マヨラーの命
多賀 夢(元・みきてぃ)
マヨラーの命
子供時代、自分の両親はよく家を空けていた。
弟と二人でコンビニ弁当を買って夕食にして、弟が寝たのを見計らって遊びに出かけた。
母が早世しても父は家に戻ることはなく、弁当生活はずっと続いた。
社会人になっても、結婚しても。
自分だけコンビニ弁当を食っていた。
世間はお盆休み。久々に東京から実家に帰ったら、弟が父と一緒に酒を飲んでいた。まあ、俺が家についた頃には、父は酔っぱらって寝入っていたが。
「兄貴、出産祝いありがとうな」
少し赤い顔の弟が、ダイニングテーブルでビール缶を持ったまま、俺に礼を言った。俺は昔と同じように、弟の隣に座った。
「気にいっただろ、見つけるのに苦労したんだからな」
荷物をフローリングの床に置きながら言うと、弟は少し情けないものを見るように笑った。
「いや、あれはないわー。美少女戦士のコスプレドレスって、あんなヒラヒラいつ着るんな」
「いつでも着ればええやん。女の子はああいうの喜ぶやろ」
「女の子やけど0歳や。あれ着られる歳になったら、また新しいシリーズ始まってもうてるわ」
「感謝がないなぁ、お前は。シャレとはいえ買うてやったんやから、喜べや」
俺は冷蔵庫を開けて、中を物色した。
「あれ、マヨネーズがない」
「親父が捨ててた」
俺は血相を変えて振り返った。
「なんで!」
「そりゃ、兄貴がなんにでもマヨぶっかけんように」
「なんやそれ!」
俺は乱暴に冷蔵庫の扉を閉めた。
「昔コンビニの弁当で育っとった時から、マヨは俺の命や!」
「もういい加減卒業せぇよ」
「絶対嫌じゃ!マヨと弁当は俺の命!」
「――それが原因で離婚したくせに」
「だから!あいつだけは違うっつってんだろ」
俺は気まずい思いで椅子に座り直し、机の上に置いてあった日本酒の一升瓶を勝手に開けた。突っ伏して寝ている父のぐい吞みを奪って、それに酒をなみなみと注ぐ。
弟はテレビのリモコンをいじりながら、何の気もない感じで呟いた。
「兄貴の元嫁さん、今は何してるんかなぁ」
「死んだんちゃうんか」
咎める視線の弟を無視して、俺は酒を一気に煽った。
「本人曰く、俺といたら死ぬレベルの重病らしいし?それが本当なら、もう墓の中じゃねえの」
「……まあ、兄貴といたら死ぬやろな……変わりもんやし、弁当じゃ栄養偏るし……」
ぼそっと呟く弟に、俺ははっきり訂正を入れた。
「あいつはは弁当じゃねえよ、料理してたよ」
「でも、匂い出すなって無理言ってたんだろ」
「当たり前のことじゃろ、人として」
弟は大きくため息をついた。
「……あのなあ、人間って臭いもんやで?うちみたいに子供が二人もおると、ウンやらなんやら漏れまくるし、また子供は物をこぼすしな。匂いが出て当たり前やん」
「うん、だから俺、子供は作らん。俺みたいな子供みたいなんが子供作っても、ろくな人間にならんしな!」
「……また始まったわ、屁理屈ばっかの意地っ張りが」
「意地ちゃう、本心や!」
「はいはい、そうやって勝手に話曲げたらええわ」
なんだか腹が立つ流れになったので、俺は席を立った。
「禁断症状が出るわ、マヨ買ってくる」
「はぁ? ちょお兄貴!」
俺は財布だけを握りしめ、勢いよく外に出た。別に逃げたつもりはないが、弟目線では逃げたと言えるかもしれない。
離婚したのは、もう7年は前だと思う。
今思えば、過去イチ従順な女だった。俺は汚いのが嫌いで、匂いもダメで。だから前の嫁が料理を作ってくれた時、食べる云々の前に非常に気分が悪かった。
「もう俺には作らなくていいから。作りたいなら一人分だけ!あと、俺が帰るまでには家じゅう完全無臭にしておいてね。俺は弁当とマヨがあれば充分だから」
一度では分かってはくれなかったが、数回注意したら諦めたようだった。むしろ彼女は協力的で、徹底して匂いを消してくれた。少し消臭スプレーの匂いがすることがあったが、俺のストレスはかなり軽くなった。
そんな俺の性格もあって、俺と彼女は寝室を分けていた。洗濯も自分のものは自分で、食費も生活費も全部自分の稼ぎで。ルールを徹底することで、俺は最高に潔癖な部屋で過ごしていた。
彼女も快適さを満喫していたはずだ。
ある時彼女の部屋を覗いたら、いつの間にか布団がベッドになり、カラーボックスが蓋つきの本棚になっていた。本棚の蓋を開けたら汚いんだろうとからかったが、開けてみたらほとんど物がなかった。
すげえじゃんと俺は褒めてやったが、彼女は表情を一つも変えずに言った。
――最低限以外、捨てたのよ。
それからしばらくして、彼女は突然ルーズになった。
部屋は片付いていたが、支度に時間がかかり、動作が遅くなった。
何度注意しても直らないから、俺は一人で出かけることが増えた。
そしてある日、彼女が家にいない事に気づいた。
しばらくして離婚届が送られてきて、添えられた手紙にこう書いてあった。
――私は重い病気です。体を思うように動かすことができません。
――病気のことを相談したかった、だけどその前にあなたは私に怒った。
――あなたは、一緒に病気と戦ってくれる人ではありません。
――別れてください。そうでなくては、私は病気が悪化して死んでしまいます。
ショックだった。友達にも弟にも相談した。
だけど、返ってくる答えはいつも「別れてやれ」だった。
離婚届を二人で出そう、そう彼女に連絡したら、彼女は来た。
彼女は相変わらず無表情だった。そして少しだけ眉を傾け、こう言った。
――私の手紙、ちゃんと読んだの?
彼女の手に、年寄りが持つような杖があった。その表情に腹が立ったから、笑いながらおしゃれにしてはダサいと言ってやった。
その話を弟にしたら、真顔でこう言われた。
「お義姉さん、足が悪くなったんじゃない?だって病気なんだよね?」
俺はばかばかしい、そんなわけないと突っぱねた。
後に、職場に身体障害者が入ってきた。手が変形していた。生まれた時は普通だったんですと話すのを、そんなわけないだろと聞いていた。
それがある日、唐突に杖をついていた。病気が悪化したんですという説明を、俺は聞き流すことができなかった。
あれから7年。何人かの女性と縁があった。だけど全員が、まず俺が弁当しか食わない事に抵抗した。無理やり手料理を食べさせようとしたり、マヨてんこ盛りの弁当をボロクソに言われたり、正直俺が病みそうになって別れた。
情けないけれど、そんなときは彼女のことを思い出す。
彼女はいつも俺に合わせてくれた。
金がもったいないからと、式もあげなかった、指輪も作らなかった、記念写真も撮らなかった。でも、彼女はあなたらしいと笑っていた。
彼女は、生きているんだろうか。
歩けなくなって死ぬ、そういう病気を調べてみた。でも案外数が多くて怖くなって、すぐにやめた。職場の人は俺に病名を教えてくれなかった、どうせ分からないと思いますと、嫌そうに俺から目を背けた。
彼女のことを思い出す、時には実に美しく、時には至極憎たらしく。
どちらにしても、事実の彼女から遠のいていく。
彼女の姿を思い出そうと、スマホのフォルダを探した。しかし写真一枚残っておらず、全部俺のくだらない自撮りだった。彼女が捨てておいてと放置した部屋も漁ったが、当然ながら何もなかった。
かわいかったことは覚えている、だから思い出したいだけ。会いたいなんて思ってない。なのにどうしてそれすらも、俺には叶わないのだろうか。
いや、分かっている。分かっているから腹が立つのだ、自分自身に腹が立つのだ。
今になっても責め立てる周囲にも、いい加減黙れと怒鳴りたい。だけど罪の意識が強すぎて、怨みの感情も強すぎて、いたたまれない。真面目にできない。
そんなことを考えながら、子供の頃からあるスーパーに行く。
「あったマヨ。……うわ、こっちのは高っけえ」
彼女は、俺のマヨ好きを否定しなかった。呆れてはいただろうが、責めることは一切なかった。
俺の代わりに買い置きをしてくれて、いつも在庫がきれないようにしてくれた。
――だって、命なんでしょ。命は大事でしょ。
彼女が去ってしばらく経った時、久々にマヨネーズがなくなった。俺の使うマヨネーズは、コンビニには置いていない。一人ぼっちの深夜に、俺はどれだけ発狂したか知れない。
バカみたいに泣いた。彼女を罵った。その後帰って来いと叫んだ。どっかから壁を殴られたけど、知るかと思って泣き喚いた。
姿も声も、顔も髪も、全部忘れてしまったけれど。
君の買ったマヨネーズだけは覚えている。
冷蔵庫に整然と並べている、君の背中を覚えている。
だから俺にとってマヨネーズは、今も命。彼女の存在を完全に消さないための、俺の記憶の命なのだ。
マヨラーの命 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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