かぜ薬の買い占めについて
脳幹 まこと
揺れる基準
夏風邪っぽいなと思って、近所のドラッグストアにかぜ薬を買いにいった。
いつも買ってるやつが売り切れている。改めて見てみるとかぜ薬ひとつにも色んな種類があって、いつものやつ以外から選ぶのは中々悩ましかった。
こうなるとよく効きそうなやつを選ぶしかなくて、「有効成分最大量配合!」と書いてあるものを手に取ってレジに向かった。
そうしたら、店員さんから「あなたはここ直近で同様の効用を持つ薬を買ってませんか?」と尋ねられた。
何のことか分からなかった。買ってません、と答えると、あっさりと会計は終わった。
エコバッグに詰めている最中に、少し遅れて真意に気付いた。
――なるほど、買い占め対策のためか。
そういや、ネットニュースでも「かぜ薬難民」だとか話が出ていたな……
おそらく接客マニュアルに新しく加えられたのだろう。
全国津々浦々のドラッグストアで、この確認作業が行われているのか。
夏風邪のせいなのか、連日の猛暑のせいなのか、ぼんやりとしてきた。
確かあの時のネットニュースではかぜ薬を大量に買い占めて、高値でよそに転売している企業があるとか、何とかだったか。
コロナ禍の時は確かマスクが品薄になっていて、高値で転売されていたっけ……
許せないな、と思ったのだが、ビジネスとしてはこれ程上手いやり口はない。
緊急の問題事を解決するためなら、ある程度の出費は仕方がないと財布のひもが緩む。明らかにぼったくりな金額であっても客は
もちろん、非道ではある。そのせいで本当に必要にしている人のもとに渡らなくなる。
そんなことは止めてほしいと心から願う。
しかし、と思う。
本当に
こんな風に思っているのは、あくまで自分が夏風邪になって、薬が必要になったからなのではないのか。
例えば、自分には縁のない、とある難病の治療薬が同じような状態になっていたらどうだ。「ああ、そうなんだ」で終わりではないのか。
買い占めについても、「いつ手に入るか分からないから」用心のために多めに買っていたらどうだ?
とびきりの善人が、ホームレスに支給するために買っていたとしたら?
そもそも買い占めなんてなくて、本当にそれぞれのご家庭で買ったのかもしれない。
むしろ賢いだとか、美談、笑い話として話が進んでいくのではないのか。
・
あれほど理想的と思っていた人が、ただ一度の悪事の発覚で、「悪の側面こそが
まるで、その人の敗因は、悪事そのものではなく、それが外部に露呈してしまったことだと言わんばかりに。
私達は文脈でしか物事を判断できない。
「高瀬舟」の喜助だって、やっていることは「身内(弟)殺し」だ。
だが、彼の背景が語られることで、あれだけ情を揺さぶられる話になる。
ここで仮に彼の話が全て嘘っぱちだと分かったら、今度は喜助が「背景なしの殺人犯」以上に血も涙もない悪人だと感じられるはずだ……
他の人を理解するといっても、その人の全てが目前にさらけ出してある訳じゃない。
いつだって断片をかき集めて像を作ることになる。
自分自身ですら実際のところ、多くの断片を寄せ集めて作った暫定的な像にすぎない。
光の当て方で姿かたちが変わる影絵のようなものだ。
意図があるのか、それとも偶然出来上がったものかすら分からない、ただ在るのでとりあえずは絵空事ではないんだな、と感じる程度のものでしかない。
自宅に着いた。
かぜ薬は目の前にあるから、私は今のところ安心している。
まったく置かれてなかったら、それなりに憤りを覚えていただろう。
最寄りのドラッグストアで置いてなかったら、炎天下のなか、それなりに遠出をしなくてはならなかった。
三錠を口の中に入れて水を流し込む。
飲んだことのない薬なので、効果があるのかは分からない。逆にいつもより効くかもしれないが。
どちらにせよ、これが今のお守りだ。
ぼんやりとしたまま、考えてきたことをメモ帳に書いていく。
寝て起きれば、まったく別の意見になるのかもしれない。
風邪の症状が良くなれば、穏やかな自分がいるだろう。
変わらない、もしくは悪くなれば、「やっぱりいつものやつがいい! 買い占め犯許すまじ!」と義憤に駆られた自分がいるだろう。
私は眠りにつく。
どこかでもらってきたウイルス・細菌と免疫・かぜ薬連合軍との対決、刻々と変わっていく世論、持ち帰った宿題、その他諸々を置き去り……いや、棚上げにして。
かぜ薬の買い占めについて 脳幹 まこと @ReviveSoul
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます