第46話
それから更に数え切れないぐらいの月日が流れる──自宅で夕飯を食べ終わった俺は、特にやることが無く、ダイニングチェアに座り、ゆっくりお茶を飲んでいた。そこへ結香がやってきて正面に座る。
「亮ちゃん、この後のご予定は?」
「ある訳ないだろ?」
「じゃあ……一緒に、むかし亮ちゃんの部屋だった部屋で夜空でも眺めませんか?」
「夜空を? また珍しい事を言いだすなぁ……今日は何かあるのか?」
「別に良いじゃないですか、そんなこと。もし大丈夫なら、先に部屋に行って、蚊取り線香を炊いといてくれませんか?」
「はい、分かったよ。──よっこいしょっと……」
俺は席を立つと、頼まれた通り二階にある自分の部屋へとゆっくり向かう──部屋の中に入ると、久しぶりに二階に上がったこともあり、息を整えながら蚊取り線香を焚く準備を始めた。
「──これで良し。後は結香を待つだけだ」
俺は窓と網戸を開けると、ベッドに座る。結香が何を見せたかったのか、ちょっと気になり窓の方に視線を向けた……が、焦る事も無いと我慢して、ボォーっと壁を見つめながら結香を待つことにした──。
コンコンコンと優しいノックの音が聞こえ、俺は「いるよ」と返事をして、ドアの方に顔を向ける。すると、薄化粧をした結香が入って来た。
化粧して、どうしたんだ? と、聞こうと思って口を開けると、先に結香が口を開く。
「間に合いましたね……良かった、良かった」
「間に合った?」
俺が聞き直すと、突然、窓の外から破裂音が聞こえてきて、心臓が飛び出るかと思うぐらいビックリする。なに……花火?
「……そうか、今日は花火大会だったのか」
「ふふふ、正解です」
「だから化粧をしてきたんだな?」
「はい。流石にこの歳で甚平を着るのは……と思って、化粧だけにしておきました」
「そうか。じゃあいつもの通り、褒めなきゃな……とても似合ってるよ」
「ふふふ、ありがとうございます」
結香は軽く頭を下げると、部屋の中に入ってきて、俺の隣にスッと座る。
「もう少し奥に行って貰えますか?」
「あぁ、悪い悪い」
俺は謝りながら窓の方へと移動する。結香も一緒になって移動をして、俺に体を摺り寄せてきた。そして久しぶりにドキドキしながら二人で夜空を彩る花火を見上げた。
「……綺麗ですね」
「あぁ……久しぶりだからか凄く綺麗に感じるね……」
「はい。子供が小さい頃は割と一緒に行っていたのに、しばらくしたら行かなくなってましたかねぇ……懐かしいです」
「ほんと……」
「亮ちゃんは私達が親しくなったキッカケを覚えていますか?」
「結香と親しくなったキッカケ?」
結香にそう言われ、昔の事を振り返ってみるけど「……いや、あまり思い出せない」
「私は覚えていますよ。お互いの父親と一緒に初めて花火大会に行った時です」
「あぁ……なんとなく思い出してきたぞ。小学校、低学年の時だったか?」
「はい。その時に私が綺麗なリンゴ飴に釣られて親と離れてしまって、それを見ていてくれた亮ちゃんが、一緒になってはぐれちゃって……」
「そうそう。それで不安になった結香は泣き出してしまって……俺がリンゴ飴を買ってあげたんだよな?」
「ふふふ。はい、そうですよ。本当はスーパーボールすくいとかやりたくて持って来たお金だけど……仕方ないからお前にあげるよ! って、渋い顔しながらね」
「まだ子供だったんだから仕方ないだろ?」
「はい、だから何も言ってないじゃないですか。むしろあの時は、その気持ちが本当に嬉しかったですよ」
「……そりゃ、どうも」
いくつになっても照れくさそうにする俺をみて、結香は嬉しそうに微笑む。
「あと、その後の事も覚えてますか?」
「後のこと? その後に何かあったっけ?」
「もう……忘れちゃったんですか? ちゃんとありましたよ。リンゴ飴を食べている私に、『お前、髪の毛を結んだほうが良いんじゃないか? その方がリンゴ飴に髪の毛つかないし、スッキリして良いと思うぞ』って言いました」
「そんなことを言ったのかぁ……」
「はい。だから亮ちゃんは気付いてないけど、今日も含めて、ずっとポニーテールにしてるんですよ」
「!」
確かにここ最近、髪の毛をおろしていたけど、思い返してみれば、昔からずっとポニーテールにしていた。俺の一言がキッカケだったのかぁ……。
「どうですか? 似合ってますか?」
「うん。今も昔も似合ってるよ」
「ふふふ。ありがとうございます……振り返ってみると、花火の時は良い思い出がありますね」
「あぁ、そうだな……あれから、俺達が初めてキスをした時から、何年経つんだっけ?」
俺がそう言って指で数えだすと、結香は直ぐに口を開く。
「六十七年になりますよ」
「そんなに経っていたんだな……」
「はい、そんなに経っていたんですよ」
「あの花火の時をキッカケに俺達は付き合いだして……」
「しばらくして、亮ちゃんの勘違いで気まずい雰囲気になって……」
「お前、まだ覚えているのか!?」
「はい、しっかりと覚えていますよ。大事な思い出の一つですから」
「……それを言われたら俺も同じだから何にも言えないなぁ」
「ふふ……」と、結香は微笑みながら、俺の手の上に自分の手をソッと重ねてきた。
「それからは……割と順調だったよな?」
「はい。その後は特に揉め事はなく恋人らしいことをいっぱいして……高校を卒業して離れ離れになったけど、順調に愛を育んで……結婚して……」
「無事に子供が二人産まれて……それからしばらく、お互い忙しくて会話も少なくなって、喧嘩すらしなくなって……」
「あぁ、そうだな……赤い糸が繋がらなくなって……気持ちが分からなくなっていって……」
「そんなある日、亮ちゃんが話し合いを提案してくれて……少しずつだけど、赤い糸がまた繋がる様になってきて……」
「そうだったな……あの頃になって、ようやく両親が何で結婚前に話し合いを設けてくれたのか、本当の意味が分かった気がする」
「なによりも、お互いの気持ちが大事って伝えてくれる為でしょ?」
「あぁ、そうだ……そうに違いない──そんな優しい両親が俺達に残してくれた家もボロボロになって……ゲームの様に豪邸は建てられなかったけど、一軒家を建てることが出来て……」
「その頃には子供たちは自分で出来る事が増えていて……順調に高校生になってくれましたね」
「あぁ……それから、あっという間に子供たちは社会に出て……結婚の話になって……この家には俺達だけになってしまった」
「ふふふ。いまは孫まで居るんですから、ちょっと信じられない気分ですね」
「あぁ、確かにそうだ……」
そこで会話が途切れ、俺達はしばらく花火を静かに見つめた──。
「大学の時にさ……」
「はい」
「高校のクラス会あったじゃないか?」
「えぇ、ありましたね」
「その時、山本君にずっと付き合ってて飽きないの? って聞かれたんだ」
「圭介君が酔っ払って騒いでいた時ですね?」
「そうそう」
「それで……亮ちゃんは何て答えたんです?」
結香はその答えを知っているのに、俺の口から言って欲しそうに笑顔で見つめてくる。
俺は仕方ないな、付き合ってやるかと思いながらも結香を見つめ「その時は何も答えられなかった。だけど、結香とはそうなりたくないと思った。だから君に向かって運命の赤い糸を這わせたんだよ。分かってたんだろ?」
「えぇ、もちろん分かっていましたよ。でも、あなたの口から聞きたかったんです」
「こいつ……」
何年経っても可愛い奴だな、本当……。
「……あの時さ、何ですぐに答えられなかったのか、後になって考えた時があるんだ」
「答えは出たんですか?」
「うん……出た」
「何ですか? 聞かせてください」
「……若い頃は何の努力をしなくても、結香の側に居るのはごく自然のこと……結香を好きなのは当たり前のこと……そういう気持ちだったから、飽きる飽きないじゃなくて、すべての事が自然だったんだと思う」
「だから飽きるって言葉にピンとこなかった?」
「うん」
「ふふふ。亮ちゃんは昔から、そんなに私のことを想ってくれていたんですね……ありがとうございます」
悪戯っぽく笑う結香に面と向かってそんなことを言われて、恥ずかしさのあまり、俺は結香から視線を逸らす。
「……でも、若い頃はって事は──」
「うん…………俺達の運命の赤い糸は繋がっては離れ……離れてはまた繋がって……時には全く繋がらなくなった時もあった。いま思えば、それが飽きる前兆だったのかもしれない」
俺がそう口にすると、結香は少し悲しげな顔を浮かべる。そんな結香の顔をみて、俺は更に結香に近づき、腰の後ろに手を回して左手を掴むと、まるで結婚指輪を渡すかのように優しく持ち上げた。
「でもこうして、常に一本の太い赤い糸として繋がっているのが当たり前になっていられるようになったのは、結香との話し合いの時に本音を言い合えたからだと俺は思ってる」
俺はゆっくり自分の小指と結香の小指に運命の赤い糸を巻き付けていく。
「運命の赤い糸は、確実な愛を感じて、固く結ばれている心の絆のこと。俺はそう思うから、結香。あの時からずっと俺と繋がっていられる努力を続けてくれて、ありがとう」
「亮ちゃん……うぅん。こちらこそ、ありがとう」
──少し沈黙を挟み、冷静になった俺は自分が照れ臭いセリフを言ったことに気付き、照れ臭くなって辺りを見渡す。
「あー……静かだと思ったら、花火が終わっていたのか。結局、話に夢中であまり見なかった」
「良いじゃないですか。また今度、楽しめば……」
「今度ってお前……」
「──分かってますよ。それ以上、先の言葉は言わないでください」
「あ、あぁ……そうだな。じゃあそろそろ、寝る準備でもしようか?」
俺はそう言って、ベッドから立ち上がる。
「ちょっと待ってください」
「どうした?」
「幸せな一時が終わる前に、一つだけ聞かせて下さい。亮ちゃんは圭介君たちと初詣に行った時、なんて願ったんですか?」
「もちろん……死ぬまでずっと君との運命の赤い糸が繋がっていられます様に……って、お願いしたよ」
結香は笑顔を浮かベてくれると思いきや、涙目になりながらスッとベッドから立ち上がり、向かい合う様に俺の前に立った。そして両手を広げ、黙ってハグを求めてくる。俺は結香の腰に手を回し、優しく包むように抱きしめた。
「私も……私もまったく同じことをお願いしました」
「そうか……だったら、最後まで安心だな」
「はい……! 離れるなんて絶対に有り得ません。だから……だから……! 少しでも長く繋がっていてください……」
「……あぁ……分かったよ」
俺は余命宣告を受けている状態だけど……少しでも長生きして、また二人で初詣が出来るように願いながら、結香をギュッと抱きしめた。
高校のバレンタインデーの時に飲んだコーヒーのように濃くて苦い経験をした時期もあったけれど……結香のお蔭で最後はパンケーキの様に甘くて思い出に残る人生で終われそうだ。
ちょっとツンとした素直じゃない幼馴染の小指から伸びる、運命の赤い糸が俺には見える。(長編版) 若葉結実(わかば ゆいみ) @nizyuuzinkaku
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