第三章 20話

 爽やかな風が、ジークの頬を撫でた。

 昼下がりの暖かい光に包まれてうたた寝をしていると、頭上から女性の声が降って来た。


「またこんなところで寝ているのかい?」


 うっすらと目を開けると、銀色の髪をローブから零したシロナが、優しく微笑みながらこちらを見下ろしていた。

 すぐに目を覚ましたジークは、ベンチに座ったまま伸びをしようとして、痛みに顔をしかめる。


「ああほら、まだ完治はしてないんだから、無理するんじゃないよ」

「すみません、いろいろと」

「それはこっちのセリフさ。……このやり取り、何度目かね」


 自嘲するように呆れるシロナに、ジークもつい笑ってしまった。

 二人がいるのはアグロアーの街にある公園だ。

 最近何かとお世話になっている場所である。

 あの戦いから、すでに一週間が過ぎている。

 ジークと、腰骨を折られたイルネス、顔面骨折のボルグが重傷だったが、死者や再起不能者は一人もいなかった。

 特にイルネスは、麻痺も残らず五体満足で回復できたのが奇跡と司祭に言われた。

 頑丈、というよりは、咄嗟の本能で致命傷を避けるよう動いたのだろう。

 天才と言うしかなかった。

 あの後、シロナの術によって応急手当をしたメンバーは、無事な二ムとウルウェンテの手を借りて近くの宿場町にある修道院へ向かい、治療を受けた。

 イルネスとボルグは、アグロアーの聖教会で再度、本格的な治療を受けてほぼ完治したが、ジークはそういう訳にはいかなかった。

 身体に刻んだルーン文字は、ミカグラを封じている以上は消すわけにはいかず、またそこから「体内に悪鬼を封じている」などと疑われるわけにもいかない。

 そこでシロナの術による、自己治癒力促進によって少しずつ回復しているのだ。

 加えて、もう一つ問題がある。

 ジークが自分の肉体にルーンを刻んでしまったため、傷を完全に塞いでしまうとルーン術が壊れ、封じたミカグラが出てきてしまう。

 そのため、皮膚は出血を抑える程度の回復に留め、完全に塞がりかけてしまった部位は再び傷をつけるという、拷問のような日々を送っている。

 それでもジークは不満を漏らすことなく、逆に治療のため街で生活しているシロナに頭を下げている。


「この街での生活は慣れましたか?」

「まあね。人通りの多い場所は未だにマスクがないと鼻がキツいけど、食べ物にはけっこう慣れたよ」

「最近は健康志向とかで、調味料を抑えたメニューも増えましたからね」

「ギルドのその後はどうだい?」

「ボルグが黙って受け入れてくれているみたいです」


 今回の事件について、ジークたちはボルグにいくつか頼み事をした。

 まず一つは、ジークがミカグラを封じたことを黙っていること。

 もしその事実が知れ渡れば、呪術を使ったジークは厳しく処罰される。

 最悪、封じたミカグラごと「処分」なんていう恐ろしい結果すらありうる。

 そして、もう一つの頼み事は「あの『勇敢なる剣』を倒した【死霊術士ネクロマンサー】は、ボルグたち『レッドグリフォン』が始末した」という筋書きにしてほしい、というものだった。

 理由は同じで、ジークやミカグラ、シロナのことを知られるのはまずいからだ。

 ボルグはこの提案に対して「ミカグラを決して自由にさせない」という条件で受け入れた。

 彼の目的は『勇敢な剣』と、そして『レッドグリフォン』の仲間たちの仇を討つことだった。

 しかし現状、それが難しいのは理解しているらしい。

 ギルドや冒険者仲間たちはボルグを称賛したが、仲間全員を失った壮絶な戦いをあえて聞こうとする者はほとんどいなかった。

 ギルド上層部や領主にはボルグが報告を行なったが、それを怪しむ者は誰もいないようだ。

 ボルグはギルドからの恩賞をジークたちに分けようとしたが、それも断った。

 この金の流れから誰かに何かを勘付かれないとも限らないからだ。


「キミの滅茶苦茶さには驚かされてばかりだけど……なんであんなことを?」


 これまで一度も聞かれなかった質問だが、ジークの傷がある程度癒えたのを見てか、初めて口にするシロナ。

 おそらく、ずっと気になっていたのだろう。

 ジークは答えた。


「シロナさんが、命を捨てようとしていたからです」

「…………」

「当たりですね?」

「どうして、そう思ったんだい?」

「シロナさんのお母さんは、命を代償にしてミカグラに『呪い』をかけました。だから、それを祓うというなら、同じだけの力が必要だと思ったんです。シロナさんはファンギア族で、本来なら死霊術の行使には向いていない。だとしたら余計に、自分を生贄にしなければ、対抗できないんじゃないかと」

「……」

「あとは、勘というか、雰囲気です。シロナさんの目が、固い覚悟を決めているように見えたので」

「……まったく、妙なところで察しがいいね。でも、だからといってキミ自身が犠牲になるなんて……」


 シロナが腕を伸ばし、そっと正面からジークを抱き締めた。

 予想外のことに身を固くしたが、後ろに回った手で頭を優しく撫でられ、ジークは力を抜きつつ苦笑した。


「オレは子供ですか」

「ジブンから見れば子供さ。ちゃんと寝れているかい?」

「あー、それは……正直、あまり」

「ミカグラが暴れているんだろう?」

「たまに、ですけどね」


 心配させないようにごまかそうかと一瞬思ったが、彼女は専門家だ。

 正直に説明して理解してもらったほうがいいと判断し、説明する。

 熟睡したいと思うのだが、ミカグラが体内で暴れ出すタイミングは不定期で、一度、真夜中にそれが起きたこともある。

 そのため、どうしても気を緩めきって寝ることができずにいる。

 起きてさえいれば、かなりの疲労は伴うものの、ジークの神魔力で対抗していればそのうち収まる。

 しかし、それで抑え切れなくなった時、自分がどうなるのか……不安はある。

 話し終えると、シロナはすっとジークから離れた。


「あーっ、師匠、やっと見つけましたよ!」

「おっす、邪魔して悪いね」


 イルネスの叫び声に続いて、ウルウェンテが軽く手を挙げる。

 その後ろには、ニムニリトもついてきていた。

 今の抱きつかれていた光景を見られていないかと心配したが、三人とも素の顔をしているから大丈夫そうだ。


「どうしたみんな、オレは呼んでないが」

「はい、こちらのシロナさんから、ここに集まるようにと」


 驚いてシロナを見ると、彼女は真面目な顔をして頷いた。


「ちょうど今、ジークくんから現状を聞いたところだよ。その上で、いくつか話をしたいことがあるのさ」

「アタシらにも関係することか」


 ウルウェンテの言葉に頷きつつ、シロナは全員を見渡して話を始める。


「ジークくんの中には今、ミカグラの魂がある。そして、母のかけた『呪い』もそのままだ。ルーン刻印術によって閉じ込められた状態なわけだが、本来ならこれはありえないんだ」

「えっ、でも師匠、元気そうですけど……」

「体内で、暴れる魂を押さえつけているんだ。不定期だが、暴れられる度に苦痛でのたうち回っているのさ」

「そうなんですか、師匠!」


 泣きそうな顔で詰め寄ってくるイルネス。

 こうなるから今まで伏せていたのに、台無しである。

 ジークの術によって封じている以上、仲間たちに手伝えることはないのだから。


「話を戻すが、今のジークくんには、自分とミカグラの、二つの魂がある。魂とはすなわち、神魔力の根源。一つの肉体に、二人分の神魔力が生まれてしまえば、とても肉体が持たない。やがて内側から溢れ、弾けて壊れることになる」

「……今のジークが、そうなっていない理由は?」


 ウルウェンテが神妙な顔で尋ねる。

 落ち着いているように見えるが、腕を組む力が強くなっているように見える。


「ジークくんがミカグラを封じた時、おそらくミカグラは、彼の精神と共鳴したんだと思う。分かりやすく言えば……彼の思いに共感し、受け入れたんだ」

「確か『英雄を目指すから一緒に来い』みたいなことを言ったと伺いました」


 ニムニリトが冷静に解説するので、ジークは耳が熱くなる。


「あの退魔術によって、一時的に精神が繋がったことで奇跡が起きたのさ。今のミカグラは、不安定ながらも落ち着いている。……だけど、それを許さないものがいる」

「アンタの母がかけた『呪い』ってやつかい?」

「そう。もともと『呪い』は、術者の意思が強く反映される。母は、ミカグラの怒りや恨みを利用して彼を暴れさせ続けた。それが今も、ジークくんの中で、ミカグラを刺激して暴れさせようとしているのだろうね」

「その呪い、何とかできないんですかっ?」


 縋りつくような視線のイルネスに、シロナは大きく頷いた。


「今日話そうと思っていたのは、まさしくそこさ。ジークくんに、本格的に死霊術を習得してもらい、母の『呪い』とミカグラの魂を、コントロールしてもらおうと考えている」

「それって……ジークさんが【死霊術士ネクロマンサー】になる、ってことですか?」

「……そうなるね」

「ミカグラさんの魂と『呪い』を、ジークさんの身体から出してしまうのは駄目なんですか?」

「できると思うが、ジークくんとの共鳴を失ったミカグラは再び暴れ出すだろうね。少なくとも、一番近くにいるジークくんが、真っ先に犠牲になる可能性は高い。さっきも言ったが、今はミカグラが大人しくしているからジークくんは無事なんだ。今の繊細なバランスを崩すことなく、コントロールする術を身に着けることで、初めて安全にミカグラを外へ出すことができる。あるいは、体内でそのまま消滅していくのを待つこともできるかもしれない。『呪い』さえなければ、ミカグラはただのヒトの魂だからね」


 ウルウェンテが、悩ましそうにため息をつきながら頭をガシガシと掻く。


「ってことは、聖教会による手当てやお祓いも危険すぎるってわけか」

「聖術による『お祓い』は、つまり体内に取りついた魔物を術によって殺したり、追い出したりすることだからね。グリム王国で、聖騎士の部隊がたった一人のミカグラに滅ぼされたことを考えると……聖術に期待はあまり持てないと思う」


 確かにそうだ、とジークは思った。

 それに、もし聖教会の高位の術者に協力を頼むとなれば、この異常なジークの状態を説明しないわけにはいかない。

 最悪、自分が死ぬことは仕方がない。

 この手段を選択した責任があるからだ。

 しかし、確実にミカグラと『呪い』を倒せると言い切れないのならば、危険な賭けは避けるべきだろう。

 そうでなければ、人生を費やしてミカグラを追い続けたシロナの行動が、すべて無駄になってしまう。


「だから、ジブンがここで聞きたいことは二つだ。一つはジークくんに向けてだが……死霊術を、習得する気はあるかい?」


 ミカグラの魂と『呪い』をコントロールするために。


「それが最善だと、思います」

「いいのかい? もし誰かに術を習得していると知られれば【死霊術士ネクロマンサー】として討伐される。冒険者を続けていくなら、その危険と常に隣り合わせになってしまうんだよ?」

「もうすでに、オレは死霊術の一部を自己流で身に着けてしまった状態ですし、今さらですよ。それに……オレが強くなるための道が、そこにある気がするんです」


 英雄になるために。

 誰かを助けるために。


「むしろオレの方から頼みます……シロナさん、オレに死霊術を教えてください」


 ジークは深く頭を下げた。

 その肩に、シロナの手がそっと触れた。


「……ありがとう。できる限りのサポートをするよ。そして、もう一つ話したいのは、今の話を踏まえて……みんなのことさ」


 ジークの仲間たちに、シロナは視線を向けた。


「冒険者として言えば、ジークくんは邪道に入ってしまう。これは巻き込んだジブンの責任でもあるから、本当に申し訳ないと思っている」


 シロナは片膝を立てるように座り、両手を地面に着いて頭を深く下げた。


「その上で……厚かましいとは思うが、どうか、彼とパーティを続けてやってくれないだろうか」

「シロナさん、オレは――」

「ジークくんの身の上はだいたい聞いている。家族や仲間を失う苦しみを、ジブンもよく分かっているつもりさ。ジブンのせいで、彼にそんな思いをしてほしくないんだ。我がままを言っていることは重々承知しているが――」

「つまり、シロナさんも私たちの仲間になるってことですよね!」


 先ほどの悲しそうな顔から一転、イルネスはにこやかに答えた。


「は……?」

「だって、師匠に術を教えるってことは、師匠の師匠になって、ずっと一緒にいるってことですよね。じゃあ、それって仲間ってことじゃないですか」

「いや、何故そういう話に――」

「大丈夫ですよ、私と二ムくんは冒険者になりたての新米だし、師匠はベテラン、ウルウェンテさんに至っては超ベテランですから!」

「おめぇに超ベテランとか言われるとムカつくからやめろ!」

「えぇー、どうしてですか?」


 わいわいと喋り出した女子二人に、シロナが呆気に取られていると、二ムが近づいてきてシロナの前でしゃがみ、視線を合わせてから言った。


「ボクたち、シロナさんが【死霊術士ネクロマンサー】と知った上で協力して戦いました。だから、さっきジークさんが言った通り『今さら』ですよ。それに、仲間として一緒に働けば、ミカグラさんの魂とか『呪い』に何かあった時、対処もすぐできると思うんです」

「ジブンが一緒にいれば【死霊術士ネクロマンサー】だって知られる可能性は上がってしまうよ。……それでも、いいのかい?」


 二ムはすぐに答えず、ジークに視線を送って来た。

 意図を察して、ジークはシロナの手を取り、そっと立たせた。


「嫌でなければ、ぜひ、オレたちとパーティを組んでくさだい。ミカグラの魂と『呪い』が片付くまででも構いません。こんな騒がしい奴らがいますが」

「おいちょっとまて、騒がしいのはコイツだけだ、アタシまで含めんな!」

「えー、いいじゃないですか、賑やかなのは楽しいです!」

「ボクは、騒々しいのはあまり……あ、でも、ジークさんと一緒なら、どんなことでも大丈夫です!」


 三人がそれぞれ返事をして、笑みを浮かべる。

 シロナはそれを眩しそうに眺め、微かに浮かんだ目元の雫を指で払いつつ、大きく頷いた。


「……ありがとう。仲間としてどれだけ役に立てるかは分からないが、尽力させてもらうよ」

「おし、決まりだな。じゃあシロナ、アタシとメシ食いにいこう。奢るぜ」

「私、行ってみたい店があるんですよ!」

「言っとくけどおめぇには奢らねえからな」

「えー、何でですか?」

「自分がどんだけ食うと思ってんだ、底なし胃袋が!」

「……ボクたちもお邪魔します?」


 はしゃぎ出した二人を見つつ、二ムが尋ねてくる。

 ジークはそんな少年の頭に軽く手を置いて返事の代わりにしつつ、シロナの手を取った。


「行きましょう。歓迎会というやつです。これからよろしくお願いします」

「……ああ。こちらこそ」


 小さく微笑みを交わして、ジークたちは公園を後にするのだった。

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ポンコツ冒険者は英雄になりたかった 天竺 @Teniku-novel

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