『射精魔術』を忌み嫌う君へ




 思えば、くだらない言葉遊びだった。

 秘匿機関SECRETの所長チーフ、馬場緋色。

 秘密の首領シークレット・チーフロンの化身アバターたるの女。


「……テメェはオレが倒したはずだろ⁉︎ 今は監獄の奥底で眠ってるってッ──」

『それは他の化身アバターでしょう? 数十年前から顕現しているわたくしとは関係がありませんわ』


 ────ッ。

 倒したベイバロンは末端に過ぎなかったってのか⁉︎


「なんだ⁉︎ フォッサマグナは今もテメェに操られたままで、テメェはオレに復讐する為にこんな回りくどい接触をしたってのかッ⁉︎」


 耳から呪詛でも流し込まれるか。

 それとも、もっとおぞましい魔術に襲われるか。

 オレは一秒先の未来に備え──



『──全然違います。的外れですわ』



 ──ふっ、と。

 その言葉を理解して、全身が脱力した。


「…………は?」

わたくしは正真正銘、人類の味方。?』

「何でだよ⁉︎ テメェもヴィルゴも同じベイバロンの化身アバターじゃねぇのか⁉︎」

『確かに、彼女とわたくしはどちらもベイバロンを宿していますわ。?』

「…………それ、は」


 彼女は分かりやすく言い換える。


『容量が足りない、と言えば伝わりやすいですか? ベイバロンが化身アバターに宿るに当たって、その一側面のみがダウングレードして切り取られますわ。


 完全な善人はいない。完全な悪人も。

 誰しもが善と悪を併せ呑む。

 善の心と悪の心を併せ持つ。

 それは、人を超える神も同じ。


 レーズンパンを思い浮かべれば簡単だろうか。

 パンだけの部分があれば、レーズンだけの部分もある。

 全体としての総量なら兎も角、一部分だけを取り出せばそれはレーズンにもパンにもなり得る。


わたくしはベイバロンの人類に対する愛情を、彼女ヴィルゴはベイバロンの人類に対する嫌悪感を宿しましたわ』

「……そんな矛盾するもんを?」

『心理が矛盾するのなんて当然でしょう? 分かりやすいのでは言えば、良い天使と悪い悪魔ですわね。矛盾する思いで葛藤するなんて人間でも日常茶飯事ですわよ。


 天使は学術都市の所長として人類を導く。

 悪魔は魔術世界の魔女として人類を滅ぼす。

 どちらも本心であり、どちらもベイバロン。

 たかが葛藤で世界の命運を左右する。それが神……‼︎


「一つ、納得がいったよ」

『それは……?』

「七大学術都市の内、五つが魔術師の手に落ちた──むしろ、残りの二つは何故落ちなかった?」

『………………、』


 残りの二つ。

 つまり、オレが今いるAIランドと彼女がいる秘匿機関SECRET。


。AIランドにはマイサンが、秘匿機関SECRETにはテメェが」

『……ええ、そうですわ。わたくし達がこれから挑むのは神にしか耐えられない苦難。


 歯を食いしばる。

 気合いを入れ直す。


『説明はこれで十分でしょうか。わたくしは人類を導く者としてこの混乱を止める。貴方は自分の肉体を取り返す為に「第三の魔術」を滅ぼす。利害は一致していますわ』

「…………ん? 取り返す……?」

『……言ってなかったですわね。貴方を女体化させているのは「第三の魔術」が奪ったベイバロンの力ですわ。TS


 希望が見え始めた。

 オレと、そして300万人のTS病患者に。


『覚悟が出来たなら、言ってくださいませ。貴方を秘匿機関SECRETへ招待し、「魔術」と「科学」が融合した超次元医療技術オーバーテクノロジーで怪我を治しますわ』

「じゃあ、最後に一つだけ聞かせてくれ」

『? 何なりと、どうぞ……』


 そして、オレは尋ねた。




「なんで、オレを裏切った──




 ────────────。



『………………………………………は』



 それは、声というより吐息のような。

 思わず呑んだ息が喉を震わした、そんな音が響いた。


「なぁ、ヴィルゴ」

『………………、わたくしはヴィルゴでは──』

「かもな。お前の名前はヴィルゴじゃなくて、馬場緋色ばばひいろなのかもしれない。?」

『………………………………………………い、つ?』


 何時から気がついていたのか、と。

 自白するように彼女は呟いた。


「口調、イントネーション、呼吸のタイミング、説明好きなとこ。後はオレの勘とか…………理由なんて語りきれないけど、話し始めた時には大体気づいてたよ」

『…………そうなの、ですわね』

「でも、おかしいと思ったのは昨晩──

『…………最後の最後、ですわね』


 ベイバロンとの戦いの最後。

 不自然に攻撃が逸れた。あれはきっと同じベイバロン自身による干渉があったからだ。


『────え』


 そう、そちらではない。

 確かにそれも不自然だった。

 だが、もっと前。戦いが始まる前から違和感があった。


「ヤツは言った。ヴィルゴを名乗っていた寄生虫は無重力空間で死ぬようにデザインされた生物だって。でも、それはあり得ないだろ?」

『………………ぁ…………』


 だって。

 





 フォッサマグナのブラックホールチンコ。

 チンコの引力と地球の重力を相殺する事で、オレ達は成す術なく宙に浮かされた。


 だから、ベイバロンが言った言葉は間違いだった。

 だけど────


『………………ッ』

「だったら、答えは一つだよ。女神ベイバロンにも気づかれずに、緋色の女ヴィルゴ肉体アバターを乗っ取ったヤツがいた。


 同じベイバロンという事は、『類感』も『感染』も十分に働いている。意識を乗っ取る事くらい容易いのではないか。


『……その通り、ですわ』

「…………」


 やはり、そうだった。

 電話の向こうにいる少女は、オレが取りこぼしたと思っていた彼女だった。


『理由は知りません。動機も分かりません。けれど、ヴィルゴが人類を絶滅させる計画を立てていることは夢を通して知覚しました。わたくしは人類を導く者として、それを阻止しようと動きましたわ』

「だから、緋色の女を乗っ取ったって?」

『いくらわたくしでも、同格の緋色の女には干渉できません。ですが、ヴィルゴは寄生虫で自身を操っていた……。ですので、その隙にヴィルゴの意識を乗っ取りましたわ』


 なるほど、辻褄は合う。

 だけど、オレの質問の答えにはなっていない。

 疑問は一番最初へと戻る。



?」



 無重力空間で勝手に死ぬ寄生虫ではない。

 ヴィルゴの意識が戻ったならば、意識を乗っ取っていた彼女が返した以外に方法は存在しない。

 だけど、その理由が分からない。


 故に、尋ねる。

 ここを知らねば協力はできない、と。



『────



 そして。

 馬場緋色ばばひいろは。

 ヴィルゴを名乗っていた魔女は短く答えた。


わたくしは最後の最後……宇宙エレベータの管制室に踏み込んだ時、ようやくヴィルゴの計画の全貌を理解しました。

「期待? 男が絶滅した世界に……?」

『………………ふっ』


 彼女は自嘲するように笑った。

 オレが見たかった笑顔は見る影もない。



『「射精魔術」について、どれだけ知っていますか?』



 話が予想外の方向へ飛ぶ。

 彼女の癖だ。関係が無いようで、結論に必要な前提を唐突にぶっ込む。


「即効性のある性魔術と数億単位の生贄を組み合わせ、快楽の女神ベイバロンから神の力を引き出す最強魔術」


 それが彼女から聞いた全て。

 『第三の魔術』の要と呼べるものだ。

 だが、魔女は表情に諦めを浮かべて告げる。


『……あれは生贄なんて言ってはいますけど、その力関係はむしろ真逆ですわ。ベイバロンなかに射精することで魔術師共が力を得る方式ですわよ』

「………………は?」

『形式としては性交渉セックスによって神の活力を授ける神聖娼婦に近いのでしょうか。まあ、ベイバロン逸話エピソードからそこに結び付けるのも無理はないですけれど』


 文字通り、魔術。

 文字通り、神をモノ。


わたくしがナニを言いたいかお分かりですか?』


 そう、つまり──



『「使‼︎』



 『射精魔術』が成立したのは1999年。

 そして、今年は2119年。


 では、単純な引き算だ。

 2119−1999の答えは?


120ッ、……⁉︎」

『そうですわ! 「射精魔術」が生まれてから! ずっと‼︎ 何度も、何度もっ、何度もッ、何度もッ、何度もっ‼︎』


 血反吐を吐くように彼女は叫ぶ。

 それは魂を震わせるカミサマの悲鳴。

 


『……抵抗は出来ませんでしたわ』


 急激に声が落ち着いた。

 ……否。落ち着いたのでは無い。

 これは躁鬱と同じで、情緒が不安定なだけ。悲しむ心すら持続できないほど、彼女は擦り切れていた。


『〈媚薬香水チャームフェロモン〉は「場」をベイバロンを降ろすに足る神殿へと調整し、〈魔術決闘ペニスフェンシング〉はベイバロンを術式の一部に組み込むことで自由を奪いました。召喚され、拘束され、強姦されましたわ』


 彼女が『射精魔術』を忌み嫌うのも当然だ。

 むしろ、どうすれば好きになれるんだこんなモノ。


『気分は組み伏せられてレイプされる少女でしたわ。いくらベイバロン本神ほんにん処女おとめだからといって、緋色の女の感覚だってフィードバックされるっていうのに……』

「…………ふぃーど、ばっく……?」

『ええ。緋色の女の感覚はベイバロン本神ほんにんへ。そして、ベイバロンの感覚は全ての化身アバターへ及びますわ』


 つまり。

 彼女は、今も。


『これが一時の流行であれば、我慢できましたわ。貴方の「第四の魔術」があと一世紀早く──せめて、半世紀早く完成したなら許せましたわ』

「………………、いい…………」

『だけど、それでも「射精魔術」は最強でした。いつまで経っても「射精魔術」はスタンダードであり続け、次の魔術様式が生まれることはありませんでしたわ』

「…………もう、いい……」

『いくらベイバロンが快楽の女神と言えども、限界というものはあります。だから、わたくしは……わたくしは────ッ‼︎』

「もういいんだッ、やめろ‼︎」


 だから、彼女は裏切った。

 ヴィルゴの計画の全貌を知り、最終的に男性が絶滅するのだと理解したから。

 


『……人類は無責任にわたくしに祈りますわ。救ってくれ、と。助けてくれ、と。でしたらッ、だったら…………ッ‼︎』


 心の奥底から彼女の本音ひめいが響く。

 120年間、或いはそれ以上前から燻っていた絶望。



ッ⁉︎』



 十字を切っても神は応えない。

 南無阿弥陀を唱えても救いはない。

 だって、かのじょは救いを与える側なのだから。

 だって、かのじょの為のカミサマなんて存在しないから。


『助けてほしい! 救ってほしい! この地獄から解放されたいッ! なのにッ、わたくしを救ってくれるカミサマなんて存在しなかったッ‼︎』


 電話越しに啜り泣く音が聞こえる。

 不在の神には縋れない。

 彼女を救ってくれる存在はいない。


『…………だったら、自分で自分を救うしかないじゃない。もう一人の自分に期待して、見逃したって仕方ないじゃない……』

「……それでも、お前はオレを救ってくれた。最後の最後、自分を本音を裏切ってでもオレへの攻撃を逸らしてくれたじゃねぇか」

『そう……ね、とっても中途半端。結局、わたくしは善い人なんかじゃない。愛情を持ったベイバロンなんかじゃない。ヴィルゴには勇気があって、馬場緋色わたくしにはなかった。それだけなのかもね』


 彼女は力なく笑った。

 違う、そんなんじゃない。

 オレが見たかった笑顔は、オレが聞きたかった笑い声は。


 気がつくと、オレはこう言っていた。


「…………


 悲鳴が、止まった。

 それが全てだった。

 それだけでオレは何だってできた。



ッ‼︎」



 とんでもない事を言っていると自覚する。

 オレは自分の事で精一杯なのに、余計な重荷を背負おうとしている。


 それは、きっと世界を敵に回すような苦難。

 それは、きっと神様すら呆れるような愚行。


 でも、それでも。

 彼女の涙を拭えるのなら。

 彼女の笑顔がもう一度見られるなら。

 オレは架空の神にも何でもなってやる……‼︎


「ヤるぞ、馬場緋色ばばひいろ……‼︎」

『…………ぅ、んっ!』

「変えるぞ、世界をッ‼︎」

『うんっ、うん‼︎』



 そして、ちっぽけな少年は吼えた。

 そして、ありふれた少女は叫んだ。


 ──




「『この世界から『射精魔術』なんてクソみたいなモノを絶滅させてやる……ッ‼︎』」




 ◇◇◇◇◇◇



〈Tips〉


◆これは、『射精魔術』を絶滅させるため、女性になってしまった少年科学者と性魔術を忌み嫌う魔女が奮闘するお話。


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あさおん☆魔術決闘ペニスフェンシング 大根ハツカ @butabaradaikon

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