りようがないが、はからずも共犯関係を築いてしまった当事者としてはこう言わざるを得ない。
クソ踏んで死ね。
軽快な動作とリズムで、スコップだかショベルだがシャベルだかが上下する。
地域で呼び分けが違うみたいな雑学を弟がドヤ顔でしていたのをふと思い出す。
きっとこれは現実逃避でしかない、現実に俺は雨の中でレインコートを羽織って、柔らかい土を必死に掘り返している。ここに弟はいない。
ざく、しゃく、とそれなりに薄い金属が土に滑り込む音と手触り。
1mも離れていない位置、気を付けないと肘が互いを打つような距離で同じような格好の、同じような事をしている男がいる。
「――ねぇ、もう良くないすか?」
その男は、ゼミの後輩は不意に土を掘る手を止めてそう言った。
俺は、その言葉に返す言葉もない、『もう良い』かどうかの判断はつかない。
死体を埋める経験などはじめてだから。
だが、雨の中で黙々と土を掘る作業に
もっと現実的な問題として、雨で柔らかくなった土をこのまま掘り返し続けると、自分たちが埋まるか、出られなくなる危険というのも確実にあるように思えた。
山は、つまりここは。
後輩が祖父に貰った二束三文の山で、つまり私有地で。
勝手に踏み入る馬鹿な観光客にキレたその祖父がぐるりと鉄条網付きの金網フェンスを用立てており、過去には不法侵入者相手に裁判を起こして地方紙の一面を飾った事があるらしく、地元の人間にはその武勇伝は有名で、他ならぬ俺も耳にしたことがあり、――つまるところ勝手に他人が入って来る可能性は低い場所。
したたり落ちる雨があごまで流れて、不快さに眉をしかめながら手の甲で拭った。
手の方も既に雨に濡れていたために思ったほど不快さは和らがなかったが。
危機感、不安感、焦燥感、そういったものがないではなかったが。
疲労と、はっきり言ってしまえば「どうでもいいか」という諦観が決断を下させた。
「そうだな、もういいだろ」
俺の言葉に後輩は頷き、「先、上がってくださいよ」と言って俺の背中を押す。
俺は2m近い高さにある穴の
思えば先にロープの一つでも垂らしておけば良かったんだと気付くが、今更だった。
そもそもロープなんて用意していない。
足元を確認してから、後輩を引き上げるために屈んで手を伸ばしかけて――、
「ちょっと、
「そんな顔してねぇよ」
嘘だった。
正直なところ少しその考えは頭をよぎった。
そうしなかったのは。
麻痺しつつあってもいくらか仕事をしている理性と、単純な打算。
せーの、と声を掛け合って、1mと82cmのなにかが入った寝袋を今さっきまで俺たちがいた穴に落とす。
なにか、とはつまりゼミの先輩。
ゼミの先輩だった
この面倒な状況の原因になっている、俺がはからずも作った死体だった。
延々と穴を掘ってまた埋めさせる刑罰だか拷問があるという話を思い出す。
この話も確か出所は弟だったか。
人間は意味がない事をやらされるのが一番しんどいんだよ、とかそんな話。
嘘だ、と思った。
意味なんかあっても普通にこんなもんは拷問だ。
1人でやりたくなかったから俺はこいつを埋めなかった。
そういう面は間違いなくある。
苦労して掘った穴に、先輩を落とした穴に二人がかりで土を放り込んでいく。
意味はある、俺たちは死体遺棄をしているのだ、殺人を隠し通すために。
「死体遺棄って刑法すよね」
黙々と土を投げ込むことに飽きたのか、あるいはただの現実逃避か。
後輩が突然そんなことをぼそりと呟いた。
「刑法以外になにがあるってんだよ。
第百九十一条、『死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、』者は……、懲役、2……年、だっけか」
「百九十じゃなかったっすか?」
「知らねぇよ、そんなの覚えてねぇよいちいち」
「今途中まで覚えてたじゃないすか」
「うるせぇ、黙って土かけろ」
後輩は言われた通りに黙った、雨音だけがざぁざぁと、葉を叩くぱちぱちと響く。
――第百九十九条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
黙々と土をかけるなか、脳裏によぎる刑法。
クソ。
苦労して法学部に入ったのは弁護士を目指すためだった。
もっと言えば金儲けがしたかったからだ。
なのに、現実はこうだ。
いや、違う、俺は殺してない。
少なくとも殺意はなかった、あれは事故だ。
だから、そう第二百五条だ。
身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期懲役に処する。
傷害致死であって、殺人ではない。
神に誓って俺は同性愛者に偏見はない。
ないが、その気がない俺に言いより、押し倒そうとした先輩のことは嫌いだ。
これは偏見ではない、当然の帰結だろう。
嫌う権利があると思う。
ゼミコンで飲んだ帰り、べろべろに酔った先輩を俺は送り届ける事にした。
いい先輩ではあったと思う、今にして思えば下心もあったのかもしれないが。
俺には優しかったし、面倒見も良かった。
だから、まあ。
家まで送り届けようと思うのは人情で、夏の盛りとはいえ路上に放置するほど人間として終わってるつもりはなかった。
まともに歩けなくなるほどベロベロに酔うのは人間的に終わっていると思うが。
酔った人間というのは案外重い。
家までたどり着く前に俺は体力が尽き、
いくらか酔いの抜けた先輩は理性を溶かして俺に迫って来た。
たまたま方向が同じだった後輩は、酔いのせいか道に迷って引き返して来て、ゼミの先輩の顔をみつけて飲み物の1つもたかろうとして、じゃれあいではなく本格的にまずい襲われ方をしている俺を見て割って入ろうとした。
ありがたい話だと思うが、結果は最悪だった。
善意と好意から構成されたドミノ倒しはろくでもない結末に落着する。
先輩は酔っており足元はおぼつかなく、引きはがそうとした後輩も足元は怪しく、突き飛ばした俺も酔っており、力加減を失敗した。
間の悪いことは続くもので、先輩が派手にひっくり返った先の地面には石があった。
地面に埋まった石を放置するなんて行政の怠慢だろ、と責任転嫁しても仕方ない。
――かくして、面倒見のいい先輩は、面倒見のいい先輩だったものになった。
地面に尻もちをついて、あるいは転がっていた俺と後輩が、先輩が物言わぬ先輩だったものに変わったことに気づいたのはさらに数分後だったと思う。
何かの冗談だと思ったし、気まずくなって寝たふりをしているか、あるいはマジ寝なんだろうと思ったし、そう思い込もうとした。
現実逃避はやはり良くないのだろう、思えばあの時、寝てるだけだなんて思いこもうとせずに救急車でも呼べば違う結末もあったかもしれないのに。
俺は、あるいは俺たちは呆然とするばかりで動くことができなかった。
沈黙を破ったのは後輩のぼそりとした呟きだ。
「俺、裁判官になりたいんですよね」
真偽は知らない。
だが法学部の先輩方や教授が話題にする都市伝説じみた話は確かにある。
前科者、前科者が身内に居るやつは司法試験で落とされる。
繰り返すが真偽は知らないし、わからない。
確認のしようがないし、本人はまだしも身内で足切りされることがあるだろうか。
俺は弁護士になりたい。
金が欲しいし、良い生活がしたい。
奨学金を返す必要もあるし、毒親にしか思えない両親とも縁切りしたい。
なにはなくとも金が要る。
過去に汚点など欲しくはない、あるいは弁護士であれば前科があるからこそあなたたちの味方です、なんてセールスポイントにできるだろうか?
馬鹿らしい。
そんなわけあるか。
――だから。俺たちは
先輩を埋め切る頃には雨はやんでいた。
レインコートのフードをはがし、しずくが流れて来る首筋に不快感を覚えながら。
スコップだかショベルだがシャベルだかを担いで無言で山を下りた。
フェンスのゲートを出て、後輩の車のトランクに荷物を投げ込み、閉じる。
ゲートを閉じて、来る途中にホームセンターで買った南京錠をかけた。
鍵は2本、1本を俺が、1本を後輩が持つことにした。
相談したわけでも、そう取り決めたわけでも別になく、そうなった。
俺は鍵の1本を後輩に投げつけ、あいつはそれを受け取りポケットにねじ込んだ。
家まで送ると言う後輩の提案は断った。
そろそろ夜明けが違い、人目につく可能性もある。
俺のアパートはここからなら歩いて帰れない距離ではない。
じゃあ、と頭を下げて後輩の車が山を出ていく。
駐車場とも呼び難い、申し訳程度の駐車スペース。
この先私有地、とでかでかと描かれた看板の横で、フェンスにもたれて俺は深々と息を吐いた。
ジーンズのポケットからしわくちゃになったボックスを、タバコを引っ張り出し、100円ライターで火をつける、湿気て味も何も分かったものではなかったがとりあえず火はつき、ニコチンとタールが脳にまわって心を落ち着けてくれる。
そういえば最近はもう150円ライターか……、いや俺が買い始めたころは既にそうだった気がする。
フェンスに背を預けたまま、煙を呼吸する。
脳内に反復するのは実家に帰った時にした弟とのたわいない会話ばかり。
実際には一方的に弟がしゃべっているだけだった気もするが。
あれは、弟との会話は、俺にとって『日常』なのだろう。
だからこんな時に馬鹿みたいに脳に反復するし、つまりこれは現実逃避だ。
くだらない、どうでもいい、たわいもない、意味のない。
弟のトークが脳内に溢れ返る。
足元に煙草の吸い殻が小山を作るころ、くだらないトークの1つが琴線に触れた。
まさかな、と思いながら地面を踏む。
硬い、感触。
雨が降っていたとしてもやはり地面はそれなりに硬い。
掘り返された地面を埋めても、しっかりと硬くなるには半年から1年程度かかる。
これも確か弟の駄トークだった。
まさか、という小さな疑問。
だがあまりにも状況は最悪過ぎ、小さな不安を放置できる心境ではなかった。
だから、山を下りた。
ホームセンターを探して、開店前だと気付いて、舌打ちする。
山へ続く道を引き返し、農家か何かのボロ小屋に放置されたスコップだかショベルだがシャベルだかを勝手に拝借して引きずりながらフェンスまで戻った。
南京錠を外し、後輩の鍵がいる南京錠はフェンスの方を引きちぎった。
ゲートを開けて山道とも言い難い道を進んでいく。
山の中、広場のようになったそこを見渡す。
不安はただの不安では終わってくれそうになかった。
なぜ後輩はここに迷いなく俺を案内できたのか。
山の中、それも夜に。
ここまでくる道なき道も、自然に飲み込まれることなくなぜ残っていたのか。
まるであいつが、何度も何度も、ここに通い詰めていたかのようだ。
そもそもなぜここに埋めようとあいつは思ったのか。
地面を掘る。
一心不乱に、さっきほどの広さはいらない、延々と縦に掘っていく。
雨と、一度掘った後なおかげで土は比較的柔らかい。
――そう、さっきもそうだった。
雨に濡れようと掘り返されたことのない地面は固い。
掘る、掘る、掘る。
一心不乱に、何かに突き動かされるかのように地面を掘っていく。
掘り返し、埋め直したばかりの地面はまだ柔らかい。
ほどなくして黒い生地が、寝袋の端を掘り当てた。
避ける、すぐ脇をさらに掘る、掘る。
土は柔らかい、先ほどまでよりは硬いにせよ、全然柔らかい。
弟の話を思い出す。
どこかの推理小説かドラマの話だったと思う。
どうでもいい、重要なのはただ1点。
聞いた時はなるほど、と思ったものだった。
掘る、掘る、1m、2mそして。
それを掘り当てた。
真っ白い腕が見える。
先輩ではない、先輩だったものではない。
そこには、別の死体が埋まってる。
――死体の更に下に別の死体を埋める。
心理的な死角。
先輩の件は、主犯共犯でいえば明らかに俺が主犯。
罪に問われるのはおそらく俺で、俺を手伝う必要性は薄い。
なのにあいつは俺の死体遺棄に協力した。
この死体を発見されないように、最悪でも先輩の死体に気を取られるように。
死体を隠すために別の死体が必要だったから、あいつは俺に協力したのだ。
息を吐いて、俺は掘り進める。
なぜ? 必要はなかったはずだ。
なのに俺はなぜか、その死体を掘り出そうとした。
何かに突き動かされるように。
見覚えのある腕だったから。
見覚えのある肩だったから。
見覚えのある首だったから。
見覚えのある顔だったから。
そこに埋まっているのは、見覚えのある俺だった。
***************************
『――やはり、蘇らせる、惚れさせる、にすべきだったのでは?』
「俺は先輩の自由意思で好きになって欲しいんだよ」
『はぁ。まあそのこだわりはわかりかねますが。
共犯、吊り橋効果ですか、仲良くなるきっかけにしては強烈過ぎやしませんか』
「先輩の死体が見つかったら台無しだと言ったのはおまえだろ。
死体で死体を隠すのは良いアイディアだと思ったんだがな……」
『死体は死体、死は死です。
わたくしたちにできるのは〝
彼が彼の死体を見つけたらこうなる事は説明したはずですが?
2つめなり3つめの願いで死体を消しておけばよかったじゃありませんか』
「先輩の死体をか?」
『いやはや、執着ですねぇ』
「うるさい。
――ともあれ、願いはもう1つ残ってるだろう」
『それはもう。
では最後の願いはいかがいたしますか』
「……少し考えさせてくれ」
『それはもちろん構いませんが。
では後日改めて連絡させて頂きます。
しかしいやはや、逆境ですなぁ』
「最悪だよおまえ」
『はははは、何を今さら。
誰と、いえ何と契約なさったかご存じない?』
それを何と呼ぼうか アオイ・M・M @kkym_aoi
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