ウソツキさん

山岸マロニィ

ウソツキさん

 これは、私の祖父に聞いた話です。


 我が家は代々、愛知県西部の西三河、知多半島を衣浦きぬうら湾越しに望む、そんな場所に住んでいます。

 海岸沿いは、今では埋め立て地が広がり工場が林立していますが、昔は磯の美しい海だったそうです。

 一方、港町にありがちな高低差のある地形は今でもそのままです。海の方から内陸に進んでいくと突如現れる崖伝いに、あるいは崖を削り切通にして、細い坂道が走っています。

 我が家は、今ではその崖の上に引っ越しましたが、戦中までは崖の下にありました。満潮の日には庭先を蟹が歩いていたと、祖父は孫である私によく話したものです。


 そして、我が家が引っ越した先の裏手に神社があります。竹藪で覆われた崖に石段が設えられた、港町によくある高台の神社です。

 高潮や津波など、海の災厄から逃れるために、高い場所に避難所として土地を確保する、先人の知恵でしょう。

 その神社は、火防の神様を祀る秋葉神社。石段の正面に構えた木造の社殿はさほど古くなく、戦後に建て替えられたそうです。


 そして、神社の境内の隅にポツリと、竹藪に埋もれるように、もうひとつ祠があります。

 笹のトンネルを支えるような、赤い鳥居を六つ潜った先にある小さな祠。

 お稲荷さんです。


 このお稲荷さんには、「ウソツキさん」という奇妙な名前がついていました。

 どうしてそんな変な呼ばれ方をしているのか。幼い頃、私は不思議に思って祖父に尋ねた事があります。

 すると祖父は、こんな昔話をしてくれました。



 ――――――――



 西三河沿岸部は、今では自動車産業の周辺地であり工業の町の印象が強いですが、昔は狐や狸が住んでいる、自然豊かな場所でした。

 衣浦湾を挟んだ向こう、半田市出身の作家・新美南吉の名作「ごんぎつね」にあるような風景が、この辺りにもあったのです。


 そして「ごんぎつね」のごんのように、悪戯好きな狐がいました。

 その狐はよく子供に化けて、

「誰かが崖から落ちたぞ!」

「沖に出た船が沈むのが見えた!」

 と嘘を言って、村の人々が慌てふためくのを見て楽しんでいました。

 嘘つき狐に振り回される村人たちはたまったものではありません。嘘の内容が冗談では済まないものばかりなので無視もできず、村人たちは困り果ててしまいました。

 そこで村人たちは秋葉神社に集まって、嘘つき狐をどうするか相談をする事にしました。

 するとそこに、秋葉神社の神様が現れたのです。

 神様は村人たちにこう仰いました。

「皆を困らせた罰として、嘘しか言えないようにしてやろう」

 つまり、狐が何を言っても心配する事はない、という意味です。

 村人たちは安心し、それから嘘つき狐の言う事を全て無視するようになりました。

 そんなある日。

「これは愉快だ。こんなに愉快な事は他にない!」

 どこかで笑い声を上げているのはあの狐です。

 いつもとは違い、村人たちを不安にさせるような言葉ではないのが気にはなりましたが、「愉快ならば結構」と、村人たちはやはり無視をしました。

 狐の笑い声はしばらく続きましたが、やがて飽きたのか、声がしなくなりました。

 それからしばらくして。

 鼠取りの罠に足を挟まれ、動けずに弱ったのでしょう、狐が死んでいるのが見つかったのです。

 楽しそうに笑っていたのは、本当は痛くて辛くて、助けを求めていたのでした。

 自業自得とはいえ、可哀想に思った人々は、秋葉神社の境内にお稲荷さんとして祀り、供養する事にしたのです。



 ――――――――



 昔話自体は、「狼少年」の派生のような、よくある寓話です。

 しかし祖父は、

「ここからはワシが子供の頃に、本当にあった話だよ」

 と、話を続けたのです。



 祖父は昭和初期の生まれ。

 子供時代はまさに、太平洋戦争の真っ最中でした。

 衣浦湾を挟んだ向こうには飛行機製作所があり、近くの村には「ニイタカヤマノボレ」の信号を発信した無線送信所がありました。

 ですので、祖父の住むこの村では、空襲を警戒した警報が頻繁にありました。嫌な音のサイレンが鳴る度に、祖父の家族と近所の人たちは、崖に掘った横穴の防空壕に走ったそうです。


 そんなある日。

 一月の寒い深夜でした。


「B29が飛んでくるぞ! 空襲だ!」


 眠っていた祖父は、路地を走りながら叫ぶ少年の声で目を覚ましました。

 尋常小学校の学童だった祖父は、その声のただならぬ様子に家を飛び出しました。

「ど、どこから飛行機が来るんだ?」

 祖父は少年を捕まえて尋ねました。空襲を警戒して街灯も家の灯りもない暗がりとはいえ、その少年が向こう隣の同級生の弟であるのは分かりました。

「海の向こうからだ。早く逃げろ!」

 そこにやって来たのは、隣家のおばさんです。

「警報も鳴ってないのにかい?」

「警報なんて当てになるか! 早く逃げろ!」

 そこで祖父は家族に知らせて、とりあえず崖の防空壕に行こうとしたのですが……。

「あそこは駄目だ、秋葉神社に行くんだ!」

 ものすごい剣幕で少年にそう言われ、祖父や近所の人たちは連れ立って、秋葉神社の石段を上り、境内から南の空を眺めていたのです。


 そこへやって来たのは、地震でした。


 三河地震。

 前の月に起こった東南海地震からわずか三十七日後に発生したこの地震で、先の地震を辛うじて耐えた家屋は崩れ、防空壕も土砂崩れで埋まってしまったのです。


 屋根が抜け落ちた秋葉神社の社殿の横で、祖父は家族と肩を寄せ、眠れぬ夜を過ごしました。

 そして夜明け。

 見知った顔は全員無事なようでした。村人たちが寄り添う境内を見渡して、しかし祖父は首を傾げました。

 ここへ逃げるように触れて回った、あの少年がどこにもいないのです。

 祖父は向こう隣の同級生を見つけ、尋ねました。

「おまえの弟はどうしたんだ?」

 すると彼は、不思議そうに首を傾げて答えました。


「オラの弟は、去年、病気で死んだじゃないか」



「多分あれは、ウソツキさんが化けていたのだろうと、みんなそう言っておった」

 自業自得で罰を受けた狐が、丁寧に祀られたお礼か、はたまた秋葉神社の神様の遣いとしてか、時代を超えて現れたのだろうと。

 深夜で寝ぼけていた祖父や村の人たちは、去年亡くなった少年の姿を借りた狐に、すっかり騙されたのでした。

「嘘しか言えないから、地震が来るとは言わずに、空襲だと言ったんだろうな」

 それがなかったら、祖父や祖父の家族は家に押し潰されていただろうし、そうなれば、今の私の存在は、なかったでしょう。


 私も、子供の頃はよく遊んだ秋葉神社。

 昨今では、ブランコは錆び、すべり台は撤去され、すっかり子供の姿を見なくなりました。

 それでも、年に一度の夏祭りには、地元の人たちが境内に集まります。


 ウソツキさんは今も、神様の傍に控えて、そんな私たちを見守ってくれているのかもしれません。

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ウソツキさん 山岸マロニィ @maroney

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