もういちどやり直そう

 キャロルの心は壊れてしまった。

 ナタリアはキャロルを連れて、キャロルの生家に戻ってきた。

 トウモロコシ畑は荒れていて、やり直すには時間がかかりそうだ。

 新月の夜だった。ふたりは星空の下にいた。

「ロバート、ロバート……」

 深い青の窓辺で、キャロルは時々、さめざめと泣いた。ナタリアの胸が痛む。キャロルの精神から、愛と喜びが消えたのが悲しい。愛した人がこうなってしまったことは絶望しかない。神様がほんとうにいるなら、キャロルの心を守ってやってほしいとナタリアは願う。

 朝になって、キャロルが寝息を立てている。ナタリアはきょうも眠らなかった。彼女を守るためにタトゥーに刻んだ獅子とドラゴンに祈った。

 キャロルとナタリアは昼食を済ませると、ナタリアはキャロルに濡れた布切れを渡す。

「テーブルを拭いて。キャロル」

「ふ、く」

「こうだよ」

 ナタリアはテーブルをゴシゴシと拭いた。

 ふたりで農場を散歩した。キャロルの手を引いて、ナタリアは進んだ。キャロルはあさっての方角を見ている。前を向かない彼女を歩かせる。

 丘のうえまで行くことはできなかった。家に戻って、夕食の支度を始める。

「キャロル、神様に祈って」

 彼女は何も答えない。幾度と、こんな夜を迎えた。ナタリアは黙って、スープを飲みこむ。味というものは家族や仲間がいて、初めて美味しく感じられるのだと教えてくれたのはキャロルだった。肉も野菜も、味がある。ただ豚のように腹を満たすだけでない精神の喜びだ。きっとキャロルもそのことを分かっていると信じる。信じるしかない。

 戸棚にしまった拳銃をいつ使おうかと、ナタリアは思案していた。わたしたちは報われない。ふたりでいることに救いはない。きっとこれからも。このさき、ずっとだ。愛は失われてしまったんだ。

 天国のような青空が見えた。

 ひとりで出歩けるほどに回復したキャロル。でも彼女に意思は宿らなかった。どこか遠い場所を彼女は見ている。それをずっと見ていたかったと、ナタリアは幼い日の思い出のなかにいる。

 キャロルが巻いてくれた包帯と、彼女の深い優しさをもう一度、思い描いている。自分もそこへ、最上の世界へ、行けるだろうか。

 拳銃を持って、外に出る。

 終わらせよう。

 きっとだれもナタリアを責めない。

 ふたりの時間の終わり――。

 彼女の、目の前へ行く。引き金に指をかける。もうおわり、なんだ。

「キャロル……」

 彼女はナタリアに微笑んだ。彼女が持っていたのは、一輪の花だった。

 あの別れの日が過る。キャロルがくれた愛する気持ち、あふれ出る思い。涙は心からあふれるものだと初めて知った。

「……キャロル……ごめんなさい、あなたを愛せないなんて、嘘だった……」

 ナタリアはキャロルの前で泣き崩れた。



 無人称むにんしょうのレコードの音が聞こえて、マイ・ブルー・ヘヴンを唄っている。古く乾いた洋紙には彼女たちの、記録は残らない。〈終〉




 参考文献 青空文庫 フランツ・カフカ「流刑地で」 

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