夏の残り香

烏何故なくの

第1話


 「………お姉ちゃん、何かよう?」


 突如かけられた声に、ミホは思わず持っていたタバコを落としそうになった。

 声の主は幼い少年だ。背丈からして11歳ほどで、虫取り網に麦わら帽子を身に着け、脇や首周りには汗が滲んでいる。

 その表情には無垢な疑問と好奇心が浮かんでいた。

 ミホは「あー……」と意味のない言葉を漏らしながら、しばらく言葉を吟味した後に口をひらいた。 

 

 「……いや、ジロジロ見つめて悪かった。めずらしいなと思ってな。こんな山奥でひとりで虫取りか?」

 「うん。クラスの中で虫取りが流行っててさ。近場にはかっこいい虫は残ってないんだ」

 「成果はどんなもんだ?」

 「ぜんぜん。何もいないんだ」


 そうだろうな、とミホは心の中で呟く。

 何せ今日は12月の22日だ。時刻は午前2時過ぎ。

 辺りには薄く雪が積もり、木は葉が抜け落ちその痩せた体を露わにしている。

 冷たい風が支配する世界で、少年からは雨上がりの土の匂いと汗の匂いがしていた。

 少年だけが季節においてけぼりにされたように、体から夏の匂いを漂わせていた。


 「もうかえったらどうだ?」

 「だめだよ。まだ一匹も見つけてないんだ」

 「明日じゃダメなのか?」

 

 少し間をあけて、少年が口を開く。


 「妹がね、友達とケンカしちゃったの」

 「……それで、慰めるために虫を? 妹さんは虫が好きなのか?」

 「そういう訳じゃないんだけど……。どうやったら元気がでるかなって考えたら、これくらいしか思いつかなくて」

 「仲、良いんだな」

 「ううん、なかよくはないよ。何が好きかとかも知らないし」

 「……」

 「でも、なかよくなりたい」

 

 そう言って少年はミホに背を向け、虫取りに戻ろうとする。

 

 「まて」


 ミホは叫びだしたくなるのを必死に堪え、少年を呼び止めた。


 「いいもん見せてやる」


 ミホはタバコを咥え、大きく息を吸った。

 そしてゆっくりと、紫煙を空中に吐き出していった。

 変化は一瞬だった。煙が、朱色に染まっていく。

 そしてその中から、三匹のトンボが飛び出していった。

 

 「わあっ」


 少年が驚きの声を上げる時には煙は群青色に変わっていた。

 その中から、今度はクワガタが飛び出してきた。

 紫煙は目まぐるしく色を変え、その中から無数にチョウが、セミが、ホタルが飛び出してくる。

 おもわず少年が虫取り網でセミを捕まえると、セミは激しく身もだえし、命が自身に宿っていることを雄弁に語る。


 少年は雄たけびのような、悲鳴のような声を上げながらミホに詰め寄った。

 

 「すっっっっっっげぇ!!! お姉ちゃん、え、何者!? もしかして……デビルサマナー!????」

 「そのワードチョイスはなんなんだよ」

 「ドラマでやってた!!! お姉ちゃんデビルサマナーなんでしょ!!!!」

 「…………あっ!! そんなドラマあったな!!」

 

 少年はひとしきり、それこそセミのように騒いだあと、この山にきた目的を思い出したらしい。

 虫取り網を構え、空中を飛び回る虫たちを追いかけまわし始めた。

 

 冬の山で、色とりどりの虫を捕獲しようと奮闘する半袖半ズボンの少年。

 その光景はコラージュ写真のようなある種の不気味さがあったが、ミホは笑みを浮かべながらその光景を見守っていた。


 数十分が経ち、微かに雪が降り始めた。

 それと同時に、満足そうに虫かごを抱えた少年がミホに近づいてきた。

 虫かごの中には1匹の金色の蝶が漂っていた。


 「もう、いいのか? 一匹しかいないみたいだが……」

 「うん! 一番綺麗なのを捕まえられたからもういい! 綺麗なチョウチョ、ありがとうございます!」


 元気よく頭を下げた少年の頭を見下ろしながら、ミホは再びタバコを咥えた。


 「……じゃ、送ってってやる」


 そう言ってミホは少年の手を握り、歩き出した。

 雪のカーペットに、二人分の足跡が刻まれていく。

 

 森を抜けると、小ぶりの神社が見えてきた。

 拝殿も鳥居もボロボロの、古ぼけた神社だった。

 

 「あっ!!?」


 少年は神社の方を見て、声を上げて飛び上がった。

 ショベルカーが、神社に突っ込んでいた。

 真っ黄色なアームがお賽銭箱を叩き割り、拝殿をぐちゃぐちゃに粉砕している、鳥居も真っ二つになって転がっていた。

 中には誰も乗っていない。拝殿にアームを突っ込んだまま動きを止めていた。


 「えっ、これ、え?」

 「落ち着け。コレをやったのは私だ」

 「何やってんのお姉ちゃん!!? 犯罪だよ!!!」


 ミホは声変わり前の高い声に辟易としながら、言葉を紡いだ。


 「市からの依頼なんだ。私は仕事で、この神社を破壊しにきた」

 「え、でも……。こ、こんな壊し方……。祟りとか起きるんじゃないの?」

 「いいんだよ。この神社はとっくに腐ってる。もっと言えば、神様が腐ってる」


 聞き慣れない単語に目を瞬かせた少年に、忌々しそうに顔を歪めながらミホは言う。


 「神様ってな、腐るんだ。食べ物と一緒でな、夏は特に腐りやすい。夏ってのは色んな生き物が活動的になる時期だからかな。生きてないヤツは、生き物を羨ましがるんだ。で、神様もつい魔が差して、生き物を攫っちゃうんだ。攫って閉じ込めて、そのうちもっともっと生き物が欲しくなる。そんなヤツはな、ぶっ壊すしかないんだ。ぐちゃぐちゃに解体して、もう何もできないようにするしか………」

 「………お姉ちゃんは、腐った神様を壊すのが仕事なの?」

 「壊すだけじゃないがな。色々やるぞ。神様と話し合ったり、取引したり、慰めたり……」

 「話し合いじゃダメなの?」

 「ここはな、もう何年も前から腐ってるんだ。本当は私が子供の時にはもう壊しておくべきだった」


 ミホは少年の手を引きながら、壊れた鳥居の方に歩いて行った。

 後ろから突き刺すような視線を感じていた。

 そっと後ろを振り返ると、森の木々の間から無数の手が顔を覗かせていた。異常に関節の多い、真っ白な手だった。


 ミホはそっと少年から手を離した。

 

 「お姉ちゃん?」

 「いいか、絶対振り返るな」

 「え?」

 「いいから!! いけ!!!」


 ミホの鬼気迫る様子に気圧されたのか、少年は素直に振り返ることなく鳥居の方へ走っていく。

 それに合わせて、3m以上はあろうかという長い腕が、木々の隙間から少年めがけて猛進する。


 白い指が、少年を捉えようとした瞬間だった。

 虫かごが金色の光を発し、手が壁にぶつかったように弾かれ、動きを止める。

 無数に群がる手は、ただの一つも少年に届かなかった。


 金色の光に包まれながら走る少年は、だんだんとその姿をうっすらと透けさせていた。

 一歩進むごとに輪郭が揺らめき、空気に体が溶けていく。

 少年の体は鳥居のあった場所を踏み越えると同時に、霧散して消えていった。雪の上に残る足跡だけが、少年がいたことを保証していた。

 

 ミホはタバコを咥え、煙を伸びた腕に吹きかける。

 煙を浴びた瞬間、真っ白な腕は真っ黒に炭化し、崩れ落ちていく。

 森の中から浴びせられていた視線が強くなる。まるで威嚇するかのようだった。

 木々の間から伸びた新たな手が複雑に絡み合い、巨大な犬の顔を組み上げる。


 「こいよ犬畜生。可愛がってやる」


 ミホは二本目のタバコを取り出し、不敵に笑った。



 ▪️



 降りしきる雪がミホの体を冷ましていく。思考を冷やしていく。

 神社に散らばる炭化した手だったものをぼんやりと眺めていたミホは、ふと自分の仕事が終わったことを思い出した。

 ミホは参道に座り込み、携帯を取り出す。


 「もしもし、母さん? 今仕事が終わったところでさ……。うん。兄貴、ちゃんと成仏したよ。この目で確認した……」


 電話越しに聞こえる母の嗚咽を聞きながら、ミホはようやく13年越しの敵討ちが終わったことを実感した。

 必要なことを報告し終えて、電話を切る。

 全身から力が抜けて、ミホはみっともなく地面に倒れ込んだ。

 くたびれた頭で、帰り際にケーキを買っていこうかと思考する。いちごのケーキは兄の好物だった。クリスマスシーズンだし、どこでも売っているだろう。

 

 地面に倒れこんだミホの花に、どこからか現れた金色のチョウが止まった。


 「兄貴を送り届けてくれて、ありがとな」


 ミホがそういうと、チョウは返事をするかのように羽を動かし、フッと紫煙に姿を変えた。

 ミホが紫煙を吸い込む。タバコの匂いと夏の匂いが鼻の中を通り過ぎていった。


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夏の残り香 烏何故なくの @karasunazenakuno

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