第二章 咎人と純潔の百合の花

「ふふっ、レリクリフ。喜んでくれるかしら?」


 フィオネは浮き足で、まるで世界から隔絶されている塔へ足を進めた。

 彼女の手には、焼き立ての甘いケーキがあった。


(初めて作ったけど……大丈夫かな……甘い物平気かな)


 手伝ってくれたメイドたちは大丈夫だといってくれたが、心配はつきないでいる。

 というのも、フィオネは生まれて初めて料理というものをしたことから、不安でいっぱいだった。


「んっ……」


 苔が生えた金属の持ち手を思いっきり、自分の方へ引くと、冷気がフィオネの頬を撫でた。

 暗闇に目が慣れるまで時間がかかり、ぎゅっと強く目を閉じ、再び開け中を見る。

 ジジジ、と火が空気を焼く音、自分の鼓動と息をする音、そして甲高い靴音が牢獄内に響き渡る。


「レリクリフ?」

 彼のいる牢屋の前で足を止め、名前を呼ぶとのそり、と動きをみせた。


「ん、ああ……アンタか……来るなって言ったのに、なんで来るかなぁ」


 かしゃん、という鎖と共に吐き出されるのは溜息で、呆れた声色をしていた。


「イイじゃない、昨日来るって約束したんだし」

「いや、俺はしてないから」

「あ、そうそう今日はお土産があるの」

「頼む、俺の話を聞いてくれ」


 フィオネはお土産のことで頭がいっぱいで、アルフレッドの言い分は聞いていなかった。


「これなの」

「だから……ん? なんだ? 甘い香りがする」


 ハンカチに包んで持ってきた小さなケーキを取り出すと、牢屋の中は一気に甘い香りで満たされる。

 アルフレッドは、ひくひくと鼻を動かしながら、甘い香りを吸い込んだ。


「はじめて焼いたんだけど……レリクリフ食べてくれないかしら?」

「……ほんと、あんた俺の話聞かないのな……ったくどこの国で囚人に差し入れする人がいんだよ。おかしくないか?」

「いいの、いいの。あ……どうしよう」

「今度はなんだ」


 相手にされないことに諦めたのか、面倒になったのか、アルフレッドは問いかける。


「どうやって渡そうかしら?」

「今気づいたのか」


 そう、アルフレッドは囚人であり、二人の間には鉄格子がある。つまり、フィオネが中に入るか、彼が鉄格子側に来なくてはいけない。


「レリクリフ? こっちに来れる?」

「……ちなみに俺が行かなかったらどうすんだ?」


 恐る恐る、アルフレッドが問いかけると、フィオネはキョトンとした顔で口を開いた。

「あら、決まってるじゃない。私が中に……」

「わかった。俺が行くからお前は動くな、いいな」


 アルフレッドは即答せざるを得ない状況に立たされ、しぶしぶそう告げる。


(俺が行かないと絶対入る。この行動力は鍵を探し出して……いや究極壊してでもやりかねん)


 昨日からのフィオネの行動で、アルフレッドには容易に想像についた。


「よっと……」


 じゃらじゃら、と鎖の音とひたひたと裸足で石畳の上を歩く音がする。

 アルフレッドの足取りは不安定で、その様子をフィオネは不思議そうな顔で見つめる。

危ない足取りでようやく鉄格子の前まで来て、「ふぅ……」と息を吐きながら、腰を下ろした。

フィオネは、アルフレッドの顔を確認できる距離まできたことから彼の顔をじっくりとみる。

 整った顔立ちをしていて、銀色の髪は暗闇では儚く光っているようにみえた。


「……綺麗な髪……」

「……褒め言葉として受け取っておこうか」

「? 嬉しくないの?」


 喜ぶと思って告げた言葉は、あまり彼は嬉しそうではなく、フィオネは首を傾げる仕草をする。返って来たものは、平坦とした声色だった。


「さぁね」

「あなたってよくわからないわ」

「俺に言わせればアンタの方がわけがわからないがね」

「そんなことより、これ食べてみて?」

「そんなことか……ん、食べればいいんだろ? はぁ」


 手首に巻きつく鎖があるため、両手を鉄格子に向ける。

 そんな彼の手に、手の平より少し小さなケーキを載せた。


「ねっ、食べてみて?」

「わかった、わかった」


 アルフレッドは急かされるまま、ケーキを口に含んだ。何年かぶりの甘さに喉が鳴り、身体中が満たされていくような気がした。


「甘い、な……」


 独り言のように呟いたアルフレッドの言葉を、悪く捉えたのか、フィオネは泣きそうな顔をしながら口を開いた。


「あ、甘いの苦手だった?」


 それにゆるり、と頭を振り、

「いや……そうじゃない。ただ、久しぶりに食べた……」


 と、戸惑いを含めた声でそう呟くように告げた。


「? そうなの?」

「ああ……美味いよ、ありがと」


 アルフレッドの少し照れたような笑顔を間近で見たフィオネは、目線を彼から外し、オロオロしながら続けた。


「あ……えと、いいの……うん、えと、ど、どういたしまして」


 カァッと赤くなる頬、ドキドキと高鳴る鼓動……

(な、何よこれ……顔が熱いわ……う、上手く言葉も出ないし)


「? どうかしたのか?」

「なっ、なんでもないわ!」

「ん?」


 思わず声を上げたフィオネに、首を傾げるアルベルト。


「ほ、ほら。もう一つあるわよっ」

「あ、ああ」


 ほとんど強引にアルベルトの手のひらにケーキを載せるフィオネ。

 戸惑いの声を上げながらも、それを受け取り咀嚼していくアルベルト。


 そして、全て食べ終わったアルフレッドが言葉を探すように頭を動かして話す。


「……その、ケーキ……美味かった。ありがとう」

「ふふっ、じゃあまた明日も来てもいいかしら?」

「ククッ、ダメだって言っても来るんだろ?」

「ええ。勿論!」


 アルフレッドの問いに間髪入れず即答するフィオネ。

 そんな彼女に喉の奥でくつり、と笑いどこか楽しそうに口を開いた。


「やれやれ……とんだお嬢さんだ。大丈夫だと思うが、気を付けて帰れよ?」

「大丈夫よ! じゃあね! レリクリフ……って長いのよね……レリとクリフ、どっちがいい?」

「なんだその選択肢は……」

「早くー」

「ああもう、呼びやすい方でいい」

「んーなら、レリでいっか……じゃあまたね! レリ!」

「……ああ、またな。フィオネ」

「っ!? 名前……」

「ほら早くいけ」


 かしゃん、と音がし、フィオネが目を凝らしてみてみると、アルフレッドが自分の腕で顔を隠しているのが見えた。その動作がなんだか可愛くみえ、「ふふっ、また明日!」と笑い、その場を後にした。


「……」


 フィオネの去った牢屋で、アルフレッドはようやく顔を上げる。


(まったく、名前を呼ぶだけで照れるなんて……間抜けにも程がある……)


 アルフレッドは、頭を石の壁に付け、天井を見つめる動作をするが、光を写すことのない青色の瞳は悲し気に光るだけだった。

 アルフレッドとフィオネの瞳は同じ青色だが、彼の瞳には生気がなく、ただビー玉のような光りを放っている。


(そういえば、俺はフィオネの容姿のこと、なんも知らないんだな)


 髪の色、瞳の色、そして、彼女がどんな風に笑い、泣くのかわからない。

 声だけでは、得られる情報も限られている。

 ぼんやりしながら舌を動かすと、甘みが口の中に残っており、久しぶりの甘味に思わず笑みを浮かべる。


「また、明日……か」


 また明日、約束をしたこともあり、彼女がここに来るのはわかり、それが嫌じゃないことに気づき、頭を悩ませること数分かかり、途中から考えを放棄し、眠りにつくことにした。

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