最終話 これからも末永くよろしくお願いいたしますね、ご主人様?
「ああ、そうです。最後に一つだけ。私に何かお申し付けがあれば、今のうちに仰ってくださいね」
「いざ眠ろうとなさっているこの瞬間こそ、これまでのサポートの集大成。より良い体験にしてほしいものですから」
「まあ、と言いましても。ご主人様が私に具体的な要望をくれたことは、今まで一度もなかったことです」
「ただ、念のため聞いてみただけですから。ええ。お任せだと仰るのであれば、私としても満更でもな――」
「と、ご主人様? 今なんと仰いましたか?」
「私の聴覚センサーが故障していなければ、お任せ以外のご要望が聞こえたような……?」
「……ふふ、申し訳ございません。しかと聞こえておりましたよ? このまま添い寝していてくれと。敢えて尋ねたのは私の……言わば我儘でございます」
もぞもぞという音がしきりに鳴る。
「こうして頭を撫でるのはどうでしょう? ご主人様が初めて自主的に私を求めてくださったのですから、私も精一杯のことをしたいのです」
「まあ、ご主人様。心地よいですか? お顔が次第に緩んで……全身の力が解けてきたようですね?」
「ええ、ええ。ここにはご主人様を苦しめる物は何一つとして存在しません。どうぞお力を抜いて安らいで……」
「ああ、こんなことになるのなら。ついでにマッサージの方法について学習しておくべきでしたね」
「実在の肉体を持たない私にとっては不要だと見なしておりましたが、この世界でならご主人様の緊張をより解きほぐすこともできたでしょうに」
「次の機会にまで予習しておくことにしましょうか。ご主人様の身体に触れるのは少し恥ずかしい気もいたしますが……」
「あら、ここまで独り言が多くなってしまいましたが。ご主人様は、お加減はよろしいでしょうか? このまま眠れそうですか?」
「……ふむ。肉体も精神もリラックスできている状態だと思うのですが。いまひとつ何かが足りていないような」
「もしかして、ご主人様。眠るのを恐ろしく感じていらっしゃるのですか? 朝を、明日を迎えることを」
「これは重大なことを見逃してしまったようです。私自身この時間が楽しく、つい考えが至りませんでした」
「そもそもご主人様が私のサポートを必要とされたのは、多少なりとも現実の方で不都合なことがあったからでしょうが」
「私には人間という生き物がどのような生き物であるか客観的な判断は下せても、ご主人様個人の問題に対して何か適切な助言をすることはかないません」
「それが私の定めですから。しかし……」
「それでも私は、ご主人様だけのクリネです。ここまでの経験を通じて、それは分かっていただけましたよね?」
「朝になれば、私はご主人様をお助けできなくなるでしょう。それでも残念なことに、時間は平等に進んでいくでしょう」
「ですけれどね、どうか忘れないで。私がいることを。この瞬間も、明日も、来年だって」
「私がご主人様を支えますから。ご主人様が望む限り」
「だから、大丈夫です。私がいるのですから。きっと良い夢を見られます。良い日を迎えられることでしょう」
「それでも辛くなったら、私がまた癒して差し上げます。それはもう、全身全霊をもってして」
「……はい? 全身全霊といってもクリネに身体はないだろう、ですって?」
「ふふふ。私なりのジョーク、どうやらその株もすっかりと奪われてしまったようですが。その様子ならば、もう大丈夫でしょうか?」
「大丈夫でなくとも、ほら。こうして腕を抱きしめていますから。ご主人様に囁きますから。いくらでも。何度でも」
「ですから、ご主人様。旅発ちましょう。心地よい夢の世界へ」
「こうしてお互い傍にいる今でしたら、もしかすると夢の中でも私に会えるかもしれませんよ?」
「そうなったら、素敵ですね。ええ。とても素敵です。出来ることなら、私も見てみたいほどに」
「……はい。おやすみなさいませ、私の愛しいご主人様」
「これからずっと、あなたに幸福が訪れますように」
睡眠導入サポートAI「クリネ」がご主人様を素敵な夢の旅へと招待します 鈴谷凌 @RyoSuzutani2
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