夏の選択とその集積
目々
掛け違い・食い違い・手違い
乾杯用だと手渡された缶チューハイが苦手な桃ベースだった上に、蓋を開けた途端に缶の口から派手に噴き出して手も床もひどいことになったのがそもそものケチのつき始めだったのだろう。それに今更気づいたところで、どうにもならないが。
大学生の長い夏休みに建設的な予定もなく実家にも帰らず適当に集まって飲むぐらいしか思いつかない連中、そんな面子の飲み会は盛り上がるでもなくだらだらと止めどきも見当たらないままに続く。なまじ会場が先輩の一人暮らしの安アパートなのが
ありふれて平凡でくだらない、馬鹿な大学生の家飲みだ。そんな中でまともな酔い方なんかできるわけがない。悪酔いと馬鹿酔いでくだを巻いた挙句にろくでもないことを思いつくのは当然すぎて面白くもない話だろう。
「やっぱさ、夏だし、深夜だしさ。心霊スポット突撃、やるしかないと思うんだよ、俺は」
酔っ払った実原先輩がそんなことを言い出した。夏で夜だから、馬鹿の言い分だしそんなもんを動機にできる時点で頭の軽さがどうしようもない。どこで買ったのか聞きたくなるようなシャツ──青地に白い大輪の花が咲いた代物だ──を着て、缶チューハイを片手にそんなことを言う先輩は、夏によく見る安いホラードラマの導入のワンシーンのようだった。
ただその場にいた連中は程度の差こそあれどもれなく酔っ払っていたし、飲めないやつもいい勝負ができるくらいの馬鹿ばかりだった。だからこの趣味の悪い思い付きはさしたる抵抗もなく通ってしまった。今思えばそれも小さな不運だったが、誰も気づいていなかったはずだ。勿論俺もその辺りをげらげら笑って眺めていたのだから他人の愚行を責める資格もない。先輩がその場のノリと思い付きで馬鹿みたいな肝試しを提案しするような酔い方をしていたのも俺のついていないところだった。
誰が
先輩は言い出しっぺなのだから仕方がないとしても、俺が選ばれた理由は『場の雰囲気で』ぐらいの物だと思う。俺はあの中ではまだまともだったのでそもそも心霊スポットなんて行くやつを囃しこそすれ自分で体験するのにはまったく乗り気じゃなかったのに、一番槍に仕立て上げられてしまったのが集団の理不尽とそれを引いた俺の不運だ。
偵察よろしくな、と適当な言葉を投げつけられ二人揃って部屋を追い出された。
アパートを出てひと気のない通りをしばらく歩いているうちに、ふとずれた回路が殴られた瞬間に繋がるように天啓が下りてきた──これ普通に酔っ払って馬鹿なことを言い出した先輩の厄介払いじゃねえかな、俺ただの世話係か付き添いを任されただけだなという、どうしようもない状況にまともに気づいたのだ。
実原先輩は決して悪い人ではない。そこまでの器量は絶対にないと、この数年の付き合いでも断言できる。
学年は二つ上だけども年齢はもう二つ上だ。何浪で何留とかそういう内訳は聞く意味がないから聞いていない。俺とは使う路線が同じで駅も二駅ぐらいしか違わないとうせいもあり、サークルの飲み会帰りに年甲斐もなく酔い潰れた先輩の面倒を見る機会やなんとなく暇があって酔いが足りないときに二人で安い居酒屋で飲み直したりしていたので、付き合いの深さも長さも大学生としてはそこそこあるほうだろう。たまに信じられないくらいアホな発言をする──素面でも酒が入っていてもだ──けども、漫画や飯の趣味は合うからよくつるんでいたし、ゲーセンとカラオケ行ってチェーンの飲み屋やコーヒーショップでうだうだ暇を潰してもこの人相手なら無為なりに退屈しなかった。
だからまあ、一応は『慕っている先輩』ではあったのだ。そこをもう少しきちんと自覚しているべきだった。
その辺の公園なりなんなりで
デカい声でも何でも上げて呼び止めればよかったのに、
先輩は酒は好きだが強いわけではない。酔ってハイになった様も酔い潰れた姿も散々見てきた。だからといって何の予兆もなく走り出すほど活発になるとは少しも予想していなかった。大人は滅多なことでは走らないが、酔っ払いはその限りではないらしい。
酔いが深いだろうにそこそこの早さで進んでいく背中は、その家に一切の躊躇なく駆け込んで消えた。
敷地前、灰色の塀の途切れた入り口で俺はつんのめるように足を止める。
何の変哲もない、としか言いようがない一軒家。カーテンの降りた窓は真っ暗で、家のどこにも生活の気配はない。庭先も下手をすれば俺の実家より片付いているくらいで、白く乾いた土の色が夜闇にやけに鮮やかだった。
異様というべきものは二つ。
支柱が車の突っ込んだガードレールのように折れ曲がった郵便ポストと、そのポストの脳天をぶち抜いている銀色の移植ゴテ。聞いていた通りの目印を見つけて、俺は舌打ちする。
つまりはここが目的地──地元でヤバいと評判の
さすがに一瞬怯んだが、すぐに先輩がいないという焦りが勝った。
狭い前庭も探したが、そもそも隠れるような場所もない。裏庭も恐る恐る覗いたが、ただ物置があるだけだった。
外にいない、けれども確かに先輩はこの敷地に入っていった、状況から想定される答えがどうあがいてもろくでもなくて、俺は二三度地面を蹴る。
まさか家に入ったのか。そんなわけがない、そもそも入れるわけがない──そう思いながら玄関のドアノブを引けば、微かな軋みを立てて扉が開いた。
俺は取っ手を握りしめたまま硬直する。
開いた隙間から覗く室内は真っ暗だった。
廃屋だから当たり前だが、そのせいで尚更今の状況が異常だということが補強されてしまう。廃屋の玄関が開いているというのが致命的におかしいだろう。壊されていたならまだ分かる。けれども扉も鍵周りにも破壊の痕跡は見当たらない。あとは合鍵を使うしかないだろうが、先輩がそんなものを持っていたわけがない。
心霊スポットとして有名な廃屋、その玄関がどういうわけか開いている。
怪談やその手の映画ならよくある状況だ。その状況で家の中に入ることがどれだけの悪手かも、それらフィクションが手を変え品を変え描写してくれている。
それでも俺は玄関のドアを開けて、屋内へと踏み込んだ。
建前とはいえ偵察役としてあるいは後輩として、先輩が中にいるかどうかを確かめないといけなかった。
先輩いるんですかとなけなしの勇気を振り絞って声を上げれば、すぐ近くから場違いに陽気な調子で、
「仏間にいるよ」
信じがたい返事が聞こえて、その声が先輩のものだったことに安堵しながら、本当に馬鹿なことをしているのを再確認する。心霊スポットに躊躇もなく入っていけるだけでも信じがたいのに、仏間なんて普通の家でも入り難いところに突っ込んでいけるのかがさっぱり分からなかった。
声のした方へ視線とスマホのライトを向けると、左手の部屋の中に見慣れた青いシャツが浮かぶ。大ぶりな花柄が暗がりにぼんやり浮かんで、普段馬鹿みたいだからやめろと言われていた先輩の柄シャツでも心霊スポットを探検するときは目立つから便利なんだなと今後の人生において役に立つ見通しがない知見を得た。
恐る恐る仏間に足を踏み入れる。右手側の壁の半分ほどは設置された仏壇で覆われていて、その横にきっちりと閉まったままの襖があった。
仏壇の前でふらふらと光源代わりのスマホで室内を照らしている先輩は当然のように俺の顔に向けて光を当ててきて、眩しさに目を瞑れば愉快そうな笑い声が聞こえた。
「何ふざけてんですか。駄目ですよ人んち勝手に入っちゃ」
「人んちっていうか、心霊スポットじゃん。じゃあ探検するもんだし、そんなら入んないと……ここさあ、お前どういうとこだか知ってる?」
「知りませんよ。行ったらヤバイみたいなことしか聞いてませんもん興味ないから」
先輩はどうしてか足元の座布団をテンポよく蹴飛ばしながら、聞いてもいないのに説明を始めた。
「なんかさあ家族が住んでたんだって。そんでさ、こう、死んだんだよみんな」
「何の情報もないじゃないですか」
「えー……? 何だっけなあ、夏に暑いからって網戸にしてたら強盗だかラリ中だかに突っ込まれてみたいなやつだったかな。最初聞いたときに何で戸締りしないんだろう馬鹿なんじゃねえかなって思ったけど、そこに意識取られてあと全部忘れた」
馬鹿に馬鹿って言われるのも屈辱だろうなと思いはしたが、俺はそれを聞き流した──そういうことをこんな場所で言うもんじゃないと黙らせるべきだった。
よそでならともかく、現場もとい相手の縄張りでそういう暴言を吐くのがろくなことにならないのはまともな頭があれば想定できるはずだ。
だけど先輩は馬鹿で酔っ払いで、しかも運まで悪かった。だから俺は止められなかったし、先輩も自分がどういう状況にいるのかをきちんと理解していなかった。
だから先輩が蹴り上げた座布団が逸れてぶち当たった仏壇からどろりと零れるように子供が転がり出ても俺たちは叫びすらしなかったのだ。
「えっ……何?」
先輩は誰とは言わなかった。人とは思えなかったからだ──普通の人間は仏壇から出てこない。ましてやここは曰く付きの心霊スポットだ。
転がり出た子供は畳の上に仰向けになって、穴のように黒い目を先輩に向けていた。
「き──聞いた話だとさ、最初に子供が出るんだって」
突っ立ったまま、先輩が要らんことを呟いた。最初にって言いやがったのが、無性に嫌だった。
「先輩、いいから、その」
「最初に子供、次に年寄り──ほら、」
先輩がスマホを仏壇の上に向けた。
遺影がずらりと並んだその合間から覗く皺だらけの顔、その双眸はスマホの光さえ吸い込むほどに黒々としていた。
あんな天井近くに潜める人間なんかいない。全身がどうなっているのかなど見たくもない。スマホのライトでは広範囲が照らせないことを感謝した。
ここで先輩を蹴飛ばしてでも引きずってでも逃げ出すべきだった。それができなかったのは不運だけども、その不運に甘んじてしまったのは俺が怯えていたせいだ。
悠長に口だけで逃げようと呼びかけるしかできなかったのが悪手だった。
先輩がまた口を開いた。
「最後に
ひどく単調な、それこそ書かれたものでも読み上げるような声だった。
硬いものを勢いよく叩きつけたような音がした。
仏壇の横にあった襖が開いたのだと、直感的に分かった。光を向けようとする先輩の腕をどうにか掴んで、俺は声を上げた。
「逃げますよ!」
呆然としながらも足を動かした先輩が、そのまま派手にすっ転んだ。
「何してんですか!」
「靴紐が──」
その言葉と倒れ方から解けた靴紐を踏みつけたらしいと見当がついた。
──この人土足で上がってたのかよ!
手遅れの要素がもう一つ判明して、俺は目眩を起こしそうになる。いつの間にか廊下の奥から複数らしい足音が聞こえてくる。仏壇のお鈴は踏切の警報音のようにひっきりなしに鳴っている。背後からの異音に振り返れば、障子にばりばりと穴が空いてその隙間から目やら指やらが湧きだしている。
どんな馬鹿でも分かる。絶対にこの状況はよくない。人死にが沢山出るような安いホラー映画でよく見たどん詰まりだ。見覚えこそあれど、どうすれば助かるのかは全く分からない。
ヤバい、どうしようもない、恐ろしい。ただそれを口に出したら全部が終わるということも分かっていたので、俺は余計なことを吐かないように一度だけ唇を強く噛んだ。
先輩がぎこちなく数歩歩いてから、俺の方を見た。
「なあ葉山、これ、もう駄目なんじゃないのか」
だからそういうのが駄目なんだよ!
この状況で名前を呼ばれるのも最悪だった。怒鳴りつける気力も湧かず、とにかく俺は先輩の腕を掴んで仏間の外に出ようとした。足にうまく力が入らないのは仕方がないとして、先輩がすっかり自立する気もないかのように縋りついてくるのがどうしようもない。成人男性一人分を引きずるには状況が悪すぎる。
やることなすこと後手な上に裏目だ。麻雀で手牌の浮いたやつを切ったら順が巡って刻子ができたときぐらいに腹立たしい。引きの悪さと運の悪さが重なっていく。
逃げないといけない、先輩を置いてはいけない、二人で帰らなければいけない。
それだけを頭の中で繰り返す。逃げたいだけなのに、付随する条件と発生する現象が諸々を台無しにしていく。じりじりと思考が煮えて焦げ付き、空回りを始める──。
「その人だけ置いていってくれ。葉山くん、君は帰んな」
どこか座敷の暗闇から、笑いを含んだ声がした。
先輩の声でも、俺の声でもなかった。ただ、聞こえてしまった。
俺は振り向けなかった。先輩はしっかり首を向けて、見たのだろう。しゃっくりのような短い悲鳴が上がった。
そのまま縋りついていた手が
先輩の指先が一度、爪を立てようとして力が足りずに掌を撫でていく。
その指を俺は掴もうとしなかった。
足がぎくぎくと玄関に向かって歩みを進める。仏間を出て、上がり框を踏んで、玄関のタイルをスニーカーが擦る。
吐き出されるように廃屋から転がり出たその背後で、扉が音を立てて閉まった。
追打ちのように、鍵が回って落ちるその音が宣告のように響いた。
生温い夜が肌に貼りつく。足を動かせば、土を擦る音が耳障りだった。
廃屋の外にいるのだと、見逃されたのだと理解する。同時にそれはすべて俺だけなのだということを確信してしまう。
最後の一瞬、あの指を掴もうとしなかった。それが決定打だったのだと分かっている。
見逃された、先輩は駄目だった、一人で帰るしかなかった。
選択と不運の積み重なったこの夜を、どこから間違ったのか。やっぱり最初からだよな、と酒缶を渡してくれた先輩の顔を思い出して俺は唇を強く噛んだ。
夏の選択とその集積 目々 @meme2mason
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