第6話 エピローグ~晩夏の訪問者~

 お盆が過ぎても猛暑が続く今年の夏。

 それでも朝晩になれば、窓の外から吹き込む風にちょっとだけ肌寒さを感じるようになった。

 明日夏が居なくなり、金子の経営するコンビニエンスストアは店中を埋め尽くすほどの客はおらず、時折長距離トラックの運転手や近所の高齢者、学校帰りの中高生が弁当やお菓子を買っていく程度であった。


「今日はちょっと少ないかな……もうお盆は終わったし、学校の夏休みも昨日で終わったし、しばらくは暇になるのかな。売上悪いとまた本部から嫌味を言われそうだな」

「いいのよ。それでもこの店がこの中川のたった一つのコンビニなんだから。売り上げはともかく、十分に存在価値があるわよ」


 金子は閑散とした店内を見渡しながら、カウンターの中で妻の亮子と話をしていた。その時、しばらく閉じていた自動ドアがゆっくりと左右に開きだした。


「いらっしゃいませ」


 亮子が店内に誰かが入ってきたことに気づき、大きな声で挨拶をした。


「え? 誰か来たの?」

「うん。もう店の奥に行っちゃったけど」


 金子は店内を見渡したが、ようやくドリンクコーナーでペットボトルのジュースを物色している黒ずくめの服をまとった女性の姿に気づいた。黒くつばの広い帽子を深々とかぶり、サングラスをかけ、日焼けしないように両腕にアームカバーを付けており、中川町では見かけることのない出で立ちの女性だった。


「ねえ、あの人ちょっと怖い……不審者じゃないわよね」

「いや、ペットボトルを持ってレジに向かってきてるから、ちゃんとお金を払って物を買うつもりはあるんじゃないか」


 女性はウーロン茶のペットボトルをカウンターに置いた。亮子がレジを打っていたが、女性は亮子の隣で腕組みしながら立っていた金子の目と鼻の先まで顔を近づけると、白い歯を見せながら「相変わらず変わらないわね、この町も店も」と言って笑い出した。


「確かにそうですね。でも僕はこの町も店も好きなんで」


 女性に臆することなく、金子は自分の意見を述べた。すると女性は咳ばらいをして、精算の終わったウーロン茶を手にしながら「あなたも変わらないわね」と棘のある口調で言い放った。


「あなたもね。坪倉つぼくらさん」


 金子は笑いながら女性の名前を口にすると、隣にいた亮子は思わず「えっ?」と声を上げた。


「なんだ、気づいてたのね」


 女性はサングラスを外し、帽子を小脇に抱えた。そこにいたのは、奈緒の母親である坪倉美江みえだった。


「今年は私の実家で久しぶりに旅行に行ってきたのよ。だから、こっちに墓参りにくるのが遅くなってしまってね」

「そうだったのか。いつもならお盆に来ていたから、今年はどうしたのかな、と気になってはいたけどね」

「父が九十歳を超えて最近病気がちだから、思い出作りも兼ねて皆で旅行に行こうってことになってね。私が子どもの頃、家族旅行なんて連れてってくれなかったから、この歳になって家族旅行だなんてすごく新鮮だったわ」


 そう言えば、美江には官僚の父親がいるという話を奈緒から聞かされたことがあった。厳格な父で、美江は子どもの頃からずっと勉強や習い事ばかりさせられていたらしい。美江は父の厳格な教育を奈緒にも施し、奈緒は自殺を考える程追い詰められてしまったのだ。


「家族にも久しぶりに再会してね。兄や妹の子どもはみんな大手商社や金融機関、弁護士とかになって立派になっていたわ。あ、一人だけ、そうじゃない子もいたけどね」


 美江は相変わらずの「一流信者」のようだ。彼女と話をするたびに腹が立つけれど、今も奈緒の墓にわざわざ墓参りに来てくれることについては、奈緒に対する深い愛情を感じ取れた。


「ふーん、立派じゃない子がいたんだ。エリート揃いの坪倉家なのにね」

「妹の子なんだけど、大学受験に失敗し続けて、今年やっと中堅の私立大学に入学したの。妹としては何としても早慶以上の学校に入れたかったみたいだけど、上手くいかなくてね。何だか昔の奈緒を見ているみたいだったわ」

「……ん?」


 美江の言葉に、金子は思わず振り向いた。ひょっとしたら……いや、人違いかもしれない。でも、あの子には奈緒を思い出してしまうくらい面影があった。一縷の望みをかけて、金子はポケットからスマートフォンを取り出した。


「あのさ、この子だけど……奈緒ちゃんに似てないか?」


 美江は金子の持つスマートフォンを、目を皿のように丸くしながら覗いていた。しばらく食い入るように見つめた後、美江は「どうして?」と呟きながら両手を震わせていた。


「心当たりがあるようだね」

「だって、この子……妹の子だもの」

「妹の子なの? 名前は明日夏っていうんだけど、間違いないかい?」

「そうよ、妹は結婚して岸野に苗字が変わったから、岸野明日夏が本名ね」


 美江の言葉に金子も亮子も驚いた。明日夏には奈緒の面影があると感じていたが、それは間違いではなかったようだ。


「どうしてあなたが明日夏の写真を?」

「お盆の時、ここに来たんだ。支えてくれた人に会うために、ヒッチハイクしてきたんだよ」

「ヒッチハイク? そんなはしたないことをしてきたの?」

「まあな。でも、途中でお金が無くなったみたいで、ここで少しだけバイトしてお金を稼いでいったよ。やってることは確かに破天荒だけど、健気じゃないか」

「……やっぱり、うちの家系じゃ異端だわね、明日夏は」


 美江はいきり立った様子で明日夏の写真を見つめていた。


「明日夏さんも昔、自殺未遂したらしいな」

「そうね。あの時は妹もかなり慌てふためいていたわよ。自分は何も間違ったことをしていないのに、どうして明日夏がそんな行動に出たのかって」

「……」


 金子は呆れた顔で美江の言葉を聞いていた。どうやら美江だけじゃなく、家族全員がこういう偏った考え方なのだろう。犠牲となった奈緒や明日夏が可哀想で仕方が無かった。


「でも、奈緒の時と違って辛うじて命が助かったからさ。妹も少しは考え直したみたいでね、明日夏の好きな学校に行っていいよって。それで明日夏は、今年たまたま受かった大学に入ったみたい。学校そっちのけでアルバイトばっかりやってるっていってたわ。野球場のビールの売り子だって。私の娘だったら、あんな重いタンク持って急な階段を上り下りするような危険な仕事、絶対にやらせなかったわ」


 美江はため息をつきながら、ウーロン茶のボトルを手で何度もこねくりまわしていた。


「でもさ、明日夏さん、立派だったぞ」

「立派? どこが?」

「彼女がこの店のレジに立った時、普段は閑散としてる店内が足の踏み場もない位混雑したんだ。接客がとにかく上手くてね。ビール売りの経験は決して無駄にはなっていないよ。そして、会いに行った彼のことを心から愛していた。ヒッチハイクは大変だったけど、彼に会えて本当によかったって言ってたよ。今までの人生は色々辛いことがあっただろうけど、彼女はそれを帳消しにする位必死になって生きてるなって思ったよ」


 金子はどこか冷めた様子の美江に対し、必死に熱弁をふるった。今の明日夏の生き様を少しでも美江に分かってもらいたい一心だった。


「ふーん、それなりには頑張ってるようね。ま、それが将来の彼女の人生に役に立つかどうかはわからないけど」

「相変わらずだな、美江さん。奈緒ちゃんの時に少しは改心したのかと思ったけれど」

「改心? 笑わせないでよ。そろそろ行くわね」


 美江は帽子をかぶり直すと、軽く微笑んで店から出て行った。


「明日夏さん、可哀想だね。明日夏のお母さんってあの人の妹さんなんでしょ? やっぱりあんな感じなのかな」

「おそらくね。子どもは親を選べないから、可哀想だよな」


 金子はため息をつくと、窓越しに美江の後ろ姿を追い続けていた。


 時間が経過し、ヒグラシの声が聞こえ始めた頃、金子の店では部活帰りの中学生や高校生がいつものように店内を埋め尽くしていた。今日も暑いからか、アイスやペットボトルのジュースが飛ぶように売れていた。この時間はレジがにわかに忙しくなる。

 亮子は次々にやってくる客を手際よくさばきながら、「やっぱりこうじゃなくちゃ、張り合いないよね」と言って、いつもの光景が戻ってきたことに安堵していた。

 そして、列の最後の客がペットボトルのジュースを差し出した時、それまで気忙しく動かしていた亮子の手がぴたりと止まった。目の前には、黒い帽子を深々とかぶり、腕にしっかりとアームカバーを付けた女性が立っていた。


「美江さん?」

「そうよ。今、帰ってきたの。東京も暑いけど、こっちも予想以上に暑かったわね」


 美江は黒い帽子を取ると、ハンカチで顔中の汗を拭きとっていた。


「ところでさ、さっき妹にメールしたのよ。明日夏がこっちに来ていた話を伝えたんだけど、そしたら妹がこれを送ってきてね」


 美江はスマートフォンを取り出すと、金子の目の前に差し出した。

 そこには、髪を後ろでまとめ、花柄の浴衣を着てピースサインを出す明日夏の写真があった。その浴衣は、間違いなく金子が明日夏に渡したものだった。


「あなた、この浴衣を明日夏にあげたんだって?」

「まあね。奈緒が昔着ていたやつをあげたんだ」

「本人がこの浴衣を気に入ってるみたいでね、早速近所の夏祭りに着ていったんだって。明日夏から『金子さん達に見せてあげて』って頼まれて、妹が私に送ってくれたの」

「明日夏さん……」


 日焼けした顔で満面の笑みで、ピースサインを送る明日夏。

 それは、実に生き生きとした笑顔だった。

 その顔を見た時、金子は無念の死を遂げた奈緒に抱いていた気持ちが、心なしか和らいだ気がした。

 明日夏なら、奈緒の分まで元気に生きてくれる……金子はそう確信した。

 金子の隣で、亮子は目頭を押さえていた。


「ど、どうしちゃったのよ、二人ともしんみりしちゃって。単に浴衣を着てるだけの写真でしょ?」

「美江さん、ありがとう。あ、妹さんには、『写真を送ってくれてありがとう』って、そして『明日夏さんを温かく見守ってほしい』って伝えてくれよ」

「ま、まあ……伝えておくけれど」


 美江はいまいち合点がいかないようで、何度も首をひねりながらペットボトルを手に店を後にした。

 窓の外は徐々に暗くなり始め、ヒグラシの声に交じってコオロギの声が響き始めた。山間の中川の町の夏は、間もなく終わろうとしている。夏はいつも一瞬で終わるけれど、金子にとってはいつもよりも忘れられない夏になったかもしれない。


(おわり)

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一瞬の夏~約束の場所へ~ Youlife @youlifebaby

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