妖怪やまんもんと赤い錦鯉
ゴオルド
前編 おまえのものは俺のもの
私の女友だちで職場の同僚でもあるルウ子は、夫がいわゆる「食い尽くし系」なんだとか。
先日、仕事終わりに二人でファミレスに行き、ドリンクバーのアイスコーヒーを飲みながらフライドポテトをつまんで一息ついていたら、ルウ子が突如せきをきったように語り始めました。ずっとこらえていたことがとうとう限界を超えて、抑えきれなくなったかのような話し方でした。
「うちは4人家族で、子供が2人いるんだけど、食事を作っても夫がひとりで全部食べちゃうんだよ」
最初、食い尽くし系の深刻さを理解できていなかった私は、ただ単に食事の量が少ないだけなのではないかなあと思いました。旦那さんの量を増やしてあげたらいいのでは?
「そうじゃないんだって。だって夫専用の炊飯器で1食に5合炊いて、朝昼晩で15合も用意してるんだよ」
お、おお……。15合はすごい。1合は炊きあがりで330グラムだから、1日に約5キロも食べていることになるわけで、これはちょっと尋常じゃないです。
「そうでしょう? その上、おかずだってすごいんだから。私がからあげ5個なら、夫はからあげ25個だよ。それでも私が席を立ったすきに、私のからあげ全部取られるからね」
「25個もあるのに、人のまで取っちゃうんだ」
「それでも足りないって、冷蔵庫のマヨネーズを飲んだり、ジャムをそのまま食べたり。その上、子供のプリンまで奪って食べるの」
「マヨを飲む!? 衝撃すぎる。っていうか、子供のものにまで手を出すのはひどいね」
「だよね!? この前なんか熱を出した子供のためにお粥を作ったら、私がテーブルを拭いている間に全部食べたからね! ひどくない? 怒ってもやめないし、「また作ればいいじゃん」って悪びれないのがほんと腹立つ」
また作ればいいって、その言いぐさはあんまりではないでしょうか。親なんだから、食べてないで子供を心配してほしい。自分は看病する側なんだっていう自覚がないのでしょうか。
「夜中も冷蔵庫をあさって子供のお弁当のおかず用の食材を食べちゃうし、子供は泣くし、でも夫は反省するどころか逆ギレするわけよ」
夜中に冷蔵庫、子供のお弁当用、逆ギレ……、すごいワード連発でもう呆れるとおりこして心配になるレベル。
「私、もうどうしたらいいのかわからない。いくらやめてって言っても聞いてくれないし。夫ががつがつ食べてる姿を見るだけで最近はイライラする。生理的に無理って思ったら、もう離婚しかないのかな……」
離婚を考えるほど追い詰められているルウ子を見て、私はかける言葉もありませんでした。独身の私には、夫婦関係についてのアドバイスもできませんし。かわりに、別のことで何か力になれればいいのですが……。
ルウ子が言うには、同じような悩みを持つ奥様の知り合いが、あと2人もいるそうです。こんな信じられない人が、さらにあと2人もいるとは!
奥様3人は、困り果てているのだそうです。だって、いくら言葉で訴えても聞いてくれないわけですもんね。
第三者的に言わせてもらうなら、もう別居するしかないのだろうと思います。子供の食べ物を奪う親、あまりにも動物じみているじゃないですか。人間らしい生活は無理ですよ。「子供より親が大事と思いたい」でお馴染みの『桜桃』を書いた太宰治だって、病気の子供の粥を奪って食べて平然としている親だなんて、さすがに引くと思いますよ。
キャバクラ的なところでさくらんぼを食べて、貧しい生活を強いられている我が子にさくらんぼを食べさせてやったら喜ぶだろうなと思いながらも女に金を使ってしまうパパも最悪ですけども、それは「だめな人間」のすることであって、子供の食事を奪って食べる親のほうは「動物感」があると思うんです。人間の行動というより、サルとかイノシシとかの行動に近くないですか。よその旦那様にむかってとんでもなく失礼な感想ですけれども。
奥様たちとしては、夫に改心してほしいのだそうです。食い尽くし行動さえなければ、夫は良い人だから、とのこと。はたして本当にそうでしょうか。「お酒さえ飲まなければ」とか「ギャンブルさえしなければ」とか、そういう条件付きの良い人は、たぶん良い人というより、心に問題を抱えた人なのだろうと思うのですが。
それに、こんな食い尽くし系の夫が改心して、人の食事に手を出さない人間になる、そんなことは可能なんでしょうか。そもそも話し合いが成立しない時点で、問題の根は深そうな気がします。家族の「やめて」を無視する人、本当に良い人ですか?
いや、こんなこと浅はかな私でも気づくぐらいですから、本人たちはとっくにわかっているはず。それでも夫が変わってくれることを願わずにはいられないのでしょう。だって、愛して一緒になった相手なんですから。そう簡単に切り捨てられるものではないですもんね。本当に本当にもうこれ以上はダメってところまで行くまで、ルウ子たちは状況を変えるために工夫したり諦めたり抵抗したり受け入れたり、友人に相談してみたりして、あがいているのだろうと思います。
しかし、離婚を現実的な選択肢として考えるようになってしまったほど、気持ちはもうギリギリのところまで来ているみたいです。
たかが食べ物、されど食べ物。
別れるのか、添い遂げるのか。そろそろ答えを出したいとルウ子は言うのです。
そこで、私はあるアイデアをひらめきました。もちろん離婚回避になるように、つまり旦那さんが改心するよう協力することにしたのです。
私の実家は、熊本の山奥にある小さな村の、その村はずれにぽつんと建っているのですが、家の隣に山小屋があるんです。そちらは農具や斧、薪、釣り具や季節家電なんかをしまうのに使っている木造平屋建ての小屋で、かなり広く作られており、スペースには余裕があります。ですので親族が集まってバーベキューなんかをする時によく利用しています。そこに食い尽くし系の旦那さんがいるご夫婦3組をお招きすることにしました。
山小屋で、食い尽くし系同士でバーベキューだなんて、ひと波乱ありそうでしょう? いつも奪う側の夫さんも、自分が奪われる側になってみたら、ちょっとは自分の浅ましさと醜さに気づくかもしれないという作戦です。
ルウ子も、「今度こそ、夫はわかってくれるかもしれない」と、期待しているようです。
さあ、夫たちよ、潰し合うがよい!
お互いの姿を反面教師にするのだ!
暑からず寒からずのほどよい風が心地よい、ある秋の日、ついに作戦決行となりました。
午後6時過ぎ、バーベキューパーティーのため、参加者たちが山小屋に集まりました。食い尽くし系夫とその妻、3組6人、そして私、合わせて7人です。皆さん、お子さんたちは実家に預けてきたとのことです。普通のバーベキューパーティーじゃないですから、子供には見せられない……ですもんね……。
小屋の真ん中にバーベキュー用コンロを置き、木製の長机をコンロを囲むように並べ、皆さんには丸太型の椅子に座ってもらいました。
まず軽く挨拶してから、飲み物で乾杯しました。
なごやかです。いい雰囲気です。
ここで私が、串に刺しておいた肉を網の上に並べ、焼けたものからご自由に召し上がってくださいと言うと、夫さん3人がわっと手を伸ばして、生焼けのままむしゃむしゃと食べ始めました。
生でも気にしないだなんて……。しょっぱなからフルスロットルの旦那さんたちを前にして、私はすでにビビり気味です。奥様たちはどこかあきらめの漂うあきれ顔をしていました。
ルウ子の旦那さんが、別の旦那さんが取り皿に確保していた串を奪いました。奪われた旦那さんはまるで気にしたふうもなく、もう一人の方の皿を奪いにいきました。その串焼きを奪われた人はルウ子の夫の串を……という感じで、3人で奪い合いながら食べていて、もうほんと浅ましい! その食べっぷりはまさに山賊。そこに気遣いや会話、笑顔などなく、貪欲な食への欲求だけしかありませんでした。アニマル感がすごい。
串に刺したお肉は30本は用意していたのですが、3分ほどで完食となってしまいました。計算外のスピードに戸惑いつつ、網に野菜を並べていったのですが、置いたそばから箸が伸びてきて、かっさらうように食べられてしまいました。
「え、それまだ生……というか、網の上において3秒もたってないのに……」
びっくりして旦那さんたちをまじまじと見てしまいました。彼らは生野菜をがっしゅがっしゅ、ごりごりがりがり、サクサクぽりぽりと音を立ててすごい勢いで咀嚼して飲み込んでいきます。旦那さんが箸でつかんだタマネギを、別の旦那さんが箸でつかんで奪い取るなどの略奪行為が横行しておりますが、ご本人たちは気にしていないようです。というか、その貪り食らう勢いが拮抗しているせいで、男同士で仲良くシェアして食べているようにしか見えないのでした。旦那さんたち、体毛が濃いワイルドな雰囲気な人ばかりなのもあって、なんていうかもう山賊みがある。
奥様たちは絶望の表情を浮かべています。
この作戦、失敗なのでは?
これ、ただの山賊パーティーなのでは?
私は開始5分で心が折れかかっておりましたが、いやいや、まだ私には秘策があります。まだ負けるわけにはいかない! 私は山小屋を出て、実家の方の冷蔵庫からサーロインの1枚肉を持ってきました。これを出したら絶対に奪いあいになることうけあいです。そして、人のものを奪って食べる醜さに気づいてくれるはず!
「次はとっておきの良いお肉、サーロインですよ~。1枚しかありませんから、焼けたらみんなで切り分けて食べてくださいね」
一枚肉を網の上に置くか置かないかぐらいのところで、ルウ子の夫が肉をさっと箸ではさみ、すぐさま頬張りました。それはまるでトンビが観光客からハンバーガーを奪うかのよう。
「はやっ! い、いや、それよりも生ですよ! レアどころじゃなく生肉ですよ! 0.1秒ぐらいしか炙ってない!」
思わず声を張り上げてしまいましたが、ルウ子の夫は生肉をもちゃもちゃ噛みしめています。ルウ子は両手で顔を覆って絶望してしまいました。ああ……。
そこで私は一縷の望みをかけて、ほかの旦那さんの顔を見ました。どうか軽蔑の表情を浮かべていてほしい、呆れていてほしい! ルウ子の夫はもう諦めるとして、あと2人が更生してくれれば!
しかし、どうしたことでしょう、旦那さんたちはまったく真顔のままで、「ほかに肉はないんですか」と、言ってこられました。
「俺も肉が欲しいです」
ああ……全然効いてない……。それどころか、自分の妻を肘で小突いて、「給仕をおまえも手伝えよ。肉が間に合ってないじゃん」などと小言を言う始末。自分は手伝う気はないんかい、と思わず内心でツッコミを入れてしまう私。小突かれた奥様は、両手で顔を覆って絶望しました。
ちなみに奥様たちには給仕を手伝わないよう事前に伝えてあります。だって奥様が給仕をしたら、旦那さんたちは家庭にいるような感覚で食事をしてしまうかもしれず、それでは自分たちの食い尽くしの問題に気づいてもらえないかもしれないからです。どうやら、むだな気遣いだったようです。
食材は網に乗せたそばからなくなってしまうため、奥様たちは割り箸を握りしめたまま一口も食べていないのですが、旦那さんたちはそんなことも気にならないようでした。
そういえば、箸休め用にと用意しておいたからし蓮根が見当たりません。炊飯器ごと持ち込んだ5合分の高菜めしもいつの間になくなっており、ビールもウーロン茶もたくさん用意したのに、全部飲まれてしまいました。
これは想像以上だぞ……。
もうやけくそな気持ちで新たに焼き肉用のお肉を出してみたら、旦那さんたちは網の上に並べたそばから食べ始めました。まるで何日も食事をしていなかったかのようながっつきようでした。
思わず「嘘やろ」って呟いてしまいました。
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