注釈(原典解説)

昔々むかしむかしことでした。


 この物語は『春秋しゅんじゅう』や『史記しき』に記されているえい懿公いこう姫赤きせき)の逸話がベースになっているお話です。

 衛の懿公の在位は、紀元前六六八年から六六〇年の、約八年間になります。




▼とあるくにに、まだわか王様おうさまがおりました。


 衛はしゅう王室の封建体制にある諸侯国のひとつであり、衛の領主は「懿公」の文字通り、正確に言えば公爵です。

 ただ童話としての分かりやすさを優先して「王様」と表記しました。




▼その王様おうさまのおとうさんとお祖父じいさんは泥棒どろぼうでした。

泥棒どろぼうくにぬすんで王様おうさまになったのです。


 懿公の祖父・衛の宣公せんこう姫晋きしん)は、当初は嫡男であった姫伋ききゅうを後継者に立てていました。

 しかし姫伋の嫁としてせいからやってきた宣姜せんきょうという娘が絶世の美女だったため、息子に会わせる事なく、自分の側室にしてしまいました。

 そうして生まれたのが、姫朔きさくです。

 宣公は、母に似た美男子である姫朔を寵愛し、彼を後継者にしようと考えました。そして姫朔も、その母である宣姜もそれに乗ってしまったのです。

 こうして正統な太子・姫伋は謀殺されてしまい、姫朔が衛の新たな君主になりました。これが衛の恵公けいこうです。

(まぁ、母がセレブ美人だから顔は超絶イケメンだけど、親父の権力フルスイングする性格の悪い俺様ボンボンっていう典型ですわね)


 しかし恵公の公爵就任には国内からの反発も多く、特に姫伋の旧臣たちは姫伋の同母弟である姫黔牟きけんぼうこそ正統と主張し、衛の国内が内紛となってしまったわけです。

 ここで周王室が姫黔牟の陣営に加担した事を恨んだ恵公は、北方のえんを誘って、宗主国である周王室に攻め込んでしまいました。

 しかし、ていと斉の援軍を得て周王室は持ち直します。


※ちなみに斉は、襄公じょうこう姜諸児きょうしょげい)の時代には、衛恵公の生母(宣姜)が自身の姉であった事もあり、当初は恵公の陣営に加担していました。

 しかし(『史記』の代表エピソードとしても知られる)斉の内紛を経て桓公かんこう姜小白きょうしょうはく)へと代替わりした際に、さすがに周王室に喧嘩を売った衛はかばえないわって事で姫黔牟陣営に鞍替えしました。


 こうして天下の宗主国である周王室と、覇者として号令をかけていた斉の桓公を同時に敵に回し、彼らから衛の正統とされた姫黔牟が存命のまま亡命しているという状態で、散々暴れまわった衛の恵公はポックリいきました。

 そんな「開幕チェックメイト」状態で衛の国を継がされたのが、まだ若年であった恵公の嫡男・姫赤、つまり今作の主役である懿公だったわけです。




いま王様おうさま泥棒どろぼうではいのですが、まわりからは「あいつは泥棒どろぼうだ」とうわさされ、だれからも仲良なかよくしてもらえませんでした。

くにひとたちや、おしろ大臣だいじんたちからも陰口かげぐちわれます。ほかくに王様おうさまたちも、その王様おうさま無視むししていました。


 上記の通り、衛は天下を敵に回してしまい周辺国からは距離を取られています。また先代の簒奪劇のせいで国内からも正統なのは姫伋の血筋の方だという意見が多く出ていました。

 この段階では懿公の責任ではないにしろ、衛の正統と目されている姫黔牟が他国で存命している中で、恵公の嫡子として後を継いだ懿公は、当然のように孤立してしまうわけですね。




▼そんなひとりぼっちの王様おうさま友達ともだちは、うつくしいつるだけでした。

▼そのつるだけは、その王様おうさまってくれていました。


 実際に国内外を問わず味方がいない針のむしろ状態ですから、ペットだけが友達の引きこもりにもなります。同情はしますけども、国家の君主がそうなってしまうと、それはもう破滅ルート一直線でして……。




王様おうさまつるといつでも一緒いっしょにいたいとおもい、そのつるくに将軍しょうぐんにしました。おしろ仕事しごとをするときも、これでずっとつる一緒いっしょにいられます。


 これは史実でも同じです。

 鶴にろくを与え、士大夫の馬車に乗せて一緒に行動していたそうです。




▼あるとききたやまからおにたちがおそってきました。


 童話風のお話なので本編では「鬼」としましたが、史実ではてき(周王室に従属していない北方騎馬民族)の事です。




▼いつも無視むししてきたまわりのくには、やっぱりここでも無視むししてきました。


 何しろ衛の正統である姫黔牟の一族が、斉の国に亡命しているので、いっそこのまま衛が滅んでくれれば、手を汚すことなく、そのまま彼らを送り込んで衛をさせればいいのですからね。

 周王室も斉も、狄に侵略される衛を対岸の火事としてニヤニヤと見ていた事でしょう。

 仮に同情していた国があったとしても、周王室と斉を敵に回してまで衛に援軍を送る事はしないでしょうな。




くにひとたちは王様おうさま見捨みすてて、ほかくにげてってしまいます。


 そりゃ狄に蹂躙されれば命はありませんから、大パニックで逃げ去るでしょうな。特に軍事的覇権国である上に、衛のが亡命していた斉に向かって逃げます。




大臣だいじんたちに相談そうだんすると、「つる将軍しょうぐんにしたんですから、つる鬼退治おにたいじしてもらえばいいでしょう!」とわれてしまいます。そして大臣だいじんたちもげてしまいました。


 相談した懿公が大臣たちに「鶴に命じて狄を追い払ってもらいなさい!」と言われたという部分も史書に記述があります。




▼しかし、ただのとりであるつるには、なにもできません。


 一応、史実ではわずかに残った忠臣を率いて懿公が出撃したそうですが、ボロ負けしてしまいます。

 敗走した際、懿公が乗った戦車に君主の目印である旗を立てっぱなしにしていた為、狄に狙い撃ちにされて簡単に捕まってしまったそうです。




▼そしてつかまってしまった王様おうさまは、おにたちにべられてしまいました。


 当時の狄は普通に人間も食べるので、史実でも見事に食人カニバルされました。

 「国家の君主」の死因が「人間に食べられた」という、かなりのレアケースとして、衛の懿公は、まぁ不名誉な名の残り方をしてしまいました。

 狄にBBQパーティされた後、食べ残された懿公の骨と肝は、荒野にポイ捨てされてしまったと言われています。




王様おうさままもれなかったつるは、そんな様子ようすかなしそうにつめながら、そら彼方かなたへとってきました。


 懿公が飼っていた鶴がどうなったのかは記録にありませんので、ここの描写は創作です。

 ※史実ではきっと鶴もBBQにされてるんだろうなぁ……。


 なんかこう、手塚治虫風の流し目で一瞥してから天空に飛び去って行きそうですよね。(某クソバードじゃねぇか)




 ちなみに狄にボコボコにされた衛ですが、姫黔牟の甥にあたる姫申きしん戴公たいこう)が斉の後ろ盾で国を継ぎ、衛を再興しました。

※ちなみに戴公は早くに亡くなってしまった(恐らく病死)ため、その弟にあたる姫燬きき文公ぶんこう)が継ぎました。

 『史記』でお馴染み、しん文公ぶんこう姫重耳きちょうじ)の放浪中に登場した「まともに客ももてなさねぇ」(重耳主観で)衛の君主ってのが、この衛の文公です。




 さて、この救いようのない衛懿公の物語から、あえて無理やり教訓を引き出すとするなら、自分ではどうしようもない生まれついての境遇が悪かったとしても、そこで諦めてしまったら破滅するしかないよね、っていう事でしょうか。


 そんなこんなで、いつもとは毛色の違う作品でした。

(ぶっちゃけ注釈の方が本番だろっていう)






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

王様と鶴 水城洋臣 @yankun1984

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ