「虫」取り

ノート

「虫」取り

「「虫」取り行こうぜ、弥助」

 下校中、夕焼けに頬を真っ赤に染めた裕也は、弥助にそう声をかけた。

 終業式が終わり、明日から夏休み。けれども何となくすぐに家に帰るのも惜しいと思い、クラスメイト達とすっかり遊んでくたくたになった、そんなときのことだった。

「虫取り?明日?」

「いや、今晩。夜中の12時とか」

 友達の突飛な回答に弥助は眉をひそめた。

「勘弁してよ。この前も神社に肝試し行こうぜって抜け出したじゃん。バレたら夏休み中缶詰だよ?」

「でも結局バレなかったろ?」

「それはそうだけど・・・でもなんで夜中なのさ。カブトムシとか捕まえるなら朝でもいいじゃん」

 呆れた顔の弥助に、裕也はおいおいと肩を組む。

「ちげーよバカ。俺は虫取りに行こうって言ったんじゃねえ。「虫」取りに行こうって言ったんだ。鎮守の森までさ」

 それを聞いた弥助はさっと顔を青くした。

 弥助たちの住む村の外れには、いわゆる禁足地と呼ばれる森がある。

 その名も鎮守の森。

 だがあくまで禁足地と言うのは村の人間が入ってはいけないという意味で、実際には鎮守の森内に1つ村があると弥助たちは知っている。

 そこに住む人のことを、村の大人たちは「虫」と呼んでいた。

「俺さ、この前鎮守の森の近くまで行ったことがあってさ。その時に森の中にちょっとだけ入ったのよ」

「裕也、それ・・・!」

「まあ聞けって。・・・でさあ、その時森ん中で変な女に会ったのよ。青白い朝顔が描かれた浴衣を着た女でさア・・・この村では見かけねえ垢ぬけたツラしてたからすぐにピンときたよ、「虫」だって」

 グシグシと股間の辺りをこすりながら裕也は息を荒くする。

「お前もさ、前言ってたじゃん。「虫」の女は綺麗だったって。だからさ・・・」

 俺たちで「虫」取りしようぜ。裕也の言葉に、弥助はコクリと頷いた。

 その頬は、恐らく夕焼けでなく真っ赤になっていた。


 弥助が初めて「虫」を見たのは1年前の夏休み、その終盤のことだった。

 当時、弥助は自分の父親と昨晩仕掛けたカブトムシ用の罠の様子を見ようと、早朝家を抜け出して村はずれまでやってきていた。

 父親の分けてくれた芋焼酎に砂糖、バナナで作った罠にはカブトムシやクワガタムシが大量に集まっており、弥助はほくほく顔で籠をいっぱいにしていた。

 だが良い事で頭がいっぱいの時はドツボにハマるのが人の性。弥助は自分でも気づかない間に鎮守の森まで分け入っていた。

 そこで弥助は——「虫」に出会った。

 都会でしか見ないような真っ白なワンピースの女。森の中だというのに目深に被った麦わら帽子。流れるような黒髪。かなりの猛暑だというのに、その肌には汗1つ浮かんでいない。

 最初女は弥助に背を向けて、森の木の1本に寄りかかっていた。

「あの・・・」

 遠慮がちな声に、女はくるりと振り向いた。その所作1つ取っても猫の様に流麗で、都会の女とはこんな無駄のない動きをするものなのかと弥助は感心した。

「おや、おや、もしかして村の子供かい?」

 振り向いても目元は見えないが、口元はニコニコと笑みを浮かべている。

 だがそのセリフで、弥助には女が「虫」であると理解できた。

「ね、ね、君はこんなところで何をしてるんだい。もしかして虫取りかな」

「あ、えっと・・・」

「ね、ね、ここからもう少し森の奥に行ったら沢山カブトムシが棲んでる場所があるんだ。よかったら案内しようか」

 「虫」はそういうと弥助の背後に回り、肩口に腕を絡めた。後頭部に当たる膨らみの柔らかさに、弥助は初めて大人の女の肉を意識した。

 だが、相手は、この女は、

「や、やめろっ!」

 持っていた籠を振り回し、弥助は女の手を振り払う。衝撃で開いた籠の扉から黒光りする虫たちがブゥンと羽根を震わせ飛び出した。

「お前、「虫」だろ!知ってるんだぞ、お前たちが悪いことをして鎮守の森に閉じ込められてるって!」

「へえ、何を知ってるの?」

「え・・・」

 「虫」は悪いことをして鎮守の森に閉じ込められた、それが弥助の村の常識。しかし具体的な「悪い事」の中身を、弥助は大人から聞いたことが無かった。

 だが籠の中身を犠牲にしたおかげで、「虫」からは距離を取れた。

 顔色一つ変えず、「虫」はなおもニコニコと笑いかけている。

 全力で走り森を飛び出す弥助の背に、「虫」の声がかかる。

「うん、そのまま帰るといいよ。君はまだ、子供だもんねえ・・・」

 甲高い嘲笑が、朝焼けの空に響いていた。


「「虫」がなんで鎮守の森から出られないかあ?」

 鎮守の森から帰った弥助が最初にしたことは、両親への質問だった。

「何それ、学校の宿題?自由研究でもするつもりなの?」

「ああ、まあそんなとこ」

 突飛な質問に生返事。両親は息子のおかしな行動を怪訝に思いながらも、

「そうねえ、私は「虫」たちは江戸時代の死罪人の生き残りって聞いたわねえ。何人か鎮守の森の中に逃げて、そこで村を作ったんだとか」

「そうか?俺はカルト教団だって聞いたぞ。廃仏毀釈で落ちのびた坊主たちが森に逃げてきたんだとか」

「それはおかしいでしょ。「虫」は女しかいないって話じゃなかった?なんで坊主が子供作れるのよ」

「それを言うなら死罪人の生き残りってのも変だろう。村作れるくらい死罪人が出たのかよ」

 喧々諤々とした議論を両親が行う中、弥助は女の温もりを1人思い出していた。

 あの笑みを絶やさない口元。あの肉の柔らかさ。肩に触れる手から使わる脈。あの真っ白な肌のうちに流れる血潮が全身に巡り、あの豊満な胸と、ワンピースの生地を押し上げる尻に回り、傷1つないサンダル履きの脚に流れる・・・その様を妄想する。

 悶々する。

 熱が出て。

浮かされて。

 充血して。

 発散して。

 そうして、彼は、大人になった。


 裕也の言った通り、待ち合わせの晩は雲のない満月だった。

 そのため街灯1つない村の畦道も、懐中電灯もなしに歩くことが出来る。

 なるほど裕也が今晩「虫」取りを提案したのはこのためだったのか、と弥助は感心した。

「よ、待ったか」

 時間は夜中12時ぴったり。裕也は寸分たがわず鎮守の森前までやってきた。ママチャリの籠に無造作に麻袋がガサガサ音を立てている。

「お、これか?「虫」が出てきたらさ、コレ被せて動けなくしてやるんだよ。で頭でもぶん殴ってさ、そしたらヤリやすくなるだろ?」

 そういって裕也は麻袋を広げて見せた。

「・・・裕也、僕たちよりも「虫」の方が身長はあるよ。多分狙った通り麻袋をかぶせるなんてできないんじゃないかな」

「えっ、そうなの!?」

 あんぐりと口を開けた裕也に、弥助は肩をすくめながら草刈り用の手鎌を手渡した。

「こういう時は刃物をちらつかせて脅すのが一番だよ。手を出してきてもすぐに切れるし、「虫」を片付けたくなったら後ろから突いてる時に延髄に突き刺したら一発さ」

「お、おお・・・でも怪我させちゃ流石に不味くねえか?」

「不味くないよ裕也。僕らは「虫」を襲おうとしてるんだよ。人間じゃないんだ。「虫」なんだ。どうせ殺したところで警察だって鎮守の森には入れないし僕らが勝手に「虫」と会ったことがバレる方が問題だよ。僕らは大人なんだ。自分の始末は自分でつけなきゃならない。裕也だって好きだろあの映画。言ってたじゃない自分のケツは自分で拭かなきゃって。そうだよさっさとヤって殺してしまおう」

「や、弥助・・・」

 さっと青ざめた顔の裕也に、弥助は有無を言わさず手鎌を握らせた。

 おい、なんでそんな顔してるんだよ。お前が言い出したんじゃないか、「虫」取りしようって。

「よし、じゃあ行こう」

 さっさとヤって、殺してしまおう。

 僕はもう子供じゃないんだ、大人なんだ。

 理解らせてやる、「虫」め。あのふざけた、ニコニコした顔を歪めてやる。

 「虫」取りの始まりだ。


 雲のない満月の晩ではあったが、しかし鎮守の森の中に入るとそこはほぼ闇だった。

 うっそうと茂った森の木の葉は月の光をほとんど遮り、弥助と裕也はさっそく懐中電灯を持ってこなかったことを後悔した。

 だが既に入って30分は経過している。かなり森の奥に分け入ったことだし、このまま帰るよりも「虫」の集落を見つける方が早いだろう。

 何より既に熱く固くなっている劣情を吐き出さないと、この夜は眠れそうにない。

 健康的な夏休みを開始するためにも、ここで「虫」取りをすることは絶対だった。

「おい・・・弥助」

 裕也のささやき声にハッと顔を上げると、前方に開けて月明かりに照らされたスペースがあった。恐らく元々生えていた木が何らかの理由で倒れ、その場所だけ平地になったのだろう。

 だが気にするべきはそこではない。

 満月の光に照らされて、2人の女が1つの木に張り付いていた。

 そう、張り付くという表現が正確だろう。何故なら女たちは木の幹に寄りかかり、歯で樹皮を食いちぎり樹液を啜っているのだ。

 女たちは、1人は真っ白なワンピース、もう1人は青い朝顔の描かれた浴衣を着ている。

「あ・・・」

 そうだ、と弥助は独り言ちた。あの朝見たワンピース姿の「虫」が、自分に背を向けて何をしていたのか。

 弥助に背を向けていたのではない。木に張り付いていたのだ。今日と同じように、樹液を啜るために。

 裕也の方を振り向くと、彼は月明かりが無くても分かる程上気した顔面に発情した目をして、女の方へと歩み寄っていた。

 手鎌は既に取り落としている。

「あら・・・あの時の」

 足音に気づいたのか、「虫」の女たちが弥助と裕也の方に顔を向けた。2人は両方口の周りをべとべとした樹液で汚し、それでいてニコニコと笑顔を浮かべ、それが却って煽情的な印象を与えた。

「お姉ちゃん、俺、俺ぇ・・・」

「あらぁ、甘えん坊さんね」

 笑みを浮かべたままの浴衣の「虫」は裕也を抱き寄せ、頭を撫でた。肉感的なワンピースの「虫」と異なり、短髪の彼女は抱けば小枝の様にぽきりと折れてしまいそうな瘦せ型で、しかし芯のようなものが感じられる美しさを持っていた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

 裕也はぐりぐりと股間を「虫」の太ももにこすりつけ、息を荒くする。

 おかしい。

 たまたま開けた場所に「虫」がいたことも、「虫」たちが樹液を飲んでいたことも、裕也が催眠術でもかけられたかのように「虫」にすり寄っている事も。

 もしや自分は夢でも見ているんじゃないのか。夜中に出歩くなんて、いくら裕也が誘ったからってバカバカしいと思って、本当の僕は布団の中で寝息を立ててるんじゃないのか。

「ほら、ほら、君も・・・ね?」

 だがワンピースの「虫」の柔らかい乳房の感触で、弥助はすぐに現実に引き戻された。

 手鎌なんて必要ない。こんな柔らかな肌を、肉を切るなんて僕は何を考えていたんだろう。

 なんで僕は、お姉さんたちを「虫」だなんて呼んでたんだろう?

 そう煩悶する弥助の顎をくいと上げると、「虫」は顔を寄せ、唇を重ねた。

 突然のことに驚愕する弥助の口内に隙を逃さず「虫」の腫れぼったい舌は侵入し、舌を、歯茎を嘗め回し蹂躙する。

 そんな中、弥助は「虫」が口移しで何かを飲ませてきたことを実感した。

 樹液だ。

 最初感じたのは強い苦みと土の味、その後仄かな甘みが口に広がり、やがてそれは痺れとなり脳へと浸透する。

 気持ちいい・・・。

 ぼうとする思考の中、目を開いた弥助が目にしたのは、同じく陶酔する裕也の姿。しかしそれに覆いかぶさっているのは黒光りする巨大な甲虫だった。

 角のないそれは人ほどの大きさのメスのカブトムシのような容姿をし、真っ黒な爪を裕也の身体に絡め引っ掛け、逃れられないように拘束している。

 裕也の口に突っ込んでいるのは舌ではなく、ざらざらしたブラシ状の口吻だ。

 甲虫は腹部の隙間から真っ白なくだをにょきにょきと伸ばし、その先からは同じく真っ白な球がポコポコと排出されている。

 それが「虫」の産卵管だというのは、生物学の知識がない弥助にもすぐに理解できた。

(「虫」たちは江戸時代の死罪人の生き残りって聞いたわねえ)

(カルト教団だって聞いたぞ)

 違う、違うよ。そんなんじゃない。

 こいつらは、こうやって数を増やしてたんだ。

 ありもしない噂をばら撒いて自分たちの正体を隠し、時々鎮守の森に入り込んだ子供をこうやって餌食にしてたんだよ。

 産卵管が臍に押し当てられ、体内の奥深くまで侵入する。そんな中でも裕也は変わらず陶酔した笑みを浮かべている。

 分かるよ、裕也。気持ちいいよね。僕だってそうさ。

 動きたくっても動けない。いや動いちゃあいけない。身じろぎしたら、産卵管が抜けちゃうからね。

 ズシリと覆いかぶさる「虫」の体重、それすらも既に心地よい。

 もうこのまま新たな「虫」を産む土壌になるのもいいだろう。

 そう思い、弥助は笑みを浮かべながら目を閉じ、

「・・・あ」

 些細な違和感と、その答えに弥助は今際の際で気づいた。

 「虫」たちはなぜ、人の女の姿の時いつもニコニコと笑みを浮かべていたのか。

 なんのことは無い。笑みを絶やさなかったのではなく、微笑んだ表情しか作れなかったのだ。

 その程度の擬態しか出来ない化生に、弥助と裕也はまんまと魅了されたのだ。

 まるで甘い樹液に集る虫の様に。

「虫」、「虫」め・・・。

 臍から侵入する熱い熱い産卵管の痛みに快楽を感じながら、弥助は意識を手放した。

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