後編 錦鯉
「……そ、それにしても、ここっていいところですね! お隣のご実家も古民家っていうんですか、とっても趣があって素敵」
一人の奥様が気を遣って、私に話しかけてくれました。おお、これぞバーベキューの醍醐味、大人の雑談です。会話あってこそのパーティーです。
「おうちも素敵だし、自然も豊かだし。ちょっと車で走ったら海にも行けるし」
「熊本って食べ物も美味しいよね」
ほかの奥様たちも口々に褒めてくれます。私も大人ですから、謙遜しつつも、お褒めの言葉を否定しないように笑顔で話を受け止めたあと、ご当地ネタを出すことにしました。つまり、とっておきの妖怪ネタを披露することにしたのです。
「そうそう。このあたりには、妖怪やまんもんっていうのが出るらしいんですよ」
「や、やまんもん?」
奥様たちは、突然の妖怪の話題に戸惑っておられるご様子。
「それは、黒いクマの……なんとかだモンって言う、アレと関係があるんですか?」
「ゆるキャラとは無関係ですよ。妖怪のやまんもんです。細かい毛がびっしり生えた人間みたいな妖怪で、一つ目で、仕事を手伝ってくれるんですって」
「へえ」
怖い妖怪ではないとわかったからか、場の空気がゆるみました。
「ただ、やまんもんは食い意地がはっているから、ごはんをあげないと仕事を手伝ってくれないんですって。でも、先にごはんをあげたら食い逃げするんですって」
「へえ……食い意地が……」
「それはまた……」
「嫌な妖怪ですねえ……」
なぜか夫たちのほうを見る奥様たち。
「あ。あと、勝手に人の家にあがりこんで、お風呂にも入っちゃうんですって」
「怖くはないけど、迷惑な妖怪ですね、それ」
「それ本当に妖怪? 人じゃないの?」
ルウ子がそうツッコミを入れました。
「人じゃないよ。だって、やまんもんがお風呂に入ったあとは、すっごい臭くて、湯船に脂が浮いてるらしいよ」
「うわあ」
「なんていうかキモすぎませんか」
「やっぱりそれ人じゃない? すごい久しぶりにお風呂に入った人じゃない?」
それから1時間がたち、午後7時となりました。
結局、作戦は失敗です。旦那さんたちに反省してもらうどころか、人の食べ物を奪ったことさえ認識していなさそうです。奥様たちは全員が両手で顔を覆って絶望しただけの食事会となってしまいました。ほんと役に立てなくてごめんね。食い尽くし系、ここまでひどいとは思いませんでした。私、完全敗北です。
奥様たちは先に帰っていかれました。奪い合うようにして食べ続ける夫たちにもうつき合い切れないとのことです。今夜はどこかレストランにでも寄って3人で食事して帰るんだとか。そうだね、何も食べてないもんね……。
私も、バーベキューを続行している旦那さんたちはこのまま山小屋に放置することにして(生肉と生野菜を食べているから厳密にはバーベキューではないような気もする)、今夜は山小屋の隣にある実家に泊まることにしました。
私も夕食を食べていないから空腹でしたが、冷蔵庫がからっぽになってしまったため、まず先に買い出しに行って、帰ってきてから洗い物や洗濯を済ませ、食事の支度を始めたのは夜10時をまわってからのことでした。この時間からがっつり食べるのも太りそうなので、買い置きの
2階にある寝室で珈琲を飲みながら考えるのは、ルウ子のことです。
きょうは残念な結果になってしまったけれど、これからルウ子はどうするのでしょう。食い尽くしは治りそうにないし、やっぱり離婚なのでしょうか。
そのとき、ルウ子から電話がかかってきたんです。
「夫がまだ帰宅していないんだけど、もしかしたらお宅のキッチンに入り込んで、隠れて飲み食いしているかもしれないから気をつけて」って。
そんなことある? 怖すぎ。私は慌ててキッチンに行きましたが、誰もいませんし、食料も無事でした。ほっとしました。
それから入浴を済ませ、テレビを見ながら両親としゃべったりして、寝る時間になりました。
布団に入ってうつらうつらしていたら、再び電話がかかってきました。別の奥様からです。「夫がまだ帰らない」というのです。「まだバーベキューを食べてるかもしれない」って。
時計を確認したら、もう深夜1時を過ぎていました。さすがにまだ食べているだなんてあり得ないでしょう。
でも、念のため山小屋の様子を見にいくことにしました。山小屋を外から見たところ、明かりはついていなかったので、やっぱり誰もいないだろうと安心したのですが、開け放たれたドアや窓から煙が出ているのに気づきました。
ひえっ……でもまさか……。
おそるおそる中を覗き込んでみたら、驚いたことにルウ子の旦那さんが薄暗い室内で肉を焼いていました。連続6時間ぐらい食べ続けていることになるのでしょうか。
ルウ子の旦那さんは、なぜか左目を押さえていました。指には血もついています。よく見たら、指だけでなく旦那さんの濃い腕毛のあっちこっちに血がこびりついて固まっていました。
「あの、もしかして目を怪我されたんですか? 大丈夫ですか」
「平気ですよ。反撃されたときにちょっと切ってしまっただけですし。肉を食べ終わったら自分で手当しますから」
何があったのかわからないけれど、怪我の手当より食事が優先なんですね、怖い……。
しかし、あと2人の旦那さんはどこへ?
「ルウ子さんの旦那さんだけですか。ほかの旦那さんたちはどうされましたか?」
私がそう尋ねると、
「肉がもうなかったものですから」と、言われました。
「え、どういうことですか?」
そのとき、私はやっと気づいたのです。
山小屋に置いていた薪割り用の斧が血まみれで、床には血溜まりができていることに……。そして斧の近くに置かれた、赤い塊の正体は……。
私は出かかった悲鳴を懸命に飲み込んで慌てて家に戻ると、震える手で戸締まりをしました。
翌朝。
おそるおそる山小屋の様子を見にいきましたが、もう誰もいませんでした。日光の差し込む室内は明るく、壁や床のあちこちに飛び散った血痕が昨晩よりはっきりと見えました。
警察に通報するために家に戻ろうとして、血の気が引きました。うちの玄関や雨戸に、手の形をした血痕が幾つもついていたのです。
血痕のついた位置や形から推察するに、家に侵入しようとしていたようです。
一体何のために?
ぞくりとしました。
戸締まりをしておいて、本当に良かったと思いました。
ルウ子の夫は行方不明になりました。肉を全て食べた後、ほかに食べられるものがないか探しているうちに山に迷い込んでしまったのだろうと思います。
二人の奥様たちは、自分の夫は、ルウ子の夫に食べられてしまったのに違いないと警察に訴えましたが、信じてもらえませんでした。
「たった一晩で2人もの成人男性を完食するなんて、できっこありませんよ」
あのバーベキューパーティーをやるまでは、私だって刑事さんと同じように考えたことだろうと思います。常識で考えれば食べられるわけがない量を食べる、それが食い尽くし系なのです。といっても大食いな人とは違います。食べてはいけないものまで際限なく食べてしまうのが、食い尽くし系なのです。
3人は、それぞれの夫の失踪届を出しました。一応付近の捜索は行われましたが何も見つかりませんでした。警察は事件と事故、両方の可能性を考えて捜査するなんていう話でしたが、何一つ見つからないものだから、うやむやになりました。
私がバーベキューパーティーなんかやろうと言い出さなければ、こんなことにはならなかったのに……。ほんとうに申しわけないです。
その後、事件現場となった山小屋は取り壊すことにしました。壁についた血が、幾ら拭いても消えないのです。木材がすっかり血を吸い込んでしまったのだろうと思います。気味が悪いので、業者に解体工事をお願いしました。
私の両親は、この機会に都会に転居することになりました。殺人現場の隣で暮らし続けるのもどうなのかというのもありますが、それだけでなく親ももう高齢ですし、今後は病院が近くにある都市部のほうがなにかと便利ですから。
山小屋跡地は、実家とともに売りに出されました。
それから1年後のことです。
テレビを見ていたら、気になるニュースが流れてきました。
山奥にある古民家の宿で、人が行方不明になった事件が起きたというのです。事件現場となったその宿は、うちの元実家をリフォームしてできた宿でした。宿泊客と宿の従業員、みんないなくなってしまって、血痕だけが残されていたそうです。
最初は殺人事件が疑われて、そのような報道もされましたが、途中から動物の仕業ではないかという報道に変わりました。食べ物を求めて古民家に入り込んだ野犬の群れか何かが、中にいた人を襲い、遺体を山に持ち帰ったのだろうと。以前にも近くでバーベキューをしていた男性3人が血痕を残して行方不明になる事件があり、そのときと同じ動物の仕業だろうとワイドショーで報じられているのをみて、いまルウ子はどんな気持ちでいるだろうかと心配になりました。
ただ、宿の浴室がひどく臭くて、湯船に脂が浮いていたということだけが謎のまま残りました。
地元の人の中には、あれはやまんもんの仕業だと言う人がいるらしいと熊本の友人から聞きました。現場付近で全身が細かい毛に覆われた一つ目の妖怪を見たことがあると、複数の人がそう証言しているそうです。
やまんもんは、人の味を覚えてしまっています。このままにしておいたら、また別の人が襲われるかもしれません。危険なので、近いうちに地元の猟友会の方たちが駆除してくださるとのことです。
私はこのことをルウ子に伝えるべきでしょうか。いいえ、何も言わずにいようと思いました。残酷な結果にしかならないことをわざわざ告げなくてもいいと思ったのです。
そう思っていたのですが……。
ルウ子からLINEが来たんです。
「猟銃所持の許可が下りた」
ルウ子の手に握られた猟銃の写真も送られてきました。
「え。どういうこと?」
うすうす察しながらも、私はしらじらしい返信を送りました。いきなり本当のことを尋ねる勇気が出なかったのです。
「狩猟でも始めるの?」
すぐに返事が来ました。
「まあ、そんな感じかな。熊本の知り合いからいろいろ聞いちゃって。猟友会の人が仕留めちゃったら、やまんもんの正体がばれちゃうでしょ。それに遺体が警察に引き渡されたら、何人も食べたこともばれちゃうかもしれない。それは阻止しないと。あ、ケリがついたらまた連絡する。頼みたいこともあるし」
それから半年ぐらい経ったころでしょうか。桜が満開だとニュースでやっていたある春の朝、ルウ子から「ケリがついたから」と、連絡がありました。
そこで私は指示されたとおり、元実家と山小屋跡地を買い戻しました。血痕だけ残して人が失踪した事件が2度も起きたいわくつきの土地なので、安く買い戻すことができました。元実家はルウ子が物置として使いたいとのことでしたので、鍵を宅配便で送りました。業務用冷凍庫を中に運び込むとのことでした。
それからしばらく間があいて、再び連絡がありました。
私は山小屋跡地に呼び出されました。秋の長雨がやっとあがり、晴れてはいるけれど肌寒い日のことでしたから、私は長袖のシャツにジャケットをはおって山に向かうことにしました。
到着したのは私が一番最後だったようで、ルウ子と、ルウ子の夫に食べられてしまった夫の妻たち2名は池の前に立って、私を待っていました。いま、山小屋跡地には、大きな池ができていました。黒い岩でぐるりと囲むようにしてつくられた池のほとりには赤い彼岸花が咲き、紅葉も植えられて、奥に建つ元実家が古民家なのもあり、趣のある和の庭園という雰囲気でした。
私も池の前に立ちました。
肩の上を、冷たい秋風が通り抜けていきました。
今ここに立つ4人の関係もなかなか複雑なものとなってしまいました。以前は、食い尽くし夫に悩む同士3名と友人でしかなかったのに、加害者の妻と、被害者の妻たち、そして事件のきっかけをつくった友人となってしまったのです。
ルウ子から聞いたのですが、3人の奥様たちの間では、あることについての話し合いがあったそうです。そして、一つの合意にいたりました。それは人として正しくないかもしれないことでしたが、私には反対などできるはずもありません。
まず、ルウ子が猟銃を買って、「ケリ」をつけました。それが春のこと。そして、土地を私が買いもどし、山小屋跡地に池を造成しました。土地代を出したのは私ですが、池をつくる費用は3人の奥様たちで折半です。そこに今、3匹の鯉が泳いでいます。専門店で買ったという真っ赤な錦鯉です。
「鯉って雑食で、何でも食べちゃうんだって」
ルウ子は、なにかの冷凍ミンチ肉と小麦粉などを混ぜてつくったという特製の餌を池に向かって撒きました。鯉たちはすぐさま寄ってきて、あっという間に食べ尽くしました。
3匹の鯉は、マ●ヒロ、ケ●ト、ユ●ジという名前を付けられており、奥様たちは、まるで人間に話しかけるみたいに鯉に話しかけました。
「ケ●ト、マ●ヒロさんは美味しい? これでやっと復讐できたね」
「ユ●ジ、いっぱい食べていいからね。ユ●ジにはこれを食べる権利があるんだから」
ルウ子も、餌を投げ入れながら鯉に話しかけました。
「パパは山で遭難したんだよって、子供には言ってるからね。パパが人を殺して食べたなんて、絶対隠し通してみせるからね……」
ほんとうに隠し通せるのでしょうか。いつまでもずっと警察にばれないままだなんて、あり得るのでしょうか。
私にはわかりませんが、こうなってしまった以上、最後まで付き合うしかないのだと覚悟だけは決めています。
もしも熊本の山奥で、彼岸花と紅葉に囲まれた池を見つけてしまったら。そこに赤い錦鯉が泳いでいたら。決して誰にも言わないでください。でないと鯉の餌が増えてしまいますから。
<おわり>
妖怪やまんもんと赤い錦鯉 ゴオルド @hasupalen
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