決めつける男

ハタラカン

悟り


『今や地球上の人口は80億という時代。

個人に見える範囲など所詮は80億分の1でしかありません。

自分にわからない範囲を知ったふうに決めつけても、その決め事に自分が苦しめられるだけ。

何が正しいかなんて本当は誰にもわかりはしないのです。

わからない事にわざわざ傷つけられにいく無意味な自傷行為はやめて、もっと楽に生きてみませんか?

そして逆も然り。

この本を手に取ったあなたならもうお気づきかもしれませんね。

そう、あなたの事はあなたにしか理解できません。

外からあなたの形を決めつけ押しつける無意味な加害には断固NOを唱えましょう!』


本当になにげなく、ただの時間潰しのつもりで手に取った自己啓発本。

その前書きの一文が俺の心を捉えて離さなかった。

知らんオッサンオバサンの説教ごときで人生が変化するはずもない…そう決めつけ、まさしく無意味に自傷していたところを御仏の掌で掬い上げられた…そんな心地だった。

本来なら確実に鼓膜を震わせるであろう書店の喧騒も今は何も感じない。

この瞬間、俺は物理的にも解脱していた。

なんという安心感。

なんという開放感。

そうだ…決めつけなくていいんだ。

何が正しいかなんて俺にも、他の誰にもわかるはずがないんだから。

たとえ総理大臣や聖人が何事かを正しいと決めたとしても、それはそいつが勝手に決めた事でしかないのだ。

俺まで巻き込まれて苦しむ理由など全く無い。

真理に到達した俺はさっそくズボンを脱ぎはじめた。


「もうやるなよ」

「………」

数時間後、最寄りの警察署から吐き出される俺。

悟りに至ってない書店員や客たちは俺を変態だと愚かにも決めつけたのだ。

服を着てないからって変態とは限らないだろうに。

ただ裸で本を読むだけだぞ!

そう訴えたが、しかし俺の言葉は彼らを掬い上げるには足りなかった。

ややあって現れた警官たちはさらに度し難く、俺を連行すると頭っから決めつけている始末。

仮に変態なんだとしても逮捕しなきゃいけないと決めつけるな!

もっと楽になれよ!

あんたらだって本当は逮捕なんかしたくないだろ!?

そう訴えたが警官は腕力で俺を運び去ってしまった。

パンツを下ろす前だった事、性的な目的でなかった事から厳重注意で済んだのが不幸中の幸いか。

くそっ…なんてこった、せっかく悟りを開いたってのに、結局周りの決めつけに合わせなきゃ生きていけないとは…。

いや待て。

決めつけに合わせなきゃいけないなんて決めつけてどうする。

たかが一度誤解されただけじゃないか。

そうだ、そうだとも!

会社へ戻ろう!

あそこなら知り合いばかりだ…もっと理解ある対応をしてもらえるかもしれん!


「…………」

挨拶をしなければいけないなどという決めつけから解き放たれた俺は無言でオフィスに入り、無言でデスクに着く。

ひとまず様子見としてスーツは着ておき、おもむろにエロサイトの巡回を開始する。

「おい!なにやってんだ!」

ほどなく上司に咎められた。

「今夜のオカズ選びですが」

「何のためにやってるか聞いたんじゃない!

仕事中になに余計な事やってんだって意味だ!」

ふう…愚かな。

仕事中にエロサイトを見てはいけないなんて決めつけるとは…。

「まあいいそのまま聞け!おまえ、取引先との打ち合わせすっぽかしたらしいな!?」

ああ、そういえばそんな過去もあったな。

もともとあの書店に行った理由は打ち合わせ前の微調整でしかなかった。

早く着きすぎたから時間潰しをしなければいけないと決めつけていた自分がもはや別人のように思えた。

「電話にも出ねえし!どういうつもりなんだ!」

「打ち合わせだから行かなきゃいけないなんて決めつけるな」

「あ!?」

「もう一つ。電話だから出なきゃいけないなんて決めつけるな」

上司だから敬語で話さなきゃいけないという決めつけを千切り捨てるように返す。

すると上司から怒りが見る見る抜けていく。

偉大な人物を前にしたからだろうか?

理由まではわからないが、定番に落ち着くか新天地を開拓するかの選択に比べれば考える価値は無に等しい。

エロサイトに集中しよう。

「おまえ…おまえ、どうしたんだ?」

狼狽した様子の上司の声。

俺は無視してAV鑑賞を続けた。

「どうしたって聞いてるんだ」

「話しかけられたからって返事しなきゃいけないなんて決めつけるな」

「いい加減にしろよ!」

怒りが抜けた…と思ったのも束の間、当たり前の事を注意したら逆切れされてしまった。

くっ、やはり駄目なのか?

まだこの悟りについて来れる人間はいないのか…?

「とりあえずAV見るのやめろ!

仕事する気あんのか!?」

「無い。仕事時間だから仕事しなきゃいけないなんて決めつけるな」

「な…バカ野郎!

それ本気で言ってるならクビだぞ!」

あまりにもしつこいのでだんだん腹が立ってきて、ついにこちらも声を荒らげる。

「仕事しないからってクビだなんて決めつけるな!いま忙しいんだどっか行け!」


退職金は後日きちんと振り込んでもらえるらしい。

唯一の慰めで心を暖めながら社屋をあとにした。

あれから決めつけがいかに愚かな行為であるかを説き続けたが、健闘むなしく職を失ってしまったのだ。

「ふーーーっ…」

無意識のうちにため息が漏れる。

傷ついたからってため息をつこうと体が決めつけているのか。

俺もまだまだ修業が足りない。

その未熟で決めつけから脱しきれていない俺ですら会社は受けつけてくれなかったわけだが…これからどうしよう?

あの上司はどちらかと言えば柔軟な思考の持ち主だった。

彼にああまで拒絶されるようでは、社会のどこだろうと俺の新しい生き方が理解される事はあるまい。

どうすれば…。


ム゛ーッム゛ーッム゛ーッ


いつでも連絡を受けられるよう電源を入れっぱなしにしてなければいけないと決めつけたままだったスマホの振動。

同期の友人から電話だ。

「もしもし」

応じる事にした。

応じなければいけないという決めつけが一切無かったと言えば嘘になる。

「よぉ。なにクビになってんだよ」

嘲るようであり茶化すようでもあり、怒るようでも慰めるようでもある決めがたい声だった。

「好きでなったんじゃない。されたんだ」

「なんかいくら説得されても決めつけるなの一点張りで返したらしいな。

やれやれ…今度は何に影響されたんだ?」

「…何かの影響だと決めつけるな」

「あのな…昨日までは流してたけど、今しかないかもしれんからぶっちゃけとくぜ。

お前は不道徳でバカで無責任でカッコつけた怠け者なんだよ。

バカだから何が正しいか自分の頭じゃ判断つかないし、無責任だから自分を他人に全部預けちまうし、他人の言いなり状態をカッコつけて自分の意思みたく思い込むし、めんどくさがって反省も改善もしないし、そういう生き方を悪いと感じられる道徳心が無い。

幼稚なんだ。

俺らもうじき三十路なんだぞ?

そろそろ大人になっ…」


ブツッ


俺は通話の途中で電源を切ってはならないという決めつけを衝動的に投げ捨てた。

ああ…ああ、清々しくてたまらない。

捨てて初めて理解できた。

これまでの人生、決めつけの鎖が軋む音を心臓の鼓動と取り違えていたのだと。

自縛から解放された今、俺の心の音をかき消すものは何もなくなった。


翌日。

電車だから切符を買わなければいけないなどと決めつける駅員との悶着を乗り越え、郊外の駅に降り立つ。

山野に住まい世を捨てるのだ。

決めつけてしまうのが普通の人間…ならば、他人に決めつけられず生きられる理想郷は無人の地に求めるのが手っ取り早かろう。


「ちょいとお兄さん」

駅から山へ一直線に歩いていると、地元民らしき老婆に呼び止められた。

…いや、何を言ってるんだ。

しわがれて腰が曲がってるからって老婆だと決めつけるな。

これで5歳児かもしれないだろ!

あと声の高い爺さんかもしれないし!

「あんたその格好で山に入るつもりかい?」

5歳児〜老婆or老爺の質問。

俺の服装がなんだというのだ?

秋口に合わせた半袖半ズボンと小型リュックだが。

「山を甘く見ちゃいけないよ。

ヘビにキツネにクマにイノシシ、それからスズメバチだってマダニだっているんだ。

悪いこと言わないからせめて肌隠すくらいはしときな」

「ありがとう」

好意に礼で返し、そのまま山へ向かう。

礼は曇りなき本心である。

危険生物だからって危険だと決めつける愚行で背中を押してくれたのだから。


「…………よし!」

山道と獣道の区別が難しくなったあたりで全裸になった。

ここでは誰も俺を止める事はできない。

通常の人生ではまず経験しないであろう竿から袋へ抜けていく山風が開放感をいっそう増大させた。

爽快な気分に浸りながらキャンプ用具の入ったリュックを背負い、さらに山奥へ。

脱いだ服は邪魔なので捨てていく事にする。

夜は冷えるなどと決めつけてはいけない。

冷えないかもしれないだろ!


パキッパキパキッ…ガサガサッ…


「痛ってえ!」

獣道ですらない手つかずの自然へ数歩踏み出すと、すぐさま山が全裸を拒絶してきた。

無数に生い茂る植物が肌を襲ってくるのだ。

いちおう持参したナイフで払ってはいるが、とても全ては無理。

「あたっ!あっツゥ〜…!」

枝が痛い。

葉でかぶれたのか熱く痒くしみる。

いったいどういう事なんだ…山よ、お前まで服を着ろと決めつけるのか!?

いや待て山のせいと決めつけるな。

何か別の可能性が…そうかわかったぞ!

痛くないんだ!

我知らずのうちに痛いからって痛いと決めつけてしまっていたのがよくない!

当然しみてもないし…痒くも…熱くもねえっ…!

決めつけるな…決めつけるな俺っ…!

悟りがより深まっていく。

俺は満足していた。

このために山へ来たんだから。

微笑みを浮かべ進んでいると、目の前に茶色い塊があった。


「…………」

熊だ。

何も言わずじっとこちらを見つめてくる。

仲間にしてほしいのだろうか?

いや違う。

何度同じ過ちを繰り返すんだ俺は。

そもそも熊じゃないかもしれないだろ!

見た目が熊だからって熊だと決めつけるな!

そうだとも!

たとえ牙を剥き、立ち上がって両手を上げ、よだれを垂らして…吠えよう…とも…。


「グォォォオッ!!」

「うわあああああっ!!」

熊かもしれない毛玉が襲いかかってきたっ!!

いや違う違うっ!!

襲ってるなんて決めつけるな…じゃれつきたいのかもしれない!!

しかし頭ではその可能性を考慮できても本能が受け付けず、どうしても全力ダッシュで逃げ惑ってしまう。

すまん、すまん熊(仮)よ。

未熟な俺を許してくれ!

「許してくれ!」

口にも出してみたが熊(仮)は止まらない。

そして超速い。

俺は枝葉に傷つけられるのにも構わず動き、むしろ木々を盾代わりにする事で凌いではいるものの、まだ捕まってはないというだけで既に何度も追いつかれていた。

絶対とまでは決めつけないが恐らく逃げ切れない。

ん…待てよ。

そうか、まだ決めつけてしまっている事があった!

狙われているのは俺じゃないかも知れない!

「これをやろう!」

熊(仮)にリュックを投げつけてみる。

しかし熊(仮)は脇目も振らず俺に向かってきた。

なぜだ熊(仮)!!

なぜ俺に向かおうと決めつけるのだ!!

獣までも決めつけに囚われているとは、この世界の病は深い。

嘆きながらまた逃走を再開すると、四歩目で足場が消えた。


「わあぁあぁあぁぁぁぁあ!?」


落下しきって停止した体に意識が追いついた時、俺は崖下の川原にいた。

多くの盾を求めて木々の濃い方へ走った上、振り向きざまで確認が遅れたのが災いしたようだ。

とりあえず即死しなかっただけでも良しとし…!?

「ぐがっ…ぐああああああっ!!」

追いついた意識に激痛が群れをなして挨拶してきた。

全身切り傷擦り傷だらけ。

左足は…腿と足首が見事にひん曲がっている。

人が歩くための形という決めつけから解放された足の喜びは、脳にとっては耐え難い苦痛であった。

…否。

駄目だ…違う、そうじゃないはずだ!

痛いなんて決めつけるな!

そんな事よりこれからどうするかだ!

状況を確認しよう。

全裸。

足は骨折。

リュックは崖上。

ナイフは失くした。

目の前に川。

日没間近。

熊(仮)は…ひとまず崖くだりしてまで追ってくる気はないようだ。

…こんなところか。


まあ常人ならピンチと決めつけてしまうだろう。

しかし俺は決めつけない。

傷は痛くても痛くないし、日没で震えるほど冷えても寒いとは限らない。

骨折してるからって歩けないなどと決めつけてはいけない。

山奥だからって助けが来ないとは決まってないし、食料が無いからって死ぬなんて決まってない。

そもそも飯を食わないと飢え死にするなんて誰が決めた?

そんなもの勝手に決めた奴がいたからって俺には関係ないのだ。

そう…決まってないんだ。

決まってるわけがないんだ。

絶対に決まってない。

何が正しいかなんて誰にもわからないんだ、絶対に。

絶対に俺には何の関係も無い。







〈…次のニュースです。

○山の山中で人間の骨らしきものが発見されました。

捜査関係者によりますと遺体は死後数年が経過しており、衣服や身分証の類いを一切身に着けていないため、身元の特定は困難との見通しです。

…さて、次はお天気のコーナー…〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

決めつける男 ハタラカン @hatarakan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ