グッド・モーニング・ヴァチカン

「冗談じゃねえぞ……」


 俺はどこにも行けやしないが、アクセルに足を乗せ、ハンドルを握って考える。

 助手席で突っ伏してるテオはカソックの襟が引っ張られて、悲惨な傷痕が剥き出しになっていた。


 俺はふと思う。

 テオは積み重なった悪魔の呪いにやられて死んだはずだった。だが、悪魔は生贄の身代わりにされたと言っていた。この些細な誤謬は何だ?


 冷静になれ。悪魔は嘘をつけない代わりに回りくどい言葉で誤魔化す。テオは呪いで死んだんじゃない。生贄に選ばれた。誰にだ?

「そういうことかよ……」



 悪魔が片方の眉を吊り上げた。俺は平静を装って言う。

「もうすぐ夜明けだ。確認したいんだが、生贄はいつの誰でもいいんだよな?」

「勿論、あの日殺せなかった父親でも地獄に落としてやろう」

「それはやめとく。あのクソ親父じゃテオの代わりにならないからな。いや、いつどこの誰だろうがあの馬鹿の代わりはいない」


 悪魔は鼻から息を吐いた。

「では、誰を捧げる」

「決まってる」

 俺は後部座席を振り返った。礼服の下に隠した、聖灰入りの弾丸と銃を確かめながら。

「代わりがいないならあいつを捧げるしかねえだろ。俺が殺すのは、昨日の夕方悪魔祓いを終えたばかりのテオフィルス・ケーンだ!」


 悪魔が目を見開いた。

 これで俺の取引に利益は出ない。テオが行って帰ってきた。それだけのことだ。

 この悪魔も哀れな奴だ。ひどいマッチポンプで、これじゃタダ働きだ。

 だが、情けをかける気はない。悪魔は契約を履行したら完全に無力だ。魔界に帰るしかない。


「お前……」

 悪魔が何か言うより早く、俺は銃を抜いて引き金を引いた。

 真っ黒な額を弾丸が貫通し、悪魔が塵となって消える。銃弾が後部座席の窓ガラスを撃ち抜いて、蜘蛛の巣のような亀裂を入れた。



「うわあ、何の音!?」

 聞き慣れた間抜けな声が響いた。

 助手席のテオが目を丸くして辺りを見回している。


「何で車の中で発砲したの? 駄目だよ、またシスター・メリッサに怒られるじゃないか!」

「テオ……」

 テオの顔はいつも通り間抜けで、カソックの下の側には傷ひとつない。悪魔は影も形もなくなっていた。死ぬほど気が抜けて、俺はハンドルに突っ伏した。


「てめえ、間抜け面しやがって……この夜俺がどれだけ大変だったか……」

「あっ、本当だ。夜が明けてる。僕寝ちゃってた?」

「ふざけんなよ……」

 その先のいつもの言葉が出てこなかった。テオはまた目を丸くする。


「今日はくたばれって言わないね?」

「てめえがくたばったらどれだけ大変か思い知ったよ」

 テオは大馬鹿のテオらしく何もわかっていなさそうな顔で頷いた。


 窓ガラスの弾痕から清廉な朝日が差し込んで車内を染め上げた。

 これでいい。

 あとの問題は、俺が車内で発砲して教会支給の車に穴を開けた罪をどうやってテオに擦りつけるかだ。

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悪魔と駆ける夜明け前 木古おうみ @kipplemaker

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