第3話 就職でまた、引っ越していってしまうキミと

「キミはまた、引っ越していくんだね」

 再びしんみりした空気を振り払うように、彼女は明るい声を出す。

「でも、今度は就職で東京に行くんだもん。すっごくおめでたい引っ越しだよ。私も幼馴染として鼻が高いよ」


 引っ越しなんか、いつだって面倒なだけだとつぶやいたキミに、彼女は優しく言う。

「生まれてからずっとこの町に住んでいる私には、たくさんの土地を旅してきたキミが、自分が知らない広い世界を知ってること、すごくまぶしく思えることがあるよ」


「私もね就職先は家から通える距離なんだけど、半年くらいお給料を貯めたらひとり暮らしをしてみようと思うの」

 金がもったいないと言ったキミに、彼女はへにゃりと笑って見せる。

「だって、これ以上離れたく……離されたくないんだよ。少しでも経験を増やして、追いつきたいよ」

 キュッキュッとマジックで内容物を書いて、最後の箱にガムテープを貼る。その中に言葉を吹き込むように、彼女は震える声で囁いた。 

「キミはいつも、私の手の届かないところに行っちゃう人なんだから……」




 箱を積み上げると、急に部屋はガランとしてしまった。

 開けたままの窓から、朝の光と風が入り込んで床を掃いていく。

 眩しそうに瞬きをしてキミに向き直ってきた彼女は、もういつも通りのふんわりとした微笑みを浮かべていた。

 

「これで全部だね。ワンルームの片付けくらいチョチョイのチョイだと思って来たけど、もう7時です。おはようございます」

 おはようございます、この度はおせわになりましたと、キミもお辞儀する。

「この床のお布団は? へぇ、引っ越し屋さんが布団袋を貸してくれるんだ。じゃあ、全部片付いたことだし、あとはゴローンとしててもいいってことだね」


 言うなり彼女は、キミの布団へ仰向けに寝転がる。

「なぁに? パンツを畳んで、エッチな本まで片付けた仲でしょ、お布団くらいで照れないでよ」

「ふふ、ごめん、誇大こだい広告。パンツは畳んでませんでした」


 両手で口元をおさえて笑っていた彼女は、そのまま少し手のひらを上にずらし、顔を覆って問いかける。

「引っ越しの手伝いに、私のことを呼んでくれたのは、誰かに断られたから?」

 キミは即座に否定する。


「そっか、確かに連絡くれたの10時半だもんね、他の友達に頼める時間じゃないか。……でも、私のことは呼んでくれたんだ、嬉しいな」

「遅い時間だったのに、到着が早かった? あはは、朝から支度してたもん。でもその後、行ってもいい? って聞けなくて、ひたすらウジウジしてたから」

「『引っ越し終わらん、助けて』ってメッセージ見た瞬間、最後のチャンスだと思って、部屋を飛び出してきたよ」


 そんな大げさな、と苦笑いの途中で、真剣な声にさえぎられた。

「だってキミはまた、引っ越しちゃうから。そしたら今度こそ、この町には戻って来ないよね……」

 湿る声に、伝えるべき言葉がキミの喉にひっかかる。

 静かに彼女は顔の前から手をよけると、かたわらに立ち尽くしていたキミへ、まっすぐに腕を伸ばす。


「ねぇ、いっかいだけでいいから、ギュってして」


 薄く涙の浮かんだ瞳に見つめられて、キミはふらふらと膝をつき、思わず「何で」と問いかける。

「理由は、キミの好きにしていいから。私、今日を思い出にして、生きていくから」

 思いつめた表情の彼女に、ハグの代わりにゆるいデコピンを与える。

「いた……くは、ないけど。困るって、何が?」

「思い出にされたら困る? それに、布団の上でギュってしてそれで終われるかボケって、いつものことだけど、口が悪いよぉ……」

 

「ギュッてしてくれたら、それで終われなくてもいいよ。その覚悟で、来たもん」

 

 潤む彼女の瞳に、ぐっと息を呑み込む。2回目のデコピンはちょっとマジになった。

「いたぁ……今度は結構痛かった」


「待って、だって普通に考えてみて。真夜中に男の子の部屋に呼び出されて、ホントに純粋な引っ越しの手伝い要員だと思う女子大生って、どのくらいいると思う?」

「私はキミとの付き合いが長いから、正直半々だと思って来たよ。いや、7割はホントに引っ越し準備が終わってないと思って来た」

「でも、残りの3割は、期待して……来るよ」


「わわわ、でもでもでも、今さら『据え膳食わぬは男の恥』みたいなテンションで来られても!」

「オレのカラダが目的だったのねとか、そんな生々しい話じゃなくて!」


「最後だから、気持ちを。……その、私のこと、どう思ってるのかって、聞けるかもって。で、その後は、そういう流れもあるかも、という覚悟ですよ、ハイ」

 真っ赤になって目を逸らした彼女の左手を取って、小指の先にさっきの指輪をはめる。


「これ、あのお祭りの指輪? えっ? 彫ってあるのは、5年5組じゃない? 転校してくる前の小学校では、好きな子のイニシャルを入れるのが流行ってたの?」

「じゃあこれ、5じゃなくて、エス? S、S……!」 


「犯人に隠れて書いたダイイングメッセージじゃないんだから、もっとわかりやすくしてよ。名探偵が来てくれなきゃ解けないよぉ、ひねくれ者ー」

 指輪は彼女の手に掲げられて、まるで宝物のように鈍く光ったが、ひねくれ者の称号は再びキミに投げ返された。

「喜んでいい? 別のSSちゃんだったりしないよね?」


 するはずがない。転校した先でもキミがフルネームを覚えていた女子は、彼女だけなのだ。

「ずっと? スズメって呼んだ日から、ずっと、好きでいてくれたの?」

「私なんか、ひまわりを持ってくれた日からだもん、あの日の帰り道から、ずっとずっと、好きだったもん。何で言ってくれなかったの?」


 その答えは、しくも先程、彼女の口から語られた。

「私がキミのことカレシじゃありません! って、全力で否定してたって聞いたから?」

「なんならそれまで、ほぼ付き合ってる勢いだと思ってた? えええっ!」

「わぁ……それはもう……全面的にごめんだよ」

「そういうつもりじゃ無かったのは……もう、分かってるよね」

 言葉にしなかった自分が悪いと、キミは彼女に謝る。

「ううん、ハッキリさせなかったのはお互い様だもん、それはいいっこなしだよ」


「私たちこれで晴れて両想い、でいいのかな?」

「何で笑うの? 両想いって、小学生かって……しょうがないじゃない、小学生の時からなんだから!」


「えっと、じゃ、改めまして、ギュってする?」

 残念ながら「しない」とキミは断る。

 理由は何度も言わせないでほしいし、いつまでもしどけない格好で寝転がっているのも、こうなった以上は可及的かきゅうてき速やかにやめてほしい。


「好きだって分かったその日から、いきなり遠距離恋愛なんだよ、会えない時間の分、チャージが必要だと思います」

 甘ったれたことを言ってくれる彼女に、キミはぶっきらぼうに期限を告げた。

「半年待て? 半年って何の期間?」


「半年間は東京の本社で新人研修だけど、その後は、地元の支社で働く?」

「えっ、それって、半年経ったらまたこの町に戻ってくるってこと?」

「でも支社と本社があるってことは、キミも転勤族になるってことだよね? ならないの? 確かに。ディーラーの営業さんには、一度車を買ったら、ずっとその人に担当してほしいもんね」

 キミからの話を総合して、ようやく彼女の目に嬉しそうな笑みが浮かぶ。

「研修が終わったら、キミは戻ってきて、それから先はずっとこの町に住むんだ」


 そこから急転直下、へにゃりと眉が下がって彼女はうつむいてしまう。

「何で最初にそう言ってくれなかったの? 最後だからとか、覚悟してきたとか、余計なこといっぱい言っちゃったよ。ふわぁぁ、急に恥ずかしい、顔、あっつい!」


 見悶える彼女の下で乱れるシーツは、非常にキミの心臓に悪く、バタバタ暴れるせいで部屋に舞ったホコリが、朝日の中で光る。

 そして案の定。

「ふぁっ……ッチュン! チュン、チュンっ!」

 寝具にからまるキミの小さなスズメに、箱ティッシュをポンと放ってやる。

「ありがとう……」


 ようやく起き上がってくれた彼女は、唐突に「あっ」と声をあげた。

「半年待てって、もしかして、私の一人暮らしも待てってこと?」 

 キミもさすがに心得て、ここまできたら、もう茶化したりはしない。「戻ってきたら、一緒に暮らすか」と、告げた。


「うん……一緒に暮らしたい。ずっと一緒にいたいよ」

 ほっぺたが、ほわっとピンク色に染まって、彼女が微笑む。

 

 夏祭りの帰りにポツリとつぶやいた「ずっと一緒にいたいね」という彼女の声に、小学生のキミは別れの言葉すら言えなかった。


 十数年の歳月を越えて、今度はそのささやかでとうとい願いに応えられる。

 左手の小指にオモチャの指輪がはまったままになっている。その隣の指のサイズが気になるのに、チャイムが鳴って引っ越し業者が到着してしまった。


「はぁい、今日はよろしくお願いします!」

 明るく応対しはじめた彼女に、次に一緒に荷ほどきをする日はそう遠くないのだとキミは自分を励ます。

「はい、布団袋もらったよ、一緒にお布団畳んで入れちゃおう」

 ばさぁっと景気よく布団を持ち上げた時から、彼女の鼻がムズっとしたのがわかる。

「……チュンっ!」


 一斉に作業員からの注目を集めて、照れ笑いした彼女が可愛すぎたので、やっぱりこのまま布団袋につめこんで、東京まで連れて行ってしまいたかった。 

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キミは明日、引っ越してしまうから 竹部 月子 @tukiko-t

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