白とイチゴ
あわいむつめ
白とイチゴ
「んっ、んん……」
夏が過ぎて、だんだんと夜の訪れが早くなってきた。夕方には元気に鳴いていた鈴虫もすっかり黙り込み、風の音だけがうっすらと聞こえる。
私は首筋の皮膚をぷち、と突き破られる感触に声を漏らした。
窓から満月が覗いている。うさぎが餅をついている模様──らしいけど、私にはよくわからなかった。
「んぁ……ぁ」
たったいま作られた傷口をちろちろと舐められる。
舌の行き来に合わせて、ぞわぞわと理性を溶かす波が寄せた。
身をよじってやり過ごそうにも、背後から被さる白髪の人外に器用にロックされている。
「ぁ……しろ……も、やばぃ……」
「……」
私が発したSOSは、簡単に無視された。
この女子校の寮室は他に比べて広いらしいけど、それでも狭めの1Rに二人で入っている。
もちろん壁も厚いとは言えず、隣の笑い声がたまに聞こえるくらいには音が漏れる。
これ以上は、いけない。
「しろ……ねぇ……」
「まだ、足りない」
嘘だ。規定量の吸血はもうとっくに終わっている。……というか最初の一舐めで充分なはず。
なのに、この白い悪魔は私の柔肌をべろべろと必要以上に舐めまわす。
私は声を抑えるのに必死でろくに抵抗できず、されるがまま。
「ぃ……ぃ……ぃ……」
「美味いよ、なずな」
(〜〜っ!)
耳元で名前を呼ばれて、思わず体が跳ねる。普段の白は出さない、私専用のハスキーボイス。純白のウルフヘアと真っ赤な瞳もあわせて──その様はまるで獲物に牙を突きたてる白狼だった。
それをきっかけに、私の昂りは天辺へと急上昇を始める。放っておいても終わりは近いのに。いじわるな白狼は自ら手を下した。
私の下着に、ぬるぅ……と白の右手が侵入してきたのだ。
(いやそれほんとにやばっ──)
「っ〜〜〜〜!!!!」
熱と衝撃に浮かされて、しばらくふわふわとした感覚の中を漂う。
やっとのことで呼吸を落ち着けたところで、「じゃ、もう一回戦」の声とともに再び傷口を舌で触られた、ので……。
「んごふっ──」
それは私の全力の肘打ちが白のみぞおちに直撃した音だった。
腹を押さえてうずくまる白が呻く。
「なんで……」
「バカ! やりすぎ! 絶対聞こえちゃったじゃん!」
「今のが声でかいよ」
「う……」
その通りだったので、私は静かに抗議を続ける。
「やりすぎだって言ってんの」
「なにを」
「なにって……えええ、えっちなこと……」
頬を赤らめる私に、白はあっけらかんと言い放つ。
「してないって、そんなこと」
「なっ、いまさら何とぼけてんの!?」
「じゃあボクが何したか言ってみなよ」
白は余裕な態度であぐらを組む。
そっちがその気ならと私はその場に立ち上がり、指をさしながら言ってやった。
「吸血やめなかった! パンツに手いれてきた!」
「それのどこがえっちなのさ」
「は?」
「吸血って言ってもねぇ、傷口舐めてる“だけ”なの。ぱんつに手いれたけど、“どこ”も触ってないの。お腹撫でた”だけ“なの」
「え……え? いや、え?」
私は愕然とした。にやにやしている白に反論しようにも、言葉がぜんぜん出てこない。
月光を背負って正義の説教をくれてやるつもりだったのに。そこにはただあわあわと頭を空回りさせる滑稽な女がいるだけだった。
白は心底楽しそうに続ける。
「だーかーら、えっちなのはボクじゃなくて、なずなの──」
「やめてよ!!!」
私はとっさに叫んだ。振りかぶったまま下ろせなかった言葉に、溜め込んだ怒りと羞恥をのせて、腹から全力で声を出した。
「だって、だってそれじゃ──」
「私が白だいすきなえっち女みたいじゃん!!!!!!!!!!」
数秒後、白がびっくりから立ち直って笑い出すのを見て、顔が真っ赤になった。
(やばいやばいやばいやばい)
顔は熱いのに冷や汗が止まらない。
(今の絶対、寮中に聞こえちゃった……)
白は笑い転げているけれど、ぜんぜん洒落になってない。私はいてもいられなくなってお風呂に駆け込んだ。体を洗って、お湯に浸かる間も、(やばいどうしよう)が延々と脳内を反響している。
「もー、だいじょぶだって」と白は言うが、そんなわけがない。
(だいたいお前が原因だろ!)というのもあって、完全に無視して怒りをアピールする。
ムキになって自滅したのは私だけど、白も白だ。
(いつもいつも私をおちょくって楽しそうにしやがって! 今日くらい一人で寝ろバカ!)
私は普段使わない二段ベッドの上側に駆け込んで、ばさっと毛布を被る。
絶対寝れないと思ってたけど、吸血の疲れがあったのか、私は驚くほど簡単に眠りに落ちた。
翌朝、パニックも怒りもぜんぜん治らない私は無視を続行。
朝食の準備に、冷蔵庫からベーコンとアスパラを取り出し、まな板にのせる。速く雑に一口大に切って、熱したフライパンに放り込んだ。
香ばしい匂いがしてくるタイミングでフライパンを振る。
全体に焼き色がついているのを確認、もう数分まつ。
ベーコンに塩気があるから、調味料は必要ない。
そうしてできた炒め物を朝ごはん兼弁当のおかずにする。
弁当箱の隙間は冷凍食品と白ごはんで埋めて、手抜きだけど昼ごはんの用意は完了。
鏡にうつらない白は私が手伝わないと身支度ができないけど、放置して部屋を飛び出す。今日はぼさぼさの髪で登校することになるだろう。
(お前も少しは恥ずかしい思いをしろ! バカバカ!)
と学校までの短い道を全力疾走する。足元なんて見てなかったから、途中ですっ転んでヒザを思いきり擦りむいた。
激痛が体を突き抜ける。十六にもなって恥ずかしいけれど、いろいろ決壊して思いきり涙が出た。
*
「はぁ……」
お昼休みの教室で、私は弁当をつついてしょぼくれていた。
ぼさぼさ頭とはだけた制服で登校した白のことは、すっかり学校中に知れ渡っている。
現在この女子校に在籍する三人の吸血鬼──いと貴き上位存在様方の一角。白色を冠するところの白様が、よもやあんなお姿で……! 的な。
先生には説教されるし、ファンクラブの過激派にはビンタ食らうし……。
そりゃあ、吸血鬼は一人で身支度できないから、その身だしなみの責任は同室者にある──というのが一般論だけど。どうも釈然としない。
白がぼさぼさ頭で登校したのは私たちの間に不和があったからで、その不和の原因は白にもあるのだから、もう少し私にやさしくしてくれてもいいんじゃないの。
そう言えればよかったのだけど……。
幸か不幸か、昨日の私の叫び声──『私が白だいすきなえっち女みたいじゃん!!!!!!!!!!』──を聞いた者は、一人としていなかった。
不思議なこともあるものだ。あの薄い壁の寮であれだけ叫んで、隣室にすら声が漏れてないなんて。
私はうじうじと考えながら、白ごはんを口に運ぶ。
私がかいたと思っていた恥は、存在しなかった。
一方で白は大恥をかいた。
つまり私は、思い込みで勝手にキレて責任を放棄、白だけに大恥かかせた嫌な女ということだ。最悪。
仲直りしたいけど、謝るなんて気が重い。いやそもそも、向こうはケンカだなんて思っていないかも。
「はぁ……」
私は俯いて、ちまちまと弁当を食べ進める。味気がない。塩味が足りない。せめて塩胡椒くらいするんだった。
「……」
謝らないにしても、髪くらいやってやるか……という気でいる。だから『これを食べ終わったら』白のクラスへ向かうことにした。
それで、こんなにちまちまと弁当をつつくことになっている。
「はぁ……」
もう何度目かわからないため息。まさか白のことでこんなに鬱屈とした気分になるなんて思いもしなかった。
(これじゃ、ほんとに白のこと大好きみたいじゃん……)
入学と同時に同室になって、半年が経つ。
毎日の吸血を重ねるごとに、私たちは親しくなっていった。
下の名前を呼び捨てるようになり、スキンシップも増えた。
お風呂では洗いっこしているし、寝るのも一緒。狭いベッドに身を寄せるから寝苦しいときもあるけど、嫌だなんて思ったこと一度もない。
ウルフヘアも私の好みでセットしている。いつだか「好きにしていいよ」とお許しが出て、それっぽくしたらハマってしまった。白も気に入ったようで、そのまま現在まで続いている。
(好きは、好きだけど……好きだな……)
つらつらと考えていると、伸ばした箸がカツンと弁当箱の底を叩いた。
「はぁ……」
情けない。ちょっと『ごめんなさい』すればいいだけなのに、こんなにも足が重い。
弁当箱をのろのろ片付けて、席を立つ。
教室を出ると、白のクラスまで長い廊下が伸びていた。
私はついに、ずしんずしんと歩き出す。
擦りむいた膝小僧のじくじくした痛みだけが、頭の中を反響していた。
白はポニーテールも似合うらしい。最悪だ。
廊下から盗み見た白は、綺麗に身だしなみを整えられていた。
そして髪も丁寧にとかされて、後ろでくくられている。ポニーテール……よく見る髪型なだけに、白の整った顔立ちと白髪の異様さがより強調される。幻想の世界からやって来たような麗人が、そこにはいた。
(それ、誰にやってもらったの)
私の粘ついた視線になんて気づくことなく、白は友達に囲まれて笑っている。
『今日からこの子に髪やってもらうから』
『この子と同室になることにしたから』
『なずなは出てってよ、邪魔だから』
耳元で白の声がして、吐き気を催す。
じんわり涙が湧いてきたけど、拳を握りしめて必死にこらえた。
「うなじ……」
とだけ呟いて、負け犬は自分の教室にとぼとぼ帰っていく。
*
なんとなく寮室に帰りづらかったから、公園でブランコに揺られている。
ぶーらぶーらしながら白のことを考えていたら、いつのまにか日が落ちていた。
あたりは真っ暗。せめて星でもと思うが、曇っていて全然見えない。死ね。
私は学生鞄から小ぶりの筆箱を取り出す。ぱかっとフタを開けると、ボールペンと定規が一本ずつ。
次に二重底のフタを開くと、中にはタバコとライターが一本ずつ入っている。
寮に入る前に親からくすねた私のお守り。持ち込んだのは三本だけど、二本はもう消費してしまった。
そして今宵、最後の一本に火をつける。
嫌なことがあると煙が吸いたくなるのは、中学の頃にさんざんそうしてきたからだ。
しかし今日でこの非行とも決別することになる。最後の一本だし。
私はブランコに揺られながら火のついたタバコをくわえ、吸う。
「ごふぉっ──!!!」
途端に私はむせ返った。ごほごほ咳き込みながら、もう一吸いする。
「ごぉっふぉっ──ゔぇ……」
吐き気がして、目に涙がたまる。
「はぁ……まっず……」
私はタバコが大嫌いだ。そもそも煙を吸い込むのが無理、味も無理。
何度も吸っているのに全然慣れないから、たぶん生理的に、タバコを楽しめないんだろう。
それでも私はゲホゲホ言いながら煙を体内に取り込む。インスタントで身体的な最悪を味わう。
そうすると、不思議と心が軽くなった気がした。自傷の一種なんだろう。
再びクソ不味い煙を思いきり吸い込む。
すると突然、背後から手のひらで目を隠された。
「だーれだ」
少し掠れた低い声。白の声だ。私にだけ聞かせてくれる、甘いハスキーボイス。
がばっと上を向くと、ポニテの白が私を見下ろして微笑んでいた。
気が緩んで、私はさっき吸い込んだ真っ白い煙をぜんぶ白に吹きかける。
ふぅー……と白の顔がもくもく曇っていく。
白はそれを迷惑そうに手で払った。
「もう、また吸ってんの?」
「いーじゃん、べつに」
「あんまり危ないことしちゃだめなんだから」
白は私の眉間に上からデコピンしてくる。
「……その髪、誰にやってもらったの?」
「先生」
「ふぅん」
それならまあ……いいのか?
私は得心して前を向き、右手のタバコを再び口元に持っていく。
すると白は背後から「こら」とチョップして、「ほら、たばこ」と右の手のひらを上に向けて差し出してきた。まるで手に灰皿を作っているように。
私はその手のひらに、タバコをじゅうと押し付ける。熱いフライパンにベーコンをのせたときみたいな、いかにも痛そうな音がした。
でも白は顔色一つ変えず、そのままタバコを握りこむ。数秒まって拳を開くと、火傷もタバコも消え失せていた。不思議な手品だ。
「じゃあ、帰ろっか」
白は笑って、私の手を引いた。
月は見えない。虫の声も聞こえない。
ただ生ぬるい秋の風が、静かにブランコとポニーテールを揺らしていた。
*
寮室に戻って最初にしたのは、白を狼にすることだった。
教師にしてもらったというポニーテールを解いて、私好みのウルフヘアに矯正する。
「できたよ」と肩をぽんと叩くと、
「やっぱこれが落ち着く」と白が微笑んだ。
「じゃあ、ご飯にしよう」
時刻は二十一時を回っている。ふたりとも腹ぺこだ。
さて何かあったかなと冷蔵庫を開けると、ど真ん中に見慣れない白い箱が置いてあった。箱の側面にはカラフルな蝋燭が数本束ねられて、張り付いている。
冷蔵庫には甘い香りが充満していた。
「白? これなに?」
「晩ごはん」
「いやでもこれ……」
箱を開けてみると、やはり中にはショートケーキが入っている。しかもホールで。
いちごがたっぷり乗っていて、相応に美味しそう。
『なずなちゃんおたんじょうびおめでとう』のチョコプレートが気恥ずかしい。しかし丁寧な仕上がりを見るに、そこそこ上等な品らしかった。
それは……見るからにバースデーケーキだった。
「おたんじょうびおめでとう!」
白が背後から覆い被さってくる。急に来るので少しよろけた。
胸元で手がぎゅっと組まれる。白の息づかいが耳元からして、ちょっとくすぐったい。
「もう過ぎてる」
ジト目で言うと、白は一歩下がって「知ってるー」と微笑んだ。
「じゃあこれなに」
訊ねると、白は照れくさそうに目を逸らして頬をかく。
それはこの半年で一度も見たことのない顔だった。
「えー、いや、ねえ」
「?」
「その……」そしてぼそっと「ごめん……昨日、ちょっとからかいすぎた……から」と上目遣いで言ってきた。
一瞬呆気にとられて、時が止まる。
ケンカだと思ってくれてたんだとか、
そんな顔できるんだとか、
先に謝るつもりだったのにとか、
仲直りのプレゼントにしてはデカくない? とか、
こっちこそ意地はってばっかでごめん──とか。
脳内でわーっといろいろな考えが混線して、言いたいことはあるのに口からは何も出てこない。ただの『ごめん』すら、私は満足にできなかった。
代わりに、涙が出てくる。両目からつう……と、流れてきて、一向に止まらない。
床にぼたぼた落ちる音を聞いて、うわ、めっちゃ泣いてる──と他人事のように思った。
視界は涙で歪んでいて、ちっとも前が見えない。白がどんな顔をしているか不安になって、急いで涙を拭う。
目の前の白はなんと、「ごめんぅ……ごめんぅ……」とぼろぼろ泣いていた。
「えっ!? なんっ、えぇっ!?」
衝撃が強過ぎて、私の涙は急速に引いていく。
「だってぇ……」
白は全然とまらない涙を繰り返し拭いながら、よたよたと近づいてきた。
そのまま体が触れ合って、どちらともなくハグする。
(あ、言える……かも)
私は全身の力を振り絞って、蚊の鳴くような声を出した。
「……私もごめん」
言えた! と思った。それがいけなかった。
引っ込んだ涙が、また湧き出てきてしまう。
それからしばらく、私たちは抱き合ってわんわん泣いた。
*
目の前にバースデーケーキがある。まんまるで、ナイフも入れられていない新品。
私は白の足の間に座っている。白に包まれている気がして、恥ずかしい。でも白に「おいで」と言われると不思議と逆らえなかった。
「じゃあ、
「え、私は?」
机を見た。ケーキがある。しかし食器はない。
お皿も、ナイフもフォークもない。
私に、ケーキを目の前に我慢しろって? と抗議の視線を送る。
すると白は、私の顔の前に右手を出して、にぎにぎと動かした。
「うそでしょ……?」私が声を漏らすと、
「ほんと」と白は上機嫌に言う。
白はそのままケーキに手を伸ばして、乗っているいちごを掴む。
そしてそれを私の口元に持ってきた。
(え、え……これ、食べるの!?)
私は半ばパニックで、きょろきょろと白の顔を見る。
私の右肩に乗せられた白の顔は、いつものいじわるな微笑だった。
「くち、あけて」
あぁ。
言われるがまま口を開けると、舌にいちごを乗せられる。
「とじて」
ん。
「かんで」
噛んだ。
いちごを歯で潰すと、甘い果汁が溢れてくる。
「のみこんで」
ごくん。
ほんとはもう少し小さくなるまで噛みたかったけど、言われるがまま飲み込んだ。
「おいし?」
「うん」
普通においしいいちごだった。
でもどうしてか、ドキドキしている。
白は満足げに、『次』に手を伸ばす。
すらっとした指が、ショートケーキをむしって口元に運んできた。
「あー」
声に合わせて口を開ける。スポンジの部分を入れられる。
「ん」
口を閉じる。
「かんで」
噛む。
もぐもぐしていると、不意に目隠しをされた。
思わず「
白が空いている左手で私の目を覆ったのだ。
目の前が真っ暗になって、それ以外の感覚が鋭敏になる。
スポンジの柔らかさ、生クリームの甘さ、舌触り──白の吐息、匂い、鼓動──。
そのとき、ぷちっと首筋の皮膚が破られた。
「んぁっ」
目隠しのせいで、普段は感じない白の牙の形まで明確に知覚してしまう。
固く冷たいエナメル質が、私の首の肉に触れて、帰っていく。
空いた穴から溢れた血液を、ざらついた舌がすくった。
「んぃ」
電流が走ったように神経が昂って、声をあげる。
(これ、やばいかも──)
冷や汗を流す私に、白は低い……氷のような声で囁く。
「不味い」
その一発で、私は簡単に泣かされた。いらないと言われているみたいで、耐えられなかった。目を隠す白の左手を、私の涙が濡らす。
「煙草なんてやるからだ」
その通りだ。なんで吸っちゃったんだろう。
半開きの口から、生クリームの混じった唾液が伝った。
「ほら、呑んで」私は言われるがまま、口に入れっぱなしだったケーキを飲み込む。
「あー」白は間髪入れずに『次』を放り込んできた。ゴルフボールくらいの大きさをねじ込まれる。
「ん」
私は嫌われないように従順に頬張る。
「かんで」
噛む。一生懸命噛む。
「呑んで」
「うぅ」
私は呻く。まだ噛みたい。呑みこめない。
「……呑めよ」
──ごくん。
私は涙目で嚥下する。異物感を喉に押しやる。
すると首筋の傷を、また舐められる。
白はぺろりと血の味を確かめて、囁いた。
「うん、よくなった。──えらいね」
生クリームまみれの右手で頭を撫でられる。
髪の毛にべちょべちょと張り付く生クリームの感覚が、白の右手の動きを鋭敏に感じさせた。
なんだか、やけにふわふわする。
そして、思い至る。
(あぇ……? わたし……調味されてる……?)
コーヒーに砂糖を入れるように、家畜に良い餌を与えるように。
白は私にケーキを食べさせる。
タバコで不味くなった私の血液が、白の好みの味に矯正されていく。
白に包まれて、白に目隠しをされて、白に生殺与奪の権を握られて……。
されるがまま、言われるがまま。
支配──されていた。完全に。
私はすべてを白に預けて、豚みたいにヘェヘェと肩で息をしている。
(やばい……これほんとに)
ゾクゾクする。撫でられたところから多幸感が溢れでて、あたまが溶かされていく。
あまい。とろける。
もっと、ほしい。
もっと、ほめてほしい。
「あー」
ほうけていると、『次』が来る。
舌にのせられたのは、大きないちごだ。
「ん」
口を閉じると、すぐに白は言った。
「呑んで」
……え。いちごだよ? まだ噛んでないよ? やわらかいスポンジじゃないんだよ?
「……の、め」
呑む。呑まなきゃ。私は嚥下しようとする。
でも呑めない。大きすぎる。喉が嫌だ無理だと言って異物を返してくる。
(そうだ、ちょっと噛んで──)
「か、む、な」
「ぅぅ……」
無理だよそんなの。噛む。噛むよ? 噛んでいいよね?
「噛んだら捨てる」
……それって、私を? 嫌だ。そんなの嫌だ。じゃあ噛めない。
でも呑める? 呑めない。絶対無理。
舌でいちごを転がす。大きい。呑めるわけない。
私がぐるぐるしている間も、白はちろちろ吸血している。
やがて痺れを切らすように、告げられた。
「はぁ……五秒な」え? なにが?
「五……」なんのカウントダウン?
「四……」どうなる? 呑まないとどうなる?
「三……」捨てられる? 嫌だ。呑む──呑めない。えずいて呑みこめない。
「二……」呑めるから呑めるからまっておねがい──
「一……」やだやだやだやだやだ──
──ごくん。
喉を、ゆっくりと異物が落ちていく。ざらざらと粘膜を撫でながら、ずるぅ……とゆっくり進む。胃に落ちても、異物の感覚があとを引いている。
今まで感じたことのないほどの不快感。
なのに──。
頭の中はうれしいでいっぱいだった。
(みて! のめた!)と口を開けてアピールする。
ほめてほしい。なでてほしい。
私は白にもたれかかって、体を擦り寄せる。
そうしておねだりをすると白は、
「うんうん、えらいえらい」
と頭を撫でてくれた。
「ぅあ……」
体がとろける。生クリームのベッドに寝ているみたいにふわふわする。
すかさず、白は吸血を始めた。
「んぁ」
傷口を舐められて、声が出る。いてもたってもいられなくて、訊く。
「おいし?」
すると白は、とびきり丁寧に、優しく言ってくれた。
「うん、美味いよ、なずな」
(〜〜〜〜っ!!!!)
目隠しされているのに、眼前では火花が散っていた。
浮遊感のままに、白にもたれかかる。
深く息を吐くと、真っ暗だった視界が、ゆっくりと明るくなっていく。
白の左手が目隠しをやめて、私のお腹に落ちてきた。
不安げに、かすかに震える白の左手。
さっきまでの白が嘘みたいな、弱そうな手だった。
「……ごめん、ごめんね……きらいにならないで……」
蚊の鳴くような声でそんなことを言うので様子をうかがうと、白の閉じた目から、静かに涙が溢れている。
(反動……なのかな)
私は『だいじょうぶだよ』と言いたくて、白の頬を伝う涙を、ぺろりと舐めた。淡い味。
白がびっくりして目を見開く。
まんまるで真っ赤な瞳が、私を捉えていた。
「すきだよ」
私がそう言うと、お腹でぎゅっと抱きしめられた。
白は頬を擦り寄せてくる。
「ボクも……すき……」
間近にある白のくちびるは、私の血で赤く汚れていた。
少し味が気になって、くちびるを寄せ、舐める。
(よくわかんない味だな)
なんて油断していると、白のくちびるに捕まった。
「んっ、んん……」
ゆっくりと深く潜るようなキス。
私はくちびるで『大丈夫だよ、きらいになってないよ』と教えてあげる。
我に返ってみれば、結構ひどいことをされた気もするけど……でもぜんぜんイヤじゃなかった。不思議なことに。
窓の外は隙間のない曇り空。
月も星も見えない。風の音も聞こえない。
その夜、私たちの狭い1Rにはキスの水音だけが鳴っていた。
(おわり)
白とイチゴ あわいむつめ @awaimutsume
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