エピローグ
エピローグ ♠ はじまりのライブ配信
画面の中でゴツい男たちが戦っている。
一方は全身に入れ墨を入れているスキンヘッド、もう一方は色黒のドレッドヘア。二人は正方形のリングの中でお互いを叩きのめそうと必死だ。ルールはキックボクシングらしく、蹴りとパンチのみの攻防はわかりやすく見応えがある。
●流石どっちも格闘技経験者だな
●これ判定まで行きそう
●レードマンまだ?
●レードマンはこの次
●お!決まったか!?
ドレッドヘアがスキンヘッドに重たいハイキックを入れて、スキンヘッドが倒れた。隣で観ていたひかりが「あ」と声を上げる。そのままスキンヘッドは起き上がることができず、ノックアウトとなった。
「啓ちゃん、この次だよね?」
「ああ、そうだな」
ひかりはデスクに置かれた俺のポッキーをひとつ摘んで、ぽりぽりと口に入れる。
こいつ、いつの間にか自分用の椅子を持ってきて置いているし、勝手に菓子食べるし、あまりにも自然体でやるものだから注意する機会を逃してしまった。
いま観ているのは、YouTubeの格闘技企画「ブットバ!」のライブ配信だ。この後、ガイアサトシとレードマンが試合をする。
これは、俺がマッチメイクしたものだ。
Vtuberのオタクだというガイアサトシに連絡を取り、レードマンと試合をしてほしいということを直訴した。彼は、本当に宮本ミカンの冤罪が晴らせるのであればやってもいいという条件を出してきて、実際にその通りになった。
レードマンの方はと言うと、あの配信が終わった後にDiscordを繋いだままで少しだけ話した時は意外にもノリノリで、ガイアサトシという強者と戦うことを楽しみにしているようだった。
それをひかりに伝えると不可解だというリアクションをしていたが、「合法的に喧嘩ができる機会というのは、多くの男にとって魅力的なものだ」と主張すると、ある程度は納得したようだった。いや、これは何かそういう統計があるとかではなく、完全に俺の主観ではあるんだが。
俺のスマホが鳴ったので通知を見てみると、あのスマイルからだった。
〈いまどうしていますか? またミミさんとお話ししたいです……〉
ひかりにそれを見せると、「ええ……」と困惑する。
「なんでまだ打ち明けてないの? 啓ちゃん、もしかしてそういう趣味……?」
「いや、最高にショックを受けるタイミングで打ち明けたいんだが、なかなか機会が無くて」
「そっちか〜 それはそれで趣味悪いよ」
「可哀想だと思うか?」
「いや、徹底的にやっちゃってほしい!」
「だろ? じゃあもう少し泳がせるわ」
俺たちは二人とも性格が悪い。
ということで、このメッセージは放置することにした。
ドレッドヘアの勝利者インタビューが終わって、レードマンの紹介動画が流れ始めた。
怪しいベネチアンマスクにスーツという格好で、何やらガイアサトシのことを煽っている。
「おいガイアサトシ! お前な、自分が正義の味方のつもりでいるだろ? 元プロ格闘家だかなんだか知らねーけどな、素人舐めんなよ? 俺の喧嘩殺法でボコボコにしてやるよ! 処刑人は俺の方だ。今更後悔しても遅せぇからな!」
●そんなに煽って、殺されても知らんぞww
●正義の味方気取りはお前の方だろ
●正直ちょっと応援してる
●30秒でKOされると予想
●早くボコられるところ見たい
その後、ガイアサトシの紹介映像が流れる。
「ああ、レードマンね。あいつっていわゆるインターネット弁慶でしょ? 全然話にならないよ。悪いけど勝負論は無い。それにね、あいつは俺の愛するコンテンツに火を着けてくれたんでね、徹底的にお仕置きしてやろうかなと」
●お仕置き宣言キタw
●マジで再起不能にしてくれ
●この人本当に強いからな
●てかビジュ良くね?イケメンすぎる
その直後、ガイアサトシの練習風景が流される。
もの凄い剣幕でサンドバッグやミットを殴ったり蹴ったり……これ食らったら、レードマンは死ぬんじゃないか?
その映像は、そんな説得力を孕んでいた。
「これってレードマンは素顔見せるのかな?」とひかりが疑問を口にした直後、今回の試合のルールが発表された。
基本的にはキックボクシングルールだが、ガイアサトシからレードマンへの攻撃は首から下のみ。仮面を着けている顔面は狙ってはいけないとのこと。
「えー、それレードマン有利すぎない? お腹だけ守ってればいいじゃん」
「いや、ローキックとか普通に効くだろうし、一発でKOになりづらいから逆に地獄だと思うぞ。ふくらはぎを狙うカーフキックなんて特に痛いらしい」
「そうなんだ。啓ちゃん意外と詳しいね」
「格闘技漫画読み漁ってた時期があってな」
両者がリング上に登場した。
いよいよ試合が始まる。
そんなタイミングで、MiSAKiがライブ配信を開始したという通知が入った。
「お、同時視聴やるらしいな」
「かつてのライバルだもんね」
「二窓するか?」
「う〜ん、啓ちゃんとふたりで観たいから……開かないで」
「……わかった」
大方の予想通り、それは一方的な”制裁”だった。
レードマンからの攻撃は全く通らず、逆にガイアサトシからの攻撃はガツガツ当たる。
怖気づいたレードマンは逃げ回るようになるが、ガイアサトシは冷静に追い詰めて、一発、また一発と打撃を入れていく。
レードマンはガイアサトシにほとんどタックルに近いクリンチを仕掛けてやり過ごそうとするが、ガイアサトシの圧倒的な首相撲に負けて、距離が開いたところに鋭い左ボディブローが入った。ダウン。
苦しそうにのたうち回るレードマンに対して、客席から「起きろ!」「戦え!」と野次が飛ぶ。
●おいおい、もう終わりか?
●うわー痛そうだな。もっとやれ!
●全く話にならなくて草
●やっぱ所詮素人か
●逃げ回ってないでちょっとは男見せろよ
「うわー痛そうだね」
「レバーに入ったな」
「あれ啓ちゃん、ちょっと嬉しそう?」
「そっちこそ」
推しの
「あ、立ったね。すごい!」
「そのまま寝てれば終わったのにな」
レードマンには変なプライドがあるようで、その後更に二度ダウンしてテクニカルノックアウトになるまで試合は続いた。
ガイアサトシの勝利者インタビューが流れている時、ふと思い出した疑問をひかりに投げてみた。
「そういえば、平岡ヒバチって何で宮本ミカンのことをハメたんだ? ずっと仲悪かったのか?」
「あーそれね……」
俺とレードマンの配信によって真相が明らかになった後、平岡ヒバチはユメパッケージから契約解除を言い渡されて、Vtuber活動を引退した。それに対して、本人の口からは一言も無かった。
これでユメパッケージ一期生の三人は全員辞めてしまったわけだが、彼女たちの関係性は未だに掴めていない。
「ヒバチちゃんは、ミカンちゃんのことを本気で好きだったと思うんだよね。というか、ほとんど信仰に近い感情を抱いていたと思う。同期なのに、まるで先輩と後輩みたいだったから」
「じゃあ尚更どうして?」
「だからこそ、何かのきっかけで感情がひっくり返っちゃったんじゃないかな。愛情と憎悪ってすごく近い距離にあるから。オタクでもよくあるんだよ。熱心なファンほど、反転して熱心なアンチになるの。まあ、実際のところは本人にしかわからないけど」
反転アンチか……話には聞いたことがある。
よく、「好きの反対は無関心」と言うが、きっとそういうことなのだろう。
「そうか……ひかりも反転しそうになる時はあるのか?」
「無いよ」
ひかりは即座に断言した。
「ほむるちゃんが今後どんな姿になって、どんな活動をしても、私は絶対に応援する。それでも、もしも私が反転アンチになった時は、啓ちゃんが殺して?」
「嫌だよ」
何故俺が手を汚さなければいけないのか。
「じゃあ一緒に死んで?」
「もっと嫌だよ」
夜も更けてきて、いよいよ本日のメインイベントが近づいてきた。
ひかりが、「緊張してきた」と呟く。
「なんでひかりが緊張するんだ」
「オタクってそういうものなの」
「そうか、大変だな」
これから始まるのは、Vtuberほむるの初ライブ配信だ。
ずっと動画投稿のみで活動してきた彼女による、リアルタイムでの視聴者とのコミュニケーション。前世での経歴があるとは言え、それは重大なイベントなのかもしれない。
既に開いてある配信ページではずっと開始までのカウントダウンが進んでいて、それは残り一分を切ったタイミングで〈ほむる探偵事務所を待っています〉という表記に変わった。画面右側では結構な勢いで待機のコメントが流れている。
「やばいちょっと吐きそう」
「おいおい、ここで吐くなよ」
「ねえ、啓ちゃん、お願いなんだけど……手握っててくれない?」
「……それマジで言ってる?」
「啓ちゃん」
「……わかったよ」
約十年ぶりにひかりの手を握った。
すごい手汗だが、指摘せずに黙っていることにした。
俺も少しは成長したのだ。
画面が切り替わって、配信が始まった。
『やあやあワトソンの諸君。よくぞ集まってくれたね』
●やあやあ
●こんばんはー
●これって初のライブ配信なのか
●うおお、生のほむるちゃんだ
いつもの挨拶だが、いつもと違ってチャット欄では大勢の視聴者が各々コメントを返す。
ほむるはそれを眺めて、うんうんと頷いてみせた。
『ワトソンの諸君はみんな元気がいいね。素晴らしいことだよ。あ、そうそう。最近色々あった影響で急激にチャンネル登録者数が増えてね。今日は「ワトソン二万人突破記念配信」でもあるんだ』
●2万人おめでとう!
●おめでとうございます!
●伸びるの早いなぁ
●かなり話題になってたからね
「ほむるちゃん、よかったね……おめでとう!」
「それチャット欄に書き込んだほうが良いんじゃないのか?」
「え、そんな、いいよ。なんか出しゃばってるみたいになっちゃうし」
「それは自意識過剰だろ」
「正論言わないで。そんなことわかってるから」
もう、よくわからんな。
『あ、そうだ。フォレスト君はいるかな? ”正解”を三回出した君には、チャンネルのモデレーター権限を渡す約束だから、もし見ていたらコメントしておくれ』
「あ、う。これ私のこと……」
「ほらコメントしろよ。そのためにフォレストのアカウントでログインしてるんだから」
「でも、なんて書けばいいの?」
「何でもいいだろ。俺が代わりに打ってやろうか?」
「やめて! 私が、打つ、から……」
ひかりはガタガタと震える手でコメントを書き込んだ。
●よろしくお願いします
『あ、フォレスト君。見つけたよ。それじゃ、スパナを渡すね』
●ありがとうございます
コメントの横のフォレストの名前が青色に変わった。
「うわぁ……ホントに推しのスパナ貰っちゃった……! どうしよう!」
「よかったな」
「啓ちゃん、ありがとうね」
「これで俺の責任は果たしたな」
「責任? なんのこと?」
あれ、そういえばちゃんと説明してなかったか。
今更少し照れくさいが、一応伝えておこう。
「ほら、俺のせいでひかりは学校サボりがちになっただろ? だから、俺がどうにかしなくちゃなって」
「啓ちゃん、そんなこと思ってたの!?」
「だって……違うのか?」
「いや、確かに啓ちゃんがいない学校はつまんないけどさ、それを学校行かない理由にしたらダメでしょ。私はちゃんと授業単位で出席日数計算して、計画的にサボってたのに! まあ、たまに休みすぎちゃってたけどね……」
「んん? それは、何のために?」
「Vtuber見るために決まってるじゃん」
「ええ……」
「それよりほら、ほむるちゃんの配信見よう!」
ほむるは慣れた様子でチャット欄のコメントを拾いつつ、楽しげに話している。
どうやら今は配信の実況用のハッシュタグをみんなで決めているようだ。
今日は特に依頼とかは無いらしい。
「啓ちゃん、あのさ……」
「何?」
「これまでのワトソンとしての活動、どうだった? 楽しくなかった?」
「それは……」
どうだろう。
これまでやってきたのは――
――寺に行って坊さんにVRヘッドセット被せて、
――ゲームのMod作ってプロゲーマーと格闘家を戦わせて、
――大規模なダイイングメッセージを解き明かして、
――メタバースで女に変装して悪質な業者を惑わせて、
――ゴシップ系YouTuberを精神的にも肉体的にもボコボコにして……。
「結構楽しかったかもな。やったことないけど、なんか部活動みたいで」
「啓ちゃん、そんな部活は無いよ……」
「そうか……」
その時、画面の中のほむるが「そういえば」と話題を切り替えた。
『ワトソンの人数が二倍になったということは、”正解”を出すのがこれまでの二倍難しくなるね。ワトソンの諸君、めげずに頑張っておくれ』
確かに、これまでは一万人で争っていたのが、今後は二万人が競い合うのか。
「スパナ、早めに獲得しておいてよかったな」
「啓ちゃんならきっと二万人相手でも大丈夫だよ。でも、次はどんなご褒美が貰えるんだろうね」
「いや……もう手伝わないが?」
「え?」
「え?」
そう言いつつ、なんだかんだでまたワトソンを手伝わされる未来がちらりと見えた気がした。
まったく、どこまでいってもこの腐れ縁からは逃れられそうにない。
こいつには、たとえ生まれ変わっても追いかけてくるような執念があるのだ。
バーチャル美少女探偵と1万人のワトソン 塗田一帆 @nulltypo
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