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塔を後にしたフィオネがいる場所は、彼女のお気に入りの薔薇園だった。
赤い薔薇、白い薔薇は勿論のことで、この薔薇園には青い薔薇、紫色の薔薇が華麗に咲き誇っており、花の香りが風に吹かれフィオネの鼻を擽った。
白の椅子に腰かけ、空を仰ぐと数羽の鳥が青い空を自由に飛び交っているのを見ていると、ガサリと力強く草を踏み鳴らす音と共に、厳つい声がフィオネの耳に入ってきた。
「姫様!」
フィオネはピクッと身体を震わせ、振り向くと青の制服を身にまとった数人の警備隊がそこに佇んでいた。
「探しましたぞ! 姫様」
フィオネに声をかけてきたのは、警備隊隊長、オルガ・ベネット。
彼は、警備隊の中で最年長であり、かつては軍を指揮する立場だったと城の側近らが話しているのを小耳に挟んだことがあった。
厳つい雰囲気とは裏腹に声は優しく、赤色の瞳は慈愛に満ちていた。
「……ごめんなさい」
塔に入ったことがバレていないかドキドキしながら、フィオネは幼子のように謝った。
「いやいや、ご無事でなによりです」
オルガは安心したように目を細め鷹揚に頷くと、灰色の髪がゆるやかに揺れる。
彼の見た目は若くみえるが、実年齢は四十半ばと聞き、フィオネは言葉を失ったのがまだ記憶に新しい出来事だった。
フィオネに怪我がない事を知ると、ゴツゴツとした彼女より遥かに大きい手を差し出して穏やかな声でそう告げた。
「さぁ、姫様。陛下が大層心配しておいでです。お戻りを……」
「……ええ」
(嘘。心配なんてしてない癖に……)
お父様が心配しているのは、王女としての自分ということは幼い頃から知っている。
父親に対しての不満を警備隊たちにぶつけるわけにはいかず、唾とともに負の思いを呑み込み、兵士たちに促され、足を進める中で隙をみて背後に静かに佇む塔に別れを告げる。
さくさくと草を踏む音、兵士たちの持つ剣が鳴る音がする中、みな無言で歩いていると、
「姫様」とすぐ隣を歩いていた警備隊長が声を潜め、フィオネに内緒話をするかのように身をかがめた。
別にフィオネも内緒話をする必要はないのだが、オルガにつられ声を落した。
「何かしら?」
何を聞かれるのかと、ドキドキしながらフィオネはオルガの瞳を見つめた。
ルビーのように赤い瞳に、フィオネの不安そうな顔が写し出されていた。
「……そんなに固くならないで下さい、姫様」
目元を僅かに崩し、困ったように笑い、「少し聞きたいことがございまして……」と言いにくそうに言葉を紡いだ。
「聞きたいこと?」
そんなに聞きにくいこととは、一体なんなのだろう? と考えながら、応えを待った。
「ええ……っと」
オルガは声を落し、赤色の瞳を細めて「あの塔に行かれましたか?」と告げた。
「っ……な、なん……で?」
悪いことをした、という意識は多少フィオネにはあったため、声が震えてしまう。
それは、父親から塔に近づくなと強く言われていたからだった。
思わず、周りを見渡し他の警備隊に聞こえていないか不安になるが、小声で話していることもあり、気づいている気配は見受けられない。
その様子にフィオネは安心したように息を吐き、彼の赤い瞳を見つめる。
申し訳なさそうにオルガは言葉を探すように、ゆっくり口を開いてみせた。
「……すみません。塔の近くにおりましたので……」
「そ、そう……なら止めなかったのはなんで?」
非難がましい言い方になってしまうのを、フィオネはわかっていても言い方を変えることはできないでいた。しかし、フィオネの言い方を特に気にすることもなく、オルガはかすかに振り返り塔を視界に入れながら話した。
「あなた様なら彼をお救い下さる、と感じたからでしょうか……」
「え?」
オルガの言葉に思わず足を止め、聞き返すフィオネ。
そしてその意味を聞く前に、「姫様!」という若い声にかき消されてしまう。
「ベル……」
咄嗟にフィオネが前を見ると、白い服に身を包んだ青年が立っていた。
「姫様、探しましたよ! あっ、オルガ殿!」
「ベルガンか……我々は警備に戻る。姫様をお部屋へ」
「はい!」
オルガの言葉に、ベルガン・ロディアは背筋を伸ばし高らかに頷いた。
「では、姫様。我々はこれで失礼致します」
「え、ええ……」
フィオネは、敬礼し、去っていく警備隊を複雑な気持ちで見送った。
(オルガの言っていた彼って、レリクリフのことかしら? 彼とオルガは知り合いなのかしら? それに、救うって何から? 知りたい……レリクリフのことが……)
「姫様?」
(これは、恋……? 物語にあるような甘い恋なの?)
「姫様!?」
「あ……な、なにかしら?」
「い、いえ。何度もお声をかけていたのですが……」
「ご、ごめんなさい……少し、考え事をしていたわ」
「そうでしたか。大声を出してすみません」
罰が悪そうにベルガンは視線を彷徨わせながら、頭を下げた。
「ふふっ、気にしてないわ。さっ、戻りましょ?」
「はい」
フィオネは、ミルクのような白色のワンピースを翻し城内へ足を進めていき、ベルガンも彼女の斜め後ろを騎士よろしくついて行った。
その光景を少し離れたところからみている一人の男がいた。
警備隊の象徴である、青の服を身に纏いながらも、その様子はどこかおかしかった。
「あれが、ラザリュス国の王女サマか……あの女のせいで……俺たちは……」
ぎり、と無意識の内に噛み締めていた奥歯が、音を経てて軋んだ。
男は爛々と目を光らせて、王女フィオネを睥睨する。
黒に近い髪の間から紺色の瞳が暗く、狂気が不気味に渦巻いている。
そして、どこからか彼の偽りの名前を呼ぶ声がし、小さく舌打ちを漏らしその場を後にした。
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