広重ちゃんと北斎さん

海石榴

一話完結 広重ちゃんと北斎さん

 広重ちゃんは、一枚の絵を見て悲鳴をあげた。

「ひえーっ、こんなすげェ絵、オイラには無理、ムリ、とてもけねえよ」

 目の前には冨獄三十六景の一つ、「神奈川沖浪裏」がある。それは北斎さんの絵だった。


 なれど、もはやそんな弱音を吐いている場合ではない。美人画には喜多川歌麿というとてもかなわぬ先達がいて、渓斎英泉という妖艶な女絵で名を馳せている絵師もいた。かつ同門の歌川国貞くにさだは役者絵、国芳くによしは武者絵で功成り名を遂げている。では、自分は何で勝負を賭けるか。何を武器に、「広重ここにあり!」と世に躍り出るか。この際、何がなんでも有名になって、うだつの上がらない絵師生活からオサラバしたい。となれば、競争相手の少ない風景画がいいと思い決めたのものの、そこには既に北斎さんという大きな壁が立ちはだかっていた。とはいえ、この江戸随一と称される絵師一人にさえ勝てたならば、一躍、名声が手に入るのだ。出世ができるのだ。


 だが、と、自問自答の声が胸にこだまする。

 果たして偉大な画狂人、北斎に勝てる画才が自分にあるであろうか。そこまでの天稟が自分にあるであろうか。無謀な挑戦ではあるまいか。

 少なからず心の中ではビビリながら、幾度も自問自答しながら、広重ちゃんは、30年前の北斎さんの絵「東海道五十三次」に目を移した。

「ん?この五十三次は北斎さんの昔の絵だからイマイチだァな。これなら、なんとかしのげるかもね」

 広重ちゃんは北斎さんの「東海道五十三次」をさらにしげしげと眺めた。そしてニヤリと笑った。北斎さんは戯作者の十返舎一九さんと仲がよかった。それで、一九さんの『東海道中膝栗毛』を意識しすぎたのか、絵の随所に弥次郎兵衛、喜多八っぽい俗な人物が登場してくるのだ。

「これじゃァ、名所の風景が艶消つやけしだわな。うん、これなら勝てそう。江戸っ子の旅情をそそるような新しい東海道五十三次を出してやるぜ。情緒纏綿てんめんたる雪月花の風情がウリってェわけよ」


 この広重ちゃんの目論見は成功した。人物主体のに仕上がっていた北斎さんの絵に対抗して、情緒たっぷりの五十三次にするや、広重ちゃんは北斎さんを凌ぐほどの人気絵師として持てはやされ、みんなからチヤホヤ状態。


「でも……」

 広重ちゃんは心の中でつぶやいた。

 東海道五十三次で、たった一回だけ北斎さんに勝っても、そんなのどうせマグレでしょ、なんて言われたらどうしよう。やはり北斎さんの冨獄三十六景には勝てないわよねー、百年早いわよねー、なんて言われたら……。

 そこで、広重ちゃんは決心をした。清水の舞台から飛び降りるような覚悟をした。

 オイラだって今や天下の広重だいっ。この人気を不動のもにのするためには、大きな壁を今一度、乗り越えなきゃなんない。かつて衝撃を受けた宿命の絵「冨獄三十六景」を凌ぎ、再び北斎さんを打ち負かすしかない!


 広重ちゃんは眦を決して筆をとった。描いたのは「冨獄三十六景」ならぬ「不二ふじ三十六景」。北斎さんの構図の大胆さに対抗して、写実的な正写しょううつしの富士で勝負したのである。でも、やはり迫力で負けていた。面白みにも欠けていた。パッとしない世間の評判に広重ちゃんはションボリした。

 そして、捲土重来「てんやでェ」とばかりに、またしても北斎さんの「冨獄三十六景」に「冨士三十六景」で対抗した。何が何でも北斎さんに勝ちたい、凌ぎたい。死んだあと、北斎さんよりすげェ絵師だったって言われたい。もはやその思いは抜き差しならぬ悲願の域に達していた。


 しかしながら、この「冨士三十六景」が世に出たとき、広重ちゃんは61歳を一期として生をえた。彼の遺作となったのである。死ぬまで北斎さんの背中を追いつづけた広重ちゃん。めざした富士の頂きは雲の上でおぼろに霞んでいたが、それはおそらく挑戦した者にしかわからぬ眩暈めまいのするような高みであったに違いない。絶望の念とともに断崖をのぞきこんだ者にしかわからぬ途轍もないはるかな高みであったに違いない。


 ――了

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広重ちゃんと北斎さん 海石榴 @umi-zakuro7132

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