後編
声の主は、二人よりも少しだけ年下に見える、若い女性だった。
清楚な白いワンピースを着た、可愛らしい女性だ。どことなく、儚げな雰囲気をまとっている。
その女性はこちらに近づいてくると、二人のテーブルの横で足を止めた。彼女の視線は、真っ直ぐサトルの方に注がれている。
「カレン、迎えにきてくれたのか」
サトルが爽やかな笑顔を浮かべ、女性にそう言った。どうやら、女性の名前はカレンと言うらしい。
「うん」
カレンは、はにかんだような笑顔をサトルに向けた。
(だ、誰だ!? どういうポジションの人!?)
新たな人物の登場に、俺は激しく動揺した。
サトルは椅子から立ち上がると、カレンの隣に立ち、彼女の肩に優しく手を置いた。
「ミコト。俺とカレンは今、一緒に暮らしているんだ。カレンにも、店を手伝ってもらってる。すごく助かっているよ」
「! そっか・・・良かったな」
サトルは、愛おしそうにカレンを見つめた。
「あの戦いの中で、俺達はカレンを救い出すことができた。カレンは・・・俺にとっての希望なんだ」
「サトルさん・・・」
カレンも、愛おしそうにサトルを見つめ返した。
俺はその様子を見ながら腕を組み、うんうんと頷いた。
(情報少ない・・・けど、多分あれだ。魔王軍団に捕まってたヒロインの子なんだろうな。戦いの後で主人公と結ばれて、穏やかな生活を送っているんだ・・・よかったなあ・・・)
「じゃあ、俺達はもう行くよ。ミコト、また会おうな」
「ああ・・・またな」
ミコトに別れを告げると、サトルとカレンは寄り添い合いながら喫茶店を後にした。
残されたミコトは二人の背中を見送ると、テーブルの方に視線を戻し、ボソリと呟いた。
「・・・駄目だ」
(ん?)
「駄目だ、受け入れられない・・・!」
思い詰めた様子でそう言うと、ミコトは自分のカバンに手を突っ込み、スイッチのような物を取り出した。
(スイッチ・・・? スイッチだよな、あれ・・・?)
片手に収まる程度の小さな四角い箱に、赤いボタンがついている。間違いなく、何かのスイッチだ。
(何のスイッチなんだ・・・!?)
ミコトは苦悶に満ちた表情でスイッチを見つめている。
「やり直すしかない・・・! 巻き戻して、最初からやり直すんだ・・・!」
(ええっ!?)
ミコトは右手を掲げ、赤いボタンを押そうとした。
「ちょ! ちょっと待てえ!!」
俺は椅子から立ち上がると、切羽詰まった声でそう叫んだ。
「!?」
ボタンを押す直前で、ミコトは手を止めた。
「な、なんだよ、いきなり・・・」
ミコトは怪訝そうな顔で俺を見た。
「いやいやいやいや! あんた今、リセットしようとしてただろ!」
「! それは・・・!」
ミコトはバツが悪そうに目を逸らした。
「巻き戻そうとしてただろ、時間を! あれにしようとしてただろ、ほら、あの・・・タイム・・・タイムなんとか・・・」
「タイムループな」
「それだよ!! タイムループエンドにしようとしてただろ!」
「あんたには関係ないだろ・・・!」
「巻き戻されたら関係あるに決まってるだろ!」
俺に激しく詰め寄られ、ミコトは観念したようにガックリと項垂れた。
「・・・そうだよ。俺はこのスイッチを押して、もう一度最初からやり直そうとしたんだ・・・!」
「ど、どうして急にやり直そうとするんだよ・・・」
ミコトは額に片手を当て、呻くように打ち明けた。
「だって・・・耐えられないんだ! サトルとカレンが結ばれて、しかも一緒に暮らしているだなんて、俺には耐えられない・・・!」
「! さっきの二人のことか・・・」
俺は、二人の仲睦まじい姿を思い出した。あの姿を見て思い詰めたということは、つまり・・・。
「俺だって、カレンのことが好きだった・・・! 戦いが終わったら、カレンと一緒に平穏な暮らしを送りたいって、そう願ってたんだ! それなのに・・・」
やはり、ミコトはカレンのことが好きなようだ。なるほど、そういうことなら彼に同情してしまう。だが、タイムループを認めるわけにはいかない、当たり前だけど。
「だからってさあ・・・」
俺はミコトのテーブルに両手をつき、彼に訴えかけた。
「なにも時間を巻き戻すことはないだろ!」
「でも、それしか道はないじゃないか・・・!」
ミコトは追い込まれた表情を浮かべ、震える手でスイッチを握りしめた。今にもスイッチを押してしまいそうなミコトを見て、俺はパニックになった。
「待て待て待てって! え〜っと、そうだ、ほら! さっき言ってただろ、小説を書いてるって! 自分達の物語を残したいって! カレンさんっていう人がいなくたって、あんたはちゃんと前向きに生きてるじゃないか!」
熱く語りかける俺のことをチラリと見てから、ミコトはボソリと呟いた。
「誰も読んでない・・・」
「え?」
「小説を書いてネットの小説投稿サイトに投稿したけど、誰も読んでくれないんだ。閲覧数は毎日ゼロのままだ・・・!」
「ああ・・・うーん、それは・・・」
俺は気まずさを隠しながら、テーブルの表面をトントントンと指先で叩いた。
「ほら、関係ないだろ、読まれるかどうかなんて! 書くことに意義があるんだから──」
「くそおっ!! もう駄目だ・・・やり直すしかないんだ・・・」
「だからやめろって! 落ち着けよ! ついさっきまで落ち着いた感じのやつだったじゃん!」
俺はなんとかミコトの手からスイッチを取り上げ、テーブルの端に置いた。
スイッチを取り上げられたミコトは、恨めしそうに俺の顔を見上げた。
「何でだよ・・・いいだろ、巻き戻したって・・・」
「よくないに決まってるだろ! だってさ、少なくとも二年は戻るんだろ? 俺だってな、一ヶ月くらいだったら我慢してやってもいいと思う。でも二年は戻りすぎだよ、二年は。俺、去年は靭帯を痛めて大変だったし・・・あれを繰り返すなんてもう勘弁だ」
「でも・・・苦しくて仕方ないんだ! サトルとカレンが一緒にいることを考えると、苦しくて心が張り裂けそうなんだあ・・・!」
ミコトは涙声でそう叫ぶと、テーブルに突っ伏してしまった。
「ああ・・・もう!」
俺は、先ほどまでサトルが座っていた椅子に腰を下ろし、ミコトと向き合った。
「いいか? カレンさんのことは諦めるんだ。あんなに幸せそうだったんだから、二人のことは祝福してやるしかないだろう。あんたには、他にいい相手がすぐ見つかるって!」
「そ、そうかな・・・」
俺は夢中になってミコトを鼓舞した。
「そうだよ! ほら、あんた結構カッコいいし、その気になれば絶対モテるって! すぐ幸せになれるって!」
「カッコいい・・かあ・・・」
ミコトは顔を上げると、満更でもない様子で笑みを浮かべた。
「ほらほら、とにかく、今は前向きになるんだ。いいな? やり直そうなんて考えるのは、もうやめろ、な?」
「うーん・・・」
ミコトは少しだけ考えた後、俺に向かっておずおずと頷いた。
「わかった、やり直すのはやめる。今の、この世界で、頑張ってみるよ・・・!」
「よく言った! 偉いぞ!」
俺は安堵のあまり、涙を流しそうになった。
「よっし、何か奢ってやるよ。美味しいものを食べて、明日からは新しい気持ちで頑張るんだ」
「ありがとう・・・! いい人だな・・・!」
ミコトは晴れやかな表情で俺に礼を言った。なんだか、俺の方まで前向きな気分になってきた。
「知ってるか? この店のアップルパイはすごく美味いんだ。アップルパイを奢ってやろう。いま店員さんを呼ぶから・・・」
この喫茶店のテーブルには呼び出し用ボタンが設置されている。ボタンを押すと音が鳴り、店員がテーブルに来てくれるようになっているのだ。
俺はテーブルの上のボタンを押した。
『カチッ』
その音は、いつもと違っていた。呼び出し用ボタンを押した時は『ピンポーン』という音がするはずなのだ。
「ん?」
不思議に思って手元を見ると、俺の手の下にあったのは喫茶店の呼び出し用ボタンではなかった。
俺とミコトの視線が釘付けになる。
「「あ──」」
俺が押したのは、先ほどミコトから取り上げてテーブルの端に置いておいた方の、四角いスイッチだった。
〜おしまい〜
喫茶店で隣に座った二人組が最終回の空気感を出している 胡麻桜 薫 @goma-zaku-12
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