42  納得したか弟たち

 祭りが終わったフフシルの村を、特別な朝日が照らしているようだった。

 けわしい山肌も、いくぶんやわらいでいる。

 タヴィスは名残り惜しい気持ちを抱えながら、氷結の魔導師の城から帰ってきた。帰りはシャルの遠隔魔術で、かるく。こっちの扉と、あっちの扉を繋ぐような理屈らしい。


「ずるいよ! タヴィス兄さんだけ、城に招待されていたなんて!」

 差配人ゼス・ドゥルゥの館に朝帰りしてきたタヴィスに、アルワンは、ぎゃんぎゃん非難を浴びせかけた。

「ぼくが酔いつぶれた隙に!」


「かぱかぱ葡萄酒を飲んだのは、おまえだろ。それに招待ではない」

 連れ去られたんだよ。

 オユンも、こういうふうにさらわれたんだと、タヴィスは追体験した。

(あれをキツめにやられたら、記憶喪失もウソでない状態になる)


「なんで姉さんを連れて帰ってこないんだよ!」

 アルワンは納得しない。


氷結の魔道師あれに、普通の人間が太刀打ちできると思うか! それに、オユンが、姉さんが帰りたいと言っていない」

「何、丸め込まれてんだよ!」

「お前は蒸し風呂で蒸されていないから、そんなことが言えるんだ」

「蒸し? 拷問?」

 アルワンは青ざめた。

「拷問だ。理性が飛ぶ」

 ダヴィスは目を細めた。金の髪の精霊の、あがった口角をぼんやりと思い出した。

を抜かれた」

 一切合切をだ。



 今朝、ダヴィスは城の朝食に御相伴に預かった。

 女主人然としたオユンに、家令や乳白色のちいさな精霊がかしずいていた。

 長いテーブルの短い辺の上座にシャル、真向いの短い辺にオユンがいて、タヴィスは、テーブルの長い辺を存分に使える席に座った。

 シャルの表情をたしかめ、オユンの表情をたしかめ、ほどよく焼けた丸パンをかみしめ、野菜そのものの味が染み出たスゥプをおかわりすると、タヴィスの心に、すとんとに落ちるものがあった。


(オレの立ち位置は、ここか)


 タヴィスは、朝から食欲旺盛なオユンを見つめた。 

 10年前、別れたときのままの見目だが、まっとうな年の取り方をしていれば四十女しじゅうおんなだ。

 この長テーブルに、子や孫が集っていてもおかしくはない。

(オレと、そんな生き方を——)

 幻影を見かけて、タヴィスは首を振った。

 オユンの手を放したのは自分なのだ。

 弱腰で逃げ出したのは自分なのだ。


「スゥプをお気に召して?」

 オユンがタビィスに笑顔を向けた。きれいな笑顔だ。

「あぁ、美味しい。野菜の味が濃い。この緑の葉はニンジン? 香りがいいね」

 タビィスが答えると、すぐに、「ニンジンは氷室ひむろに貯蔵しておくと、甘くなるんだ」と、この城の主が話に割って入ってきた。長生きしている割には、大人げない性格だと、今はタヴィスにもわかっている。


「ツァガントルー家の館にも、大きな長テーブルがあった。姉さんは思い出せないかもしれないけれど」

 タヴィスは前置きして話しはじめた。

「入れ代わり立ち代わりで食事をとった。ぼくらは立ったままで、つまみ食いしながら、ちいさなきょうだいの世話をすることもあった。野菜嫌いの子もいて——、このニンジンだったら食べたろうね」


 そう言ったら帰り際、城の家令に、ニンジンの入った麻袋を一袋、持たされてしまった。

 外見より、ずいぶん、おばちゃんな性格の家令らしかった。


(完全に納得したわけではないが、今のところは降参だ。自分の出る幕はない)



 だが、アルワンは若い。そういう心境になるには、血管や細胞が若すぎる。

 オユンがシャルの術によって絡みとられていると信じている。いや、信じたいのか。

 おそらくオユンに、こっぴどくフラれない限り、アルワンの熱は冷めないだろう。


「とりあえずは、いったんツァガントルー領に帰ろう。オユン姉さんは生きていた。生きていて欲しい。どんな姿形と状態であってもと願った――、その願いが実を結んだんだ。なぁ、アルワン」

「でも……」

 アルワンは、くすぶっている。


 やれやれ、オユンを慕い過ぎたあまり、こじらせるなぁ、こいつ。ダヴィスは自分のことを棚に上げて、弟を胡乱うろんな目で見た。


「姉さんが、しあわせなのが、いちばんなんだよ。オユンは戻りたいとは言わなかった。記憶を失くしていると言っても、無意識に、ところどころは覚えているような素振りも見受けられた。元々のオユンを失くしたわけじゃない。でも、昔のしあわせより、今のしあわせなんだよ。そもそも、十二日女じゅうにひめに随行し、金杭アルタンガダスの後宮に入っていれば、オレらは一生、会うことも叶わなかっただろう?」

 十二日女じゅうにひめに生涯、仕えること。それは、かつて、オユンが願っていた生き方だった。

 でも、今のオユンは、そこへ戻りたいと願っていない。

 オユンの人生のさいは、氷結の魔導師、シャル・ホルスによって、彼女が思っていなかった人生へと転がってしまった。出たのは、よい目か、悪い目か。悪い目が出たとしても、きっとオユンなら、自分にとって、よい目に変える。そういう女だ。ダヴィスが惚れた、オユンという女は。


 今さらながら、愛していた。

 生きていてくれたことが、ただ、うれしい。

 こうなれば、できるだけ長生きして、オユンの行く末を眺めていたい。

 いずれ、娘の身を案ずる父親のような気持ちになれるかもしれない。

(見た目だけなら、そのうち、オレが親父だものな)

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氷結魔導士のはやすぎるいろいろ ミコト楚良 @mm_sora_mm

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