味方

三鹿ショート

味方

 膝を抱えながら謝罪の言葉を吐き続ける彼女の傍で、私は手にしている鋸を必死に動かしていた。

 細切れになっていく人体を目にしながら、自分の肉体の内側もこのようになっているのだろうかとどうでも良いことを考える。

 そうしなければ、あまりの光景に気を失ってしまうからだ。


***


 自宅に戻った私を待っていたのは、下着姿で荒い呼吸を繰り返しながら鈍器を手にした彼女と、頭部から血液を流して倒れている男性の二人だった。

 何事かと問いながら男性の生死を確認したが、どうやら手遅れらしい。

 彼女は手にしていた鈍器を床に落とすと、両手で顔を覆いながら、事情を説明し始めた。

 彼女の同僚である男性は、会社の飲み会で酔った彼女を自宅まで送り届けると告げたが、彼女と共に家の中に入ると同時に、襲いかかってきたらしい。

 衣服を剥ぎ取られた彼女は抵抗の途中で、偶然にも手にした鈍器で男性を殴った。

 男性は床に倒れ、痛みに呻いていた。

 再び襲われないためにも、彼女は何度も男性を殴り、気が付けばその生命を奪っていたということだった。

 その話を耳にした私は、彼女を抱きしめた。

 訪れる可能性が存在すると考えていた未来を避けることができず、私は彼女を憐れんだ。

 自信が無さそうな様子で猫背になりながら歩く彼女は、他の異性と比べると、確かに地味な存在だった。

 口を動かしたところで何を喋っているのかが不明なほど小声であり、笑みを浮かべたとしても、それが引きつっていることは常である。

 ゆえに、彼女は押しに弱く、力で支配されることが多かった。

 父親に暴力を振るわれている母親を幼少の時分から目にしていたために、他人事だと考えることができず、私は彼女のことを気にかけていた。

 他者に優しくされたことがなかった彼女は、当初こそ警戒していたものの、何時しか唯一の味方である私に心を許し、そして恋人関係に至った。

 だが、恋人を得たところで、彼女の自信の無さが変化するわけではなかった。

 それを証明しているものが、倒れている男性である。

 襲われた彼女が被害者であることは間違いないが、一人の人間を殺めたということになると、彼女は罪を償う必要がある。

 私は、納得することができなかった。

 彼女は欲望に敗北した獣から身を守ろうとしただけであり、相手がこの世を去ったことは、自業自得なのだ。

 しかし、誰もがそのように考えるわけではない。

 同情はするだろうが、罪を犯したのならば、それを償う必要があることは、誰でも分かることである。

 だからこそ、私は、この一件を無かったことにすることにしたのだ。


***


 細切れにした肉体を複数の袋に入れ、それらを鞄に詰め込んでいく。

 そして、それらを様々な土地に捨てるべく、彼女に対して、しばらく留守にするということを告げた。

 私だけに任せるわけにはいかないと考えたのか、彼女は同行を申し出たが、私は断った。

 男性を殺めた彼女が突然姿を消したとなると、周囲の人間に怪しまれる恐れが存在するからだ。

 彼女にそのことを説明すると、私は家を出た。

 彼女は最後まで、私に対して謝罪の言葉を吐いていた。


***


 二週間ほどの時間をかけて細切れの肉体を捨てた後、自宅に戻ると、彼女は勢いよく私に抱きついた。

 謝罪と感謝の言葉を述べ続ける彼女に対して、

「きみに罪は無い」

 私は何度もそう告げた。


***


 それからの彼女は、私に対して以前よりも激しい愛情表現をするようになった。

 死体を処分してくれたことに対する彼女なりの感謝の態度なのだろう。

 其処までのことをしなくても構わないと告げたのだが、彼女は首を左右に振り、私を愛し続けてくれた。

 過剰な愛情だが、悪いものではなかった。


***


 互いを愛し続けた当然の結果として、彼女は新たな生命を宿した。

 私は喜びを示したが、彼女の表情は晴れやかではなかった。

 嬉しくは無いのかと問うと、彼女は困惑した様子で、

「あなたとの愛の結晶だということを思えば当然ながら嬉しいのですが、あなたの愛情を私とこの子どもで分けなければならなくなってしまうことを考えると、心から喜ぶことができないのです」

 その言葉を耳にして、私は愕然とした。

 彼女は自身の子どもに対して、嫉妬しているというのだろうか。

 たとえ子どもが誕生したとしても、私が彼女に対する愛情を失うわけではない。

 だが、幾らそう説明したところで、彼女が納得する様子を見せることはなかった。

 そのような思考を持つ人間に宿った子どもが、無事に外の世界を見ることができるかどうか、私は不安になった。

 しかし、彼女を説得し続けることしか、私に出来ることは存在していないのである。


***


 不安が的中してしまった。

 歩道橋の階段で足を踏み外した彼女が大怪我を負ったと同時に、新たな生命が誕生することがなくなってしまったのである。

 彼女は事故だと主張したが、私はそれを信ずることができなかった。

 私は彼女に別れを告げ、病院を後にした。


***


 やがて、私の自宅に制服姿の人間たちが姿を現した。

 いわく、私が死体を遺棄した疑いがあるということだった。

 確かにそのような行為に及んだが、知っている人間は彼女だけである。

 彼女が私を売るような真似はしないと思ったものの、別れを告げた私に対する報復なのではないかと、即座に思い直した。

 殺めた人間は彼女だと主張したが、そこで私は制服姿の人間から、彼女が既にこの世から去っているということを知らされた。

 彼女は自身と私の罪について記した遺書を手に、首を吊っていたということだった。

 そのような結末に至ったのは、唯一の味方である私が、彼女を捨てたことが原因なのだろう。

 私は、一人の人間を死に追いやってしまったのである。

 私はその場で膝をつき、彼女に対する謝罪の言葉を吐き続けた。

 だが、その言葉が本人に届くことはなかった。

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味方 三鹿ショート @mijikashort

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