君の夢で出会いたい
藍ねず
君の夢で出会いたい
昔からよく夢を見る体質だった。
起きた時に夢の映像が鮮明に思い出せるのは日常的。
夢の中で「こりゃ夢だ」と気づくのは当たり前。
だが夢だと気づいたところで起きられたことは一度もない。
夢というのは記憶の整理だと科学的に説明されているが、ならば私の夢はどうしてこうも不可思議なのか教えて欲しい。
真っ赤な空に黒い雲。釘が降っては傘を破り、目の前で事故った車は幾台か。潰れた車内から出てくる存在も、どこかで大声で暴れている存在も、人間ではない。
私の夢には、人ではないものが多すぎる。
浮いて移動する宝石。壁に硝子の頭をぶつけ続ける小人。枯れた翼で這いずる蛇。波打ち際で奇声を上げる貝。縫いつけた腹に何か隠したてるてる坊主。
それらが趣味の創作に生かせることは多かった。思い出した映像を自分の中で再構築し、どうして夢の動きをしているのか考える時間は心躍る。出来上がった異形というキャラクターに肌馴染みする世界を書き連ねていけば、私の夢は物語として昇華された。
夢で見た存在を忘れることは、殺すようで忍びなかった。だから寝起きには彼らを枕元のスケッチ帳に描きだした。殺してしまわないよう、記憶に留める為に。
描き起こせば愛着が湧いた。私の頭の中にいる存在が夢で勝手に動いていたのだ。意味も理由もない妄想だろうと、その子を私の脳という狭い領域だけで生かすのは心苦しい。
だから書いた。ありったけの文字を詰め込み、絞り出せる限りの描写を含み、いらない部分は削ぎ落して。
書いて、書いて、書いて。
いつしかそれらは我が物語の子――我が子となった。
デジタル文字で構成された小説を読むたびに、私はこの子に最適な世界を綴ることが出来たのか不安になる。だがこれ以上の世界を思い描けないこともまた事実。だから何度も読み込んで、読み返して、そこに生きる我が子を愛でた。
誤字は倒せないし表記ゆれは多いし、同じ表現を使いがちだし。小説としての完成度はイマイチだろう。
思い立ってwebサイトに投稿を始めてみたが、見つけてくれる人は限られている。だがそれでいい。我が子をwebの大海で見つけてもらえるなんて一種の奇跡なんだから。
我が子が私の頭だけでなく、誰かの記憶に少しでも残してもらえるなら、それは至高の喜びだ。
日々増える我が子に安心して、今日も誰も殺していないと息を吐く。次はあの子、その次はこの子。あぁそうだ、今朝あんな子を見てしまったんだった。
「相変わらず隈を飼ってるねぇ」
「生まれつきだよ」
「コンシーラーいる?」
「気持ちだけもらっとく、ありがと」
大学の空きコマはもっぱら図書室で小説を書いていた。レポートや課題は早々に終わらせることを心がけ、どれだけ小説に費やす時間を捻出できるかが私の行動理由である。
明日の私が「これを終わらせておけば創作できたのに」と悔しがるくらいなら、今日の私が必要なことは終わらせておく。
結果、昨日の私のお陰で今日の私は小説を書けているのだ。だから明日の私にも恥じぬように行動しよう。
そんな私は趣味を公言していないので、ノートパソコンを叩いていれば普通に声をかけられる。今も専攻が同じ友人の声がかかり、文字を打っていた指が
私は文章を保存し、「このコンシーラーいいよー」とオススメされる化粧品に目を向けた。キーを打てなくなった指は目の下を撫でる。
「そんなに目立つ? 隈」
「初対面の人が見たら「あ、」って思うんじゃない? 私はもう見慣れちゃったけど」
「そっか」
「それが生まれつきって災難だねぇ。濃さが変わるのは化粧の厚さ?」
「化粧はそんな変えないから、普通に寝不足かな」
言葉にすれば釣られて口角も上がった。生まれつき隈がある顔で寝不足ときたら、隈の成長に事欠かないな。別にこんなの育てたいわけでもないのに。
「寝不足かー、バイト?」
「いや……夢見が悪くて」
「夜中に目が覚めちゃうって?」
「うん、だいたい二時とか三時」
「まだ寝れるじゃーん。ホットミルクでも飲んで二度寝しなー」
「そうだね」
ノートパソコンを立ち上げた友人に軽く笑っておく。
そう、夜中に目が覚めようと二度寝すればいいのだ。まだ体も頭も眠いと舟をこいでいるのだから。
だが気持ちはそうはいかない。
もう眠るなと体に命令を送って動悸を早め、喉から潤いを盗んでいくのだから。
私は課題専用のファイルを開きつつ、気さくな友に聞かずにはいられなかった。
「ねぇ、夢の続きって見る?」
「続き? ん-……いや別に?」
「そっか」
人差し指が少しだけ跳ねる。友人は「どしたん」と茶色い目をこちらに向けたから、私は目尻を下げたのだ。
「なんでもない」
***
二度寝が嫌いだ。
大方、夜中に目が覚める時の夢は碌なものではない。起きる瞬間まで息を止めていたような圧迫感に胸を押さえつけられ、あまりの時には真っ暗な部屋の中を歩き回らなければ落ち着かないほどである。
目が覚めるのは丑三つ時。そういったシチュエーションも私の呼吸を浅くして、瞬きするだけで夢を想起した。
こうした時に見た子を私は物語に出来ない。
アレは「我が子」に出来るものではない。
アレが住み着ける世界は、私の頭の中しかない。
主人公にも脇役にもしてあげられない子は、いるのだ。
それらは総じて私を殺す。
殺されるから私は文字に起こせないし、物語を組み立てられなかった。
殺される理由も思いつかない。ただ歩いていた、ただ目が合った、ただ声を聞いた。それだけで追い回され、殺されるのだ。
夢だと気づいても、起きられない私は逃げるしかない。逃げて、逃げて、逃げ回るのに捕まって、あらゆる方法で殺された。
夢だから大丈夫だと思って二階の窓から飛び降りたことがある。落ちる間に目が覚めてくれればいいと願ったが、脳は私を起こさなかった。落ちれば夢は覚めると私の家族は笑ったが、私が目覚めたことはないのだ。
心臓が迫り上がる落下の感覚と、両足で着地した瞬間の重たい衝撃。全身を痺れが走って足は動かせなくなり、その場に倒れた上にアレらは追随してきた。
私の背骨を壊す圧迫感。裂けた腹から臓物が出たヌメり。悲鳴を上げても喉が詰まったように声は出ず、体に走る衝撃だけが鮮明になる。
夢が輪郭を持って私を壊し、世界がブレた時。
そこでやっと目が覚めるのだ。
夢に痛みはないが、いっそ合ってくれた方が気絶出来るのではないかと思ったこともある。だがあれだけの痛みを受けたら入眠したままショック死する気がしたので、やはり痛みはなくて正解なのだろう。
だが、そうした悪夢が終わったと思っても眠ってはいけない。悪い夢から覚めたなら寝てはいけない。
眠れば十中八九、私は夢の続きを見るのだ。
振り下ろされる瞬間で終わっていた拳を顔面に受ける所からスタート。
無事だった腕を折られるところから始まる。
水中で泡を吐きながら藻掻く開幕なんて最悪だ。
だから私は二度寝しない。眠れば死ぬ。気持ちが死ぬ。死の間際を何度も繰り返せるほど私は強くないのだ。
眠れないからパソコンを立ち上げて創作の世界に逃げ込むのが習慣。ここまでは追ってこないアレらを形に出来ないことを謝罪しながら、別の世界へ頭を向けた。
そうすれば、生まれつきの隈を育てる、立派な寝不足人間の出来上がりだ。
眠る前に鏡で隈を確認する。薄ら青黒い目の下を撫でたが、今夜もこれに栄養を与えることになるのだろうと分かっていた。
今見ている夢は、過去一と言っていいほど質が悪いのだ。
連日連夜。見るのは、水分を全て失った人間らしきものに追われる夢。
ソイツは全身が黄土色でもあり黒色でもある。髪はないし眼球もない。落ちくぼんだ双眼の穴と縦に開いた真っ黒な口。皺だらけの体は下に行くほど溶けた蝋のようになって床に広がっている。だから足もない。
細い首が前に出たソレは嫌に人間らしく見えた。外見は全く人間だとは思えないのだが、異形というよりも幽霊であり、人間なのだ。感覚的な話なので難しい。
ソイツが追ってくる。逃げた先にいる。でも距離は一定。五メートルくらい間があって、いつも私の方に顔を向けていた。
どうして逃げるのかと言われれば、夢を見ている私が逃げねばならぬと恐怖に震えているからだ。
今日もソイツは現れたから、私は上手く動かせない足で逃げ出した。
右へ走り、息を弾ませて角を曲がり、Uターンしては田んぼを突っ切る。場面転換はメチャクチャで、土足で知らない家の中を激走するなんてザラだ。
気づけば私は見知らぬ家の二階にいた。
振り返ればヤツがこちらを向いている。体は廊下の壁の方へ向いているにも関わらず、首だけが私の方へねじれていた。
底の見えない二つの穴が私を食い入るように見つめている。皺だらけの右手には
木製の持ち手に、先に行くほど細くなった一本の鉄。尖った切っ先は微かに揺れて、私の全身から血の気が引いた。
部屋にあった押し入れを勢いよく開ける。中に詰められていた布団や衣類は後方へ放り出した。そうすれば二段になっている押し入れの上部に足がかかるスペースが生まれ、天井も視界に入った。
長方形に開いた穴がある。そこに入れる気がした。夢だから。夢なんてなんでもありだ。取り敢えずアイツから逃げられるならなんでもいい。
疲れた足を押し入れの段に引っかけ、両手も使って体を持ち上げる。
その時、腕を掴まれ、腰から床に引きずり降ろされた。
勢いよく尻もちをつき、見上げてみれば黄土色。
溶けた下半身が私の両足先を踏んでいる。干からびた左手が首を掴んだのは一瞬のことで、無理やり顔がヤツに近づいた。
空洞の目が私を凝視している気がして、肌は素早く泡を立てる。
「ツギハ?」
「え、」
低く鉛のような声が聞こえた瞬間。
躊躇なく錐を持ったヤツの手が動く。
鋭い先端が私の左耳に入る。
入口を越えた。
鼓膜を越えた。
左眼球の後ろに、氷のような冷たさが侵入した。
「ひ――ッ!!」
体が一度痙攣し、視界を埋めたのは真っ暗な天井。
起きた瞬間から鼓動は加速し、呼吸は浅く、左目だけが涙を落とした。
上体を起こして顔を覆う。暗闇が平衡感覚を奪ったままで、震える私を嘲笑っている気がした。
締まった喉が全然酸素を入れてくれない。だから吸って、吸って、吸いまくって、吐くのを忘れたせいで涙が溢れる。今度はきちんと両目から。
苦しくて、息苦しくて、貫かれた筈の左耳に触れても異常はない。
ベッドから下りてフローリングに這いつくばった私は、頭を抱え、吸えない呼吸を続けた。吐けないまま呼吸した。
アイツのせいで頭が回っていない。回っていない頭のせいで息の吐き方を思い出せない。胸が痛い。肺が痛い。目頭は熱い。時間は夜中の三時である。
このまま気絶してしまえば楽になるだろうか。どこかの精神科の本で読んだ気がするんだ。息の吸いすぎで死んだ人間はいないって。
だから、このまま吸って、吸って、吸い続けて、気絶すればリセット出来る気がした。
指先が震えて力が抜ける。瞼が重くて、部屋の暗さが重量のある羽毛布団のように被さってきた。このまま意識を飛ばしてしまおう。
脂汗の浮いた指でフローリングを引っ掻けば、世界がぐるりと回った。
「――ツギハ?」
また、夢を見る。
右耳を床につける向きで倒れた私の前に、ヤツがいる。
微かに動いたヤツの右手。
錐の金属部分が耳に触れ、眼球の裏奥で細い冷たさが主張した。
「ぁ……あぁ……」
見てしまった。
また私は、夢の続きを見てしまった。
「ツギハ?」
ヤツは同じ言葉を繰り返す。ツギハ、つぎは、つぎ……
「……次、は?」
顎が震えて声が歪む。耳を貫かれているせいか、嫌にこもっている気もした。
それでも私は聞いたのだ。この夢を終わらせたくて。名前をつけてあげられないヤツの、一つだけの望みくらい聞かねばならぬと思ったから。
「次は……次は、って?」
「ツギハ?」
「次は、なに、って、こ、と?」
奥歯が震えて軽く音がする。流れた涙が夢の重力に従い、右の目尻と床の間に溜まっていった。
ヤツは首を横に振る。
自分の眼球の裏で鋭い冷たさが揺れる。
私は両手を固く握り合わせて、嫌な望みに気づいてしまった。
「つ、ぎは……誰?」
ヤツの目が私を黙って見下ろした。
吸い込まれそうな黒がある。感覚を眩ませる闇がある。
私の視界が涙で滲んだ時、ヤツは確かに、両目に弧を描いたのだ。
「ッ、」
目が覚めた私は、フローリングに倒れていた。気絶というか、二度寝というか。取り敢えず意識を失う前と変わらない。脂汗でシャツが張り付き、両目は勝手に泣いている。
呼吸だけは正常になっており、だからこそ、私は手を伸ばしたのだ。
「……書かなきゃ」
ベッドのヘッドランプだけを頼りに、私はヤツを書き綴る。その姿、その言葉。何をして、どう動き、私が何を体験したか。
溢れる情報を書き連ね、指はキーボードの上を止まらない。何度も何度もエンターキーやスペースキーを叩き、誤字に気づいては修正し、最後まで書ききった。
全文をコピーしてwebの投稿サイトに移動し、貼り付けて、再び目を通す。
サイトの機能を使って段落の字下げを一気に行い、体裁を整え、浮かんだタイトルを打ち込んだ。
……ここで少し話は逸れるが、私はファンタジージャンルが好きであると同時に、ホラーやミステリージャンルも好きである。小学生の頃は図書室のホラーコーナーの本を片っ端から読み漁り、中学高校でも興味のある本は読んできた。
その中で定番の一つと言えるのは、呪いのバトンではなかろうか。
何人かに話さなければ悪いことが起こる噂。
誰かに譲らなければ自分が呪われ続ける呪物。
何も知らない人と行なって嫌なものを押し付ける遊び。
今の世の中はよく出来ている。SNSしかり、インターネットしかり。どこにどんな怖いことが潜んでいてもおかしくないのだから。
カーテンの外が徐々に明るくなる。夢の終わりはすぐそこだ。
「ツギハ?」
左の耳元で声がする。低く鉛のような声が粘度を持ち、私に問いかける。
ヤツは次を探してる。
次に行くべき夢を、次の誰かを、探してる。
だから私はヤツの為に……我が子の為に、次の道を示さなければ。
日々増え続ける我が子の中の一つ。いつもと違ってジャンルはホラー。タイトルの意味は読後に考えてもらえればこれ幸い。
「ツギハ?」
「これを読んだ人」
私は〈投稿〉のボタンにカーソルを合わせ、webの海に我が子を放った。
――――――――――――――――――――
やっとアレに名前をつけることが出来ました。
どこかが夢で、創作で、どこかは現実。
その境はどこだと思いますか?
我が子を見つけて下さってありがとうございました。
藍ねず
君の夢で出会いたい 藍ねず @oreta-sin
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